夫婦別姓と婚外子肯定って全然別の事、それどころか利害が真っ向から対立すると思うんだが、何故いっしょくたにされているんだろう。
自分は夫婦別姓を望むから、婚外子「差別」の撤廃には反対だよ。
サポートしてる人が皆苦汁をなめていると思っているのか、
彼らがこれだけ目立つほどの支援を受けられているっていうのは
それに値する程度のは努力をしてるか魅力があるっていうことの証明なんじゃないんですかね
まあ、何か間違ったことがあったり不信感が生じれば自然に人は離れるだろうよ
B専というと「見た目で人を判断しない=心がキレイ」なんて思う人がいるかもしれませんが、B専の私からすれば笑止です。というのも、B専こそが「自分の手に余る物事にチャレンジできない」性根の腐った思考からくるアイデアだからです。
ここで「ダサい異性、ブサイクめな異性」を好きな人(B専)、今現在ダサい人やブサイクと付き合っている人すべてに共通する心理を整理してみました。
①浮気されないようにわざとブサイクを選ぶ心理。姑息な戦略です。ダサい人やブサイクとわざと付き合っているすべての人はこの心理状態です。「あの人といると安心するの」などと言ってダサい人と付き合う人は、すべてこの姑息な心理からきてます。
②つまり、B専は“自分の思い通りになるような格下のブサイク”をわざと選びたいという心理からくる状態なんです。わざと経験がなさそうな異性を選ぶことで、「H無しで金と時間だけ相手に出させる」もしくは「こいつならHの練習台になるだろう。失敗しても(どうせ別れたら)いいし」という風な考えをもつわけです。たとえるなら、車を買うときに「高性能で乗り心地がよくて高価な車」よりも、「コントロールのしやすい、ちっちゃくて安い車なら気が楽だし、どうせぶつけてもいいし」と考えて安い車を買う心理みたいなものです。
③結婚面での戦略としては、結婚にあせってきたら、今まで光のあたらなかったブサイクをわざと狙う、など。(ブサイクはあまり告白された経験がなかったりして、甘い言葉をかけたらすぐ騙されるから)
こういう心理のカップルも沢山いるんですよ。貧乏人が安い車しかのれないのと同じようなものです。いいとか悪いとかじゃなくて、ただ、「安いものにしか、乗れないへタレ」なだけです。
事実、私がまだ異性に対して自信がもてなかった学生時代の時なども、「この男なら(経験がなさそうだしw)Hなしで金だけ私にだしてデートしてくれるだろう。」って私は思ってわざとブサイクと付き合ってましたもん(Hもさせなかったし、キスもしなかった。けど手をつなぐのはOKでしたw)。
数行の文章でも人柄が出るのだなと痛感。
西野カナはまず”あなた”という言葉をこういうニュアンスで使わない。成熟した人の言葉遣いだと思います。
三番目の”多く”という言葉はとても文語的で、西野カナが歌詞でこのような言葉を使うとは思えない。
”必要よ”、という言葉遣いも少し年のいった人の表現のように思う。
逆に”私達”という表現はいかにも西野カナらしい、感情移入してもらうことを狙った表現。
また、”いつまでも”を二回繰り返す感じは歌の歌詞っぽい。柴田さんの詩に比べて表現もいかにも抽象的。
数行の文章でも、書いた人の年齢や性格などが伝わってくる気がする。
柴田さんは素朴だけれども、魅力的な詩を書く人だと思いました。
大学つまんねーなー
入学して二ヶ月、誰だよ私文大学は楽とかいった馬鹿は、帰り6時じゃん帰ったらすぐ野球始まっちゃうじゃん。講義はもちろんつまんねーし家でスマホ弄ってんのと変わりないねー。サークルは飲み会がさも当然のような空気だしあれなんだよ、なーにが新歓コンパ(笑)じゃコンパって言葉自体が気持ち悪いわ。
こんなんで就職できんのかね。給料は400万くらいでいいからそんな忙しくないとこがいいなぁ、なんか良いこと起きねぇかなぁ。
というのが、個人的に、すごくしっくりきた。私がキャラクタを好きになるのは、まさにこういう感覚だなあと。それどころか、三次元の女性に対してもそういう感じ。
私は asexual なので「性的な意味」は決して生じないが、上の発言者さんは性的な妄想をすることもあると書いているので asexual ではなさそう。そういう方にもこの感覚が分かってもらえて、ちょっと嬉しかったり。「男女間で友情が成立するか」がよく話題になって、議論が平行線を辿るのが常だけれど、上のような意味で異性を「好き」になれるか、そうでないかで立場が変わってくるのかなあとも思った。
あのですね、就活ができないクズ大学生は、ESのネタがないわけです。
エピソードなんて皆無なわけです。
時間のある3年間何してたの?って感じでしょうけど、本当に何もしてないわけです。
ほぼノンバイサー状態。
成績もまずまず。
大学時代に頑張ったことなんてないんです。
長所もない。
箸にも棒にもかからないっていう諺あるでしょ?
まさにそれ。
ククク…。
(゚0゚)ハッ
って、あとは甲武こと、俺だけしか残っていないじゃーん!
こうなったら、新しくメンバーを補充するしかないな。えっとぉ~、俺はタンバリンを叩けるから、
あとはボーカルとギターとベース要員が必要になるのかな。って、何でバンドやねーん!
(゚0゚)ハッ
大体、甲と乙しかないのって、バランス悪いからな。やっぱり4人いないと駄目だな。四天王ぐらいが丁度いいわけ。
とりあえず、乙武の後任は、別の乙武として…あとの2人を何と名づけるかが問題だな。
甲乙…
甲乙…
亀甲縛り…
(゚0゚)ハッ
ん?廃業すりゃいいのでは?
そういう事だろうと思いながら、どう述べるべきか迷ったんだけども。
「子どもが親の葬式を出すのが常識」とすれば、親は子どもの葬式を出すのは常識じゃないのか?(もちろん、肉親だから常識なんだけど)
だからまず、親不孝の理由について考えてみる。なぜ親は子どもが生きてる方がいいか? という問いの答えは、人それぞれあると思う。
僕が考えるのは、例えば、親は子どもが生きてる限りは、自分が死ぬことに諦めが効く。だから死んだら空しい、親不孝だ。
他にも人それぞれ、色んな理由で悲しい、とか、老後を看取ってくれる肉親がいなくなる、とかあるだろう。
そういったマイナスの要素があって、それが「親の死」より「子の死」の方が大きい。
その上で、さらに葬式という長い時間をかけてマイナス感情に向き合わされる。
俺はガンガンリスク取りに行く方だからブコメの「リスク大嫌い日本人」的な発想には同意できないが、これに関しては何とも言えないなあ。