はてなキーワード: テトリスとは
当初の女子学生の「かわいそう」という発想の彼の考えるところの女性性への揶揄を踏まえて読めば、それ以上の含みがあったように読むのが自然だと思うけどね。それはともかく。
仮にそうだとしても、それを表現するための例示の適切さとは別問題だな。
あるだろ。なんでこんな無駄にデリケートな例示を選ぶんだ。この話題がデリケートだということ自体を理解して無いんだとしたらその無理解は批判されても仕方ないな。実際批判されたし先生は謝ったねえ。
専門家じゃない。医者は医学の専門家ではあって、危機管理の専門家ではない。
まして、専門家の意見を信頼すべきなのは事実に関する部分であって、特定の価値判断を含む部分ではない。「トリアージを例に出すのは不謹慎」というのは、いくら当事者の意見ではあっても、あくまで一つの主観でしかない。
現地でトリアージに当たった医師が専門家じゃないってのはとんでもない発想だなあ。
福耳先生という経営学の専門家も謝ってんだけどな。お前はどういう立場で専門家としてこの二人の専門家の判断に異を唱えてるわけ?
だとすればあんたが説明不足なのか俺が「あたまがわるい」かどちらかだが
どっちだかははっきりしてんだろ。俺みたいに理系でも分かる平易な言葉で過不足のない説明をしてもわかってないんだから。
「抗議されるだろう」と言ったからな。「問題がある」と書かずに「抗議される」と書くのはおかしいと思ったまで。
俺は「抗議されるのはもっともだ」といってるだろ。問題が有るからに決まってる。それとも、何の問題もないと思ってんのか?
ユダヤ人絶滅ゲームになんの問題もない、抗議する奴が馬鹿なんだ、と考える視点からこの問題を論じるとすればなるほどあの経営学の先生にはなんの問題も無いかもしれんが、そこまでアホな議論には付き合いきれんぞ。
だからその必然性は?俺はトリアージの例が不適切だと思ってないので、「不適切な例ではなく適切な例を挙げればよかった」と言われても何の説明にもなってない。
同じテトリスのルールでも、挑戦的な表現をしたい、けんかを売りたいんで無い限りは、ユダヤ人絶滅ゲームというデコレーションを避ける必然性はある、と俺は考えるんだが、その前提すら通用しないのであれば、なるほどトリアージという例示を避ける必然性もないのかもな。でもそんなアホな議論には付き合いきれんな。福耳先生はトリアージの当事者にはあっさり謝ってる。そんな挑戦的な表現をしたかったわけではないわなあ。
君はそういう挑戦をしたいのかも知れんけど。
あと、あんたはその種の決めつけが多いから敢えて言うが、人の専門を勝手に数学に限定するな。こんな話は理工系の人間なら誰でも(というと言い過ぎだが)知っている。
いや応用数学の話を自分でしてたろ。つか人を人文系だの左翼だのにカテゴライズしといてよく言うよ。
なぜトリアージを持ち出したかという動機の話をしている。福耳氏の抗議は一般教養としての経営学であって、だとすると「制約条件の下での最適化」のような発想を学んでほしいと考えるのも自然だし、事実、氏の記述からはそれが読み取れた。
そして、「制約条件の下での最適化」を教えるのにトリアージという例示を使う必然性はまったくなく、それがデリケートな話題であるのに敢えて使った意図的な例示というわけでもおそらくはなく、だから現場の医師に怒られたらあっさり謝っている。不適切だったんだよ。話終わってんじゃん……。
だからこそ、テトリスが発想段階ではガス室ゲームだったらどうなるのか、というグレーゾーンの話をしている。それは抽象度が高いのか否か。結局それは主観じゃないのか。
あと、「規制」と書いたのは「公権力による規制」という意味ではない。自主規制あたりを想定していたつもりだ。
行為自体が実際に耐え切れないほど残酷だから携わった人の中にPTSDを患う人まで出るんだろ。何言ってんだ。そんな理屈で切り離せるようならだれも苦しまんわ。甘っちょろい。
だったら、救護なんかせずに見殺しにしようか。そうすれば「耐えきれないほど」の残酷さを味わう人間は誰も出なくて済むぞ。
そういうことだ。甘っちょろいのはお前らだ。
いい加減にしろ。
残酷な現実を見なかったことにして、それで安心したいなんて駝鳥の平和をどれだけ貪ってるんだ。
その幻想の安寧が乱されたからって、たとえ話一つでこれだけ人を追いつめられるお前らの方がどうかしてるよ。
たとえ話を無神経無神経というのなら、ホロコーストなんかを安易に例として持ち出すお前らは何なのだ。
この偽善者どもが。
そうならないのは、実際の囲碁や将棋がまるで具体的な戦争経験を連想させるものではないからだろうね。だって、人間を「駒」と表現するのが逆に非人間的だと言われてしまうくらい、抽象度が高いわけだから。
