消えかけの信号を書いた増田である。覚えていらっしゃるだろうか?
昨日今日とやはり所用があって実家に帰り、そして今朝、小学生の子供たちと同じバスに乗り合わせた。前回の記事のこともあったので気になって数えてみたら、11人だった。帰りのバスに乗りそびれる子はいても行きのバスではみんな一緒だろうから、今この住宅地の小学生はこれだけしかいないと考えていいだろう。今回はたいした話はない。話しかけるきっかけがつかめず、子供たちとは全く言葉を交わさずにきてしまったからだ。
しかし今日の子供たちの中に、中学校の制服を着た子供が3人いた。卒業式だ。私の地元のあたりの小学校の卒業式には、なぜか卒業生一同中学校の制服で出席するとの習わしがある。私が卒業して10年以上経つが、未だにこの習わしは健在らしい。制服を着ているのは男の子が一人、女の子は二人。男の子はまだぶかぶかな制服を着ていて、女の子はリボンが曲がってるとか襟が出てないとかお互いに服の最終チェックをしていた。
そして確かに小学校には遅刻するのであろう、8時をちょっと過ぎた頃に、ありがとうございました!と元気な声で運転手さんに挨拶をしながら、小学校前のバス停を降りていった。
それだけの話だけど、後日談として。
私の実家は千葉の片田舎にある。もっと言ってしまうと、田舎をイメージしたCMによく出てくる小湊鉄道沿線だ。その沿線(と呼ぶのも躊躇われるような僻地だが)にバブル最末期に出来た...
消えかけの信号を書いた増田である。覚えていらっしゃるだろうか? 昨日今日とやはり所用があって実家に帰り、そして今朝、小学生の子供たちと同じバスに乗り合わせた。前回の記事...
筆者やその同級生は、なぜ、その地に留まらなかった、留まれなかったのか。そして、今、どんな経緯でどこに住んでいるのか。それが、答えのひとつであろう。
筆者たちがその地に留まらなかった理由は書いてあるじゃん ここに建っている家々は皆核家族用のもので、複数世代が住めるものじゃない。
うちの実家もこんな感じ。私の現年齢も住宅地の規模も現状の子供の数もほとんど一緒。田舎の中でも新興住宅地に移り住んだのは家業のないサラリーマンであり、サラリーマンの子供は...