「卒業式」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 卒業式とは

2009-03-08

ロスジェネリアル

30歳ロスジェネまっただ中。大学マーチレベル

サークル仲間の就職状況はこんな感じ。


A 大学院→一般企業就職勝ち組

B 大学院中退公務員勝ち組

C 大学院中退ワープア派遣結婚して主婦(ある意味勝ち組

D 大学院ポスドク勝敗不明)

E 就職失敗→メンヘルニート→働いてはメンヘルが悪化してやめるのを繰り返す

F 就職失敗→海外留学音信不通 噂では自衛隊に入ったとか

G 就職失敗→起業→苦しいけど一応続いてる

H 就職失敗→ワープ派遣

I ブラック企業就職メンヘルニート→働いてはメンヘルが悪化してやめるのを繰り返す

J ブラック企業就職ワープア派遣(俺!俺!)

K ストレート公務員勝ち組

L ストレートで一般企業ベンチャー転職→そこそこ楽しくやってる(勝ち組


驚くべきことの、従来の幸せモデルである「ストレートで一般企業→今に至る」が1人もいない。

酷すぎると思うかもしれないが、これが真実だ。ちなみに卒業式時点で「いやー就職失敗しちゃって」と公言していたのはEとGだけだ。Fは、まるで最初から就職に興味なかったかのように振る舞っていたし、Hは「IT系の会社に決まった」と、Iは「飲食系の会社に決まった」と、笑顔で答えていた。

で、このリストを眺めて、この時代でも転落しないための法則を読みとってみたいと思う。


1.メンヘルだけにはなるな。

なるなと言われても困るが、お金のかからないストレス解消方法を見つけるなど、メンヘル回避のために最大限の工夫はしたほうがいい。


2.最後の望みは公務員

年齢制限にひっかからなくて暗記が得意なら、受験してみよう。


3.ブラック企業に入って生命力の全てを吸い取られるくらいなら、大学院に進むなり起業するなりしたほうがマシっぽい。


4.女性は、今のうちに勝ち組になりそうな男と婚約しておけ。


それじゃ、みんな頑張ってくれ。俺はリストラされたので実家に帰るわ。あばよ。

2009-03-05

中学卒業式で集団不起立 教諭ら9人処分 大阪

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090305-00000073-san-soci

やり方がキモいんだよなー左翼は。

鳥肌実を本気でやってる極右と同じようにキモいってこと自覚してんのかな。

2009-03-03

ある韓国人感想。「日の丸君が代を敬わない日本人は信用できない

(注意:ここで、日本過去の罪に関しては述べない)

個々人が日の丸君が代をどう思っていようと、日の丸君が代現実として日本国旗国歌である。

卒業式シーズンである昨今、君が代を歌う時に着席するよう教育する親がいるらしい。歌わずに着席する事は、生徒の権利だと吠える教師もいる。「韓半島中国人間強制連行した歴史がある」などというのが、その理由らしい。しかし、日本に住む韓国人である私から言わせて貰えれば、それは恐ろしく無責任な態度だと言わざるを得ない。

何故なら、それは国旗国歌に託された日本の「誇り」も「罪」も、全て自分には関係ないと言っているのと同じだからである。日本過去を良い面も悪い面も完全に否定し、さらに自らは日本人ではないと主張する行為に他ならないからである。

このような人間が「かつて日本韓国に酷い事をしました。すみません」と土下座しても、意味がない。何故なら、その土下座している人間日本人ではなく、単なる無国籍者だからだ。はっきり言って、そのような人間の謝罪など、冷めた目でしか見られない。

極端な話、アメリカ原爆投下をセネガル人に謝罪されても、日本人は戸惑うしかないだろう。それと同じ事だ。私は、日の丸君が代を敬わない人間を、日本人だとは認められない。

日の丸君が代を敬わない人間は、単に自分達の祖父母が気に入らないから、そこから逃げているだけだ。韓国人のためと言いつつ、結局は自分を可愛がっているだけである。その行為は、韓国人をも踏みにじる卑劣極まりない行為である。

そもそも、血塗られていない国旗など存在しない。我が祖国太極旗も血に濡れている。独立を求めてとはいえ、日本軍人警官太極旗の元に殺されたのは紛れもない事実であるし、さらに韓国史上最大の悲劇ともいえる韓国戦争朝鮮戦争)では、太極旗が翻る空のもと、数え切れない同胞が殺し合った。

デザインが気に入らない」「歌詞が少しおかしい」「ドイツのように変更すべき」等、様々な理由で国旗国歌を変更する事はあり得る。デザインの変更という議論はあっても良いだろう。

しかし、現実法令として国旗国歌が「日の丸君が代」と定められている以上、法的に変更されるまでは日の丸君が代に対し、日本人は敬意を示さなければならない。そういう「罪深く誇り高い日本人」相手ならば、我々は腹を割って政治的な話をする事も出来るだろう。

しかし、国旗国歌存在そのものを否定する……すなわち、日本人として不完全な……どこの馬の骨とも知れない人間相手には、我々韓国人は熱く語る事すら出来ないのである。

言いたい事は一つである。

国旗国歌存在そのものを否定する日本人よ。それでも日の丸君が代が嫌いだというのなら、勝手にするが良い。しかし、その理由を韓国人に押しつけないで欲しい! それは、結局は国旗国歌を大切にする「普通感性を持つ日本人」を、韓国嫌いにするだけだから。

2009-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20090226154644

ことさらこの曲に攻撃しやすい「的」がある。それだけじゃね?

卒業式で「やっちゃったなー」みたいな企画を通してしまう学校はけっこうあるが、1校や2校じゃそんなに話題にならんしね。

この曲をプロジェクト化して、結果100校くらいで歌われるとこまで持っていったプロデューサー面での手腕はたいしたもんだと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20090226132651

なんで音楽の出所を問題にするのかがわからないな。

それって人種差別階級意識と一緒じゃないか?

良い音楽が人の気持ちを動かしてるんだからそれはそれでいいんじゃないか?

聞いてみて「この曲を卒業式で歌うのはひどい」ってのはまだわかるけど。

ちなみに俺は「最近連中は安っぽい歌詞にだまされやすいんだよなー」って思ったけど。

http://anond.hatelabo.jp/20090226132651

日頃見下している「ニコ厨」「オタク」にまんまと行事の主導権を握られると、かくも火病るやつがいる、ということをこの増田や一部のはてブコメが如実に示している。

つまらなさそうにしてる奴らは、それが君が代だろうが桜の雨だろうが死んだ目をしていることだろう。大差ない。

卒業式にマジになってる奴なんて何割いるんだろーね?

本当に「コレ歌いたい」と思った奴が、先生にかけあってまんまと企画を通したわけだ。何もしない連中に比べればあっぱれじゃないか。

ま、全国見渡してたくさんたくさんある学校の中でたった100校程度だ。

そんなに正義面して火病らなくてもいいんじゃないの。

ぶっちゃけ原曲聴いたことないけど、ブコメとか見てると温度差おもしろいね。

http://anond.hatelabo.jp/20090226132651

そんな馬鹿げた企画でも後になれば笑って思い出話にできるもんだと思うけどな。

俺は自分高校と兄弟の卒業式で三回分の卒業式を見たが、どこもそれなりに悪ふざけがあったよ。女装答辞とか。俺のときの歌なんて半分失恋ソングみたいな曲だったし。兄貴の場合は地元のよくわからないアイドル?(男の人ね)が歌ってたよ。実際どこでもあるんじゃないか?話題にならないだけで。

卒業式初音ミクの曲を歌うってまじっすか!まじなら俺の全総力を挙げて出席したい。

そして歴史の生き証人になってやりたい。父兄リアクションとかを全力で目に焼き付けたい。そして卒業生たちがそれぞれの道へ進んだあとも、事細かな式の様子を語って、定期的に初音ミクの曲に送り出されたという事実を思い出させてあげたい。

あと「こんな歌うたえるかよ」とか言って、泣いてるやつを面倒くさそうな目で見て口パクさえもしないそこの中二病野郎高校卒業したところでこの先もこんなんばかなんですよ・・・。

