今まで本嫌いでした。
小さい時はハリーポッターくらいは途中まで読んだかな、くらい。
とある本がきっかけで本に対する抵抗も無くなったし、なんならすごく好きになりました。
30代にもなってお恥ずかしい限りですが、
自分の好む本の探し方がわかりません。
物語とラノベ、解説や論じる系、自己啓発系やらごっちゃになっている方が多く、上手く目星がつけられません。
今まで本嫌いでした。
小さい時はハリーポッターくらいは途中まで読んだかな、くらい。
とある本がきっかけで本に対する抵抗も無くなったし、なんならすごく好きになりました。
30代にもなってお恥ずかしい限りですが、
自分の好む本の探し方がわかりません。
物語とラノベ、解説や論じる系、自己啓発系やらごっちゃになっている方が多く、上手く目星がつけられません。
やってる事でいうと、去年の投稿を「ダセー女でおもしれー」とか言って引っ張りだすのも結構ダサめに映ったって事は伝えておきます
無理すんなよ
私は弱者男性なので
恋愛という強者しか味わえない娯楽をあたかもごく普通の経験かのように描く表現は
フィクションであれトークであれ大変不快であり、本音をいえば公共の場から消滅して欲しいと思っていますが
しかし私は恋愛を楽しんでいる人達の心を尊重したほうがよいと考える理性を持ち合わせていますので、それをしません
皆さんにも同じように考えて欲しいですね
どうせたわわ叩いてるフェミはBL好きなんだろうから、お前らの好きな作品が叩かれたらどう思う?っていう問題提起としてはまあいいんじゃないの
いや造作もないよね?誰だって何かを叩くことくらい造作もないことだし、実際にフェミはたわわを造作もなく叩いてるよね?当たり前の事すぎて上から目線との指摘には当たらないですね
ミラーリングを試みていることに気付いてなさそう
そうか、おれにとっては珍しくもなんともない、ということはなくて、高次元でまとまってる幼稚さ不用心さだったから印象深かったんだよね
「幼女の無敵戦士はリアルからかけ離れた存在。子供を守る義務を逃れたいとか、大人の女は認めたくないとか、女性は男性を楽しませてくれとか、ある種の男性特有の意識を取り込んでできた造作物に思える。全くけしからん!」
しかし一方でそうした傾向には歴史がある。トウェインのトム・ソーヤー少年は、当時最新鋭の蒸気船を紹介しつつ、海難事故の際に行われる保険裁判のような大人の世界で活躍する。トウェインの筆名もまた海上産業する由来である。次いで英国スティーブンソン『宝島』は父を失った少年が、最新鋭のマスケット銃(舞台背景当時)を使う貴族たちと共に戦う。さらに次のトウェインのハックルベリー少年は、利子という概念を語り、また奴隷の人間化を行う。もちろん大量生産時代の初期には金融街は、奴隷を消費者に変える必要があった。
日本においては「少年探偵団」や「冒険ダン吉」などが代表的であるが漫画の普及により次第に視覚的部分が強調された。そこでショタだ、フェミの敵だといった議論がなされているわけであるが、少年少女作品は、そもそも主題は主人公の属性ではなく、舞台背景であろう。主人公は読者が受け入れ易い、無垢で毒のないお菓子のような存在として置かれることは常である。そして彼らが読者を戦争、金融、貿易、教育産業、サービス、スポーツ産業といった、いわば腹黒な社会システムに誘なうが、読者は主人公の体験を自分の疑似体験としがちなので、その社会システムを否定し難くなるのである。したがって主人公の属性とは、ある種のプロパガンダ進行役に過ぎないと言えよう。