はてなキーワード: 恐ろしい子とは
「縦ロールさん」
姫カットお嬢様が欄干に手をついて下々を見下ろす縦ロールお嬢様に声をかけた。
いきなり刺し貫かれないための用心である。
「貴方とここで事を構えるつもりはありませんわ。
それよりあちらをご覧になって」
姫カット様が手のひらで示される方をご覧になると、
「手の内を知っておけば、のちのち有利でしてよ?」
「……」
猛者は見えないところで周到なものだ。インシュロック使いのお嬢様も下々を見下ろした。
戦っているのはアセチレン溶断器(切断器)使いのアフロのお嬢様と、
恐ろしげな蒼炎を吹き出している。
アフロのお嬢様が圧縮酸素のバルブを操作するたびに炎が白く輝き、キュゴーと轟音を吐き出す。
彼女の威嚇は効果的だった。顔に火を向けられれば本能的に避けられずにはいられない。
実際、ツーサイドアップお嬢様は腰が引けていた。
「てやっ!」
気合いと共に、安全帯のフックがフックにふさわしい軌道でアフロに向かって飛んでいく。
「うふふ……このフックは外側を研いであるのよ」
そのまま金物を舐めそうな厄い表情でツーサイドアップお嬢様は言った。安全要素がどこにもない。
くさり鎌そのままの用法で、自爆に注意して、彼女は連続攻撃を繰り出す。
それには事前の加熱が必要であり、高速移動する状況では非現実的だった。
アフロのお嬢様は何度か試すそぶりを見せたものの時間の浪費に終わる。
だがそれは伏線だった。
「フックが切れないならスリングを切ればいいじゃない!」
いつもより一歩踏み込んだ火が化学繊維のスリングを焼き溶かす。
高熱に劣化したスリングはフックの遠心力に耐えきれず、危険な金物は接線方向に飛んでいった。
「ちっ!」
かんばせに焦りの色を浮かべて後退するお嬢様を、青い炎が追いかける。
そこに一閃、銀色の光が走り、褐色と黒のボンベから伸びる二本のホースを切断した。
「ふふふふ!わらわの安全帯は安全なダブルフック(ランヤード)でし!!」
外野のお二方は品評された。
「アフロさんの真の恐ろしさは、二つのボンベを抱えて動き回る、その膂力!」
アフロお嬢様はすかさず武器をボンベそのものに持ち替えて振りかぶった。
ごちん!
鈍い音に続いて、爆音がとどろく。
が、どぅーん!!
アセチレンは空気中分量2.5~81%の広い爆発範囲をもつ、とても危険な物質である。
酸素については言うまでもない。
アフロお嬢様の安全処置より攻撃を優先させる果敢な精神が裏目に出た。
ホースが切断されたまま戦闘を続けた二人は起こるべくして起きた事故に遭ったのだった。
「……し、獅子奮迅の爆発でしたわね」
「突っ込みませんわよ……」
爆煙たなびく中、まなびたいことのなくなった姫カットのお嬢様は
髪をなびかせて観戦席をたった。脇腹をさりげなく庇っている。
二人の戦闘中も縦ロールのお嬢様に仕掛ける機会をうかがっていたのだが、
ついに決定的な隙は見つけられなかった。
ただ一矢を報いてもいた。
止められた一房の巻き毛を見つめて一笑する。
残り6人!
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160409213124
次回
ってことを書こうとしたら、既に似たことを書いた人がいた。
http://anond.hatelabo.jp/20130921184029
二番煎じで悔しいっ…!
じゃなくて。
自分は別に,id:jt_noSkeさんに「ダジャレばっかり言ってろ」と言いたいわけじゃない。
いや言ってほしいのは嘘ではないのだけれど。
記事を読んだ自分自身の感想と、おなじ記事を読んだ他の人の意見の相違を知るのが楽しい。
でも。
「ふーむ」
その感嘆は賛意なのか否定なのか、どっちなんだ。
「コメントしづらい件なんだ」って?じゃあそう書いてくれよ「どっちの意見も理解できるから困る」とか!
