かなり昔のゲームだし手をつける気になるとは思わなかった。すごい行動力だ。
でもコーデの楽しさや自由度は今尚どんなゲームにも負けてないと思ってるし、オススメなのは変わらない。
プレイヤーが色んなコーデを紹介してるキャラシミュサイトもあるんだけど、IEでしか動かないんだよね。時代の流れだ…
だからURL貼ってもちょっと見れないかもしれないが我が娘はこんな感じだった。
http://labo.erinn.biz/cs/?115743
http://labo.erinn.biz/cs/?115739
染色システムが変わっていて、染色アンプル(ほぼ課金アイテム)を使ってミニゲームをしてランダムで染めることになるから、衣装やアンプル代を稼ぐために生産や狩りをすることになると思う。
過労死やブラック企業で騒ぐ割に、僕らが世の中に便利さや快適さを求めるのはなんとも矛盾しているのではないかと思う。
世の中にAmazonプライムとやらが誕生した時、僕はなんて便利なんだと感じたと同時に、
家から出ずに僅か数クリックで自分の欲しいものがその日の内に自宅に届く様は、僕の目には異常なもののように映った。
人間はどんどん待つことを忘れていっているような気がする。
今の世の中において、安さ・速さ・正確さ・便利さが絶対的な正義になってしまった。
需要があるからビジネスになり得るのは当然だし、そういう僕も現代の恩恵を全て放棄することはできないと知った上で、
安さを求める人がいる一方で、低賃金で働かされている人がいる。
速さを求める人がいる一方で、納期に間に合わせようと長時間働く人がいる。
行き過ぎた快適さの先には、一体何があるのだろうか。
からこそ
頑張れば救われるなんて建前でしかない
事が真となるのです。
日本において努力教というのは、概ねコネや家柄の優劣を真とした上で、「溜めや百姓にも劣る家柄でも努力すればまっとうな生活を得られる」という思考のもとに成立しています。
本当に勉強しか取り柄のない奴は学校や教員、親をも疑ったり批判したりする姿勢が一切ないから、言わばカウンターカルチャーのようなものであるオウム真理教の教えになんて耳を向けるはずもない。
というかそもそも勉強しか取り柄のない人とは言うけど、他に「取り柄」があるとしたら何のことだ?どうせ「スポーツ」の一つしか挙げることが出来ないだろうね。即ち、人間を知能(というより学力)と運動能力でしか判断していないような人なんだろう。
兎にも角にも、こういう阿呆丸出しな意見唱えてる奴は、少しは知識を身につけてから公の場で情報を発信するように心掛けてほしいね
そもそもの話、「俺が勝ち組なのは偶然の産物だ」またはそれより広く取って「勝ち組の人間がその地位にあるのが偶然の産物だ」が真だったとして、
それらの言説、その主張が「勝ち組にある人間がその地位にあるのは本人の努力、ないしは天賦のものであり必然である」というあり方を真とする社会を
上書きすることはないんだよな。
おれは勝ち組にあたると思うけど、現在の地位が自分の努力の結果であるとはまったく思えない。
なにも能動的に仕向けていないのに初めから頭がよかったし、自ずからいい仲間に出会えた。適当にやっていたらお金も多少貰えた。