はてなキーワード: 胃瘻とは
田舎の総合病院に赴任して老人を看ている医者だが、独り身の老後は本当に悲惨だと本当に実感した。
結婚もせず、結婚しても子供も持たずに生きようとしている人が今は多いが、現代ですらこの状況なんだから、今の20〜40代が後期高齢者になる頃にはもっと日本も苦しい国になって、間違いなく悲惨な死に方をする老人が増えるだろう。
病院で亡くなる高齢者というのは本当に哀れだ。肺炎だか尿路感染だか認知症だか分からないような状態で運ばれてくる老人がいくらでもいる。そういう高齢者はたいてい重度の認知症を抱えていて、おむつを着けられ、体調を崩したのもあって口からものを食べられず、病院では譫妄を起こして大声を出し続けている。腕のカチカチに固まった細い血管に無理矢理点滴ラインを確保しようとするものだから内出血ばかりで、看護師さんが苦労して確保したラインを自分で抜くものだから、手は縛られ、体もベッドにくくりつけられている。一日に1リットルか1.5リットルの点滴が命綱。病院食が出るも自分では全く食べられない。鼻からチューブを入れられたり、果ては胃瘻を造られたりして栄養を流し込んでもらうことになる。
今、悲惨だと思ったか?経腸栄養をしてもらえる老人はまだ幸せだぞ。胃瘻を造ってでも生きて欲しいと願ってくれる家族がいるんだから。赤ん坊に戻ったような、自分でメシを食えない老人は大抵そこでストップだ。医者が家族に話をする。「認知症に老衰もあって体力がなくなり、ご飯を食べられなくなりました。経鼻胃管か胃瘻で栄養を入れることもできますが、どうしますか」家族は言う。「食べられなくなったならそれが寿命です。このまま看取りたいです」そうするとどうなるか。命綱の点滴を減らしていく。1リットルが500ミリリットルに。500ミリリットルが100ミリリットルに。もちろん、そんな量で生きていけるはずがない。最初は大声を出して暴れていたような患者も、それが1週間も続けば動けなくなって、ひからびるように死んでいく。血圧が70くらいになったら家族が呼ばれ、死亡確認をしてお終い。
悲惨だろう?ところがどっこい、こうやって看取られるのもまだ幸せな方だ。看取ってくれる家族がいるんだから。死ぬまでお見舞いに来てくれる家族がいるんだから。認知症が進んで医者と家族の区別もつかない老婆に、同じく足腰の立たない旦那が毎日車椅子に乗って会いに来ている。神経疾患で人工呼吸器を着けられ、目でしか会話できないのに、週に1回は孫がやってくるおじいさん。そういう人はゆっくりと衰えていって、静かに家族に囲まれて死んでいく。これは幸せな方なんだ。
本当の不幸な患者とは—どんな背景であれ、見舞いに来てくれる、看取ってくれる家族も友達もいない、死ぬまで独り身の高齢者だ。
今はまだそういった「本当の独り身」の高齢者は少ない。何だかんだ言って息子夫婦がいたり、親戚がいたりして、見舞いと看取りに来てくれる人がいる。特にこんな田舎では、高齢者の友達づきあいも残っているから。だが、まれに見かける本当の独り身は、悲惨としか言いようがない。そういう老人はたいてい、市営アパートか、先祖から受け継いだ古い家に独りで住んでいる。足腰の立たない高齢者にはたいそう暮らしづらい。そのうち転んで骨を折ったり、肺炎にかかったり、今の時期だと熱中症にかかったりして(クーラーがない家も多いのだ!)救急車で病院に運ばれてくることになる。
