はてなキーワード: 卒業式とは
柔らかNEWS 【虐待冤罪】東京・墨田児童相談所による拉致監禁事件?【児相被害】
ttp://yawanews.blog82.fc2.com/blog-entry-724.html
自分が巡回している個人ニュースサイトで上のタイトルを見て見ずにはいられなかった
自分も昔児童保護施設にいたからだ
問題の真偽は正確なソースがないので保留にしておくが、問題は批判の内容
児童相談所がいかに偏向思想に染まっているか、悪質な存在か声高に叫んでいるが
(相手は組織なので人格はないが)一方的な決め付けによる人格攻撃としか思えない
少なくとも自分にはそうとしか読めない
====
強制的に拉致された
これは連れて行かれた立場からすればそれが正当な理由であろうとなかろうと
その処分に納得できなければこういう認識になるのは理解できる
しかし「児童相談所は拉致監禁を隙あらば狙っており、家庭崩壊を目指す思想集団である」
ここまで行くとある種の強い攻撃的な情念を感じずにはおれない
もちろん行政機関だからそういうことがないと言いたいわけではない
たとえば日教組の反日というか反国家思想などはそう思っている人間も多いだろう
それは卒業式の日の丸・君が代問題などを通してそういう教師がいることが知られているからだ
それでさえリンク先の筆者が指摘するような内容を教師に置き換えて主張すれば
どちらをより偏向した思想の持ち主であると思われるかは想像に難くない
そういう人格攻撃さえなく問題の事件の主張を完結にまとめてさえいれば
ここまでこの批判が受け入れがたくなったりはしなかったと自分は思うのだが…
話は変わるが自分が施設にいた時の話
児童相談所は関所みたいなもんで児童の条件ごとにそこから施設に振り分けられる
だから相談所ってのは保護されるまでしかほとんどかかわらない
まぁ東京のじゃないしすげー昔なんでリンク先を否定するわけじゃない
児童保護施設(正式名じゃないかも)にいたときは本当に毎日逃げ出したかった
そりゃそうだ
自分は虐待を受けていたわけでもないし集団生活が楽しいと思える性格でも年齢でもなかったし
環境自体も決していいと言えるような状況でもなかった
家庭環境が劣悪なとこから集められた人間を体育教師が体育教師なりのやり方で生活させてる
まぁ虐待で頭の骨がぼこぼこになってるような奴(相当小さいときから受けないとならない)と
族だったり家出繰り返したりで保護者が面倒見切れなくなったような奴を一緒に管理するんだから
しょうがないっちゃしょうがない
あのころはそんなこと考える余裕なんてなかったけど
虐待受けてた奴だっていつまでも弱いだけじゃなくてグレたりする奴だっているしね
なじむやつはなじむんだろうがなじめない奴はとことんなじめない
オレはなじめないほうだった
もう長いこと連絡取ったりすらしてないから今はそういう施設がどういう状況か知らない
児童が区別されるようになってなきゃ虐待で殺されたりするよりは多少マシって程度だろうとは思う
こんなこと書くと施設に入れるべきじゃないって思うかもしれないけど
そんでも虐待で殺されちまうよりマシだと思うんだ
この事件の長男もそうだけど虐待受けても子供は親を慕うんだよね
施設から一時帰宅とかして飯とか何も作ってもらえなくて帰ってきたらゲッソリしてんのに
そんでもすげー奴らうれしそうなんだよ 親に会えて
だからオレには多少話を聞いた程度でどっちが子供にとっていいとは言えない
これを読んでて、昔のことを思い出して書きたくなった。
誰も知らないようなマイナーなIDだから、日記に書いてもいいんだけど
自分自身からは切り離しておきたいような体験だったから増田を借りる。
ましてや、mixiなんかには書けないし…
初めて降りた駅は以外に人が多くて、元増田みたいに緊張で吐きそうだった。
普段と変わらない格好で不慣れな俺にもすぐに見つけられて少しホッとした。
駅からは彼女の車に乗って移動する。
「なんかこうしてると、もう夫婦になったみたい」とか
無邪気に言うから、俺は胸がきゅんと痛くなった。
どうしよう、手汗が止まらない。
広い玄関の、昔ながらの日本家屋。仏間に、荷物を置かせてもらって
高校生の妹さんを交えて三人でしゃべってた。
やべ、妹さんも彼女同様すごくいい子。
夕方、6時前に彼女のご両親も帰ってきた。
夕食を終えて、みんなでテレビみて談笑して
こういうの、うちは両親が離婚してからないなってぼんやり思った。
はっきり言って、何しゃべったらいいか全然わからない。
俺、せめて引きつらずにうまく笑えてるのかな。
夜、彼女は妹さんの部屋に行き一人になって
俺は彼女の部屋にに敷いてもらった布団に横になったら
なんか涙が止まらなくなって声を抑えて泣いた。
俺、なんで来ちゃったんだろう…
何であのときはっきり別れを切りださなかったんだろう……
卒業式はほんの2週間前なのに。
式の前に部屋を引き払っていた彼女は
当日「友達のうちに泊まる」といって俺のとったホテルの部屋にいた。
抱き合って、睦みあって、ほとんど二人同時だった。
「ねぇ……、」
「奨学金も返さなきゃいけないし、
妹も学生だから3年ぐらい待ってもらってもいいかな」
「○○のそういうとこ好き」
……やめてよ、そんなんじゃないんだよ。
「…?○○、泣いてる?」
……ごめん、悔しいけどうれしい。もう俺、訳わかんないよ。
あの時とおんなじぐらい苦い涙だよ。
俺たちが最初に喧嘩したときも、俺泣いたんだよな。
もうきっかけは忘れちゃったんだけど
あるとき、在日コリアンの話になった。
彼女があんまり差別的なこと言うから腹が立ってきて何か言い返した。
そしたら
「私、朝鮮人とかエタ非人とか嫌なの。絶対付き合わない。」
「そんな人と近所づきあいはできても結婚できない。親に申し訳ないもの。」
マジで今もこれ思い出して涙出てきた。
俺の母さんの実家が部落に当たるって聞いたのは俺が高校生のころで
俺は、父親を史上最低な男だと思ってるけど、
俺、彼女に何かわめいて、その場から逃げて、泣いた。
俺自身だけじゃなくて足元から全部否定された気分。
結局むこうから謝ってきてその場は収めたけど、すげー気持ち悪い。
で、卒業したらこいつとは終わりにしようってずっと思ってきた。
で、それもまもれんかった。俺、最低。
なんで軽い親挨拶までしてるんだろ、俺。そんなこと考えてたら全然眠れなかった。
別れて、しばらく連絡はしなかったけど、一度あっちから電話があって
お互いもう26歳だもんな。そら考えるよな。
俺は、うやむやな終わり方をしてしまって
あのままいってたら、戸籍を見られて「プフッ」ってなったかもしれない。
そんなことになったら俺死ぬわ。
でもホント、俺にとって結婚したかった女性って彼女だけなんだよ。
元増田がまだ望んでるなら、頑張ってほしいよ。
http://anond.hatelabo.jp/20080622033714
やっほー。元気?