じゃあ、テトリスがたとえば本当にガス室から発想されたものだとわかったとしたらどうする?気分はよくないだろうが、テトリス自体を規制しろという議論はおそらく受け入れられまい。
悪く事態が推移すれば世間で受け入れられる可能性はあると思うよ。例えばテトリスの原作者がそういうことを声高に触れ回れば、動く人はいそうに思う。結び付けられちゃうだろうからねえ。
もちろん、規制論を受け入れるべきではないが、それはテトリスが倫理的だから、ではなく、倫理的であるかどうかに関わらずゲーム表現は自由であるべきだから、だよ。
でないと、実際に反倫理的な作品は規制されてもいいことになっちゃうだろ。
ところで、トリアージという発想自体は残酷でないはずだ。一人でも多くの人を救おうというまさに「苦肉の策」であって、それはそれで尊い考え方だろう。見殺しにされる人を一人でも少なく、という考え方が残酷であるはずがない。
行為自体が実際に耐え切れないほど残酷だから携わった人の中にPTSDを患う人まで出るんだろ。何言ってんだ。そんな理屈で切り離せるようならだれも苦しまんわ。甘っちょろい。
いや、そういう作品はガス室の犠牲者達の気持ちを傷つける酷い作品であり、反倫理的だろ。倫理の問題としてはそれでいいと思うのだが?
その論法で行けば囲碁や将棋はもっと広く、戦争被害者の気持ちを傷つけることになるだろう?
まあ囲碁や将棋は抽象性が高く、個別具体的な戦争被害を連想させるようなものではないからか、あんまり倫理的な非難は聞かないけどな。俺も別に囲碁将棋を非難しようとは思わんが。
じゃあ、テトリスがたとえば本当にガス室から発想されたものだとわかったとしたらどうする?気分はよくないだろうが、テトリス自体を規制しろという議論はおそらく受け入れられまい。そういったことと無縁なレベルでテトリスはゲームとして完成しているからだ。要するに、囲碁や将棋が規制されないのと同じ理由だ。
ところで、トリアージという発想自体は残酷でないはずだ。一人でも多くの人を救おうというまさに「苦肉の策」であって、それはそれで尊い考え方だろう。見殺しにされる人を一人でも少なく、という考え方が残酷であるはずがない。
本当に残酷なのは、トリアージを行わざるを得ない現実そのものであって、トリアージという手法それ自体ではない。
あんたらの言ってることは、「残酷な話は聞きたくないから原爆資料館を閉鎖しろ」というのと同じ暴論に過ぎない、というと、また「被爆者に失礼だ、今の発言撤回しろ」とか叩かれるんだろうか。何しろあんたたちの「比喩」に対する感性は理解不能だから、そんなことまで警戒したくなるよ。物言えば唇寒しとはこのことだ。
トリアージの一件でfuku33やHALTANがなぜ叩かれているのか理解できない一人です。
テトリスと同じルールで、人間を効率よくガス室にぎゅうぎゅうづめにしていくゲームを作って売ったら、そりゃ絶対批判を浴びるよな? そこに、ルールは同じじゃないか、ゲームなんて喩え話なんだから怒るなよ、というのは無理筋じゃないかなあ。
どんな言霊信仰だよそれ。確かにそういうゲームが気分が悪いとは俺も思うが、そういう批判に合理性がないことも確かだし、そういう批判を受け付けない相手を悪だと一方的に断罪するのもどうかと思うぜ。
たとえば、囲碁や将棋はどうなんだ?囲碁は侵略切り取りゲーム、将棋は白兵戦ゲームだぞ。しかしあれは高尚な文化として尊敬を集めている。
要は、この手の話は「ものは言い様」であり、簡単に主観に左右される程度のことでしかないのだ。あんたらが「トリアージ」に感じた違和感はその程度のあやふやな根拠しかないことを自覚すべきだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080809155536
横槍だが。hokusyu氏やApeman氏の考えとは違うかもしれないが、俺の考え。
「トリアージ概念の不用意な援用」を「ホロコースト」に喩える のと、「売れない百貨店の切捨て」を「トリアージ」で喩えることの違いの話だな。
これは、命の選別を命の選別で喩えるのと、命の選別を経営上のリストラ正当化で喩えることの違いじゃねえ? あまりに軽いもので喩えてしまったんだよ。お嬢さん相手のカルチャースクールで飛ばしたヨタだっけ?
とある本にあった例なんだけどな。
テトリスと同じルールで、人間を効率よくガス室にぎゅうぎゅうづめにしていくゲームを作って売ったら、そりゃ絶対批判を浴びるよな? そこに、ルールは同じじゃないか、ゲームなんて喩え話なんだから怒るなよ、というのは無理筋じゃないかなあ。
「仮に」アナロジーとして論理的に正当な部分があったとしても、喩えの倫理性ってのは問われうるし、不謹慎ってのはあるわけで。表現の自由に関する議論は当然可能だろうが、そういう倫理的な理解のその上でなお主張されるものとしてあるべきだ。
