効率学校の先生になって数年経ったので思ったことを思うつくままに書く。少し悪意がある。
私自身は他業種を経験してきた中途臨時任用講師である。雇い止め構造のために正規雇用に比べれば、ボーナスなどで手取りが劣るが、
殆どの教員が大学卒だというのが信じられないくらい、科学リテラシーというものがない。
採用選考の基準に知的に優れているというのを考慮してないのだろう。そりゃEMも江戸しぐさも蔓延するだろうし、かけ算の順序を自分で考えられない人間が多数派になってしまうだろう。
子供のあしらいは上手い。だが、お勉強の教え方が上手いかどうかは、個人の資質によっているようだ。体育会系の奴は本当にバカだ。
ただ、小中学生は体力と学力はそこそこ相関するので、体力を伸ばすアプローチは有効なのだと思う。向いてない人を辞めさせる構造がないのが問題なのだと思う。
会議で一人の人間が五分話したら、10回は「させていただく」を使う。「します」でいいだろ。五人が喋れば50回聞く。
電話の応対もガチャガチャである。ただし、地域によっては身内の教員に「先生」と付けなければ保護者が図に乗ってしまうので、身内に敬称を付けざるを得ないという構造もあるようだ。それでも醜い表現だと思うが。
忙しい上に残業という概念がある世界を経験したことがないので、ほとんどの仕事を気合いでやっている。効率化の仕方をしらない。
ほとんどの人が大学を卒業したあと、先輩の仕事ぶりをあまり間近で見ないままにOJTで仕事を覚えていく。
その為、仮に大学で覚えそびれたとしても、先輩や同僚から学んで、或いは仕事をサボってブラウジングしてる間に身につけるようなPCの使い方を身につけていない。
コピー&ペーストを知っているのはましな方で、ショートカットキー、気の利いた検索方法を知らない。コマンドバッチを書いてデータのバックアップを取ったりしない。
忙しさのせいで、自分磨きに時間を作れていない。他業種の人と交流する時間を取れていない。同業種の人とくっつく奴ばっかりだ。バカなのだと思う。
残業をもらうということを若いうちに経験しそこなったために、自分の1時間の価値というものを考慮していない。
そこそこ偉いということになってる管理職の人間が教育委員会がプリントアウトでよこした元がHTMLベースであろう資料に書いてある数値をエクセルに入力して、
円グラフを作っていたりする。ものは、全国学力テスト結果の細目だったようだ。どうだ泣けてこないか。校長という人種はもっと酷い。
あなたはこんな人々に導かれている大人の集団にまかせて、子供がITを使いこなすビジョンを持てるか。
時間がないといえば、地域格差もあるのだろうが、平気で給食費を踏み倒そうとするPも居て、余分に手紙を書いて渡して、
電話を掛けて無視され、家庭訪問をして無視されるという対応をしている例などもある。子ども手当減らして国庫から給食費を出せばいいのに。
子供といえば、あらゆる書類で子供と書いた表現を「子ども」と頑なに直してくる。バカなのだと思う。
文科省が省内の書類で表記を統一する通達を出したことも知らないのだろう。矢玉四郎のサイトも知らないのだろうし、本を読まないから矢玉四郎も知らないのだろう。
ほとんど唯一と言って良い、よそでできる経験というのが、教育委員会への出向である。
こちらは、地方行政機関なのだから、残業代という概念を経験しても良さそうなものだが、現役教員との格差を産まないためか、こちらも二級市民的に
慢性的にサービス残業を行っている。採用試験に落ちた人間に来年度の講師をやらないかという連絡を日曜日に掛けて来たりする。
お前が落としておいてその言い草はなんだ? 来年の働き手が足りないということが今わかっているなら、採用枠を広げればいいのじゃないか。バカは死ね。
そういう非効率的な働き方を経験してきた人間が現場に戻ってきたら管理職様なのらしい。バカバカ言ってきたが、気の毒である。
教頭という立場の人々の働き方は非人間的である。おそらく90%以上の教頭という立場の人間が過労死ラインの向こう側で仕事をしている。
労働組合は地方格差があるようだが、有名無実化しているようだ。
仕事に追われた、余暇の使いみちをしらない人間的魅力に乏しい人を生み出す構造しかない。
自分の自由になる時間を作らずに、非効率的に仕事と向き合って会社の外に付き合いを広げていかないのであれば、調子を悪くするのも当然だ。
悪い意味で保守的である。冒険心がない。気の毒に50代になっても自分がなにかを変えたという体験をしてこなかったのだろう。
学校の先生は研究をしているということになっているがその準備に大わらわになる一方でその研究とやらを積み重ねている様子が感じられない。
刹那的というか、近視眼的というか、一年こっきりの思いつきを繰り返しているように見えてしかたがない。
その研究とやらの成果が仕事(教育)に活かしにくい構造もあるのだと思うが、こんだけ毎年研究を繰り返しているのならば、教育技法というのが、どんどん洗練化されても良さそうなものだが、十年一日な進歩しかしてないように見受けられる。
都道府県別の学力格差というのがあるのなら、愚直に先進的な地方のやり方を丸パクリしてみればいいのだ。
◯学校の先生は社内/省内キャリアアップというビジョンを持たない。
もしかしたら、正社員であらせられる人々の中ではあるのかもしれないが、自分の過去の実績と現職ポストを振り返って、ゆくゆくのビジョンというのを持ってない。
少数の士官以外が全員現場の一兵卒という構造もあるのだろうが、自分の将来展望についての話をしない。そもそも、同僚ととりとめのない話をする時間をそれほど持たないようなのだが……。そして、人事の内示がでるのが遅い。
ここは評価していいところだと思うが、地方格差もあるのか管理職の登用というところでは、グッと下がるようだ。
管理職になれば今まで以上に奴隷のようにこき使われるのだ。旨味を感じられなくてもしかたがないのだと思う。
これは言っておきたいが、子供の美醜について口にするのは圧倒的に女性教員だ。イケメンという言葉がカジュアルで使いやすいというのも
あるだろうが、これが男性の教員が子供の顔貌についてあれほど口にだしてたらと思うとゾッとすると思うのだが、どうだろうか。
もちろん、全ての親がということはないが、公教育の失敗例というのをまざまざと目撃してしまう。
そこそこ都会でさえこの程度なのだから、地方については考えたくもない。
お前はどうなんだと言われると思うがそこそこのクズだよ。
普通の企業もだいたいそんな感じじゃん。何も特別なことではない。
「自分はそこそこクズなんで~」と言い訳しておけば棚に上げまくっても許されると思ってるあたり、正真正銘のドクズ感がある。まあ、本物のクズなんだろうな。本心では違うとか思...