もうすぐ30歳の女増田だけど、学生時代の境遇が他人とは思えずトラバします。
私も高校で男子に告白されたとき(もちろんイタズラ)は、罰ゲームとは言え私なんぞに告白させられた男子のことが逆に不憫でたまらなくなったものです。
あ。結局、大学ではお昼ご飯はずーっと一人で食べました。ゼミにも馴染めず、卒業式には出席しませんでした。集団での活動経験が無い(イジメられるか無視されるかなので集団怖い)ので、集団活動の成果をアピールしないといけない就職活動は若干難航しましたが、ま、なんとかなりました。
就職してしばらくは研修で、新卒ばかり集まる場ではやっぱり容姿の劣る私は誰からも相手にされませんでしたが、研修でソコソコよい成績を修めたためマネージャーからの評価も悪くなく、希望の現場へ配属されました。もしかるすと、生まれて初めて容姿以外での他人からの評価を勝ち取った瞬間だったかもしれません。現場は忙しかったけれど、色々吸収することは多くて、同期の半分以上が配属先でCOBOLだとかの保守で疲弊していく様を見て、生まれて初めて、「ブスだけど勝った」と思いました。何でかよくわからないけど、キモイキモイと言ってた男子に、冷笑していた女子に、無視した大人たちに。「勝った」と思ったのです。
職場の人は、誰も私を顔で判断しませんでした。あまり女扱いされませんでしたが、それすら嬉しかった。IT業界いいよ、IT業界。ブスには超おおススメの業界です。(一般職や総合職に就職してたらと思うとぞっとする!)
その後、紆余曲折があり、今は他のIT屋に転職しましたが、同年代の男の人の平均年収より少しだけ多いお給料で、都会でゆっくり働いてます。
そうそう。色々試したけど、「ポロリ」はなかった。
王子様はどこにもいませんでした。
やっぱり「罰ゲームで告白」が尾をひいていて、いつ「ブースwwww」って言われるかと思うと怖くて男の人の人を信用する気にはなれないし、深い間柄になりたいとは思えない。予防線っていうと変だけど、いちいち冗談とか言ったり下ネタ言ったりして、深く関わることを避けるというか、万が一が起こらないように努めています。だけど、スキンシップの癒し効果は異常なので、ある程度距離を置いてくれる人=セフレは作ってしまう。テラビッチwwwwただ、そこそこヨリドリミドリできるようになった自分を褒めてあげたいwwww
何かに「勝った」けど、ほしくてほしくてほしくてほしくて仕方なかったものは、手に入らなくて。
一人きりの将来のことを思うと少し不安だけど。
なんとか生きていくことはできるよ。
実のところ、社会人始めてからもコンプレックスに塗れてはいたけど、前を見て歩くだけで、少し変わったと思います。
んじゃね!
