ありらいおん氏は昨年の夏コミでサークル数を捏造して艦これ一位と東方衰退を印象づけようとした提灯記事ライターだが、まさか艦これ衰退を示すデータ分析に使われるとは思ってもいなかっただろうな。
衰退要因の一つとして「手軽さ」を原因にあげているが、それ以前に界隈でヘイトを稼ぐ出来事が多すぎた。元いたジャンルに唾を吐いて艦これ界隈に移る作家。商業面同人面での他ジャンルとの対立。Twitterで艦これを批判した高校生をネットリンチした事件。浦賀船渠ノ航跡中止事件のように同人イベントの闇を凝縮した出来事…立て続けに問題が起きるが、いろんな方面からどうしようもない人間が寄ってたかったからに他ならない。
一時期酷かった東方でさえ啓蒙活動によって少しずつ改善されていったのだが、艦これの場合は啓蒙活動の声を早々と潰してしまった。マナーを知らない新規が大量流入した頃の東方と違い、東方含む他ジャンルで問題児扱いされてしかも啓蒙活動で言うことを聞くような人間ではない、悪性の厨房が流入してしまったからである。
いかに数が多くとも問題児だらけでは、いずれ瓦解するのは目に見えていた。
内定が「オファー」なら、内定時に待遇が提示されて、応募者はそれを受けるか、蹴るか、カウンターオファーを出して交渉するか、ってことになるね。でも日本の慣習、特に新卒採用だと内定後に交渉するってプロセスはあまり無い印象だなあ。そもそも「内定」って言葉自体に企業側が一方的に決めてる感があるし。「内々定」に至っては意味分からん。
いわゆるボードゲーム。お酒と美味しい料理を楽しみながら、それに興じる
私は理解するまでに何度もなんども遊んで説明書を読まないと理解できないのに
みんな、口頭で2分くらい説明を聞けば理解して戦略とか練ってる
見学や自習を経て私がやっと理解できた頃には、もうみんな飽きて別のゲームをやってる
それでまた最初に戻る。
説明を聞いても全然私はわからなくて、でもわからないと言って何度も聞いてゲーム開始が遅れると迷惑がかかるので
何かと理由をつけて見学している。誘われてもゲームわからないからと断るようになった
何より実戦しないと体系的な理解ができないなまくらな脳だ
IQに一定以上差があると交流できないとはこういうことなのだろう
「オレ、ネットやらないんだけど。お前がこの事調べてくれない?」(口調はこんな感じなないんだけど)が続きすぎて、ウザ過ぎる。
今は大して費用もかからないんだから、自分でやってくれよ!と思う。
なまじっか地位があるから、今までそんな事自分でやった事もないんだろうけど(反対に今まで自分でやらないで済んできたのが謎だ)、正直なんでも頼んでくるのはウザいしやってらんない。
どうにかならんもんだろうか。
http://twitter.com/coyo54/status/611562943700799488
http://twitter.com/coyo54/status/611562996884598785
楽しいゲームでさえこうやって洗脳してやれば嫌いになっちゃうんだから「勉強やれ」「宿題しろ」って言われりゃそりゃ勉強が嫌いになるわな…と思いました。
そういや直近の増田発言を自分への「ほのめかし」だと解釈する典型的なタイプの統失がたびたび増田に来てたけど、ここ1~2年そのタイプいないな
いつ遺憾なの?いまでしょ!
当時移植は無理と言われたゴリゴリの疑似3Gのパワードリフトとか、
信じられないほどなめらかでアーケードを超えたと言っても過言ではない
小学生のとき、多分文集か何かだったと思うけれど、名前の由来や長所短所を書く親の欄に「長所・なし」と書かれたことがある。
母は私の長所が思い浮かばずにしばらく悩んでいて、どうしよう何を書こうと私に相談してきた。
何も思い浮かばないんだったらなしでいいんじゃないの?と言ったのは覚えてる。それもそれで面白いからいいや、と子供心に思ったのも覚えてる。
母は私の言葉通りに書き(え、ホントになしって書くんだと驚いたことも覚えているから、おそらく本当にそう書くとは思っていなかったのだろう。なんだかんだ言って最後には長所を書いてくれると思っていたのだろう)、それが文集になり皆の目にさらされるとは思っていなかったらしく、知らなかった「なし」と書くんじゃなかったと後から言っていた。
ああ、何も思い浮かばずに子供の言葉通り「なし」と書いたのに、それが文集にのると知ってたら違うことを書いたってこと?嘘を書いたってこと?
あ~思い出すなぁ。あの時感じた母への違和感。信頼感がなくなっていく感じ?
数年後かな。弟の部屋で何故だかわからないけど文集をパラパラと見ていて、そこに同じものがあった。両親が書く欄。名前の由来と長所短所。弟の長所は、もちろん「なし」なんかじゃなくてきちんと書かれていた。確か優しいところ、だのなんだの。泣きそうになったなぁ、あの時。ショックだった。ああ私の良いところなんて考えても出てこなかったのに、「なし」と書かれたのに、弟はこうやって書くんだ、と。当時の私はヒステリーが激しくて、機嫌が悪いときや嫌なことがあるとすぐにギャーギャー騒いでいたから、母はかなりしんどかっただろうと思うけれど、あれから20年以上たつのに未だにふとした瞬間に思い出すよ。これだけじゃない、今までのうらみつらみ。(って言葉は大げさ?)
不思議だよなぁ、してもらって嬉しかったことももちろんあるはずなのに、傷ついたことばかり思い出して、忘れられない。
女の子が欲しい、と素直に無邪気に言える人って、母親との関係が良好だったからじゃないのかなと思う。幸か不幸か分からないけれど、男の子をふたり授かりました。ひとりごと終了。