ナンのことカレ?
わかる。私の中にもそうやって自分を貶す自分がいた。どこに行っても逃げられなくて、本当に辛かった。
でも、あることを心がけたらその貶す自分がいなくなったと思う。
なんじゃそれ、ってきっと思うだろうけど、本当にこれが効果的だった。
まず、自分を評価しないこと。そして、自分の感情の裏読みをやめること。この2点を心がけたら自分の感情をそのまま受け止めることができるようになって、いつの間にか自分を貶す自分がいなくなってた。
自分を評価しないってのはそのままで、自分で自分のことを良かったとか悪かったとか思わないことのこと。
自分の感情を裏読みしないってのは、例えば面白くて笑ったのになぜ面白いと思ったかというと実は差別感情があるからだみたいなこじつけをしないってこと。まぁそんなことしてたの私だけかもしれないけど。
アカデミアにいるわけでもない人間が酔った勢いで吐き出すので,間違っていたら寧ろ積極的に否定してほしい.
今年度の科学技術白書が話題を集めている.ブコメでは金がなくて雑務が多いんだから当然だという指摘が多くて,その指摘はある程度正しいように思える.僕は企業の研究者だけれども,実際に日本の大学の先生方は(その分野の権威であっても!)たった100万の研究費を出すだけでもとても良くしてくださるし,100万円ぽっちにそれだけ頑張らないといけないのだから当然のごとく忙しい.(海外の大学に研究費100万円なんて言ったら門前払い.少なくともその10倍からスタート)
じゃあ国がもっとお金を出すようになれば技術力の低下が解決するのかというと,少なくとも自分がいる分野ではその段階を超えつつあるのではないかと思っている.一昔前に話題になったポスドク問題の印象で,金を出してポストを増やせば論文数が増加すると思っている人はそれなりにいるのではないかと思う.しかし今,僕がいる分野では寧ろアカデミックポストが余っているらしい.ポストは減っているのになぜそれが余るのか.答えは簡単で,アカデミック人材がそれを超える勢いで減っているのである.僕がいる分野では,文科省の狙いが成功したのかたまたまなのか博士卒が多く民間企業に就職している.民間企業に就職すれば給料は多いし,なによりも期間の定めなく働ける.研究は自由にできないかもしれないが,大学にいても文科省様のおかげで好きな研究ができるわけではない.そして育てても育てても企業へ流出し,そして更に企業への就職志向が強まる悪循環によって,僕の観測範囲では博士新卒の6〜7割かそれ以上が企業に就職している.
つまりいまお金を多少投入されてもこの分野ではその研究費を投入できる人材がいない.企業から呼び戻せるほどの給与と安定したポストを用意できるだけの長期間かつ大きなの予算が与えられれば別だけど,流石にそれは現実的ではないだろう.ポストの空洞化がこのまま進めば教える人がいなくなるので,日本でこの分野はそのうち滅びるのかもしれない.博士卒の人材が就職したことで産業界に根付きつつある技術も,人材が安定的に供給されないのでは滅びるだけだろう.企業に博士人材が流出するのは一部の分野だけだから大丈夫!寧ろ殆どの分野では企業への進出が進んでいない!と主張する人もいるかも知れないが,そもそもそういう分野は博士取る人が減って同じ結果になるんじゃないかと思っている.
大学改革や選択と集中も必要だろう.でも日本のエリート教育の根幹を支えるアカデミックポストの魅力を大幅に引き下げてしまったのは大きな失敗ではないかと思う.そりゃあ腹芸が得意な役人にとって大学の先生方は扱いやすかっただろうけれども,日本の根っこを支えている人たちであるという敬意を失ってはいけなかったんじゃないだろうか.少なくとも研究計画の説明中に寝てんじゃねえよ.
目糞は鼻糞を笑うからな。
はてなブックマーク - 【新幹線3人殺傷】容疑者の母「自殺はあっても他殺なんて思いも及びませんでした」 コメント全文(1/3ページ) - 産経WEST
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/west/news/180611/wst1806110061-n1.html
親が犯人を一生(とまでいかずとも殺人を犯す気力体力が無くなる老年まで)引き篭もらせていれば、
犯人の暴言や暴力を受け入れて殺されていれば(その結果、犯人が刑務所なり精神障害者施設なりに収容されていれば)、
これは極論ではなく今現実に引き篭もりの世話をしている多くの親が引き受け実践していることだ。
日本の若者の犯罪率の低さは社会不適合者の我が子をたとえ成人したとしても親が面倒を見ているおかげなのだろう。
育て方を間違えたかそもそもどう育てても社会に適応できなかった我が子のせいで親が困窮し命を奪われるのは、そもそも産む決断をしたのは誰かと問えば当然の責任だ。