半生というには人生短く見積もりすぎか。しかし「四半生」なんて単語もないだろうからこのタイトルで行こう。
基本的にはとてもparticularな話ではあるんだけど、この世代がみな避けられなかった共通体験的なものも入っているはずだから、そこは誰かのなんかの役に立つかもと期待して筆を進める。
幼稚園時代、声が大きかったという理由で劇の主役に抜擢され、市民会館のホールで大声で叫んでたことが真っ先に思い出される。
(親から言わせると元気さだけがとりえで役者としては・・・だったらしい)
家から歩いて3分のその幼稚園は仏教系だったので、春になるとお釈迦様の誕生日を盛大に祝ったりしてたが、そもそも「お釈迦様」が誰なのかその頃はわからなかったし、ほとんど毎日あった正座がつらかった。
年長の最後の頃に、天皇が死んだということで園児全員を集めて黙祷だかなんだかやっていたけれど、その意味もあまりわからなかった。
小学校に入ると、学区の端だったので、40分近く歩くことになり、慣れるのに苦労した。そもそも通学路が遠回りのルートだったので、よく「通学路破り(つうやぶと呼んでいた)」をしたものだった。
その小学校はクラス替えが2年ごとだった。最初の2年間一緒のクラスだったSは問題児で、いつも喧嘩を仕掛け、何度か巻き込まれたし、ある時には彫刻刀を向けてきたりもした。漏れ聞くところによると彼の家庭状況は悲惨だったらしい。ただ担任の女性教師は毎回教室全体に響き渡るような声で彼を叱りつけていた。ある時彼女が「これがストレス発散の方法なの」と漏らしたとき、小学生にありがちな先生への絶対的な信仰を打ち捨てるに至った。結局彼は3年の途中でいなくなり、その後の消息は知らない。
ドラクエ4は初めてリアルタイムの発売日に買えたドラクエで、喜びのあまりお腹が痛くなって、市民病院に担ぎ込まれるほどだった。
だけどやってみると「3のがおもしろかったかな」とか思った。
3,4年の頃の記憶はあまりない。そもそもその頃年子の妹ができて、母の代わりに家事やらなにやらを手伝わなければならず、てんてこ舞いだったことくらいしか覚えていない。
小学校最終学年、それも年が明けてから。夜中に大きい地震があった。部屋に飾っていたガンプラが何体か自殺した。当初は兵庫県淡路地震とか呼ばれていた気がする。朝テレビを家族で注視していたが、「箪笥が倒れてきて老人が怪我をした」とか微笑ましい(と言っては不謹慎か)レベルの被害しか聞こえてこなかったので、それほどひどくなかったのだと安心していた。しかし時間が経つに連れて死者数は増え、瓦礫の映像や崩れた高速道路の映像を見るにつけ、その深刻さに目を覆うしかなかった。
そして卒業式の頃に、地下鉄サリン事件が起こる。鳥山明の似顔絵みたいな人たちがたくさんいるのを見て、逆になんだか現実味を感じなかった。
でもって中学。またも学区の端だったが、今度はさらに遠くて、多分4kmくらいあったと思う。だけど中学は念願のチャリ通で、ヘルメットが蒸れる以外は快適だった。
クラブ活動の上下関係はかなり理不尽で、しかもスポーツが苦手なほうだったから、かなり耐えがたかった。夏暑いし。3年間で褒められたのが「お前はパスがうまい」だけっていうのも今思えばどうかと思う。「○○君ってやさしいよねー」くらいの意味だろう。
中3のとき、サカキバラ事件。犯人は中年の男だとか医師じゃないか(殺害方法から)とか、南京錠の謎だとか、収拾が付かない方向へ向かっていた。
だけど声明文の「SHOOL KILL」のスペルを見て父は「仮にも医学部へ行った奴がこんなミスはしないだろう。中学生か高校生じゃないか」と言ったが、まさか自分と同学年とは思わなかった。同じ年にてるくはのる事件というのもあったんだけど、こちらは警察のヘマで犯人(浪人生)に自殺されてしまったので今では誰も知らない。当時は暗号解読とかで話題になったんだけどね。
高校は学区トップ校へ。加藤君と一緒ですねー。まあでも国際科に落ちてスライドで普通科に通ったから屈折してると言えば屈折してるんだけど。
そういえばこの高校、最近やたら進学実績伸ばしてて、進路指導のN先生はホクホク顔だと思うんだけど、驚いたことに今年のT大合格者十数名全員が国際科だった。
なんつーか、重点的に資源配分してるのかねー。あからさまなのは嫌なんだけど。
最初のテストで下から少し数えたらたどりつく順位をとって、ショックだった。しかも成績上位者を張り出すとかどんな嫌がらせ。
そう言えば毎回1位をとっていたY君は地元の帝大に行ったんだけど、進路指導的には痛恨事だっただろうなあと思う。(だけどそのエピソードに自分の受験校をちゃんと自己決定できるリベラルさが凝縮されてると思う。2番手校以下は結構介入が激しかったらしい)
懲りずに運動部に入るけど、かわいがってくれた先輩がいなくなったら居づらくなって辞めた。友達に誘われて別の部に入るけど、マネージャーが××だったのと手が小さくてボールがつかめないのを気に病んで辞めた。やることないので生徒会長に立候補したけど落選した。
しかし帰宅部ではあまりにもアレすぎるので友人たちと会合を何回か開いてそれを同好会に昇格させた。
会長から一人では手が足りないと請われたので予算委員長代理として予算折衝やイベントの運営に当たった。
次の期で会長になったけどやりたいことはあまりできなかった。むしろ黒幕のときのほうが好き放題できた気がする。
豊川主婦殺人とかネオむぎ茶とかみんな同学年だった。「キレる17歳」と連日言われて、ナイフ事件とかが全国各地で多発してた。
大学受験したけど結局一つも受からなかった。仕方がないので代ゼミに通った。
代ゼミではほとんど友達ができず、言葉をしゃべるのも忘れそうになった。おまけに衛星授業で黒板端の文字見えないし。
唯一できた友達がS価高校出身の子。
「やっぱりS価高校の人って全員S価信じてるの?」
「いや、そういうわけじゃないよ」
どんな会話だ。
そういえば代ゼミで私立中高に通っていた小学校時代の友人に再会したが、彼の言うことが支離滅裂で面白かった。
「俺は株でもうけて大金持ちになるんだ」
「じゃあなんで医学部行くんだよ」
「元手を稼ぐためだよ」
とか、
「そんな大学あったっけ?」
「医科歯科大だよ」
「(お前絶対御茶ノ水行ったことないだろ・・・)」
テレビ見てたらビルに飛行機が突っ込んで、「世界は核の炎に包まれた」ってなるのかと心配した。
で、再度の受験。なんかセンター試験でいい点が取れてしまってセンター利用でおもしろいくらい合格が出た。
話したこともないのにルックスだけでぼんぼこ告白されるようなそんな感じ。
「中身見なくて大丈夫なんですか?」と皮肉の一つも言いたくなる。
続く・・かも。(でもその世代の雰囲気は伝わるでしょ)
現時点での拙の感想。
そもそも○○式などというものは参加者を所属するものへ無条件に従順に従わせ、帰属意識を高めるための儀式的なイベントであり、極めて反動的である。
よって卒業式などという反動的なものを執り行う事に反対しないどころか出席してしまう事がそもそもの間違いなのであるッ!