2009-02-20

10代に経験していないと恥ずかしい体験

10代に経験していないと恥ずかしい体験

名札を隠される

筆箱を隠される

上履きを隠される

ランドセルを投げられる

ぞうきんを投げつけられる

図工で描いた絵を取り上げられて笑われる

女子が悪口を言ってくるので反論したら言い合いになる

先生に怒られるが「○○君が話しかけてきたから注意してたんですーw」と嘯きひとり怒られる

皆がやっていることを同じように行ったら、何故か自分だけ「おいぃww」とか言われる

逆にやらないでいても「おーいいww」と言われる

休みの鬼ごっこでの鬼が、何故か放課後まで有効

○○菌ごっこで集中的に狙われて、放課後まで有効

そのまま定着し掛ける

水を飲んだ蛇口がトラップ扱いされる

すれ違ったときに手が当たったら「きゃあ!触っちゃった!」「ちょっと私で拭かないでよ!」と言われる

転校生に女子が、あいつとは話さない方が良いよwとか言ってるのを見かけるが、その女子と会話した覚えがない

給食を女子に配ったら泣かれる

男子にあいつに牛乳配って来いよwwwと煽られる

「私セルフサービスで良い?」と給食当番のとき言われる

「何か喋りなよw」と言われて喋ると「声がキモいww」と言われる

鬼ごっことかのグループ自分が入るとリーダー的な奴が「抜けた!」と言い出して全員居なくなる

休み時間に比較的仲が良いグループに近づいたら「何でお前?」と言われる

学年が上がりいじめっぽいことには対抗しようと考え始めたが、校内治安も上がっていてそういったことが一切起こらない

放課後遊ぶ約束をしていたので待ち合わせ場所に行ったら普通約束を忘れられていた

用事があるので放課後遊ぶ約束を断っていたら全く電話が来なくなった

学校と塾の学習内容を混同しないように無駄な気力を使う

林間学校の夜に話す相手が居ないので一番初めに寝る

寝付けないので3時間ほど同じ班のお喋りを布団の中で聞くことになる

リーダー役がじゃんけんで勝った順にグループを作っていく場合は当然のように最後に余る

二人組を作るが、相手が他に余った人が居ること気付くと「あ、ごめん…」といって離れていく

二人組を作らされそうな空気を察知してクラス内人数が割り切れるか確かめる癖が付いている

偶数なのに三人組を作るところが居て計算が狂う

席替え地雷と呼ばれているらしい

席替えランダム席にすると発表されてブーイングが飛ぶ中、ひとりほっとしている

席替えで隣になった女子が女子グループに慰められている

同級生が転校するときにクラス全員と握手するイベントで素通りされた

クラス替えで仲の良いほうの人は当然のように別のクラスに固まっていて、教師に仲の良い人が居ないと思われていることに気付く

新しいクラス偶数だとほっとする

昔はどうやって友達を作っていたのか想像も付かない

仲が良いのは昔からの友達と友達の友達

学生なのに年々友人が減っていくのを実家する

友達としての優先度が低いことを様々な箇所で実感する

2人きりで何を話して良いか解らない

3人以上になると「いたの?」状態になる

丸一日口を開かない

知り合いすら少ないのに顔も知らない他学年になぜか認識されている

口の軽い奴が人の過去を笑い話にしているが、どう考えても捏造

口の軽い奴が人の過去を笑い話にしているが、その頃は違ったのに今と同じように扱われていて、記憶が改竄されていることを実感する

休みにすることがないので本を読んでいたら遠くから「あいつ何読んでんだよw」「ちょっと聞いて来いよwww」

休みにすることがないので校舎を彷徨くようになる

休みにすることがないので薄暗い死角となった場所で時間を潰すようになる

休みにすることがないので寝たふりをしていたら、隣から「本当は起きてたりしてw」と聞こえてきてびくっとする

休みにすることがないので本当に寝られるように計画的に夜更かしする

休みにすることがないので寝ていたら起きたら6時間目だ

お前昼休み何処で食事してんの?と聞かれる

お前放課後なにしてんの?と聞かれる

お前普段なにしてんの?と聞かれる

いつも一人で居て楽しい?と聞かれる

何が嫌なことだったか忘れてきて別にどうでも良くなる

卒業アルバムの寄せ書き欄が白紙

卒業式後に直帰

2009-02-18

卒業式写真撮影禁止で思ったが

なんで個人情報保護法だけ、あんなに厳格に運用されてるんだろう?

日本法律を厳密に全て適用すると、殆どの人を逮捕起訴する事も可能なほどアホな法律がいっぱいなのに

憲法法律も一回全てゼロベースで検討し直した方が良いんじゃ?

2009-02-17

保護者立入禁止

卒業式で撮影禁止だとか参観日の香水禁止だとかを,個人情報保護法化学物質過敏症をたてにするのはやめよう。

学校側としてはもっともらしい理由が欲しいのだろうが,穴だらけの理由だと反論に対して無力だ。

要するに保護者が行事運営で邪魔だというべきだ。

児童・生徒と保護者とは切り離して扱う。参観日は授業ではなく親子一緒の教師との懇談会にして,入学式保護者への説明会を別途開催する。

卒業式保護者不要だ。

2009-02-13

4年前のキミへ

ボクは誰でしょう? そう,キミだよ.2009年2月のキミ.もう大学生だ.

キミにとって,ボクはどんな風に見えるかな?

ちょっと変わった? そう言ってくれると嬉しいよ.

キミはたしか,2年半前に学校に行かなくなったよね.覚えてるよ.あの頃のことは,ずっと忘れることはないと思う.

クラブが嫌になった,そんなちょっとした理由で,学校をズル休みしたんだよね.

「それじゃあ辞めればいい」,その通り.クラブを辞めて,また学校に行こうと,そういう気持ちが全部ではなかったけど,少なからずあった.

でも,そうはならなかった.またちょっとしたきっかけで,学校に行こうとしなくなった.

「ちょっとした」って言うと,キミに怒られるかもしれない.でも,今のボクには,「ちょっとした」なんだ.だからもう少し聞いていて.

キミは2年半,何をしていたかい?

人と会うことを,外に出ることを,何度ためらった?

誰かが怒り,悲しみ,そして涙するところを,何回見た?

きっと,覚えていないだろうね.うん,別に覚えている必要はないんだ.

でも.そういうことがあって,いろんな気持ちを持ったはずだよ.

喜怒哀楽っていうけれど,それだけじゃない,いろんな気持ち.

残念だけど,今のボクにはもう分からなくなってしまったんだ.だから,「その気持ちよく分かるよ」っては言えないんだけど.

気が利かなくてごめんね.

今のボクは,後悔していない,って言ったら,嘘になる.正直に言えば,やっぱり後悔もしてるよ.

あのとき,この部屋で寝ていた,いや,「寝たふりをしていた」キミへ.

キミは,どんなふうに思って,そんな選択をしたのかな?

その選択をしていなければ,ボクは今のボクよりもずっと成長して,ずっと立派になっていたかもしれないんだよ.

その責任,そのツケが,今のボクに回ってきてるんだ.わかるかい?

でもね,今のボクに回ってきてることは,悪いことだけじゃない.

キミもたくさん苦労したんだと思う.

その苦労があって,今のボク,キミよりちょっとだけ強くなれたボクがいるのは,紛れもない事実だ.

そして,キミが選んだコトが良かったかどうかは,今のボクにかかっているわけだ.だよね?

思い出したくない.そんな過去いらない.

そうじゃない.そうじゃなくて,「そんなコトもあったね」って,キミに言いたいんだ.

キミはこれから卒業式を迎える.

キミがどんな選択をするか,今のボクはもう知ってるよ.

でも,それは教えることは出来ないんだ.

それはキミが決めることだからね.

そして,これからのボクは,今のボクが決めていくことだ.だから,キミはボクのコトを考えなくていい.

キミ自身のコトだけを,精一杯,考えていればいいんだよ.

「そんなコトもあったね」って,キミに言えるように,キミが笑ってくれるように.

今のボクは,ちょっとだけはりきってみせるよ.

だから,そのときまでは,キミと笑うそのときまでは,しばらくの間だけ

キミとさよならだ.

2009-01-19

引越しレポート物件を決めるまで

はじめに。

現在修士の2年生。春から社会人になるにあたって、東京から名古屋へ引っ越すことになりました。

修論の真っ最中ではあるものの、先生内緒で1泊2日の部屋探しツアーを決行してきました。

ひとまず部屋を決めるところまで至ったので、ここまでの流れについてまとめました。

自分ブログに今こんなことを書くのはさすがにはばかられるので・・・)

現在住んでいる部屋の契約について。

今の家は2月で契約が切れる。

3月まで住みたいけれど、それで契約更新料を2ヶ月分払うのはアホらしいので、管理会社交渉

卒業式は3月末だけど自分引越しもあるので3月前半には出ていくつもりであることを伝え、

次の人をいれる時間を考えて、いつまでなら辛抱してもらえるかと訊いたら、

3/15までは更新手数料無し、家賃は日割りでいいと言われた。

正直、こんなに伸びるとは思ってなかったのでラッキー

新しい部屋の条件整理。

今回は家賃と広さをシビアにするかわりに、築年数や駅からの距離で大きく妥協した。

  • (絶対)家賃:共益費込みで上限55000円
  • (絶対)占有面積:25m2以上(通常バルコニーは占有面積に入らない)
  • (絶対)全室フローリング
  • 重要引越し時期:3/10-3/15
  • 重要RC造(必然的にマンションになる。)
  • 重要)広いキッチン(2口コンロが置ける。1Kで3畳しかないのは却下必然的に間取りは1Rか1DKになる。)
  • 重要)広いバルコニー(2F以上の場合。但し階数にはこだわってない。)
  • 重要屋根付きの駐輪場
  • (気にしない)築年数:新耐震の81年以降物件なら問題無い。
  • (気にしない)駅からの距離:15分以内なら問題無い。
  • (気にしない)お風呂はUBでもよい。