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う3時間、4時間のゲームは避けたい。
彼女の設定は
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「カタン以前」を濃縮しきっていて、「カタン以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。
「ボードゲームオタとしてはこの二つは“カードゲーム”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の鉄っちゃんが持ってる鉄道への憧憬と、アラン・ムーンのオタ的な考証へのこだわりを
たぶんこれを見た彼女は「テトリスだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
「やっぱりボードゲームは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「ごきぶりポーカー」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるサイコロの思いが好きだから。
今の若年層でアクワイア見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ザイファルトの「ソロゲームの魅力」あるいは「プレイヤー間の綾」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
これは地雷だよなあ。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にカルカソンヌを選んだ。
via アニオタが非オタの彼女にのガイドライン anond:20080721222220
まあ、どのくらいの数の箱○オタがそういう彼女をゲットできるのかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない箱○の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、箱○のことを紹介するために
プレイすべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に箱○を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので時間的に過大な負担を伴うMMO・マルチメインは避けたい。
あと、いくら箱○的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
パズルゲーム好きが「テトリス ザ・グランドマスターエース」は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ゲーム知識はいわゆるファミリー向け・学習系を除けば、マリオドラクエ程度は知っている。
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりこれかよとも思うけれど、「ギアーズ・オブ・ウォー以前」を濃縮しきっていて、「ギアーズ・オブ・ウォー以後」を決定づけたという点では
はずせないんだよなあ。COOPも対応してるし。
ただ、ここでFPSオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならずに濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなゲーム(そう箱○オタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「箱○オタとしてはこの二つは“レバガチャレベルでも楽しめるゲーム”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の哲学オタが持ってるオブジェクティズムへの憧憬と、Ken Levineの演出へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもレトロアメリカな
の二人をはじめとして、オタ好きのする要素をゲーム中にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ジョージ・A・ロメロだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、