病院でもこういう患者は困ってしまう。骨が折れた、肺炎だ、入院させて治療するのはいい。だが、家族もいない、介護サービスも利用していない老人は治療が終わっても家に帰せないのだ。最初の内はまだいいが、老人は何度も繰り返し病気になる。そのうち体力がますます落ちてきて、認知機能も衰えて、やがては独り暮らしなど全くできなくなって、やせこけてわけも分からない状態で運ばれてくる。誰が世話をするのか?介護の費用はどこから出るのか?方針を相談しようにも、親族もいないのだから病院だけで考えるしかない。もちろんソーシャルワーカーが仕事をしてくれるが、果たしてこの老人は、自分独りで生きていけない老人は、生きている意味が、楽しみがあるのか?という思いを誰もが抱える。そんな老人が治療不可能な状態になれば、家族に相談するまでもなく(相談する相手がいないのだから)ゆっくりと看取る、ということになる。わけが分からないまま、病院で誰にも見守られず枯れていく老人。
また別の悲惨さもある。子供や配偶者がいるものの、関係が良くないために世話をしてくれないパターン。90歳近くまで元気だった独居男性が、大腿骨頭骨折(老人にはよくある)で病院に入院したところ、あっという間に認知症が進行してわけも分からない状態になった。これもよくあること。隣県に住む息子に連絡を取ってみたところ、オヤジは昔からオフクロにも俺達にも暴力を振るって、家庭を顧みない人間だった。独りで暮らしているのもオヤジの勝手だし、今更世話なんかしたくない。死ぬならそのままでいい。もちろん、キーパーソンの了承のもと看取りコース。これまた悲惨だが、生き様だ。
20〜40代の若い人達に言いたい。独身生活、または結婚しても子供を作らない生活は、健康で人生を楽しめるうちは確かに楽で楽しいかもしれない。だが、あなたたちが老人になり、衰えていく時に、世話をしてくれる家族がいないと本当に惨めで不幸な死に方をすることになる。独り身は老衰スピードも速い。80歳まで元気に生きてある日ぽっくり死ねる自信がないなら、悪いことは言わないから、結婚して子供を作った方がいい。それも1人ではなく、2人3人を大切に育てるんだ。3人も子供がいれば、あなたと配偶者が衰え死んでいく時に、それを見守って支えてくれる人は、結局家族しかいない。
私はちょっとした持病を患ってる。死ぬわけでも歩けなくなるわけでも激しい痛みが伴うわけでもないちょっとした持病。
16歳のある日、私はネットでこの病気を患った人間の末路、もとい人生のネタバレを見てしまった。
どうやらこの病気は福祉の網に引っかからない割に社会生活に支障でまくりということで
自分の未来にはハンデを抱えながら生き地獄みたいな人生を送るか生き地獄を味わう前に逃げて首を括るか、
流石に16歳のガキンチョが「お前はこの先何をどう努力しようと台無しな人生しか待ち受けていない」と宣告をされたのは相当堪えた。
その日からどんなに嬉しいことがあっても楽しいことがあっても「どうせ数年後には生き地獄しか待ち受けていないし長くは生きられない」というのがついて回ってきて、
すべての感情が何か嘘っぱちみたいに感じて、最終的には「死ねば全部解決するのだからクヨクヨ悩むな、自分で死ねるくらいにはちゃんと五体満足してるだろ」
というネガティブなのかポジティブなのかよくわからないところに落ち着いて、ある程度は気が楽になっていたのだけれど、
数年のときが経って、生かされていただけのモラトリアム学生生活が終わって、本格的な社会生活が始まったけどやっぱりネタバレ通り死にそうで、
死ねば解決というのは楽だが目に見えるくらいに近づいた死は想像以上に恐ろしくて、
幸い、私には一部上場企業に通う父はいるが、あと3年で定年退職だ。
あと3年が私の寿命。
いやだ。死にたくない 生き地獄も嫌だ。
底辺でもいい。惨めでもいい。薄給でもいい。プライドなんていらない。
「自然淘汰だ、ただの自然の摂理だ」というのは簡単だけれど、じゃあなんで私より思いっきり欠落した人間がこの国ではのうのうと生きてるんだ。
胃瘻した爺婆が延命されてる中なんで私は死ぬわけでもないのに20そこそこでここまで生き死にのことで悩まなきゃならないんだ。
