うわあああキメええええええwww
あれは
・揚げてないからカロリーがそこまで高くない(と思って良心が痛まない)
・手が汚れず・こぼれず食べられる
・加熱等不要
だから人気があるんでは。
しかも日持ちする。
顔だと思うなー。もしくは体型。色黒だったりガタイ良かったり、きつそうな顔つきだったり軽そうだったり。
マジレス。
入学金の免除は条件が極めて困難だけど、猶予は比較的とりやすいの、入学手続きの時にやるといい。
私は20年このスイッチのどれが廊下でどれが階段なのか覚えられずにいる。
両方一度につけて両方一度に消している。それがもっともストレスがない。
とべとべはばたけ紅孔雀
それがあだ名になるにいたったけっこう長めのストーリーがあるのだが
それも何回か尋ねているけど、聞くなり忘れてしまうのでいまだに覚えてない。
ただ、なんとなれば顔も名前も今や全く覚えてない彼女のあだ名が「はばたけ」ということだけ記憶に残っている。
それと同じでここのことを増田というのはまったく覚えられずにいる。
ネットでよく見かける「増田」って一体何なんだ!? :教えて君.net
http://www.oshiete-kun.net/archives/2008/10/post_194.html
ああなるほど。でも、たぶんまた忘れる。
急にメッセ飛んできて「メシ食わせろ」だの「暇なんす」だの。
つーか、地元に残ってるだろお前。そっち行くのにウン時間かかるだろ。
田舎から抜け出し人並みに給料もらえてるけど、大事な嫁子供いるし
たたかう
→むしする
ぼうぎょ
にげる
これかなー。
そりゃトップアイドルになれりゃ医者より効率的に稼げるだろうが、
男ってそうだよね、せっかくこの俺が○○して“や っ た”、好きになって“や っ た”のにって言い方考え方。
前どっかで「図書館系女子って良いよな」「図書館やミスドで必死に勉強してるJCJKの可愛さ」って気持ち悪いこと言ってたヤツらに
「お前らは図書館系女子好きでも図書館系女子はお前らみたいなの大嫌いだと思うよ」って真っ当なツッコミに「図書館系女子って生意気な所あるよな、せっかくこっちが好きになってや っ て る のに」って言ってた。
こんなヤツらを好きになる女が居るわけない。
自分は全く飲まない、飲めないのに「飲めそう」「日本酒好きそう」と好き勝手言われてたな。
とにかくみんな、誰でもいいから言ってるだけ。
同じようなテーマではある。
しかし直接的に描こうとしたゆえに逆にゲルサドラや空ちゃんといったギミックに頼ることになり、その結果せっかくアニメなのに抽象的になり感性に直接訴えかける力を失ったクラウズインサイトにたいして
婉曲的に描こうとしたゆえに逆にえげつないくらい直球なアンナ錦宮や科学者さんという直感的にわかりやすいマジキチキャラを生み出せすことに下セカ。(いただきの白やこすりちゃんは超つまらないキャラだった。原作は9巻まで出ているが1巻がピークだったら嫌だなぁ)
どちらが「面白い」アニメであったかというのはもはや語るまでもない。
と、10話までは思っていたけれど10話にしてようやく盛り返したのは嬉しい。
私はすっかりリズムと同じ感覚で醒めた目で見ていた。ここまでの展開はわかりきった結末であり、爾乃美家累の浅はかさや国民のアホさを冷笑するくらいしか楽しみがなかった。高二病だった。
だが、クラウズは私がこんなものだろと決めつけていた結論よりは少しだけ先に行こうとしている。
「空気のおそろしさ」を描くだけで満足するのではなく、その空気を私たちは制御できるというテクノロジーと意思の形を示し、未来を描く、という課題が示されようとしている。
ただし、この問に対する答えははじめちゃん主導で導く場合はこのアニメの評価はやはり上がらない。
あくまで爾乃美家累の決断として、Xが述べたように人間がサルより勝ることを提示し、リズムが納得するという形を取ることは必須条件である。
作者のオナニー的な話のために、はじめちゃんとカッツェ、爾乃美家累とリズムの相剋という物語の必須構造すらないがしろにするならやはりこのアニメは駄作であったと断じるにいささかかのためらいもない。
困ったことに、爾乃美家累があきらめから立ち上がったからいいではないか、格好いい戦闘シーンで空気と戦ってるからいいではないか、という展開になるおそれがちょっとだけある。格好いい戦闘シーン、結構なことだ。しかしその要素はほかならぬこのアニメに求められているものではない。きっちりと納得行く結末を期待したい。
「以上、お昼のニュースでした。時刻は12時15分です」と聞くと自然に「キン・コン・カン コキコカコカン」が脳内再生され、
「ちゃららら〜 ちゃらたらたら たーたーったらったたた」とのど自慢のテーマを聞きながら、
なぜだ?なぜなんだ俺?と自問した。
のど自慢が大好きでもないし、のど自慢を見るためにNHKを選曲していたわけでもない。
なんなのだろう?
幼い頃からの刷り込みと体内時計的なもので、日曜12時すぎにNHKが点いてると体が反応してしまうのだろうか。
それとものど自慢の映像には聞こえない・見えない特定の周波数の音や光が隠されていて、それに反応してしまうのだろうか。
とか考えて気がついた。
「お昼のニュースでした」なんて台詞を聞くこと自体が、日曜の昼のNHKしかないからだな。
土曜はこの時間はまだ寝てるし。
続きは書いているのか