アメリカなら実写映画監督に訴訟を起こされて、それが日本のほうに影響与えてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内ではWii版が予定されていること、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりシューターは2Dだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「式神の城III」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるトレジャーの思いが好きだから。
断腸の思いでXBLA容量のために削りに削ってそれでもプロトタイプモード搭載・オプション充実、っていうのが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「16:10対応」ということへの諦めきれなさがいかにも箱○的だなあと思えてしまうから。
オプションの充実を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
バンナムだったらきっちり糞ラグCOOPにしてしまうだろうとも思う。
なのに、XBOXLiveに常時セッション張ってチート不可の完全な世界ランキングを作ってしまう、というあたり、どうしても
「ワールドワイドでのスコアアタックの魅力を捨てられないオタク」としては、たとえ鷸の回転レーザーがアケと同じ方向でなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の箱○購買層でロンチタイトルプレイしたことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
プロストリートよりも前の段階で、NFSシリーズの哲学とかゲームシステムはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がハード熟成期のみならずロンチでもプレイできたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく箱○好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる痛車ゲーとしてしか箱○レースゲーを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
Infinity Wardの「FPSとしての完成度」あるいは「マルチの面白さ」をオタとして教えたい、というお節介焼きからやらせる、ということではなくて。
「ムービーばかりの映画ゲーはいらない」的な感覚がゲーオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそロストオデッセイはムービーゲー以外ではあり得なかったとも思う。
「ゲームだからこそ表現できることを目指すべき」というゲーオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「ゲームらしさ」の
源はCoDシリーズにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう原作フリゲのシューティングをいかにも水口哲也なかたちでXBLAに出して、それが非ゲーオタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にアイマスを選んだ。
GoWから始まってアイマスで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ニコニコ動画以降の箱○始まったな時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場
前から思っていたが、分裂勘違い君の書く文章には、意識的に多くの仕掛けが施されている。
今回、あまりに手放しの賞賛が多いので、ちょっと違った視点(意地悪な視点)から斬ってみたいと思う。
それにしても、名文である。
これだけ罠や仕掛けが多い文章を、誰にでも読みやすく書ける才能には脱帽。
このエントリの罠はいくつかあって、全てがはてなブックマークにハマってしまうタイプの人に、向けられてる。
つまり、ウェブについての知識や興味があるが、いわゆる一個人として「コトを成していない人」。
つまり、自分の境遇にあまり満足していないが、努力の方向が良くわからず、情報収集ばかりを病的に繰り返してしまう人。
