蒙という字を出したいときは蒙求と打つとか、機という字を出したくて機織りと打つみたいな、そういう教養を感じる変換技術でみんなが使ってるやつは何?
機に対して「きかい」みたいな同音異義語がなくて、変換候補が一つしか出ないのを出したくなった漢字に応じて臨機応変に瞬時に出せるのってなんか賢そうじゃない?
患者の体内の酸素を管理しなければならないという目的があって、その手札のひとつとして ECMO があるんだよ。
技師は ECMO の使い方を知っているのは前提として、患者に合わせて適切に管理しなけりゃならないんだから医療知識もかなりいる。
look after
look around
look back
look down
look forward to
look in
look into
look through
look to
look up to
愛してるよ♥️
漫画って作者に応じて、その作者の新作を知らない状態のそれの一コマを見せられても、その作者だと分かってしまうような差異があるよね。
似たり寄ったりと言われる少女漫画でも俺は遠山えまとサカノ景子と桜乃みかの絵ならほぼ確実に見分けられる。
それぞれ端的に特徴を表現すれば、なかよし作家特有の幼い顔立ちに光る個性、順ヒロイン的な可愛さ、大人を描いても子供描いてもどこかにあどけなさが表現されていてなんか肌とかもちもちしてそう、という感じ(長文感想女みたいにはなりたくないしその才能もないのでこの辺で)。
漫画家はみんなこうやって自分だと見分けられるような絵が描けるようになりたいものなのかな。守破離で言うと破か離か。
でも同人誌とか見れるとこの人の絵だって分かるようになってるものの方が多かったし、逆に画風から個性を殺す方が難しい技術なのかもしれないとも思える。素人が上手い人の絵とか真似たつもりになってもどうしても人ぞれぞれ癖が出てしまうみたいな。
いいや、ここは自由研究を書くところだ
もちろん物には順序があると言う通り、発生した順番に必然性があるものもある。
たとえば人類が松明より先に蒸気機関を発明することは考えにくいだろう。
たとえばそこにはある技術がある技術の土台となっている(その土台が欠けては発生し得ない)という必然性がある。
じゃあたとえば共産主義の後に資本主義が起こったという順序には必然性があるのか。
それは微妙だと思う。共産主義を経ずに資本主義に失敗を感じた人類社会では共産主義が後から発案されるということもありえると思うから。
もっと漫画に関連しそうな絵画でいうなら、フォービズムの後にキュビズムが起こったということには、この逆の順序で起こることは何らかの原理上不可能というような必然性はあるか。絵画における主義思想の順序になんというか指向性というか線形性みたいなものはあるのか。
別にそういった順序はどうあってもいいと思える。いろいろ並べ替えた場合であってもそれぞれにおいて起こり得る理由を後付け説明することはいくらでも可能そうだから。
実際の絵画世界においてはルネサンスから抽象画に走るという、背景知識のない人には一見退化、全体的に下手になったようにさえ見える変化が起こっているわけだが、商業主義の濃い漫画においてはあえて下手になろうとすることは全体的な傾向としてはまず起こり得ないと思う。
かといって上手くなっていく、ということもあまり考えにくい気がする。
個人レベルで絵柄が変化していくのには、技量が上がった場合も流行の絵柄に合わせた場合もあるだろう。
ではこれらの場合をひっくるめて絵がうまくなったとか洗練されていったということはできるか。
つまり流行の絵柄に合わせれば自動的に以前よりも上手い絵を描いたことになるというのなら、漫画は全体的な傾向としても絵がうまくなっていく、そういう「方向性をもった発展」をしていることになるのだが、そうだろうか?
本宮ひろ志の絵より鬼滅の絵の方がどうしてうまいと言えようか?
蒸気機関は松明に遅れて出たみたいなことはそれを歴史的事実として知らなくても、それぞれの実物を見せてもらったり使用方法や動作原理を説明されればどちらが先に現れたのか見当がつくものだろう。
でも漫画において、各年代において特定の作品の一コマを抽出して、これらの作品を新旧順に並べかえよと言われた場合、それを正しくでおこなえたとすればそれは、ある年代においてこの絵柄が流行ったという対応関係を知っているからであって、つまり外的なコンテクストに基づいているだけだと思う。漫画の絵柄に内的に「古さ」というものが実在しているわけではないと思う。感じたとしてもそれは歴史的事実から投射された虚像に過ぎない。
嫌なら未経験を参画させなければいいだけの話😤