さて参加したい反動的な輩だけが参加すればよいという折衷案を提案する愚か者がいるかもしれないが断じてまかりならんぞ。
帰属意識を高めるための儀式はその組織に所属するものが原則全て参加する事に意義があり、参加しない者はあくまでも迫害されるべき異端でなければならない。
普通にサボってる奴?そんなもんいずれ簡単に何かに従属させられるだろう。
結論:自由参加はあり得ん。
今から、8年くらい前、中学2年の5月中旬から下旬くらいに不登校になった。
ちょうど不登校になった時期くらいから、不登校に対して世間の興味が移ってきていて
「無理に学校に行かせるのはよくない」とか「卒業させるべきだ」とかいう風潮になっていたので、卒業することには問題はなかった。
その当時は、2週間に1回、カウンセリングに行ったりする以外は家でゲームかネットをしていた。
正直、今でも詳しいことは思い出させない。きっと、記憶が抑圧されているんだろう。
それでも、ゲームをして楽しかったとかそういうことを心から思ったことはなかった。
ただ、嫌なことを考えるのを避けるためにゲームやネットで頭を満たしていた。
あ、中学は行かなかったと書いたけど。
卒業式(個別のね…)となぜだか3年の秋くらいに、ふと保健室登校を1回してみようと思って行った。
本当に思いつきで、意外とすんなり行けた。
両親の努力を報いる気持ちだったのかもしれない。
まぁ、ほんとに1回で終わったけど。
だいたい、そんな子はそういう人が行く高校へ行くよね?
生徒は不登校か他の高校をやめてきた人が9割で、卒業後は半数が就職、半数が専門学校という感じ。
その代わり、校則なんてほとんどなくて、染髪・バイトもOKだった。
最初は本当に行くのが辛くて
精神安定剤を飲みながら通っていた。
…とまぁ、なんとなく時期的に思い出したので書いてみましたが…続きは、もし気になる人がいれば書きます。
こないだ、いきつけのマイナーなSNSでごたごたが起きた。その中でかなり人望がある人が「(ここを)やめる」と言った。それをきっかけに数人やめていった。自分もいいキリだし、便乗してやめようと思った。その旨を日記で言った。
けれど、それがきっかけで自分が人からちゃんと想われてるってわかった。引き止めてくれた子が居たんだ。いや、あれは引き止めるっていうか(引き止められもしたけれど)卒業式後の告白みたいなもんかもしれない。どうせ顔を見なくなってしまうなら、全部思ってたこと言ってしまえっていう。
「尊敬してた」「まだ少しだけ世の中は捨てたもんじゃないなって思えた。ぜんぶ、あの人のおかげ」「ありがとう、大好き」
あの子がそんな風に言ってくれたんだと自覚すると簡単に卑下できなくなる。けれどそれでいいのかもしれない。自信貰ったよ。ありがと。泣きそうになったよ。こんなに思ってくれる人が居ただなんて、って。(こんなにストレートに好意をぶつけられた事なんて1×年生きてて初めてだった。友達だって付き合ってきた人にだって、こんなこと言われなかった)
こんなこと、さすがに恥ずかしいから直では言えない。でも、彼女がSNSをやめる時に私がまだ居たら「ありがとう。私も大好きだよ」って言おうと思う。
神戸新聞Web News 嘘だと言って 教師のわいせつ事件考
1.発生率15倍 突出する中学教師
小学校第1学年児童数に対する幼稚園修了者の比率 - Google 検索
うちの子は「おめぇー、バカヤロー。」と言った事があり、周りはみんなビックリしてたので、「どこでそんな言葉覚えたの!?」って聞いたら、「保育園の○○くんが言ってたよ。」
元園長に6600万円賠償命令=県への請求は棄却−保育園虐待死で横浜地裁
asahi.com:保育士が乳幼児に暴力 隠しカメラで判明 兵庫・淡路 - 社会
院内の保育士3人、暴力や暴言で停職…兵庫県立淡路病院 : ニュース : 医療と介護 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
皆さん、こんな保育園、問題だと思いませんか?(長文) - Yahoo!知恵袋
おしゃぶり防止:0歳男児の指にからし塗る 甲府の保育園-今日の話題:MSN毎日インタラクティブ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4765240835/
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/koukou.htm
はてなブックマーク - 女児5人にわいせつ、元小学講師に30年求刑 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
はてなブックマーク - 教え子乱暴で懲役30年 - MSN産経ニュース
はてなブックマーク - 女子小中学生強姦致傷:元教諭に懲役28年判決 - 毎日jp(毎日新聞)
http://blogs.yahoo.co.jp/hatten4ningumi/
20年も女児を大量盗撮し続けたロリコン教師、1万未満の科料処分。誰が映されたかは不明のまま…捜査員ら「法律不備」
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1212461384/
中学校【社会】 「5、6人の生徒と」 "先生、教え子とわいせつ&ビデオ隠し撮り"で、教育委員会謝罪…愛知
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1152265175/
【事件】女子中生、校長を強制わいせつで告訴 「潔白証明のため名誉毀損など法的手段も検討している」と校長
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1193751597/
「ガマン強い子を狙った」 わいせつ先生、いろんな小学校で女子児童20人
http://ninjax.dreamhosters.com/newsplus/news13_newsplus/1085/1085201679.html
小学校男性教諭、担任する女児全員に教室内で着衣のままわいせつ行為
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1158186949/
【南島原市】小学校教諭が女子児童十数人の体を触るわいせつ行為 県教委と校長がおわび
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/owabiplus/1194370131/
【わいせつ行為】小学教諭を懲戒免職 教え子に1年2カ月間【唖然】
http://live14.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1128386329/
【東京】多摩地区の小学校教師、教え子の小学6年生女児に自宅やホテルでわいせつ行為
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1128315341/
宿泊自然学校 教え子を自室に連れて行きわいせつな行為 宝塚市立小学校教諭男(33)を逮捕
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1212049956/
栃木県の市立小学校で、男性助教諭Tが3人の女子児童を放課後の学校内で強姦