第一の罠が、そう言うはてなマニアが素直にこのエントリを批判する文を書こうとすると、自分が無能なことを
少なくとも、一度は筆者を持ち上げないといけない罠。
第二に、このエントリは、馬鹿馬鹿しいくらいの「正論」を、巧みに味付けしてみせただけの文章だということ。
中身は、これだけ。
「その時々にやりたいことを、好きなようにやれるのが一番幸せ。俺、出来てるし」
後半の「出来てるし」の部分でさえ、履歴書チックにそれなりの成果があれば、主観的なことを判断基準にしているから、
外部の人間が「やれてねえだろ」と証拠をあげて突っ込むのが難しい。
「それ、好きじゃないから」「その時点で飽きたから」っていわれたら終わりだし。
あと、手抜きしてもこんだけ出来るぜ自慢は、がむしゃらになれる人への嫉妬の裏返しだよね。
第三に、繰り返される「好きなステーキでも毎日食ってたら飽きる」という極端な比喩。
これは、この程度の比喩で素直に納得してしまうレベルの人をメインターゲットにした上で、
おかしいと見抜いてもそこをツッコむと、ツッコんだ人がレベルが低そうに見えてしまう、
という二重の罠。
とりあえず、馬鹿っぽく見えることを承知で、真っ正面からツッコんでみる。
そもそも、食事の比喩は、感覚的に強烈でわかりやすい錯覚を覚えるが、大抵において的確ではない。
何故なら、食事は毎日繰り返される本能的な欲求で、習慣や仕事や趣味と同次元で語れるものではないから。
つまり、一生ステーキしか食えない、って聞いた時のウェッと来るような感覚的な気持ち悪さは、
一生プログラマーの仕事を続ける、と言う感覚と、全く関係ないってこと。
それを前提にした上で、レベル感の違い、構成要素の複雑さの違い、そもそもステーキを毎日食べたい、
と言う言葉自体が誇大表現のレトリックであるということ、などなどツッコミどころが多すぎる。
レベル感ってことで言えば、「ステーキ」って「プログラマー」に対して、範囲狭すぎるでしょ。
そもそも、「プログラマー」などの「業種」を、「ステーキ」という「素材そのものの一品料理」と
一緒にするのがおかしい。そりゃ、想像するだけで気持ち悪くなるよ。
せめて、「肉料理をメインに一生食べ続ける」、くらいのもんでしょ。
それくらいなら、実践している人も山ほどいる。
それに仕事なら、役割も内容もどんどん変わって行くわけで、成長も変化もある。
テトリスを一生やり続けるのと、FFオンラインを一生やり続けるのと、くらいの違いがある。
ああ、やっぱり馬鹿らしい反論になってる気がする……。
正論や極端な比喩に、とって付けたような(しかし、批判の対象になるプログラマー層が小耳に挟んだことはあるが
詳しく知らなそうな分野のネタを広範囲から)引用や巧みなレトリックをまぶして、見事な文章に見せかけている。
第五に、褒め殺し。
ポストモダンで解決案を提示出来なかった課題にも、梅田さんなら何らかの解決策を出してくれるかと
期待した、なんて誉め殺しもいいとこ。もともと趣旨違うし。
そうすることで、自分が解決策を提示出来るわけでもないのに、相手を褒めつつ批判することが出来る。
勘違い君も、「自分は好きな時に好きなことをやる人生が実現出来てるよ」ってことは言えていても、
多くの人が実現出来るような解決策を何も提示出来てない。そしてそれを巧妙に隠しているってことだ。
今までのエントリがそうだったように、「はてなブックマークで話題になること」である。
つまりこのエントリは、自分を持ち上げつつも、自分よりも自己実現が出来ていない層から共感や賞賛を
得るために書かれたもの、ということになる。
繰り返し言うが、「その時々にやりたいことを、好きなようにやれるのが一番幸せ。俺、出来てるし」ってこと。
まず、梅田望夫が自ら名言しているように、「ウェブ時代をゆく」は、あなたのようにウェブの世界に精通し、
それをわかっていながら、こきおろしている。
まるで、ベテランが新人の基礎研修を見に来て、古典的で四角四面な内容に茶々を入れてるみたいだ。
けものみちの生き方を目指しつつ、ひろゆきや梅田望夫になれず、はてブのヒーローに留まってしまうのは、
論破出来そうな権威に噛み付いて、自分より格下の相手の称賛だけで満足しているだけの器の小ささではないかと思う。
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20071209/1197232409
※ブクマ数が100ぐらいになったら、↓このへんに 書き手が現れる予感。
「わたしが書きました」 くろいぬ(Shields-Pikes)
■種明かしエントリーはこちら
二人で8*8くらいのマス目に色んな形・サイズをした(テトリスのコマのマスの数が色々になったような)コマを置いていくボードゲーム。