なんだよぉ、こんな15分ぐらいでちゃちゃっと書いた文章がこんなに読まれるなんて…
なんてどうでもいい話は置いておいて。
多分中の人からお返事をいただきまして、わざわざありがとうございます。
http://anond.hatelabo.jp/20131122120658
最近「ふーむ」に関する苦情が増えてきたなぁと思い振り返ってみると、
はてなブックマークがUIを変えてきてコメントがついたブックマークのみを表示するようになってからな気がするなぁと
思い至った。遅い。
私が「あーなんかうざいなーもっとこう具体的な意見が読みたかったんだけどなー」って思ったのも
で、ここまでグダグダ書いてきたわけなんですけれども、
「ふーむ」とか「ふむ」とか「うーむ」といったコメントを見るのが嫌なら
ChromeやFirefoxの拡張機能でそういうコメントを利用者のアイコンごと非表示にするようにすれば
お互い幸せになれる気がしてきました。
誰か作ってくれません?
好きだった子がいた。そりゃ本当に好きで堪らなかった。なんで好きになったんだろうとか在り来たりの後悔もしたし、仕事もまともに出来ないくらい頭から離れなくて仕方がなかった。そして当たり前だけど、俺はバカだから身の程も弁えずに告白する。半年くらい前に一度と、二ヶ月くらい前に一度。面倒臭い男だ。一度振られても諦められなかった。
二回告白して二回とも振られたので、流石に脈は無いし諦めよう。もう忘れよう……とか思ったって無駄だし、でもまあ迷惑掛けないように普通に接していよう。好きだけど、もう付き合いたいとかそういう気持ちを持つのは止めよう。相手にも失礼だし、と俺は自分を何とか納得させて日々を過ごしてた。最近はとても精神状態が安定してきて、恋なんてしばらくいいけど、毎日を楽しく生きようなんて珍しくポジティブな感覚を得ていた。
でも、もう二回目の告白をしてからしばらく経つのだけど、最近急に彼女の態度が冷たくなった。そりゃもう明白なくらい冷たくなった。なんで? ドライアイスなんて目じゃないよ! 絶対零度、俺は凍えた。
ぶっちゃけ死んだ。
そもそも、まともに会話をしてくれない、目を合わせてもくれない。もし会話のやり取りがあったとしても、俺が言ったことは全否定。それも分かりやすいくらいに分かりやすい攻撃、恐ろしい子……なんて俺は思ったのだった。「あなたの隣には座りたくないです」なんて言われた時は時間が止まったね! ひょう! 俺はでもそうやってショックを受けてる俺自身が笑えたりもした。
それにしても――なんでこんな態度取られてるんだろう? と勘ぐって、でもすぐに分かったのだった。情報元は聞いた話だから当たりではないかも知れないけど――どうやらおかしな噂が彼女の耳に入ったようだ。
『俺がけっこうアプローチしてダメだったから、押して駄目なら引いてみなの精神で今は引きの状態』を取っている、と誤解されてる。そういう噂が流れているようだ。いやーん、そんなの意味不明過ぎるよ。そもそも、二回振られてるんだぜ? そりゃ世の中には何回振られたって諦めない男はいるかも知れないけど、そこまで愚かっていうか厚顔無恥じゃないっつーの。そりゃまだ好きだけど! 諦めてるっつーの! それに恋愛スタンスの具体的なとこなんか他人に話さないっつーの! でも、なによりショックだったのが、俺がそんな風な軽薄な男だったって思われていたことで、俺は少なくはない彼女との会話で、僅かでも彼女の性格を理解していると思った(彼女が駆け引きなんて嫌いだってのも分かっている)のに、彼女は俺のことを全く理解していなかった。それがなによりも辛かった。それくらい俺になんて興味はなかったってことだろう。
それから付け加えると、これは仕事先の話だから、いわゆる社内恋愛というやつで、そういったおかしな噂はすぐに流れるし俺は長く働いているから噂の怖さなんて知ってる。
よく存じ上げております。
俺が彼女のことを好きだって話は、どうせ誰かにしたら2~3日したら広まる。風評被害が怖いから誰にも相談なんて出来ないし、だからこそしなかった。俺は誰にも彼女が好きだってことは伏せていた。なのに……どうしてか知らないけど俺が彼女のことを好きだって話が出回ってる。恐ろしい職場マジック、俺は確かに彼女には他の人間とは違う態度を取っていたかも知れない、だけど断定されて情報が知らないとこでこうも簡単に広まってるのも恐ろしかったし、しかもなんだ……俺が押したり引いたりの駆け引きを楽しんでるなんて眉唾が一人闊歩している。なんとも馬鹿馬鹿しい話になってる。