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/number2/610000.htm
教え子(小6・12)にワイセツ行為を繰り返し、発覚後、連れ出して絞殺
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/number2/900326.htm
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage471.htm
【社会】 「他の学校でも十数人にやった」 鬼畜ロリコン教師、小学校内で女児を強姦→再逮捕…広島
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1212469720/
小学生女児への強制わいせつ容疑で逮捕された小学校教諭(42)、他の女児10数人にもわいせつ行為
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1211749763/
鬼畜教諭、教え子の小5女児にレイプ未遂 自分が勤める“聖域”の学校内で
http://web.archive.org/web/20031127040343/http://www.zakzak.co.jp/top/top1024_1_17.html
校内で卒業式の前日6年生の女児にわいせつ行為 小学教諭(55)逮捕…神戸
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1153802287/l50
ロリコン先生、トイレ掃除当番に女児指名。見回り装い個室に連れ込み、みだらな行為
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1185524736/
【石川】わいせつ校長:小学生女子児童3人の下腹部触る【相撲の最中パンツの中に手が…】
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1171966706/l50
【栃木】女児を「わいせつマッサージ」 宇都宮市立小学校副校長(50代)を処分へ 市教委発表
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1195296659/
http://www.asahi.com/national/update/0711/TKY200607110635.html
「誘っても応じてくれなかった」元教え子の中1女子を中傷する落書き、小学教諭逮捕
http://www.makimo.to/2ch/news13_newsplus/1087/1087097564.html
中1の元教え子に強姦未遂で、元小学校教諭(46)が起訴されていたことがわかる
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1155209090/
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1173152748/
http://news.2ch.net/newsplus/kako/1011/10111/1011173155.html
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1199966828/
個別指導中に13歳女子中学生の胸を触る・・・強制わいせつ容疑で鳥取大生を逮捕
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1210249800/
三重大教育学部准教授(50)女子学生の髪を切る猥褻会話の強要
http://disqualifiedteacher.blog94.fc2.com/blog-entry-52.html
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sekuharamietokusima.html
三重大人文学部セクハラ助教授3年間休職し処分を受けないまま退職
友人と深夜語り合いながら思い出した自分は、「思春期だったから」ということで片付けられないような怖い自分だった。
僕は中学の卒業式にもらった色紙や、後輩からの手紙が一枚も残っていない。
なぜなら、やぶいたから。
卒業式の日、沢山の後輩と話して手紙ももらった。部活の同級生とは色紙交換したり、「高校でもハンドボールやろうな」なんて熱く語り合っていた。
それから2、3日たって、僕は家で一人手紙や色紙を読み返していた。ふと思った。「これやぶいたらどんな気持ちになるのかな」
やぶった。全部手で何回も引き裂いて、きれいにまとめてごみ箱に捨てた。その時の感想はまだ覚えている。「ふーん。」それだけだった。
今だったら絶対できない。やぶかれたら、やぶいたやつをぶちのめす。絶対。絶対変だったんだ。
まだある。
高校の時、彼女がバレンタインに大きなチョコレートケーキを作ってくれた。頑張って作ったんだろう、ワンホールほどもあるケーキはきれいにラッピングされて、丁寧にリボンまで掛けてあった。彼女はケーキの入った紙袋を渡しながら、「まぁ家族でたべてよ」とか言って笑っていた。僕はお礼をいって彼女と別れ、家に向かう電車を待っていた。待ちながら、ケーキが重かったので駅のゴミ箱に捨てて、普通に電車にのり、家に帰った。
捨てる時の気持ちは本当に普通で、ポケットのゴミを捨てるように、本当に普通だった事を覚えている。
人間じゃないと思う。
「重いから捨てた」なんて、プログラム通り動く、ただのロボットの反応じゃないか。
まだあるけどもう言いたくない。
精神医学や心理学なんてやってるボンクラ共がよく言う「環境と親の愛情不足が原因」っていうのなら、僕は結構素質がある。両親共働きで、鍵っ子で、学童保育に土曜日も通った。軽犯罪ぐらいならしたことあるし、煙草も5年生で吸った。小学校でも中学でも学級崩壊クラスだったし、3年生の時に6年生にいじめられたこともある。お父さんは仕事とか単身赴任とかで、4年生から大学入るまで全然会えなかった。お母さんが仕事に疲れていて、晩ごはんがポテトチップスだけな事だって何度もあった。
まぁ、僕はそれをネタにして皆と笑っていたし、別に不幸だとかは本当に一度も思った事がない。学童も小学校、中学、高校、全部おもしろかった。でも、ほんとはどこか病気だったんかなあ。
いつも皆とネタにして笑ってたけど、周りに誰もいなくなった時、本当の僕、おかしかった僕が出てきていたのかも知れない。すげー怖い。表でヘラヘラ、裏で冷酷。これじゃほんとのジキルとハイドじゃねーか…なんかすごいな。
でも思う。僕は元々自分で「根本は悪の人間」って知ってたし、周りにもそう宣言してきた。だけど、とりあえずそれがあんまり表に出ていないのは、友達のおかげなんだろう。学生時代はずーっと部活やサークルをやってきて、周りの皆のそばにずっといられる環境だったから。それがでかい。一人の時はゴソゴソしちゃうのだ。やっぱり僕は。
読んだ人に知って欲しいのは、友達は大事ってことと、僕みたいな隠れビョーキ野郎みつけたら優しくしてあげてってことです。どっかにいるからね実際。
消えかけの信号を書いた増田である。覚えていらっしゃるだろうか?