片方がどこにも置けなくなった時点で、占有してるマス目が多い方が勝ち、というシンプルなルールだった。
何回か繰り返し遊んだが
勝負にも遊びにもなってねえ。
実際には妹とは仲がいい方だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070722053313
元 Excel 設計チームの Joel Spolsky 氏はこう書いている。
広く書かれていることだが、生産的な利益は、知識労働者に空間と静かさとプライバシーを与えることによってもたらされる。古典的なソフトウェア管理の本「ピープルウェア」はこれらの生産性が広範囲に渡ることを述べている。
ここに問題がある。我々はみな知識労働者が「すらすらできる」状態のとき、"in the zone"(自分の中に入った状態)としても知られているが、完全に仕事に集中していて周りの環境から遮断されてしているときにベストの仕事をできるということを知っている完全に集中している間に、時間を忘れて素晴らしいものを作り上げるのだ。これが、生産的な仕事をやりとげる時だ。ライター・プログラマ・科学者、そして野球選手さえもが、完全に集中した状態について語ることができるだろう。
問題は、「集中する」ことは簡単ではないということだ。計ってみるならば、最高の生産性の状態で仕事を始めるまでに平均15分かかるようだ。時には、疲れているときやその日にすでに沢山の生産的な仕事をしてしまったときには、集中することすらできず、残りの就業時間をぶらぶらしたりウェブサイトをみたり、テトリスで遊んだりしてすごすことすらある。
もうひとつ、集中した状態から覚まされることがとてもた易いことだ、という問題がある。騒音、電話のなる音、昼食、コーヒーのためにスターバックスまで5分のドライブ、そして同僚による割り込み、特に同僚による割り込みが問題だが、これらのことはすべて君を集中から覚ますものだ。同僚が君に質問すると1分間の割り込みが入る。しかしそのことで、君は集中が途切れ、再び生産的な状態に入るまで30分を要し、君の全体の生産性にとっては深刻な問題となる。もし君がカフェイン中毒のドットコム企業のやつらが作りたがる、騒々しい牛の囲い場のような環境にあって、営業担当者がプログラマの隣りで電話に向かって叫んでいるとしたら、君の生産性は落ち込むだろう。というのも、そんな環境では知識労働者は次から次へと割り込まれ、決して集中することができないからだ。
プログラマについていうと、この問題は特に厄介だ。プログラマの生産性というのは、細々した沢山のことをちょっとずつ記憶しながら同時に操ることができるかどうかにかかっているからだ。いかなる時に割り込みが入っても、そういった細かいことがクラッシュする。仕事に戻ったとき、君は細かいこと(使っているローカル変数の名前や検索アルゴリズムのどこまでを終えたかなど)を思い出せないだろう。そして、そういったことを思い出すことからやり直して、そのために元のスピードに戻るまでには多くの時間がかかる。
ここに簡単な計算式がある。いいかい、(これまで書いてきたように)あるプログラマの邪魔をしたとすると、たとえそれが1分間でも実際には15分間の生産力を吹き飛ばしたことになる。例えば、ここに二人のプログラマがいるとしよう。ジェフとマットだ。典型的なディルバート式の囲いの中に隣り合わせで座っている。(訳註:ディルバートは、1989年よりアメリカの新聞各紙で連載されたコミックの主人公。うだつのあがらない係長で、彼の働くオフィスはキュービクルと呼ばれる一人ずつのパーティションに区切られている。)マットはstrcpyのUNICODEバージョンの関数名が思い出せない。マットは関数名を30秒かけて自分で探すこともできるし、15秒かけてジェフに聞くこともできる。ジェフは隣りに座っているから、ジェフにたずねる。ジェフは注意を逸らされ、15分の生産を失う。(マットの15秒を節約するために、だ。)
さて、二人を壁とドアで区切られた別々の部屋に引越しさせるとしよう。そうするとマットは関数名を忘れたときにはやはり30秒かけて自分で探すか、今や45秒かかり立ち上がることも必要となったが、(プログラマの平均的運動能力からいってこれは簡単なことではない)ジェフに聞くこともできる。立ち上がりたくないので、マットは自分で調べる。マットは30秒の生産を失うが、ジェフの15分は節約できた。ハハハ!
パソコンに詳しい人は、普段から「 Windows のことはわかりません( Linux 専門です)」と云っておいた方がいいかもしれない。 Linux なんて触ったことさえなくともね。
テトリスならJavaScriptで書いたものがあったな。ブロック崩しも多分できると思う。