俺は他人に勝手な評価をされるのが嫌だ。俺が言っていないことを言っているように広められるのが嫌だ。こんな風な精神状態から抜け出したい。誰か助けてくれ。となっても、誰も助けてなんてくれない。自分で自分を救うしかないのだ。
そして色々と誤解を解く方法を考えたが、どれも実行に移せない。直截話をするのが一番簡単だが、じゃあそんな話を誰から聞いたのか? なんてなってしまうし、なにより客観的に考えたら、こんな問題なんてどうでも良すぎて悲しくなってくる。どうでもいいことで悩んでいる俺が悲しくて泣きたくなってくる。
もしも本当に直截彼女に「俺はそんなことは言ってない」と告げたところで、一度信用を失った人間の言葉は全て言い訳にしか聞こえない。信じるってことと疑うってことがこんなに近くに存在しているなんて俺は知らなかった。信じることは疑うことと同意義なんじゃないか? 信じるということは疑うことを信じることとも言い切れるのだから。疑うことは信じるということを疑うことになるのだから。だから俺は彼女と会っても、きっと何も言えない。
状況が酷くなった今だから、またふと思い至ってしまう事実があったのだけど、俺はこんなに彼女に嫌われているのにこんなことで悩んでいる。諦めているのであればもう話すらしなくても良いのに、でも誤解を解きたいと思っているということは、俺はまだどうしようもなく彼女を嫌いになれないということなんだろう。
とっくに終わってたと感じていても、終わってなかったんだなー、こんなどうしようもない状況に陥っても人間的に彼女を嫌いになれないんだから。
本当に頭が悪くて迷惑なのは単なるリテラシーを「頭のよさ」と勘違いしてしまう人かなと思う(元増田エントリのブコメに変なのが湧いてるような気がする)。
文脈は無視するが手元の辞書によると literacy とは ability to read and write のことでそれ以上でも以下でもない。
「科学リテラシー」は科学的な文章なり議論なり論理なりをまともに「読み書き」する技術でしかない。だからこそ早い段階の教育に意義があって、自覚がなくともある程度読み書きできるようになれば「まともでない」ものもある程度判別できるようになる。それが知性のレベルを上げる土台になることは確かだが、内容空疎な美文を弄する輩がままいるように、リテラシーはやはり読み書きを遂行する能力に過ぎない。
逆に「科学リテラシー」の高さをもって「頭のよさ」を自負する者は例えば宗教を話題にまともな議論をする「頭のよさ」があるのか。かのアインシュタインもスピノザの神は認めるといったそうだが、理系でも自然観と理神論をめぐる議論くらいは茶飲み話に出てくることもある。その手の議論では、知らず知らずに身に付いたリテラシーや論文を量産するだけのハードなサイエンスの論理や知識だけでは内容のある対話にはならない。要は他者(この言い方は嫌いだが)とか歴史とか(異)文化に対する自分のありようが問題になるわけで、逆にいえば「科学」というものを十分に理解しているか、という問題にもなる。
あくまで個人的な問題として勝手を書かせてもらえば、疑似科学批判の問題は批判者がどれだけ自己を相対化する能力がある(フリをできる)か、というところに説得性の鍵があるような気がする。オカルトを見つけて騒いでいる人々はどうも頭が悪く見えてしかたがない。それはいわゆる「正しさ」に凝集して安堵することとも関係なくて、「センセイ、黒板の式が違ってます!」と声を張り上げて悦にいる「出来のよい子供」のようなものだ。それは間違ってはいないし、「社会」に有益な正しい行いであることは言を俟たない。皆は感謝して彼は尊敬されるだろう。しかし愚かな教師は間違いを繰り返す。そうした指摘は教師にとってまったく恐るるに足らない子供との交流に過ぎないからだ(関係ないが、恐ろしい子供が声を上げるのは得てして国語の時間だ。算数のできない教師はいないが、文章が「読めない」教師は昔から案外多い)。そうした交流(人はそれを戯れとも呼ぶわけだが)にはそれほど読むべき空気もないような気もするが、どうだろう。
そこに空気があるときについていえば、その空気を読まないことは発言権を得るためのひとつの出発点に過ぎないということは自覚しておくべきだ。おそらく同席者が「白ける」のは、発言権を得た人間がまともな芸を披瀝することなく不発に終わるからではないか。技術的にいえば、まずは巧みに美しくこなさねばならない。「イタさ」は内容ではなく技術の問題だ。迷惑な存在は場を白けさせる。批判すべき相手は完膚無きまでに叩きのめすべきだが、公衆の面前での議論というのはひとつの劇であって芸でもある。
