ブーン系小説は簡単に説明すると一行AAを使ったSSのことで、もともとはvipにスレ立てという形で投稿されていたらしい。伝聞。私がその存在を知ったときはvipよりも創作板にスレを立てる方が主流だったと思うし、検索にかけたら、その創作板も管理人になにかがあったらしく廃れていた
(軒並み平成に留まっている)まとめサイトで好きだった作品を読み返して、惹かれるタイトルの物語に目を通して、創作板の代わりにできたのであろう創作板ファイナルで現行のスレをチェックした
作者は「支援」「乙」の一言でも嬉しいから積極的に書き込め、というような文言はよく見かけたけれど相変わらず勇気がないので増田から「支援」「乙」します。10年前の作品も現行の作品もおもしろかったし、10年後、現行の作品を読み返せる環境が整っていたらいいなあと思う。直接的な形で感想を伝えることさえできない自分にそれを願う資格はないけれど
Twitterに趣味絵を上げたらデッサン狂いを指摘されて落ち込んだ。
正しい助言だとしても、求めてもいないのに助言してくる人はありがた迷惑な存在としか思えない。
でも理屈で考えれば批評の自由は誰にでもあるし、批評は創作者が成長する糧にもなる。
え?子なしで専業主婦なのに手伝わせようとするの!?それはありえないわ
人生の豊かさの本体は喜怒哀楽の起伏であり、涙を流したり鳥肌を立てたりした回数そのものだと思っている。
自分に与えられた一定の時間・金銭コストの使い道を考えた時、子供は人生に尋常ではない起伏を与えてくれるパフォーマンスの高い投資先だ。
子供無しでこれと同じレベルの喜怒哀楽を得ようとするなら、それこそとてつもないコストがかかるのではないかと思う。
私は自分の人生を起伏に富んだものにしたいから、子供をつくった。
元々すぐ人を好きになる性格で、しかし基本非モテだったのでしょっちゅう「はー恋心つれーわー」となっていた。
それが色々あってよい人に巡り逢って結婚し、「ヒャッハーこれで会いたくて会いたくて震えることはもう無い!!ワタシ幸せになります!!」と思ってた。
本当にそう思ってた。
なのに、めちゃくちゃナチュラルに性懲りも無くまた人のことを好きになった。
もうピタゴラスイッチみたいにコロコロ、ストン、カツン、ポン!!みたいな感じで恋に落ちた。
念のためにいっておくけど、配偶者以外の人ね。
べつに今の配偶者が嫌いになったわけではないし、結婚生活にはおおよそ何の不満も無い。
配偶者を愛しているし(しかし愛してるってナンダ?)、一緒にいると心の底から幸福を感じる(しかし幸福ってナンダ?)。
ただ、もしこれが結婚する前だったら、今の配偶者とは別れて、好きになった人に突撃していたと、絶対の確信をもって断言できる。
そういう感じ。
とはいえ離婚するような度胸もないし、かといって浮気するような狡猾さも持ち合わせていない。
じゃあどうするの?
この何処にも辿り着かない感情を切り裂いて心の奥底の古井戸に放り込んでおくしかないじゃない。
そしてテンポ正しく日々の生活を送りながら、時々長いタメ息をついて井戸の底で腐って沸き出たガスを吐き出すしかないじゃない。
何より怖いのは、これからの人生でもこうしたインシデントが定期的に起きるんだろうなという予感がすること。
そう考えると、軽く眩暈がする。
はー恋心つれーわー
逆になんで書かないでいいって思った?
九州って魚が結構豊富で新鮮で安いって評判なんだけど、福岡市内の居酒屋はハズレが多い。
特に天神・中洲近辺はダメ。アフェリエイターがやってる内容の薄いブログみたいな居酒屋
ばっかり。内容薄っぺらで、コピペみたいなメニューと商品なんだけど値段だけはしっかり
取られる。地代がそこそこするからなんだろうけど、2度と行くか!と思う店にここんとこ
当たりっぱなしで泣ける。