昨日今日とやはり所用があって実家に帰り、そして今朝、小学生の子供たちと同じバスに乗り合わせた。前回の記事のこともあったので気になって数えてみたら、11人だった。帰りのバスに乗りそびれる子はいても行きのバスではみんな一緒だろうから、今この住宅地の小学生はこれだけしかいないと考えていいだろう。今回はたいした話はない。話しかけるきっかけがつかめず、子供たちとは全く言葉を交わさずにきてしまったからだ。
しかし今日の子供たちの中に、中学校の制服を着た子供が3人いた。卒業式だ。私の地元のあたりの小学校の卒業式には、なぜか卒業生一同中学校の制服で出席するとの習わしがある。私が卒業して10年以上経つが、未だにこの習わしは健在らしい。制服を着ているのは男の子が一人、女の子は二人。男の子はまだぶかぶかな制服を着ていて、女の子はリボンが曲がってるとか襟が出てないとかお互いに服の最終チェックをしていた。
そして確かに小学校には遅刻するのであろう、8時をちょっと過ぎた頃に、ありがとうございました!と元気な声で運転手さんに挨拶をしながら、小学校前のバス停を降りていった。
それだけの話だけど、後日談として。
卒業式で、袴を着たんだ。
着付けが終わって母親に見せたら「かわいーい!」て言われたんだ。
「なんで睨むの?」
「なんか睨んでるみたい」
こんな顔に生んだの、お前だろ
「なんで?」
「笑ってよ」
可愛く笑ってみる
「…フッ」(鼻で笑われた
ケータイ奪って消してやろうとしたら
「なんでー!? 怖ーい!!!!!」
って大きな声で言われた。
怖かった
なんで睨んでる(らしい)人の写真保存したがるんだ お前おかしいよ
とりあえず
あまりの切なさに
なんで産んだのー?
て質問したら
「産みたかったから」
って言われた 納得する子供がいるとでも思っていて!
母親きらい、いらないって言ってるのに
直接的に否定されると、まだ駄目。
いつも
「何か悩みあるの?」
「死にたくなったら相談してね?」
って言われるけど、
あなたがすべての土台を作っているのだよ
私が死にたくなったので生まれ変わってくださいっていったらそうしてくれる?
なんだかんだで依存してる自分キメェ。
自分で自分を上手く褒めてあげられるようになりたい。
自分の価値を自分にうつさないと、殺されそう。
もう、瀕死なんだけどね。
このへんの感覚の差が世代の差か?
以下その原因と考えられる過去の事象、及び現在進行形で起きている事柄を可能な限り客観的に記述する事で自分自身の再確認を図りたい。
厳格な父と、息子を溺愛する母の間に一人息子として生まれる。
両親は婚姻届を出しておらず、私は戸籍上は母の私生児である。
理由は「社会的な規則に縛られない愛の形を体現したい。」という思いから。
つまり、二人は典型的なヒッピーカルチャーの申し子であり、フラワーチルドレンであった。
優しい、甘い、溺愛、奔放、社交的。
衣類に関する仕事。多忙。我が家の収入の殆どは母が支えていた。
誰からも愛されるような人物。
それでも私は母がいればよかったのだが、母も出張等で多いときは半年ほど家を空ける事もあり、その際私は親戚、ベビーシッターに預けられる日々が続く。
だがある時私が大風邪を引き一週間ほど寝込み、その間母が出張するという事があった。
その時私は自分自身の身体的辛さが悲しみを凌駕しており、
「人は自分自身が辛い時はまわりの事はどうでも良くなる。」
と理解する。
以後、一人でいる事は全く苦痛ではなくなった。
多くの人がそうであるように、私も他の生徒と自分とは何かが決定的に違うと感じていた(恐怖)。
それを悟られまいと、校内では誰よりもおどけて見せ、ある程度人気者の地位を確立していた。
その反面、家に帰ると締め切った部屋でひとりTVゲームしたり、父から教わったプログレッシブロックを何度も聞きながら、自分のした事に対する後悔の念にさいなまれていた。
父にとって外で遊ばない事は子供として最大の罪であり、特にTVゲームをしている所をみつかるとこっぴどく叱られた。
無理矢理「子供は木登りをして遊べ。」と木登りをさせられたりしたが、これの何が楽しいのか全く理解できなかった。
小学校の延長線上のような生活、アニメ等にも興味を持ち大量に見ていたが同時期に発生した宮崎事件によりアニメ好きへの大バッシングが始まったためアニメ好きであることは隠していた。
不良グループの一部とも付き合い始めるが私自身が不良だったわけではなく、なんとなく面白い奴なので一緒に遊ぼう的に思われていたのだと思う。
この頃一度暴行事件に巻き込まれ初めて警察に捕まり事情聴取を受ける。刑事は後ろ盾が「国」であるだけのヤクザだと感じる。
卒業式の日不良の一人が感極まって泣いており理解できなかった。
そう思うと小学校、中学校と腹を割って話せるような友達は私はいなかったのだろう。
一度だけ異性に告白を受けたが、恋愛どうこうよりも恋愛をする事で周りから冷やかされる可能性の方が嫌で断る。
常に気にするのは周りからの視線。町を歩いても。電車に乗っても。バスに乗っても。
家に帰ったとき「ここまでくれば誰も追ってこない。」と感じる毎日。
体育会系の男子校に入学。苦痛。ひたすらつまらない。ノリがあわない。
スポーツマン、不良、オタクの三種類の人間しかいない。地獄のような毎日。休みがちになる。
異性との出会いも無い。中学時代の友人ともつるむも、それもつまらなく感じる。
この時期初めて異性に恋をする。
美しいが、それを感じさせないほど純粋な人。
衝撃。嬉しさ。苦しさ。自分の惨めさと対照的な彼女の美しさ。
その人に認められたくて何故かテニスに専念。(当然見に来るはずもない)
そこで彼女と何日間か一緒に過ごせた事が最高の思い出。
