元ネタ:研修資料の余白に:『はだかの王様の経済学』は戦慄すべき本である
特に書くこともないけど私こと増田は、『はだかの王様の経済学』を読んでないし、経済のことはまるで知らないので、山形浩生の文章を表面だけ批判することしかできない。山形浩生氏をはじめとするみなさまのご寛容を乞う次第である。
誰のためでもない設備投資はない。はいはい。社長が自分が使う用の車を経費で購入したって、それは社長のためにはなってる。社長が下らないコンサルにお金を突っ込んで会社を傾けても、コンサルのためにはなってる。はいはい。北朝鮮において将軍様の銅像を建てることだって、将軍様のためにはなってる。素晴らしいですね。
本当にまじめに話を聞きたいのは、「消費支出がのびていないというけど、設備投資は当然ながら同じ財を安く作るのにだって必要だ」という部分なんだけど、デフレ礼賛は山形浩生としてやっちゃいけないことらしいので、華麗にスルー。おかげで、働かない人のことを無視するような文章だけが目立つ。これが「疎外」なのか?
気持ち悪い感情論をはっきり気持ち悪いとおっしゃるのがとりえの山形浩生氏が、なぜか純粋なお目目をキラキラさせて「いちいち抑圧されて惨めにならなくてもいいと思わない?」と語りかけてくる。そうやって宗教を普及してみても、やっぱり格差で心はすさむものなんですよ。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080617/1213638720
正直、松尾理論の気持ち悪さが先立ってしょうがないんだけど、ひとつだけ。生産性を上げなくても、仕事を変えたりすることで、給料が同じだったり、下がったとしても満足度が上がることがある。意地でも数字を上げないと満足できない生産至上主義マッチョな山形浩生氏が無視しているところ。
普通に考えて、市場と「話し合い」が、まったく切り離されるわけじゃあないと思う。値札を出すのもコミュニケーションだけど、関西に行けばもうちょっと「話し合い」っぽくなるし、イスラム市場にいけばすごく「話し合い」。そして、車とか家とか、高い買い物であればあるほど交渉が行われる。結局、妥協であることには変わりはないかもしれないけれど、「話し合い」で満足度が上がるなら、それは多少「疎外」とやらを何とかしてるんじゃないかと思う。
#というか、この段、松尾氏や山形氏が何を言ってるのか良くわからない。
「みんな」で決めればだれも不満はないわけはないけど、みんなで話し合うっていうのは民主主義の基本だと思うのだが。
自由というのであれば、経済効率からの自由という面も考えたらどうか。ここで、ポルポトに値する極論を出すなら、アイルランドの囲い込みが相当かもしれない。経済効率がアイルランドのみんなを餓死に追いやった。紛争や貧困などで資本主義でも人は死ぬ。資源の呪いやモノカルチャーなど山形浩生氏なら耳たこだろう。少なくとも、お題目としては、みんなで話し合う民主主義を、経済効率より上位に掲げとかないといけないんじゃないのかな。
山形浩生氏はとても優秀な方なので、こんな反論などとうに承知しておられるだろう。それにも関わらず強引な文章なのは時間がなかったせいだと思いたい。マッチョな山形浩生氏…恐ろしい子…!
ネタ元の山形氏のやつも、この日記もさっぱり意味がわからないので、増田は考えることをやめた。
っていうか、この記事自信よりも 山形氏、松尾氏、池田氏の三すくみがおもしろい