はてなキーワード: リベラルとは
石破は結構なミリオタではあるので軍事の最低限の常識は備えてる
リベラルな方々は中国韓国北朝鮮が大好きで中には中国に国土献上しろ日本は占領されろとかいう過激派もまあまあいる
相性最悪だよね
現実的に考えて今後もずっと自民党が政権を運営する可能性が高いわけじゃん
そしたら自民党員になって総裁を決める権利を得たほうが絶対自分の意思が国政に反映されやすいでしょ
でも選挙に毎回行って政治にも関心がある奴が自民党員にならない理由なくね?
年間費たった4000円だぞ
明らかに野党支持して選挙運動するより自民党内のリベラル勢力を応援したほうがコスパ高いだろ
合理的に考えようよ
リベラル派の主張と構造主義、そして自由意志の関係について、いくつかの重要な誤解があるように見受けられます。
まず、論理の飛躍が見られます。元の議論は、「思考は言語によって行われ、言語は文法というルール(構造)による制限を受けるのだから自由意志など存在しえない」という主張と同等です。これは構造の影響を過大評価し、自由意志の可能性を不当に否定しています。
次に、「構造的要因を持ち出さないとアファーマティブアクションは主張できないだろう」という指摘がありますが、ここで言う構造的要因が構造主義でいう「構造」と同一であるという前提は誤りです。構造主義の「構造」とは、「異なる文化や時代を超えて共通する、普遍的な構造」を指します。一方、大学進学率や人種、経済問題などは社会によって大きく状況が異なり、必ずしも普遍的構造とは言えません。
むしろ、リベラルの立場は構造的要因を考慮した実存主義者と捉えるべきでしょう。彼らは社会の構造的問題を認識しつつ、個人の選択と責任も重視します。構造主義が普遍的な構造を解き明かした瞬間から、その構造を知った上でそれに従うかどうかという判断と責任が生まれ、その時点でその構造の普遍性は相対化されます。
さらに、構造と自由意志は必ずしも二者択一ではありません。社会構造が個人の選択に影響を与えることは認めつつ、その影響の中でも個人が一定の選択の余地を持つという見方は可能です。これは決定論と自由意志の両立可能性という哲学的立場に近いものです。
また、リベラル派の主張する「自由意志」は、必ずしも絶対的な自由を意味するわけではありません。むしろ、与えられた条件の中での相対的な選択の自由を指すことが多いのです。アファーマティブアクションなどの政策は、この相対的な選択の自由を拡大するための試みと解釈できます。
最後に、「リベラル派」という言葉で一括りにすることの問題性も指摘すべきです。リベラルな思想には多様な立場があり、すべてが同じ見解を持っているわけではありません。
結論として、構造的要因の認識と自由意志の尊重は、必ずしも矛盾するものではありません。むしろ、社会の構造的問題を認識した上で、個人の選択と責任を重視するという立場こそ、多くのリベラル派の真の主張であると考えられます。この問題に対するより深い理解のためには、哲学的考察と経験的証拠の両方を踏まえた慎重な検討が必要です。
反対することが目的化してると政治も経済も学習しなくなるからな
おれのニューリベラルか?欲しけりゃくれてやる。探せ!この世のすべてをそこに置いてきた!
日本は、現在はニューリベラル政策国に分類される。安倍政権の半ばからニューリベラル。それまでは、中曽根、最低でも橋本政権からしばらくはネオリベラリズム政策をとってきたが、結果どうなったかはご覧の通り。
日本は、現在はニューリベラル政策国に分類される。安倍政権の半ばからニューリベラル。それまでは、中曽根、最低でも橋本政権からしばらくはネオリベラリズム政策をとってきたが、結果どうなったかはご覧の通り。
増田の言う「ニューリベラル」ってSocial liberalismのことでしょ?
でもSocial liberalism見てみると社会民主主義で、自民党ではなく立憲民主とか社会党の政策でしょ?
だから増田の言う「ニューリベラル」って実際はSocial liberalismではなくて別の何かだよね?
それがなんなのかなと
ニューリベラルってなに?
https://en.wikipedia.org/wiki/Neoliberalism はあるけど Newliberalism はなかったよ