現地に行く前の下調べ。

最近話題にもなってた、この辺りのページを参考にしつつ。

名古屋にて。

  • まずは候補の町を実際に歩いてみる。
  • 「町の不動産屋」が思ったよりも見つからず、結局CHINTAIの店舗に入った(事前に店舗の場所も調べておくべきだった・・・)。
  • 条件を伝えて、じっと待つ。最終的に6物件ほど紹介してもらった。
  • 条件に合う物件パソコンで検索するのではなく、店員さんのアタマの中で検索されていた。つまり思いつき待ち。
  • 3物件について下見をお願いした。測ってメモとりたいので、間取り図のコピーをくださいとお願いした。

下見にて。

下見を終えて。

  • 物件を2つに絞って、初期費用見積もりを立てて貰う。
  • 契約する場合のスケジュールの確認をする。部屋に関する重要事項の説明があり、その時は店頭に来てもらわなきゃいけないとのこと。契約自体は書面を送付しあえばいいから大丈夫だって。
  • もう名古屋に来るつもりはないので今回で物件は決めることにする。けれど、物件の周辺をもう一度見て周りたいのでどちらにするか明日まで待って欲しいと伝える。
  • どちらも流通物件だったけれど、片方は仮に押さえてもらい、もう片方は下見の時に管理会社に借りた鍵を返さないことで他の人に下見させないようにして、先に決められるのを回避してもらった。

入居審査にあたって。

・・・と、以上が今日までの流れでした。明朝にさっそく一社引越し見積もりをしに家に来てくれるそうです。

反省点とか

物件を探す時期

今回、この時期に部屋探しをして一番良かったと思える点は、店員さんが疲れてなかったこと。

ピーク時に引越ししたことのある友人の話だと、店員さんがいかにも寝て無さそうだったとか。

来店時に客は僕だけだったので、店員さん二人分の「アタマ検索」で物件が出て来たし、

物件の仮押さえとかネット環境の確認とかに気を回して貰えたのは良かったな、と。

あと鍵を管理する会社が日曜休みで、それで鍵による仮押さえが可能になった、ということもあった。

一方で毎年3月になると何件か空くんだけど・・・という物件もいくつかあって、早けりゃいいってもんでもなかった。

家の家具を測っていくべきだった。

下見で家具を置く位置の寸法を測ったものの、いまの家具の寸法を測っていかなかったので、

ちゃんと収まるかどうか不明なまま物件を決めてしまった。結局入りそうだから良かったけれど。

補償金ってどういうものなんだろう。

古い物件だからなのか、敷金礼金はほとんど無かった。

その代わり補償金というものがあり、これは退去時にこれ以上の費用とりませんよ、というものらしい。

名前を変えた敷金礼金じゃないかと思ったけれど、これは揉め事対策にこういう用語にしてるんでしょうか。

流通物件ならではの価格交渉が可能だったかも。

流通物件だから何処の不動産屋でも扱っているということは、

同じ物件に対してそれぞれに見積もりを出してもらって、価格交渉が出来たかもしれないと思った。

結局お世話になったところを裏切るのもねぇと思ってやらなかったけど。

自分お金を稼ぐようになったらもっとお金シビアになるんだろうな。)

おわりに。

これで論文に集中できると思ったけれど、契約手続き、引越し見積もりともう少しゴタゴタしそうです。

しかし論文が終わるのを待ってると部屋探しも引越しもかなり遅れをとってしまいそうだったので、

やっぱりこの時期にやってしまって良かったと思っています。さて、あとは論文論文・・・。

2009-01-16

小学校のころ同級だった男の子スキーに行った。

http://anond.hatelabo.jp/20080913153317

http://anond.hatelabo.jp/20081201015818

http://anond.hatelabo.jp/20081226042010

の続き。

知らないうちに、彼らはスキーに行ったりしていたらしい。

小学校同窓会にて地元組で話が盛り上がり、近場に泊まりがけでスキーに行ったことがあるらしい。

なぜわたしがそれを知ったのかというと件のやつから「せっかくだから今年は一緒に」と誘われたからなのだが、転勤族の悲哀というか、卒業と同じタイミング学校を変わってしまうとこういうふうに図らずも仲間はずれになってしまうことがままあるのだ。

これまでは特に気にしたこともなかったけれど、今回ばかりはちょっとさびしくなった。

いいな、と思った。

わたしには「幼馴染」という関係に対する幻想のようなものがある。

子どものころからずっと一緒にいると、互いが少しずつ異性になってゆくようすを間近で見る機会が多くなる。

声が変わったり、胸が膨らんだり、背の高さが逆転したり、ちょっと重いものを運ぶときに軽々と担いでいる姿とか、ふとした瞬間の大人びた表情とか。

そういうのが、とても魅力的で刺激的なことのように思うのだ。

実際は特に意識することなんてないよ、と経験者が語るのを聞いたこともあるのだけど。

例の、本当の意味クラスの「注目の的」だった女の子は、彼と同じ私立中学校に進学していた。

そこは中高一貫校だったので、きっと高校も同じだったんだろう。

幼馴染コンプレックスうずく

いいな。いいな。

そしてほらまた。

スキーも一緒だったんだって。

彼女は、お父さんが開業医だった。

絵に描いたような優等生だった。

なんでもできる子だった。

わたしが彼女に勝っていたものといえば、英会話ぐらいだ。

わたしと彼女はたまたま同じ英会話教室に通っていたのだけど、わたしの気持ちと先生の教え方が上手に噛み合っていたようで、わたしは一人でやたらと順調に力を伸ばしていた。

海外の人が何かの交流で学校に来たときに代表でスピーチをしたりとか。

彼女と唯一張り合えるであろう技能はそのぐらいのものだった。

なんていうか、格が違う感じがする人なのだ。

ということで、スキーツアーに参加することになった。

かなり緊張していた。

彼らは定期的に会っているらしいのである程度気心の知れた仲を保っているのだろうが、わたしは卒業以来初めてなのだ。

知らない人たちの輪の中にひとりで入ってゆくことにほぼ等しい。

当時特に仲の良かった子を見つけてくっついていよう、でもきっとある程度関係ができあがってるだろうし、今更加わっても迷惑がられないかなあ、とかネガティブ思考全開で集合場所へ行った。

総勢7人。男性4人、女性3人。

意外と集まるものなんだ、とびっくりした。

なんか全体的にキャッキャキャッキャした浮わついた感じで、早くも不安でいっぱいになる。

なんだろう、この広瀬香美な雰囲気は、と思っていたら実際「(合コンあいのり)÷2」な、そんな趣旨の集まりに近いのだということをわたしは後になって知ったのだが、まあとにかく緊張していた。

