私はかつて、信じられるものが欲しかった。信じられるものとは何かを考えた時、絶対に正しいことなら信じてもいいと思った。だから、絶対に正しいことを探して物理やら数学やらに取り組んだ。
けれども、計算できる正しさを信じることは何か違った。もっと人間的な何かであり絶対に正しいことこそ信じられるものだと思った。
そんな折、ある小説に出会う。『エンジェル・ハウリング』という全10巻の長い小説だ。この小説はオールドタイプに巻頭詩から始まる。
かつて、地図には空白があり
空白には怪物が潜んでいた
人々は恐れ、すべての空白を知識で埋め尽くした
空白がなくなり
誰もが疑問を失う
知識に満たされ、もはや誰も問わないが
空白はどこへいったのだろう?
怪物はどこへいったのだろう?
御遣いの言葉が
いつかそれを明かすこともあるのかもしれない
この詩がなぜかとても心に刺さった。この小説、最初はとても退屈なのだがもそれでも続けて読む気になったのはこの詩があったからだ。
そして次第にこの物語が語ろうとしていることが分かってきた。これは、信じるものについての話なのだ。だから、絶対的なものについても語られていた。
絶対に信じられるものとは何なのか?それを期待しながら読み進めるうちに違和感に気づいた。この物語は、絶対的なものを否定している。
しかし、信じるものについては私の疑問に答えてくれそうでもあった。ベスポルトという登場人物が語る真っ暗闇の世界の話が私が抱いていた疑問そのものと言ってよかったのだ。
「もしも真っ暗闇の世界で、そこに空気がなく、身動きできないとする。だがそこに、誰かがいる。君もそこにいたとして、その誰かに君のことを気づかせることができると思うかね?」
これは思考実験だ。何も見えず、何も聞こえず、動くこともできない中で誰かに自分のことを気づかせることができるかという問い。そしてこの問いを考えると、一つの疑問に行き着く。ベスポルトは続ける。
「そんな方法はない。だが、それならばそもそも私はどうやってその相手に気づいたのだろう。どうしてその相手がそこにいることを信じているのだろう。相手にわからないのなら、私にだってわからないはずなのに。私が信じているのなら、信じざるを得ないなら、相手もまたきっと自分のことを信じてくれるに違いないと。それを信じることはとても難しい」
そうなのだ。自分が相手の存在を信じているのなら、相手もまた自分の存在を信じているのではないのだろうか?それが疑問だ。でも、それを信じることはとても難しい。この疑問を理解したのなら、それを信じる難しさもまた理解できるはずだ。ベスポルトはこの話を愛についての話だと結んだ。
では、これを信じることは出来るのだろうか?それが出来るのならば、きっと私が探してきた絶対的な何かは必要ないはずなのだ。
結論から言えば、信じることは出来る。結局のところこの物語は、絶対的な何かは無くとも信じることは出来る、それを文庫本10冊をかけて丁寧に誠実に語る話だったのだ。
だから私は満足した。絶対は無い。絶対に正しいことなど無い。けれども信じることは出来る。
なのだから、地図の空白を埋め尽くさなくともよい。空白を、怪物を恐れなくともよい。私たちの世界には、例え地図の空白が埋め尽くされていても、どこかに空白がありどこかに怪物が潜んでいる。無くすことは出来ないはずのそれを無くそうとするのは、絶対を求めるが故に何も信じられない賢者の態度だ。
しかし私たちは隣人を信じることが出来る。信じるに値しないことに思えても信じることは出来る。それは愚者の態度に思えるかもしれないが、それは違う。愚者は疑うことなく信じるが故に信じるに値しないことを信じることは出来ない。
今までなかったので結構動揺している。
俺はまもなく40になるが、子が5歳、2歳で妻の腹の中にもう一人いる。
住宅ローンは34年残っている。
不安が油膜のように纏わりついているが、
解決する見通しはまるで立たない。
医療、保育、遠隔教育、食糧生産と食料流通、マスクづくりに取り組む業種は休めないからなぁ
接客業も、家にいさせるとエアコン代も払えないっつって外にうろうろでてくるようなやつらをしつけて酷使してるんだから客がこないのに開けてるんだろ
ハッキリ言うぞー。
牛券魚券にケチつけた時点で、「うちは困ってる」という理由での支援要望は没になってるのよ。自ら没にしたのよ国民が。自助努力と創意工夫を農水業種に求めた結果、それが基準になってるのよ。そうしないと国民の理解が得られない……と、政府が誤認識してるの。— kincade (@kincade1918) April 1, 2020
世界がコロナ禍に巻き込まれた影響をもろに受け、需要が落ちて工場の生産台数が恐ろしく下落した。
国内向けのわずかな需要に応えるために、普段行う事のない少数生産を開始したら工場がまともに動かなくなり、ニッチもサッチも行かなくなった。
それを強引に突き進めようとするマネージメント。
二転三転する方向性。
引っ掻き回される現場。
現場の声も聞かず、行き当たりばったりのマネージメントの行き着いた先は、まともに工場が動かないという結果だった。
うんちはまだか!!