彼女は月や海を見て綺麗と言える人だった。
ショックだったが元々彼女は自分にとって雲の上のような存在だったし、彼女が幸せであればいいのだと自分自身に言い聞かせる。
「抱いてみろ。」と父。
「可愛いですね。おめでとうございます。」と言ったように思う。
不思議に思う。
数ヵ月後、母から
「父はもう二度と家に帰ってこない。」
と伝えられる。理解不能。
以後母は毎日泣き通し、私は何が起きたのか理解できず不穏な日々が続く。
私があの時抱いた子供は私の異母兄弟だった。
以後暫くの間、自分が何をしていたのか記憶があまり無い。
普通に日常生活を送っていたと思う。
ただ、眠る時に毎晩同じ夢を見るようになる。
町の中をひたすら走っている、何処に向かっているのか解らないが、急がなければ、急がなければ、という酷い焦りだけはある。
走り続けて気がつくと何故か自宅の前にたどり着く。
右手を見ると自分がいつの間にかナイフを持っている事に気がつく。
家からは母と父、そして子供の頃の自分の声。
「ああ、やっぱりな。」
という思い。
玄関のドアノブに手をかけた瞬間必ず目が覚める。
何も無い真っ直ぐな一本道を歩いてる。
空は青から黒にグラデーションしている。
自分は全裸。
ひたすら歩いていると遠くから人骨が見えてくる。
人骨を見ながら何故こんな所に人骨があるのか、これは一体誰の骨なのか考える。
暫く考えるうちあるとき突然理解する。
「これは俺の骨だ。俺はもう死んだんだ。」
目が覚める。
目が覚めた後は決まって酷い寝汗をかいており、跳ね起きるようにベッドから立ち上がる。(これは今でも目が覚める時は必ず同じ。)
自分の部屋に鍵をかけ、タオル等でぐるぐる巻きにして、絶対に開けられないようにする。
外から誰が入って来るのを阻止するためでは無く、自分が部屋から出られないようにするためである。
部屋から出るとそのまま台所まで歩いて行き、包丁を取り出してしまう自分が想像できたからだ。
この頃、睡眠への恐怖からの不眠、拒食、ナイフ等で自分の胸を切る自傷行為を何度か行う。
今思えばこの時しっかりとした治療を受けるべきだったのだろうと思う。
だが私はその時全盛期だったレイヴカルチャーの中に飛び込んでしまった。
(ネオ)ヒッピー、トラベラーと呼ばれる人達との付き合いの中でドラッグを覚える。
色々な人を見た。
キャンプファイアーの中に自分から飛び込んで大やけどを負った人、トイレの中から「トイレがウジだらけだ!」と叫びながら飛び出してきた人(なんて想像力の無いパラノイアだ。)、ドラックを求めてタイに行き今も帰ってこない人、ごみの山を積み上げて自分は世界一のアーティストだとのたまう人、LSDとヘンプで世界が平和になると本気で信じている人。
つまり私はどこに行っても傍観者だった。
私はあの時破滅したかったのだと思う。
でもそれすらできなかった。
私は彼らが羨ましかった。
その後、そういったものから自然に離れて行き、ドラッグもせず、仕事もし、そして何度か恋と別れを繰り返すうち、自分はもう過去は乗り越えたものだと思っていた。
だがそれから約10年たったある日、また同じような症状が自分を襲った。
愕然とした。
もうとっくに自分の中では決着がついていたと思っていたのに。
ドアを開いたら、また同じ部屋にたどり着いてしまった。
私にとってこれは本当に辛い事だが、現在行っている治療と、自分自身の過去の向き合う事が、解決に少しでも繋がればと思いここに記す。
去年の春、高校を卒業して、1年間自動車免許を取ったあと、療養していた。
最近余裕が出てきた。おしゃれが楽しくなった。就職活動を頑張ってみようと思い始めた。
でも、今までのダメダメな過去のおかげで、なかなか積極的になれない。
このままではダメだと思い、今まで目をそむけて黒歴史扱いしていた自分の過去と向き合おうと思う。
昔から引っ込み思案でおとなしい子だった。いじめられっこ気質だったと思う。
自分から他人に話しかけられない子だった。だから友達もほとんどいなかった。
小学生のときは担任に嫌がらせを受けていた。とある授業で手紙の定型文を書くという時間のとき
自分だけいつまでたってもやり直しだった。気付けば自分ひとりだけになっていた。
ちゃんとあっているはずなのに、どうしてだろう。何回も頑張って直した。でも駄目だった。
私はパニックになった。やけになってはじめに書いたものを出してみた。OKだった。
このとき、私は嫌がらせを受けていたことを実感してショックを受けた。
音楽の授業で、リコーダーのパート決めがあった。立候補してもいないのに、なぜか勝手にソロパートを
やらされることになった。(気付いたら黒板に書いてあった)
みんなの前で吹いてみろと言われた。私は、頑張って吹いたが息が続かず、失敗した。怒られた。
何回もやらされたが、駄目だった。そうしたら、その担任は他の男子にお前がやれと命じた。
「こいつは駄目だからお前がやれ」と。(ちなみにその男子は一発で吹けた)
これまたショックだった。勝手に決めておいてそれはないだろうと。恥をかかされた気分だった。
このときの救いは、その後あまり喋ったことのない女子が
「さっきのひどかったよね。勝手に決めたくせにね。」と言ってくれたことだった。嬉しかった。
まだまだいっぱいあるのだが、きりがないのでこの辺にする。
このとき登校拒否とか自殺とかの方向にいかなかったのは、私に特技があったからだ。
私は駄目な性格だったが勉強はできた。絵や習字も得意だった。良い賞をもらったこともあって嬉しかった。誇れることがあったから自分は生きていていい存在だと思ったから、辛くても耐えられた。