久しぶりだから、一応

「きゃー!!ミッチョン!?久しぶりー!!!」

「今どこに住んでるのー!?」

みたいな盛り上がりはあった。よかった。

やっぱりみんな卒業して十数年も経つとだいぶ変わるんだなあ、というのが実感だった。

顔立ちそのものもだけど、化粧をしたり太ったり痩せたりハゲたり茶髪になったりしていて、確かな年月の重みを感じさせられた。

それからバスに乗り込んだのだけど、わたしは当時の仲良しグループの子ではなく「注目の的」の女の子、さとし(仮名女の子です)と隣どうしで座ることになった。

仲が良かったほうの子がすでに結婚していて、ご主人と一緒に来ていたからだ。ちなみにご主人は同級生ではない。

さとしは医学部に進学したそうだ。

浪人して入ったこともあってまだ学生で、本当はこんな風に遊んでる暇はないけど、と笑っていた。

彼氏もいて、まだわからないけど同じ医学部の人なので将来を考えることができたらうれしい、と言っていた。

「さとし、きれいになったね」

と、誰かさんではないけれど、わたしはさとしに言った。

本当にそうだった。

もともと色が白くて線の細い子だったけど、そのままの雰囲気で大人になっていた。

薄化粧をして髪をゆるく巻いたさとしは、小学生のころの何倍も美しかった。

さとしは少し肩をすくめて、小さく照れ笑いをした。

感じのいい笑顔だった。

さとしについてはいろいろな記憶がある。

5年と6年で同じクラスだったのだけど、5年のころ、さとしは取り巻きの子たちを引き連れていじめをしていた。

先生たちから全幅の信頼を置かれる優等生でありながら、陰で特定の子の持ち物を隠したり、寄ってたかってバイキン呼ばわりしたりしていた。

別に怖かったわけでもないのだけど、なぜかだれもさとしを告発するものはいなかった。

6年生になってその子とクラスが分かれると、さとしのいじめ自然となくなった。

週一回の英会話教室の帰り道は、さとしと帰っていた。

野良子猫を見つけて、近くのスーパー惣菜を買ってきて一緒にえさをあげたりした。

さとしは「けろけろけろっぴ」が大好きで、サンリオのお店に一緒に立ち寄ったこともあった。

そこで見るさとしは、本当に普通女の子だった。

何となく別世界の人のように見えるさとしにも親しみを感じるひとときだった。

卒業式が近くなり、毎日のように練習が続いていた日、わたしはヘアゴムを失くした。

当時はものを失くすたびに親からこっぴどく叱られていたので、また怒られる、と思っておろおろと周囲のクラスメイトに尋ねて回った。

ちょうど体育館への移動時間が迫っていて、誰もが

「ごめん、知らない」

としか言わない中、さとしだけが探すのを手伝ってくれた。

結局見つからなかったのだけど、わたしが

ありがとう、もう大丈夫だよ」

と捜索打ち切りを宣言しても

「いや、あそこにあるかもしれない

とか言って机の下をのぞきこんだりしていた。

今思うに、この生真面目さが、さとしの美点だったのかもしれない。

すごく責任感の強い子で、委員会活動などで任せられた仕事はいつでも完璧にこなそうとしていた。

いじめをしていた時期も、さとしはこういう一面を失うことはなかった。

むしろそういう子だから知らないうちにストレスがたまってしまって、子どもゆえの残酷さでその捌け口を「いじめ」に求めてしまっていたのかもしれない、と今は思ったりする。

さておきスキー場に着き、まずは滑ることに。

一通り体を動かし、食事がてら休憩所のストーブの前でさとしと話をしていたら、やつが来た。

いたって気軽に今日の天候がどうとか雪の積もり具合が、とか話し込むふたり。

かたや、ものすごい置いてきぼり感の漂うわたし。

相槌はかろうじて打つものの、いまひとつ会話に乗れてない。

ほどなくしてさとしが早々とゲレンデに戻ってしまったので、ふたりになった。

「今まで何回ぐらい集まったの?」

「うーん、もう5、6回になるんじゃないかな」

「そうなんだ」

「俺はスノボだけどね。ミッチョンは?」

「もうだいぶやってないよ…。大学生のとき以来」

「俺も毎回来るわけじゃないからなあw」

「それにしてもみんな、変わったね」

「あー、ミッチョンは久しぶりだもんな」

同窓会も出たことなかったし」

「そうだな。いなかったな」

「でも、いいものだね」

と言うと、こっちを見てにやっとした。

「そう?」

「うん」

するとどこかあさっての方向を向いて

「それならよかった。」

と低くつぶやくように言った。

自分が誘ったのだから、ということで気を遣って尋ねたことのようだった。

それから、同行している元クラスメイトたちの話をしていた。

夫婦で来ている彼らは婿養子なのだと聞いた。

なるほど、確かにあの女の子は古くからの金物屋さんの娘なのだ。

2年前にご主人がお店を継いで、モダンな感じの雑貨屋に改装して、小さなカフェまで併設したらしい。

それが当たって、地元でもちょっとした有名店になったのだとか。

「すごいよね。

 婿養子って肩身が狭そうなイメージがあるけど、そんなふうにお店を変えるのも大変だっただろうね」

「最初は反対されたらしいけど、最近はやってるじゃん。古い家屋の味を活かして今風の店にするの。

 それで、お父さんたちが今まで卸してきた品物をメインで売るのは変わらないってことも話して、

 プランナーと一緒になって説得して、お父さんも折れてくれたらしいよ」

「お店、今日休みじゃないんだよね?」

連休は書き入れ時だろうに、夫婦で来て大丈夫なのだろうか、とふと思った。

「俺も聞いたんだけどね。お父さんとお母さんが、自分たちで何とかやるからたまにはいいよ、って

 送り出してくれたんだって。」

わたしは、彼女の家に遊びに行ったときにお母さんがよく出してくれていた手作りケーキのことを

思い出した。

高級店のケーキとは違うけれど、素朴でシンプルで、ついたくさん食べたくなる味わいだったと思う。

行くたびに違うメニューのケーキが出て来ていたのだけど、いつも手作りだと言っていた。

カフェで、もしかしてあのお母さんの手作りケーキを出しているのだろうか、もしそうだったら、なんて素敵だろう、と思った。

彼は、この金物屋の若夫婦とも

商工会の集まりでときどき会う」

と言っていた。

自分はまだメインじゃないんだけど、あいつらはもう店主として堂々としたもんだ、と言っていた。

その縁でスキーにも一緒に行くようになったらしい。

つながってるなあ。

同じところに住み続けるとは、こういうことなのだろうか。

わたしには、わからない世界だと思った。

幼いころからずっと顔を知っている人と今でもこうして交流を保っているということが、とても幸せなことのように思える。

わたしはたまたまこいつが夢に出てくることから始まって今こうしてスキーに混ぜてもらっているだけで、彼らと同じ地域には住んでいない。同じ世界を知らない。

妻夫木仮名・そいつのこと)はさ」

「うん」

幸せ者だね」

「何、突然w」

「同じ土地で生まれ育つのって、幸せなことだよ」

「そうかな?」

「そうだよ」

「じゃミッチョンは幸せじゃないの?」

「え?」

「なんか、そういう話の流れじゃない?」

「ああ、いやそうじゃないけどw

 でもうらやましいよ、何となく」

「うん、まあその寂しさはわかる。ミッチョン卒業式のときめっちゃ泣いてたしな」

「そうだっけ?」

「覚えてないのかよw」

「あんまり」

「ミッチョンって普段はあまり自分の感情を表に出すほうじゃなかったじゃん。

 それがいきなり号泣だからな。

 小栗っち(仮名・担任の先生)も反応に困ってたよw」

「やめてよ、恥ずかしいじゃん!」

「わははw」

「でも、その割にあんまり皆のこと覚えてないんだよなあ…。

 なんでだろう。」

「あー。実は俺も。」

「薄情者w」

「お前もだろw」

軽い突っ込みにしても「お前」と呼ばれたのが、すごくうれしかった。

距離が一気に縮まった気がした。

わたしも、一応まだ仲間なんだよね?

そうだよ。だから心配すんな。

みたいな変な脳内会話が繰り広げられてしまい、ひとりでにやにやしてしまった。

「ていうか、小栗っちw懐かしいねー」

「元気にしてるんだろうか?」

「相変わらず熱血なのかな」

「ハゲてそうだよな」

「それ当時から言ってたよねw」

「言うとムキになるから面白くてw」

「剛毛はハゲやすいらしいよ」

「それじゃ、やばいじゃん、小栗っちw」

小栗っちは若い男の先生で、かなりの熱血教師だった。

当時から妙に冷めたところのあったわたしは、一度小栗っちから涙交じりで怒鳴られたことがある。

クラスの子達から学級委員に推薦されて、それを辞退しようとしたときのことだった。

もう3学期のことで、めぼしい人はすでに委員をしてしまった後で(学級委員は学期ごとに改選するのがうちの学校の決まりだった)先述のさとしはそのころ生徒会をやっていたし、他にこれと言って人がいないからまあミッチョンぐらい推薦しとくか、みたいな空気を感じ取って「なんだかめんどくさそうだなあ…」と思ってしまったのだ。