親でも国でも医学の進歩でも薬でも宗教でもなんでもいい ただただ私を助けてほしい。
助けてください。。。。
そんな時に、近くの高齢者施設に行ったら、すごくショックだったことがありました。それはほとんどの病棟にいる患者さんがほとんど寝たきりで、胃瘻されていた。そしてその患者さん、ほとんど意識がない。寝たきりで意識がなくて、会話もできない。痛いも痒いも言えない。その状態で何年も、長い人は10年以上です。
胃瘻をする人が皆寝たきりだ、みたいな安易なイメージ誘導はよろしくない。
大事なのは胃瘻ではなくて「栄養を与えるか」「栄養を中止して最期とするか」のどちらを選択するか、ということだろう。
近くに総合病院があるということよりも、市民が意識を変えるってことが、病院があること以上に価値があることだと僕は思います。
一般論としてはそうだろう。
(中略)
だから呼ぶのは訪問看護師、在宅医。もちろん、発熱とか一時的なことで、これは良くなるよってことであれば家で点滴したりして治療します。でもそうでない時は、残念ながらお看取りすると。そういう世界です。だから救急車が減る。しかも医療費も減っちゃったんですね。
救急車の出動回数の減少や医療費の減少は、救急車を呼びたいような人が夕張以外へと転居した、等の統計上のトリックも考えられる。
だが、ここに述べられているように在宅医療の徹底がなされていることも大きな一因であると考えてよいと思う。
しかもですね、何と死亡率まで下がっちゃったんです。これがすごい。
日本人の死因の1位がガン。2位が心臓系。3位が肺炎。1、2、3、全部下がっちゃった。すごいですよね。何がポイントか。多分、僕が思うに予防の意識ですね。
何年で下がったのか、どの程度下がったのか全く見てとることができない。
その後に「日本人の死亡率は100%」と言っていて”死亡率”という言葉を使っている矛盾にはつっこまざるを得ない。
3大死因の死亡率が下がったなら何の死亡率が上がったのか?
死亡率の変化には死亡診断書を書いた医師の変化に影響されているのではないか?
予防意識が死亡率にまで影響するにはかなりの年月を要するのではないか?
今日本がここです、25%。数十年後には40%になります。じゃあ、高齢化率が2倍になったら、借金も2倍になるんですか……? 医療費はどんどん上がってますもんね。ちなみに夕張は今ここです。かなり先取りしてますね。でも日本中が夕張みたいに高齢化率が高くなる。爺ちゃん婆ちゃんばっかりになる。そんな世界になります。
今回の中で根拠があると言えそうなのは終末期における在宅医療の推進。これは本当に進めていくと良いと思う。
国民の健康に対する意識を高めるというのは国が躍起になっているところ。
その方法として総合病院がなくなってしまえばいい、というのが夕張市のストーリーだが、
全国で総合病院を取り壊す訳にはいかないので、全国的には総合病院へかかりづらくするという現在の政策と近い物になると考える。
改めて読んでみると、「医療費、救急車の出動回数の減少」はグラフもどきの絵のせいで印象が悪いが理屈は合っている。
「死亡率の低下」には短い中に突っ込みどころがこれでもかと詰まっており、ここが一番ダメ。
『病院がないほうが死亡率が下がる! 夕張市のドクターが説く、”医療崩壊”のススメ』というタイトルも統計的トリックを警戒させて印象が悪い。
死亡率の話を抜きにすれば、印象の悪さとは反して普通の終末医療の話だった。
そこにずさんなデータを持ってきてしまったことで、ブコメでの突っ込みが多くなるのは必然だろう。
タイトルでその個所を煽っていることも突っ込みを誘発している。
まとめてみると、十分受け入れられ得る在宅医療推進の話なのに、論拠としてうかつに死亡率のデータを出したせいで話全体の信頼性を失わせてしまう、残念な例だった。