親に話せなかったのは共働きの両親に心配をかけたくなかったからだ。毎日愚痴をこぼす母には
とても言えなかった。
中学に入った。今度は男子にいじめられてしまった。くせ毛を馬鹿にされ、
わざと「○○さん、こいつ○○さんのこと好きだって」と明らかに笑いのネタにされたときは
耐えられなかった。授業の時間、私の名前が書かれたとき
「○○なんてこのクラスにいたっけ?」と大声で言われた。
クラスに笑いがこもった。これは辛かった。
小学生のときとは裏腹に、私この件で一年の二学期で保健室投稿になった。登校拒否だ。
私は両親にはっきりといじめられているからいきたくない、とは言えなかった。なぜか。
でも担任から話をしたりしていたからなんとなくはわかっていたと思う。
そのときの両親は登校拒否に理解がなく、私を困った子扱いをして、何かあるたびにいやみを言われた。
「学校に行こう!」という番組を居間で見ていると、学校に行かないくせにこんな番組を見るのかと
言われたりした。家にも自分の居場所が無くなった気がした。
その頃の私の性格はかなり暗くなってしまっていたと思う。
高校のときも、2年頑張ったが途中でリタイアした。友達にはなれられてしまって、孤独に耐えられなかったからだ。私はすっかり弱くなってしまったなあと思った。1年間休学した。
このときは理由を言ったし、中学の頃もあったので、両親は優しかった。休んでいい。と言ってくれた。
嬉しかった。
それからやっぱり高卒の資格が取りたくて、定時制の高校に入学した。
人数が少なく、基本的に皆一人で過ごしていたので気楽だった。
転入クラスは、やっぱり同じようにリタイアしてしまった子ばかりだった。
ある日担任が話してくれたが、気さくに話しかけてくれたクラスメイトの男子は、
自分でお腹をカッターで傷つけまくったらしい。彼のお腹は切り傷で真っ赤らしい。
話す機会が多い女の子も前の学校で友達関係で悩み、手首を自分で切ったらしい。そういえば彼女は
いつもリストバンドをしていた。だから多分本当なんだろう。みんな大変なんだ、辛いのは私だけ
じゃないんだと知って少し気分が軽くなった。
この高校は面白かった。私は教師に対しては小学校の経験でいい印象などゼロだった。
しかしひとりの教師は違った。おじいさん先生だったが、今日は天気がいいから勉強やめて
散歩に行こうと言い出したときは驚いた。ドラマみたいだと思った。
この先生はテスト対策に、手作りプリントを作ってくれて一緒に頑張ろうと時間を作ってくれたりも
した。私はこの先生が大好きになった。尊敬もしていた。人間的に素晴らしい人だったからだ。
このまま順調に行くと思っていたが、夏になり、なんだか学校に行くのが苦痛になってしまった。
これから就職のことも考えなくてはいけないプレッシャーに押しつぶされそうになった。
面接の練習で、自分の弱さを指摘されて(高校時代の過去など)わんわんと泣き喚いてしまった。
そうしたら担任が医者を紹介してくれ、精神科医へ通うことになった。
それから薬を飲みながら頑張った。もう途中で諦めたくないからだ。
そしてとうとう卒業式を向かえることができた。退場するとき、私は開放感でいっぱいだった。
「おめでとう」
その瞬間、私はその先生にかけより、顔も隠さずぼろぼろと泣き出した。これだけ大人数の前で泣くなんて初めてだったが止まらなかった。
多分ひどい顔だったと思う。でもその先生は何も言わずにっこりと笑ってくれた。
私はありがとうございました。と一言言って逃げるように去った。
私の学生生活はかなり遠回りだったと思う。
嫌なことも多かったが、学んだことも多かった。嬉しかった出来事だってあった。
だから私はもう過去を気にするのはやめようと思う。
これを書いていたら完全に吹っ切れた。これからすこしずつ、やっていける自信がついた。
書いていたら涙がぼろぼろ出てきて目が痛い。文章めちゃめちゃだ。
僕が今までで一番強くて熱くて純な恋をしたのは中学生の頃だった。
当時恥ずかしくて女子と話すことができず、帰り道いつも遠くから彼女の姿を追っていた。
彼女は全くの反対方向に住んでいた。だから僕は帰り道、行きの三倍の距離を毎日歩いていた。
ある時一緒のグループになったことがあった。僕は友達と大きな声で騒いで気を引こうとした。
ある時一緒の掃除当番になったことがあった。僕は恥ずかしさから掃除をサボって先生に怒られた。
こんな風に3年間はあっという間に過ぎていった、そして卒業式の日が来た。
彼女は推薦で他県の県立高校へ行くことになった、馬鹿な僕は地元の馬鹿な私立高校へ入学する。
もう会えない別れがついに来てしまった。
僕は最後に卒業アルバムに彼女からメッセージを書いてもらった、『この二年楽しかったよ』。
僕は読むと「この三年間ありがとう」とだけ叫んで逃げて帰った。走って走って走りまくって家まで逃げた。
その日の夜、僕は眠れなかった。寝て次の日からはもう彼女に会えない生活になるのだ。
それが悲しくて、悔しくて眠れなかった。色々憎んだ、自分も神様も学校も先生も関係ないもの全て。
立ちこぎで冷たい風を切って、涙を流してることを悟られないようにうつむきぎみで。
途中で思い切りコケテ自転車の前輪がパンクした。痛みは感じなかった、
立ち上がるとパンクした自転車のペダルを傷だらけの足で思いっきり回した。
そして彼女の家の前についた。
彼女の部屋には明かりがついていた。僕はどうしようもなくなった。結局ここまで来ても何もできないのだ。
じっと明かりを見て、電気が消えてから自転車を押して歩いて帰った。
虫の鳴き声も星や月の明るさも川を流れる水の音も空しく感じた。
家に帰ると親に怒鳴られたが無視してベットの中に潜り込んでぐっすり眠った。
そんな中学生時代の恋。