「やればできるやつなのに、俺はお前のそんなところが悲しい!」

というようなことを言われた。

子供心に「そんなこと言われても」とか生意気なことを思っていたが、でも小栗っちはいい先生だった。

今のわたしとそう変わらないぐらいの年だったはずだけど、難しい年頃の子どもたちをよくまとめていたと思う。

芋づる式に、いろいろな人の記憶が蘇る。

過去記憶はいつだって甘美で優しい。

なんだか、せつなくなる。

ところでわたしは妻夫木聡のファンではないのだけど、最近、やつの顔に少し妻夫木聡の面影があることに気がついたのだ。

長めのまつ毛と潤いのある目元が特によく似ている。

にこっと笑ったときの口元も似ている。

このところ、妻夫木聡テレビで見ると「どきっ」とするようになった。

「あー寒いマジでやばい!」

とか言いながら、他の元クラスメイトが来た。

平野仮名男の子)と大田(仮名男の子)だった。

当時にぎやかし担当の人たちだったが、わたしは彼らとほとんど接点がなかった。

今日は同行者だからこうしてとりあえず話しかけてきたのだろうけど、正直に言うと話題がない。

妻夫木ここにいたんだ」

「久しぶり。ミッチョン俺のこと覚えてる?」

「覚えてる、久しぶりだね」

「やーミッチョンきれいになったなー」

「え、いや。ありがとう。大田も…大人っぽくなったね」

「ハゲてきてるって正直に言っていいよ、ミッチョン」

「うるせぇよ平野メタボ平野

「まだメタボじゃねぇw」

笑いながら、同じ褒め言葉でも言う人によってこんなに心に響かないものなのか、と思った。

もちろんまだ20代だし、ハゲもメタボも言うほど目立ってはおらず、顔立ちも整っている人たちなのだ。

茶髪日焼けして華やかな格好をしている彼らは多分人目を惹くだろう。

実際、さっきだってゲレンデでよその女の人に声をかけて何だか楽しそうに盛り上がっていたのを見た。

子どものころは大田も平野運動がよくできた子だったし、女の子にも人気があったと思う。

あの

「誰か好きな人いる?」

に、よく出て来ていた二人だった。

でもわたしは彼らと会話のテンポが合わず、話していて何かと気後れしてしまうことが多かった。

彼らが当時「ミッチョンって何となくしゃべりづらい」と言っていたのも知っている。

その流れで、苦い記憶を思い出してしまった。

平野たちのふとした発言がきっかけで一部の女子に陰口を叩かれ、あからさまに仲間はずれにされていた時期があったのだ。

その中に、さっきの金物屋の娘の子もいた。

しばらくして和解できたので、忘れてしまっていたのだ。

なんという芋づる。

「だいぶあったまったし、俺そろそろ行くわ」

妻夫木が言い、立ち上がりながら

「ミッチョンも行く?」

とわたしに声をかけてくれた。

「あ、うん」

と返事をしたときにはもう妻夫木は歩き始めていた。

「じゃ、またあとでな」

「おー」

「またね!」

すたすたと立ち去る妻夫木に、わたしはあわてて着いていった。

妻夫木といっしょにいるほうが、どう考えても居心地がよかった。

背後では平野たちの明るい話し声が続いていた。

大田は知らないが、平野は当時、妻夫木とかなり仲が良かった。

妻夫木やさとしが進学したところとは志望先が違っていたが、受験組の一員だった。

このスキー旅行を毎年企画しているのは平野だ、と妻夫木から聞いた。

「ああ、平野こういうの好きそうだね」

とわたしが言うと

「半分は女目的らしいけどw」

と笑いながら言っていた。

「さっきもナンパしてたね」

「今夜あたり、何か仕掛けるんじゃないの」

「仕掛けるってw」

「あいつそういうの得意だもんw」

と、気がつけばふたりで並んでリフトに乗っていた。

わたしは「高いところに宙ぶらりん」のシチュエーションが大変苦手だ。

だからバンジージャンプは死んでもできない。するとしたら死ぬときだと思う。

加えて、隣が妻夫木だ。

楽しそうに話を続ける彼の横で、わたしは硬直していた。

よほど返事が上の空だったのだろう、

「どうした?」

と少し覗き込むようにわたしの顔を見た。

「なんでもないよ」

笑顔を作って答えたが、その笑顔がこわばっているのが自分でもわかった。

「…いや、なんでもなくないだろ。トイレ?」

「ちがうってw大丈夫大丈夫

「いや、本当にどうした…あっ!」

妻夫木が、何か思い当たる節があるかのように声をあげた。

「ミッチョン、高所恐怖症だったなw」

「いや、あの…はい…」

「わははははw」

「ちょっと笑わないで!揺れる!」

「ほーらほーら」

「いやああああ!揺らさないで!!やめてえええ!!!」

「わはははは…」

もう本当に恐ろしくて、リフトを吊り下げているワイヤーにひしとしがみついてしまった。

すると妻夫木が、さすがにばつが悪そうに

「もしかして、本気でいやだった?」

と聞いてきた。

「怖いです…やめてください…」

と言うと、妻夫木はしょんぼりした。

「ごめん」

「ううん、わたしもごめんね」

「いや、ほんとにごめん」

気まずい。

でもやっぱりリフトは怖い。

なるべく自分がいる場所を認識しないように、上のほうを見るように心がけていた。

「…なんで上向いてるの」

「下見ると怖いもん」

「…ククッ」

「笑わないで!」

「いや、だってお前の格好、おかしいってw」

「おかしくない!」

「おかしいよwなんか怖がり方がすごいもんw」

「あんたに言われたくないよ!」


あとで気がついたが、このときが「お前」「あんた」が復活した瞬間だった。




夕食およびお風呂の後、男子部屋に集まって皆で飲むことになった。

女子部屋からの移動中に

りょうちゃん(仮名・金物屋の子)ち、お店きれいになったんだね」

とわたしが話しかけると、りょうちゃんは気さくに答えてくれた。

「そうそう、旦那がなんかがんばっちゃってさー」

するとさとしが

「すっごいかわいいお店だよ。わたしもたまに行くもん」

と話に入ってきた。

「さとし、いつも抹茶ロール頼むよねw」

「あのロールケーキはすばらしい。○×屋(地元デパート)で売ってほしい」

「何言ってんのw無理でしょw」

さとしがわたしのほうを見て

「ミッチョン、もしこっち来ることがあるなら連絡してよ。いっしょにりょうちゃんのお店行こう」

と言った。

「ありがとう」

とわたしが笑顔を返すと、さとしはにっこりと笑った。

ケーキりょうちゃんのお母さんのお手製なんだよ」

「ああ、やっぱり!」

「なんでわかるの?ミッチョン」

「いつもご馳走になってたじゃん。さっき妻夫木から『カフェもできた』って話聞いて、りょうちゃんのお母さんってお菓子作るの上手だから、もしかしたらそうなのかな、って思ってた」