つまり説得すべき相手は常に第三者と心得るべきだが、注意すべきなのは初めから第三者に向いて語るというのは病的な転倒と自覚すべきだということだ。「はてブ」界隈の腐臭はその辺に関係があるのではないかという気がする。大槻義彦は確かに「クール」でも「クレバー」でもないが、愚直に相手に対峙する健全さ(のフリ)はあった。あのヒドい議論がショーとして放送に耐えたのはなぜなのかを考えてみてもよいかも知れない。
とりあえず血液型性格判断の話題が出たら、それに自分なりの見解を示しつつ、なおかつ盛り上がっている者たちの玩具を取り上げない方法、あるいはそれに代わる新しいおもちゃを提供する用意が自分にはあるのか、とひと呼吸考えてみるというのはいかがだろうか。それがなぜそんなにいい玩具になっているのか、という話題にスムースに移行できれば大成功だが、とりあえずはその話題について思考しようとしている、ということくらいは伝わる程度の演技が必要だ。そういう時に横にいる人と目で困惑を共有できるとストレスも溜まらず演出性も高いのだが、残念ながらそういう困難な場におかれたことがないのでこれ以上はよくわからない。言うまでもないが、少なくともそういった会話の場での演出だとか、話題の移行とか、それに伴う発話者の責務だとか、そういうのはいわば「会話のリテラシー」であって、「科学リテラシー」とも「頭のよさ」ともまったく関係ない。
以上、外野から。
本当に可愛ければ、あるいは、好みドンピシャだったらね。そこまでの子はいなかったってことじゃないか。
それはそうかも知れないんですが、あのお店のレベルの女子達ぐらいの中では本当に可愛い子がいると感じない感覚に驚嘆したというわけです、はい。
その後その後輩とはTSUTAYAに行ってAV女優についてパッケージを眺めながら似たようなことを聞いてみたりもしたんですが、近年の単体女優でもほとんどはアリンコだそうでした(それでも数人はお眼鏡に適って可愛いという子がいました。例:高樹マリア http://images-jp.amazon.com/images/P/B00008ILT1.09.LZZZZZZZ.jpg)
↑これぐらいが可愛いの要求レベル標準だとしたら、「恐ろしい子!」と言わずにはおれなかったので言ったら照れてました。リア充スポーツマンなだけあって爽やかないい奴なんです。
ホッテントリに挙がっているライフハック的な記事で仕事に関連しそうなものを旦那にいくつか勧めてみたら
「こんな当たり前の事書いて人気記事になるんだ。へーw」
「こういう事って普通に仕事してれば当たり前に分かる事だと思うんだけど。みんなどんだけ頭使わないで生きてんの?人から言ってもらわなきゃこの程度の事も考えられないの?」
「読む価値なし。真新しい事は何も書いてない。」
「生活の中で筋トレは可能」と断言して普段から筋肉に負荷のかかるように動いて生活しているような人だったけど、脳にも負荷をかけて生きてるんだなあ。
ハウツー本も説明書も全然読まなくて、必要な事は全て自らの実体験で獲得しているみたいだし。
とりあえず、「当たり前に分かるとか言うけどさ、世の中みんな貴方みたいだったらデブもニートもアル中もギャンブル依存も自己破産者もうつ病患者も自殺者もいないと思うよ。
そういうのがいるって事は貴方じゃないような人間が多数派って事じゃん?だからあんまり当たり前の事じゃないと思う。」と私の自慢の腹の肉を揺らしながら言ってみたら、旦那は笑っていた。
元ネタ:研修資料の余白に:『はだかの王様の経済学』は戦慄すべき本である
特に書くこともないけど私こと増田は、『はだかの王様の経済学』を読んでないし、経済のことはまるで知らないので、山形浩生の文章を表面だけ批判することしかできない。山形浩生氏をはじめとするみなさまのご寛容を乞う次第である。
誰のためでもない設備投資はない。はいはい。社長が自分が使う用の車を経費で購入したって、それは社長のためにはなってる。社長が下らないコンサルにお金を突っ込んで会社を傾けても、コンサルのためにはなってる。はいはい。北朝鮮において将軍様の銅像を建てることだって、将軍様のためにはなってる。素晴らしいですね。
本当にまじめに話を聞きたいのは、「消費支出がのびていないというけど、設備投資は当然ながら同じ財を安く作るのにだって必要だ」という部分なんだけど、デフレ礼賛は山形浩生としてやっちゃいけないことらしいので、華麗にスルー。おかげで、働かない人のことを無視するような文章だけが目立つ。これが「疎外」なのか?