「ああ」

りょうちゃんは、何かしたり顔でにやっとした。

何だろう、とそのときは思っただけだったけど、後でその意味がわかった。

りょうちゃんは、わたしが妻夫木を「狙っている」と思っていたみたいだった。

「狙っている」というか、まあ確かに大はずれでもないのだけど、なんというか、そういうニュアンスじゃないのだ。

ちょっと違うのだ。

積極的に関係を進展させたいとは思っていないのだけど、でも、縁を途切れさせることなく続けていくことができればどんなにいいかと思っている。

まあ、それが「狙っている」ということになるのならば、りょうちゃんの読みも正しいということになるのか。

男子部屋ではすでに小宴会が始まっていて、りょうちゃんの旦那さんが

「おー!来た来た!女性陣はこっちにどうぞ!」

と、いそいそと座布団を準備しながら場所を空けてくれた。

あとでりょうちゃんに年を聞いてみたら、わたしたちより7歳上の人だった。

部屋は10畳ぐらいの和室で、エアコンストーブでぽかぽかと暖かかった。

「いやー美人揃いだなあwおふたりともまだ独身ですか?」

と旦那さんが早くも鼻の下を伸ばしているのが印象的だ。

「はいはい始まったw」

と、りょうちゃんがすかさず釘を刺した。

さとしは面識はあったらしいが、ちゃんと話すのはこれが初めてだった、と後で言っていた。

「ほら、この子がさとし。ときどきお店に来てくれてるじゃん。」

「ああ!あの医学部の!」

「よろしくお願いしますw」

「いやー!すごいね!才色兼備ってやつだね!」

「ひろし、うるさいよ」

旦那さんの名前は「ひろし」らしい、ということがこのへんでわかった。

「で、こちらは…」

「ミッチョン。小さいころ、家が近所でよく遊んでたんだよ」

「ああ、あの英語が上手だったっていう」

「いえwよろしくお願いします」

「ふたりとも頭がいいお友達なんだな。お前バカなのにな」

「ひろしには負けるけどね」

りょうちゃんwとりあえず乾杯しようよw」

「あ、ごめんね、こいつがバカなもんで」

「もういいからw」

というふうな感じで、せわしなく繰り広げられる夫婦漫才を残りの5人が遠巻きに鑑賞しつついじる、という流れが出来上がった。

さとしを平野に取られてしまい、ひとりで所在なくぼんやりしていると

「楽しんでますか?」

と、妻夫木が横に座ってきた。

「うん、りょうちゃん夫婦おもしろいねw」

「ひろしさんがムードメーカーだから」

「でもこの集まりって不思議だよね。皆もともとバラバラのグループだったのに」

「ああ。さとしは俺が呼んだんだよ」

「そうなんだ」

平野がね」

と、妻夫木はちらりと、平野とさとしのほうを見やった。

「さとしと会いたがってて」

「どうして?」

「さあ…。いろいろあるんじゃない?」

「男同士でそういう話したりしないの?」

「しない」

「そういうもんかなあ」

「うん」

大田が乱入してきた。

「ちょっとミッチョン!飲もうぜ!」

「大田お前大丈夫?w」

大丈夫大丈夫!はいミッチョン!」

と、大田に紙コップを渡されて並々と清酒を注がれた。

「あ、ちょっと!大田!」

妻夫木がふいに焦ったように声を上げて、瓶を取り上げてしまった。

わたしはなぜかわからないけど、とっさに「妻夫木を安心させなきゃ」という気持ちが働き、あえて

ありがとう。いただきまーす」

と明るく宣言して口をつけてみた。

あーあー、という顔をして、妻夫木がわたしを見ている。

そんなに焦らなくても、わたしは実はお酒には強いのだ。

妻夫木はそれを知らないから「清酒をいきなり女に飲ませるのは危ない」ぐらい思って焦ってるんだろう、とそのときは思った。

それにしても清酒は普段あまり飲まないものだけど、ひとくち含んでみるとなんだかとてもおいしく感じて、一気に飲み干してしまった。

「あー。これすごくおいしいねー。どこの銘柄なのかな?」

本心からしみじみとつぶやくと、妻夫木と大田が驚いた顔をしてこちらを見ていた。

「ミッチョンって、お酒強いの?」

と大田がおそるおそるといった様子で尋ねてきた。

「まあ、それなりにw」

と答えると、ふたりは顔を見合わせて

「それなりに、どころじゃないよなあ…」

「ミッチョン、なんかイメージ変わったわ」

と大田が半笑いでつぶやいた。

どんな可憐な(しかし誤った)イメージをわたしに持ってくれていたんだろう、と思った。

一通り話をして大田が立ち去った後、妻夫木に聞いてみた。

「女の人がお酒好きなのは、よくないのかな」

「え?なんで?」

「大田、引いてたし」

「ああ、気にするな。あいつ未だに異性に変な幻想持ってるやつだから」

「でも妻夫木もびっくりしてたじゃん」

「ああ、俺?」

「うん」

「いや、俺は…」

「何?やっぱりよくない!?」

「いやいや、そうじゃなくてw」

「何?」

やや酔っていて、しつこく絡むように聞いてしまった。

「いや、だからね」

「なんだよー」

「いや、うれしいな、って」



あっ、と思った。

このお酒妻夫木が持ってきたもので、妻夫木のおうちはもともと醸造所から発展した会社だ。

「ほら、ほんとにうまそうに飲んでくれたじゃん。

 やっぱり、作り手としてはね、うれしいじゃない」

さっき飲んだのは、妻夫木のおうちが作ったお酒だったんだ。

そして

「あー。失敗した…」

とかぶつぶつ言っているのでよく話を聞いてみて、もっとすごいことを知った。

妻夫木は今、若い人向けの新商品を開発する部署で働いていて(これは前から知っていたんだけど)、実は今日、販売直前まで来ている試作品のような販促品のような、まあそんな扱いのものを持ってきていたそうだ。

それを黙って周りの人間に飲ませてみて、反応を見てみたかったらしい。

「俺んちの酒ってわかってたら、みんな多分気を遣ってよく言ってくれるだろ。

 でもそんなの、おもしろくないじゃない。

 黙って飲ませて『うまい!これどこの酒?』って言わせてみたかったんだよなw」

そのために隅っこに隠しておいたお酒を、酔いどれの大田が見つけ出して勝手に飲み始めてしまったのだった。

でも最後のほうは、もう抑えきれない笑みがこぼれていた。

妻夫木はうれしかったのだ。

事情を知らないわたしが、図らずも思い通りのセリフをつぶやいてくれたことが。

わたしは、なんだか胸がわくわくして、たまらなくうれしくて満ち足りた気持ちになった。

妻夫木にぎゅーっと抱きつきたくなった。

妻夫木は、すごい。

妻夫木、かっこいいよ」

と、背中をばしばしと叩いた。

「は?」

妻夫木は、本当に立派な社会人だね」

「なにそれw」

「うん、かっこいいよ」

「わけわかんねぇw」

「こんなにおいしいお酒を作ってる妻夫木は、すごいやつだよ。

 自慢の友達だよ。

 もうたまんないよ。すごいよ」

と、ほろ酔いの頭で語彙がうまく出てこないもどかしさを感じながらも、一生懸命わたしは感動を伝えた。

妻夫木は目を細めて

「おう。サンキュ」

と、わたしの頭をがしがしと撫でてくれた。

それが今回の旅行で一番思い出に残っている出来事だ。

妻夫木はすごいやつだ、と思った。

そして、わたしみたいな平凡な人間と仲良くしている理由が、よくわからなくなったりもした。

妻夫木は、わたしの何がよくて友達でいてくれてるんだろう。

我ながら卑屈だなあ、と思ったけれど、こんなことを考えていると、妻夫木に誘われたというさとしの笑顔が、小学校のころの羨望の念とごちゃごちゃに混ざって、頭の中に霧がかかっているような、すっきりしない重たい気持ちになってくる。

さとしを誘いたかったのは、平野だけなのかな?

さとしみたいな子だったら、きっと妻夫木とも釣り合うんだ、とか意味のわからないことを思った。

こういうことをうじうじと考え込んでいる自分がとてもいやだ。

さとしだって、こんなふうに思われるのはきっと迷惑だ。

そういうことを考えたくなくて、今は仕事をとにかく頑張ることにした。

妻夫木みたいにすごいことはできなくても、自分なりにやるべきことをきちんとこなし続けていたら、いつかはこのもやもやも晴れるかもしれない、と思ったりしている。

次はいつ会えるのかな。

休日はひとりで過ごすことが多く、あまり人を誘うことがないので実は誘い方がよくわからない。

自分から誘ってみれば、何か変わるのかな。

2009-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20090114174701

じゃあこういうのはどう?

星新一ショートショートであったんだけど、宇宙飛行士を目指す2人の少年がいて、一人は運動勉強も得意、もう一人は勉強だけ得意。両方得意な子はさらに努力努力を重ねて、大学卒業時には宇宙飛行士候補として事業団へ就職が決まった。卒業式自分の血のにじむような努力を思い出しながら、勉強しかできなかったあいつを思い出す。あいつも宇宙への情熱はおれに負けてなかったんだけど、運動ダメだったのが残念だったよな、、。あいつは今何をしてるんだろう? おや、今壇上で卒業生代表として卒論を読み上げてるのはあいつじゃないか! どれどれ、最後の部分だけでも聞いてみるか。

「以上の装置を使えば、運動が不得意な人でも気軽に宇宙へ行けるのです」

2008-11-30

尾崎豊普遍性を持てなかった

■「20年後の10代と尾崎を聴く!ー「15の夜「卒業」シェリー」はどう響くのか?」

http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20041229/1104294205

ちょっ、… マジですか?

私たちの世代は尾崎豊に全く共感できないらしい。

以下は、本文からの引用

大学でこの『卒業』や『15の夜』といった尾崎の代表曲を一八、一九歳の学生に聴かせて感想をきいたところ、多くの学生が「何を怒っているのかわからない」「ひとりよがりの詩で不愉快だ」などと否定的なことを述べた。(中略)歌詞の内容に共感できると答えた学生は約一〇〇人中わずか二人だけだった。〉

記事はもう4年も前のことらしいから、ちょうど私らと一緒の世代なんだな。

2/100らしいぞ!

ホントかよ、信じられん。

自分のまわりの同級生達は、思春期のあの何とも言い難い中二病的な鬱屈した感情を持ったことがないのか?

ってか、中学卒業式の翌日、カラオケで友人達「卒業」合唱しまくったよ。

それも3回くらい。

別にそこまで尾崎好きじゃないよ?

確かに尾崎の歌詞なんて冷めた目で見てみれば完全にDQNですよ。

「結局お前はどうしたいのよwwww?バイク盗んだり、家出したりがしたいのwwww」ってツッコミ入れたい気持ちもよくわかる。

でも2/100って、えー?

では、そこまで尾崎が好きじゃない私が、尾崎に何を感じていたか?