気持ち悪い感情論をはっきり気持ち悪いとおっしゃるのがとりえの山形浩生氏が、なぜか純粋なお目目をキラキラさせて「いちいち抑圧されて惨めにならなくてもいいと思わない?」と語りかけてくる。そうやって宗教を普及してみても、やっぱり格差で心はすさむものなんですよ。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080617/1213638720
正直、松尾理論の気持ち悪さが先立ってしょうがないんだけど、ひとつだけ。生産性を上げなくても、仕事を変えたりすることで、給料が同じだったり、下がったとしても満足度が上がることがある。意地でも数字を上げないと満足できない生産至上主義マッチョな山形浩生氏が無視しているところ。
普通に考えて、市場と「話し合い」が、まったく切り離されるわけじゃあないと思う。値札を出すのもコミュニケーションだけど、関西に行けばもうちょっと「話し合い」っぽくなるし、イスラム市場にいけばすごく「話し合い」。そして、車とか家とか、高い買い物であればあるほど交渉が行われる。結局、妥協であることには変わりはないかもしれないけれど、「話し合い」で満足度が上がるなら、それは多少「疎外」とやらを何とかしてるんじゃないかと思う。
#というか、この段、松尾氏や山形氏が何を言ってるのか良くわからない。
「みんな」で決めればだれも不満はないわけはないけど、みんなで話し合うっていうのは民主主義の基本だと思うのだが。
自由というのであれば、経済効率からの自由という面も考えたらどうか。ここで、ポルポトに値する極論を出すなら、アイルランドの囲い込みが相当かもしれない。経済効率がアイルランドのみんなを餓死に追いやった。紛争や貧困などで資本主義でも人は死ぬ。資源の呪いやモノカルチャーなど山形浩生氏なら耳たこだろう。少なくとも、お題目としては、みんなで話し合う民主主義を、経済効率より上位に掲げとかないといけないんじゃないのかな。
山形浩生氏はとても優秀な方なので、こんな反論などとうに承知しておられるだろう。それにも関わらず強引な文章なのは時間がなかったせいだと思いたい。マッチョな山形浩生氏…恐ろしい子…!
tfoot は tbody の前に書いた方がいいよ | WWW WATCH
内容が間違ってるとは言い切れないけど、タイトルのせいで勘違いしている人がいるようなので一言。
「書いたほうがいい」じゃなくて「書かなくてはいけない」ね。そうしないと(X)HTMLとして間違ってるから。
以下HTML 4.01、XHTML 1.0、XHTML 1.1(XHTML Modularization)のDTD。
<!ELEMENT TABLE - - (CAPTION?, (COL*|COLGROUP*), THEAD?, TFOOT?, TBODY+)>
<!ELEMENT table (caption?, (col*|colgroup*), thead?, tfoot?, (tbody+|tr+))>
<!ENTITY % table.content "( %caption.qname;?, ( %col.qname;* | %colgroup.qname;* ), (( %thead.qname;?, %tfoot.qname;?, %tbody.qname;+ ) | ( %tr.qname;+ )))" >
ちなみにPukiWikiは
|thead|h |tbody| |tfoot|f
と書いても
<div class="ie5"> <table class="style_table" cellspacing="1" border="0"> <thead><tr><td class="style_td">thead</td></tr></thead> <tfoot><tr><td class="style_td">tfoot</td></tr></tfoot> <tbody><tr><td class="style_td">tbody</td></tr></tbody> </table> </div>
と出力してくれる。(改行はこちらで入力)
見直してて気づいたけど、HTML 4.01/XHTML 1.0は
<table><thead>...</thead><tr>...</tr></table>
を許してる(tbodyが補われるかどうかの違いはあるけど)のに、XHTML 1.1はそうじゃないのね。