私にとっての尾崎豊は、

   オレこんなんで良いのかなぁ、とか

   なんかもっとすげぇことが出来るんじゃないかとかさ、とか

   毎日がつまらなくてつまらなくて気が狂ってしまいそう、とか

   なんかやらなきゃいけない気がするんだけど何すればいいかわかんねぇよ、とか

そういう気分を代弁してる人なわけなんです。

うーん、うまく言えてる気がしないなぁ。

もうちょい言えば、バカボンドに出てくる又八が武蔵関ヶ原に誘うときのような気持ちかなぁ。

尾崎豊は、若者の反抗の象徴といったイメージが強い。

反抗については、強くは共感できないもののまぁわかる。

でも、それだけじゃなくて又八的な気持ちも歌ってると思うんですね。

そこら辺は、インタビュアーもわかっていて最後の方で「シェリー」を題材にそういう話題を振っている。

しかし、これもかすりもせず。。。

さて、思ったことをサクサク書いてきたけどどうまとめようかな、困ったな。。。

とにかく、2/100という結果を見る限り尾崎豊普遍性は無い。

あると思ってたんだけどね。。。

結構ビビった。

けど、自分の周りにはそういうことをわかってくれる人がたくさんいて、ホントよかったなぁ。

ってことでこの話題は〆ましょうか。

2008-11-29

大学勉強も交遊も皆無で年齢のみ増加した。

書く行為によって心の靄を晴らしたくなった故に投稿した。

三流国立大学経済学部に入学した。

下宿した。

回線を導入した。

特に入りたい部活等も存在しなかった。

勉強しなかった。

交友関係を構築しなかった。

十二月二十四日前後と二月十四日前後は家から一歩も外出しなかった。

実家の困窮由来で授業料免除だった。

無利子奨学金と時給労働により生活を維持した。

一部上場大手製造業の事務系総合職内定した。

人事担当者は友人経験皆無人間から発せられる無数虚言の正誤判断に失敗した。

単位卒業手前まで死亡寸前だった。

卒業式の日は部屋に存在した。

卒業旅行が不可能だった。

卒業旅行を待望した。

飲み会の知識が皆無だった。

社会人理不尽さを痛感した。

残業理不尽体育会系上司由来の自殺願望が日を完全に支配した。

会社屋上から落下後の肢体の物理変化と周囲の反応を想像した。

就職一年退職した。

学歴高卒化した。

肉体労働転職した。

重機を操作した。

残業故の時間恩恵を享受した。

手取り収入は十四万円だった。

一歳年下の大卒社会人給与を見聞した。

電車等に四肢を分断される自己投影した。

多大な嫉妬心由来の社会的身分の高位な人物の暗殺を計画した。

想像想像で計画は計画で頓挫した。

肉体を用いて労働した。

夜勤由来の不規則生活にも辟易した。

肉体が壊滅した。

高校以来の腰痛が再発した。

数ヶ月前に退職した。

貯金残高の四桁を確認した。

親に電話した。

全ての事情を伝達した。

仕送りを受給した。

常時接続恩恵を享受した。

充実した生活を送る人間の投稿を閲覧した。

非正規雇用者の悲惨な末路を見聞した。

経験年数の少なさにより就職活動は失敗した。

自殺考慮した。

自殺想像した。

葬儀風景想像した。

日に日に妄想は加速した。

死後の世界を構想した。

死後に好都合な人生点から開始可能と設定した。

大学入学時を指定した。

弦楽器経験を生かす計画を熟考した。

構想の終了に伴う頭痛目眩と嗚咽と将来不安不安精神状態を感知した。

数秒後に再度同様の構想と妄想想像を熟考する自己を感知した。

自殺想像した。

他殺後の刑務所生活を想像した。

自己葬儀後の家族知人の表情と言動とそれ以降の風化を想像した。

大学時代を無為にした罰と判断した。

現実逃避癖の完治を最優先事項に指定した。

次候補に再就職を指定した。

退社後の精神疲労状態は極限だった。

死に関する構想や想像が日を完全に支配した。

小学生程度の会話力の二十四歳被仕送り無職を世に宣伝した。

執筆中に幾通りもの自殺方法を構想しては変更した。

首吊りと焼身と服毒は同時に可能か熟考した。

2008-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20081127203814

を書いた増田だが、こんなんを発見した

http://blog-imgs-19.fc2.com/n/a/t/natumiti/2008022001_02_0b.jpg

確かに日本は高い方だよなぁ。私学はどこも高いけど。

ちなみに都内の国立大留学生の話を聞いたが(大学アパートの隣人・会社など)、東南アジアから来てる人は基本的に高等教育を受ける時点で階層としてはかなり上だしうちの大学日本でも難しい方なので海外からはおおよそトップクラスの(といってももっと優秀な人はアメリカに行くらしい)人が来てたよ。物価が違うからじゃないの?ときいてみたけど換算しても多分高い(本当に金額がわかってるのかどうか謎だったりする場合もある)と言ってた。韓国人は基本的に仕送りしてもらってたけど他の国は通貨価値が円に比べれば格段に安い国ばかりだったので国費留学プラス奨学金もらってる人がほとんどだったな。けど仕送りはない、友達もしてもらってないといってた。元々階層としては上の方の人たちなので何とも言えないけど。

ヨーロッパ系の学生スペインイタリアドイツスウェーデンフランスあたりだったので学費の安い国だよな。ドイツはただってきいたんだけどなぁ。この表だとかかってるね。ドイツは学費関連では何か変わるみたいな話があったときに僕のときはタダだったよと言ってたので単に授業料免除をもらってたとかそういうはなしかもしれない。でもあと二人くらい企業で出会った人がいたんだけど二人ともタダだって言ってた気が。一人はアメリカ留学したときにこんなに学費がかかるとは思わなかったとびっくりしたという話をしてたしなぁ。それでも日本の学費を聞いたらびっくりしてたけど。高いwwwってさ。

イギリス人貴族のしかもかなり金持ちなひとだったのでかなりの資産自分運用してて、大学本国で出たけど日本でもっかいはいりなおしてた。卒業後は高校オーラコミュニケーション?の教師をやったりとかしつつぶらぶら遊んでて、おまえは国に帰らなくていいのかと聞いたらみんなそうやって5年くらいは遊んでるからいいんだよ、俺の友達今オーストラリアにいるぜ、今度遊びに行くんだとか言ってた。貴族階級はがちだね。格が違う。

日本語がわからないから授業料免除の用紙の書き方がわからないとよく泣きつかれたなぁ。引っ越してきた日に斜め上の人がやってきて「私インドネシア人ですけどあなた何人ですか?」ときかれたのもよい思い出。インドネシアでは引っ越してきた人のところに今まで住んでた人が挨拶に行くらしい。上の階に住んでた台湾人夫婦(どちらも学生)は生活が厳しい、なかなか奨学金に通らないとこぼしていたし、知り合いのスペイン人は女の子ナンパしては養ってもらってたりなどした。女の子をみたらにっこりするのは礼儀なんだけどウィンクするのは軽い男で俺はそんな男じゃない、なんだそうだ。韓国人のちょう優秀な子が卒業式日本人卒業式伝統衣装を着るというのにびっくりしたと言ってたのも印象的だった。今はアメリカ留学してるけど多分国費留学で成績もすごい優秀なので免除もらってんだろうなぁ。優秀な人って基本的に奨学金もらえるからあんまりお金の苦労してない感じがする。なんかはなしがずれた。すまん。

2008-11-26

http://anond.hatelabo.jp/20081125212709

世の中儀式で溢れてる。

葬式入社式入学式卒業式

退社式や離婚式も人によってはやるのかもしれない。

建物を建てる時壊す時、遠方に行くときには壮行式。

まぁそういう事だよね。

2008-11-18

10年以上前大学時代の先輩は、今も腐女子だ。

ひとつ、うざい話を書く。

これは一方的な俺のキモい妄想だと思って見てほしい。

もう10年以上前のことだ。某大学に入学した1年生の俺は、桜咲くキャンパスでさっそく某部活の勧誘に誘われた。

勧誘の人に腕をひっぱられてついていった部室で、1年上の女性の先輩が俺を熱心に勧誘してくれた。

先輩はむちゃむちゃかわいかった。色が白くてかわいくてボーイッシュ

俺は男子校出身で女性免疫0だったけど、下心を隠しつつ、彼女に憧れ入部した。

だけどしばらくして、その先輩には部活の仲で、先輩と同じ学年の彼がいることがわかった。ラテン系イケメン

その頃=年齢だった俺は非モテ意識が強くて、憧れるけど俺なんかとは釣り合わない、無理だわ、とは思っていた。辛かった。

その男の先輩とは学部が同じだったので仲が良かったので余計に辛かったかもしれない。

さて、1年経って2年になった。俺は相変わらず一人。

ところが、2年の春、ほどなくして彼女はひっそりと部活から退部した。

理由は、体が弱いから。でもそれは表向きの理由だよなと思っていた。先輩同士が別れたのだ。

だが、当時の俺(相変わらず=年齢)がそれにつけ込めるほどの力はない。

モチベーションを失った俺は、ほどなくして別の理由で退部した。

恋愛をするだけのスキルなどまるで持っていなかった俺は、精一杯できることとして、お互い退部してからも彼女コンタクトをとり続けた。とはいっても、年に何回か、学内でばったり会って立ち話をする機会だけだが。

そんなごくごく遠い関係のままだったが、先輩彼女卒業式では、彼女とたまたま会って(いや、俺が学内を探してたからかもしれないが)、記念写真を撮れた。彼女は袴だった。今はその写真はなくなっているが。

ここで、俺と彼女との知り合いとしての関係は終わる。もう10年前のことだ。

そして、時は数年流れてある日。

部屋の大掃除をしていると、彼女メールアドレスを見つけた。どこかで交換したものだ。

当時は1-2回メールを交換したあと、ぱったりメール交換もなくなっている。そんなものだ。

だが俺は出来心で、そのメールアドレスから彼女ホームページを探し始めた。

当時のメールアドレスから、その人のHPスペースがある程度推測できた。

彼女HPスペースのトップページには何もなかった。

だが、当時SEになっていった俺は、彼女HPスペースにある隠しページを見つけ出した。

俺は、その掲載内容をみて仰天する。

彼女はある作品に傾倒した腐女子だったのだ。(作品名は伏せる)

そんなふうには全く見えなかったが、、、

物書き系のページだったが、文学的なセンスがあり、非常に読める文章だった。腐女子としての彼女も輝いていた。

俺は、ハンドルネームを使って接触を試みた。全然知らない人として、年数回掲示板で受け答えをしていた。

キモいな俺。

しかし、ある時、彼女はぱったりと更新をやめる。

最後の更新から1年近く経過した。掲示板にも全く書き込みはない。もちろん、ページも更新されない。

恐らく、彼女の生活に重大な変化が起こって、腐女子はやめたのだろう。

そう思った。

もうオンライン上でも会うことはなかろう。俺は、彼女のページのブックマークを消去した。

そして、時はさらに数年流れる。

ある時、また俺はふと出来心彼女のページを開いた。ブックマークからは消えていたが、暗記するほどだったということだ。

なんと、彼女のページは復活していた。

俺はそこで彼女結婚を知る。彼女腐女子から貴腐人になっていた。

そこに書かれていた記事によると、当初は隠れだった腐趣味が旦那バレして、最早隠す必要がなくなったようだ。すっかりあけっぴろげに書いている。エロだらけ。

俺はがらがらと彼女イメージが崩れると共に、なんだかもう笑ってしまった。

今俺が彼女と会ったらどうなるだろう。リアルでは、大学卒業から時が止まっている。

彼女は、たまに某腐系のonly即売会で売り子しているようだ。

俺の女性の知り合い(これもまたそれなりにオタ)をそそのかして、うまいこと即売会に行ってしまおうか。

だが腐趣味即売会で男とばったり会うほど向こうが迷惑なこともなかろう。まして、何年もヲチしてきたなどと知ったらどうなってしまうだろう。相手にとって、これほどキモいこともない。

そんな恐ろしくキモいことを考えつつ、まあそんな一方的で非現実的なことも起こりえてしまうんだな、と。

はー俺きもいきもい。あー10年ぶりにキモい考えを吐き出した。

2008-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20081108030824

あれは嫌だったけど。

運動会とか合唱コンクールとか卒業式とか、人に見せる場ならそれなりのパフォーマンスが必要だったのかなと思う。

プレゼンをするときに、態度とか見せ方とか服装とかを相手や場所に合わせて考えることと同じなんじゃないかな。

自分の思いはどうあれ。せめて、人から見てここ一番て時は、はずさないほうがいいよー的ななんか。

でも、人に見られる立場が苦手な人もいるから、人によっては嫌で役に立たない経験でもあると思う。集団だから仕方ない。

自分は役に立たなかったクチ。

2008-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20081024011512

俺も専門科目はほとんどS(たぶん優と同じ)だったな。

(一応,偏差値60以上の国立。)

そりゃ,自分の専門だからあんまり勉強しなくてもよかったけどな。

加えて,卒論やらの3年での1年がかりのプレ卒論みたいのを書くために

勉強という研究してたから,自ずと知識はあったな。院進学希望だったから余計に。

講義によってはテストだけ行っても,楽にSとれるのあるし。

単純に,どの授業が楽してS取れて

どの授業が頑張らないとS取れないかの見極めができるかどうかが大事な気がするな。

んで,頑張らないと行けない授業に多くの資源を割り当てる。ただそれだけ。

見極めのための情報ソース豊富な方が有利かな。

付属人達は要領よく「勉強」するのが得意なだけでは?

勉強」は得意でも「研究」がダメダメな人ってけっこう多いよ。

でもねぇ。

東大での進振りとかならまだしも,別に単位が優だろうとそんな意味ないよ??。

卒業式での総代になりたいとかなら別だけどね。

2008-10-17

3分の1ルール

「○○先生テスト重視だから授業に出席しなくてもテストがんばれば単位とれる」とか、「××先生レポート提出のチェックはするけど内容はほとんど見ないから、とりあえず適当に枚数増やして提出すれば単位とれる」とか、「□□先生はめったにテストをしないから授業に出席しておけば単位とれる」とか。こういう「効率よく成績を上げる」テクニックみたいなのが生徒間で出回ることって、どこの学校でもあると思うんだ。

うちの高校の場合は「3分の1ルール」っていうのがあってね。

これはすごく単純なもので、年間の出席すべき日数の3分の1しか休んではいけなくて、年間の出席すべき時数の3分の1しか欠席してはいけないっていうの。少し休みすぎた人がいても「でも3分の1も休んでないから大丈夫だよ」とか「3分の1まであと何日くらい休んでいいのかなー」とか、そういう会話も結構あったりしてね。

高3になって、オレもそろそろ効率よく学校生活を送ろうかなとか思って、1年の欠席時数が3分の1より少し少なくなるように計算して授業をさぼってたんだ。嫌いな教科や苦手な教科に重点を置いて、得意教科や好きな教科で出席時数をかせいで。だから登校しているけど1時限と4時限しか出席していない、みたいな日も結構あってね。

あ、ちなみにオレは高校受験をがんばってうちから最短の距離にある私立高校に入ってね。うちから徒歩10分もかからない距離にあるんだ。だから嫌いな教科の時間だけ帰って増田書いて、再度登校するなんてのも結構楽チンにできたりしてね。

んで、1期の欠席時数は計82時限、欠席日数は2日だった。1期はおよそ3ヶ月。1日6・7時限、1週間34時限だから82時限ってのは意外と少なくまだ余裕があった。

「もっと休んでいいのか」

んで10月16日、職員室に呼び出されたわけさ。

増田、お前これから卒業式まで全部出席しても出席すべき時数に足りないよ」

「え…3分の2出席すればいいんじゃないんですか?!」

「そんなわけないだろw」

2008-09-26

H氏の中学時代の功績

○嘘も方便の証明(1年生5月)

野球部に入部。

・一ヶ月目にして体力作りのためのランニングが嫌になり退部することを決意。

・しかし、辞めたいとは言えない気弱な性格なため、病弱という裏設定を用意する。

・裏設定暴露→保健室直行→運動は無理→しょうがない退部だなの流れを期待。

・決行→ランニング中突然倒れる。

・胸を押さえながら「せ、先輩、心臓が痛いです」激しく叫ぶ。

・残念ながら右胸を押さえていた。

体育館直行

継続は力なりの証明(1年生9月)

・もともと手の大きいH氏。

・入学当時からバスケットボールも片手でつかめる。

・それなのに夏休み明けには右手だけより大きくなっていることが判明。

・両手をあわせてみても明らかに右手だけ大きい。

・なんで?どうして?という皆の問いに、うへへーと笑いながら答えない。

・一週間ほどして抜き打ちの持ち物検査

・H氏鞄にエロ本見つかる。先生にこっぴどく怒られる。

→右手の成長 = 夏休み(エロ本 + 付随する動作)

○さわらぬ神にたたりなしの証明(2年生)

一年の時、頭がいびつ→「おむすび」「おにぎり」というあだ名がつき定着。

・そんなH氏の昼食の弁当おにぎりだったことがあった。

・みんな「わー、おにぎりおにぎり持ってきたぞーw」

・H氏「やーめーろよーw」

・にぎやかな昼食時間

・H氏のおにぎり、具材が鮭。

・「おむすび」「おにぎり」→「鮭」あだ名進化

・その後の変遷「鮭」→「樺太」→「北方領土」定着せず→「(鮭)トバ」→「鳥羽一郎」まで超進化

・H氏と同じくらいの力関係カバチ登場。

カバチ「兄弟船歌えよー」と調子に乗って馬鹿にする。

・H氏の兄貴の耳に入る(H氏の一個上、バスケ部)。

・「なぜか自分のことを馬鹿にされたと勘違い(兄弟(船歌)エロ」?無理がないか?)

カバチ、体育館直行

→H氏のあだ名は「おにぎり」に戻る。

○立つ鳥跡を濁さずの証明(3年生3月)

スーパーの近くに実家があり、外見が汚く小さいと一部にギャグ化されていた。

・実際、僕の通学路の途中にあったのでよく目にはしていた。ギャグでなく本当に汚かった。

卒業式から数日、僕がスーパーに買い物に行く途中、H氏の家がなくなっていることに気付く。

・H氏家の跡地には車が停まっていた。駐車場になっているようだった。

・よくよく考えてみると、このH氏跡地の駐車場には乗用車2台しか止められないようだ。

→H氏家族構成、父、母、兄、H氏、妹。

家族入らなくね?

そんな学友は今何をしているのでせうか。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん