俺は読んだ第一印象では甲陽だと思った
脳の細胞が減っていくと苦労する
貯蓄率0だからといって税率上げても貯蓄率上がらないとはいえないんじゃないの?
正直、「その程度のことで躓く人は社会にでても漢字の筆画は気にしない」からどうでもいい。
ついでに「そういうもので才能の芽が潰れる」とかいう主張は認められない。比較しようがないから。現状筆画どうでもいいヒトも社会に出てるし活躍したりしなかったりしてるわけだ。
つまり。そんなもんどうでもいい。掛け算の順番よりどうでもいい。
書写・書道はやるべきだというのには同意するが、「筆順は一通りである」という教育は不要だと思う
現在、日本において筆順の規範となっているのは昭和33年に文部省が出した「筆順指導の手びき」だが
とあるのに、教育現場ではある一通りの筆順を正解としてそれ以外を誤りとする教育が横行している
http://www3.jvckenwood.com/tvf/archive/grandprize/tvfgrand_29a.html
見直したら筆順の話も出てて基準は緩いって言ってるな
久々に生の女としてわかったのは、あいつは俺にオナニーを手伝わせてるだけだってこと。
体の良いオカズ製造器みたいなもんだった。
俺は経済に詳しくはないんだが、消費税を上げたら、みんなが財布の紐をかたくして商品が売れなくなり、儲けられなくなった会社が潰れるなり減収するなりして法人税が今よりもとれなくなって、トータルで見ると税収減になると思うんだ。
増税なんて、景気が上向くまでやっちゃいけないことぐらい、少し頭を使えばわかることだろうに、なぜ増税したがるんだ?それになぜ消費税増税などという最悪の選択肢を選ぶんだ?
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ぷろとら悪行wiki
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本質は、食っていけるかどうか、生きていけるかどうかでしょ。
資源とかエネルギーとかにたっぷり頼らないと生きられないと思い込んでいるのもおかしい。たとえば、同じ電力量でないといけないとか思っているのも明らかにおかしい。
生きていくために必要な技術ならばつづくし、不要ならば淘汰される。それは、先端技術だからどうというわけでもなく、伝統技術だからどうということでもない。生きるのに必要なものであると見いだす能力がうちらにあれば、伝統工芸だろうが基礎技術開発であろうが廃れさせずに打ち込み続けるだろう。
カネとかコストとかいうものは、道具である。手段にすぎない。それなのにいまの連中は、手段を目的ととりちがえている。とことん馬鹿だと思う。社会的な仕組みとか、経済システムとか、「常識」とか、教育のあり方とか、構造的に破綻している。
http://d.hatena.ne.jp/rikuo/20080520#p2008052001
こんなかんじ?
古いんで動かないかもしれないけど。
「なんであんな暴言が出てきたのか」を考えてみると、もしかしてあの人は世論受けを狙ったのではなく「犯罪が起きるたびに加害者ばかり守られて被害者が蔑ろにされるのはおかしい」と考えるタイプの人だったのではないだろうか。根拠はない。
ちびまるこちゃんの父親は、家でひたすらお茶か酒飲んで、妻や子供にぐちぐち文句いう父親だし
サザエさんは、かつおに否がなくとも印象だけで怒鳴り声を張り上げるような人間だし(普段の行いっていうのもあるけど)
どっちも割りとろくでもない人間だと思うわ
ライブやクラブに行くと、いつも不思議に思うことがある。フロアにいるにも関らず棒立ちの客がいることだ。ライブではほとんどいないが、フロア外の階段やラウンジでお喋りに夢中な人、しまいには寝ている人も結構多い。何しに来てるんだろうと思ってはいけない。音楽の聴き方は人それぞれだからだ。踊りたくなる人もいれば、座って聴きたい人もいる。私もどちらかと言えば座って聴きたい派だ。立ちっぱなしの勤務後のライブ見学は年齢的にも辛いのだ。膝などガクガクである。そのため、野外フェスでの寝聴きは至高である。ドラムの音でビクッと起きるのが堪らない。
では、なぜライブやクラブに行くのか?考えられる目的は、アーティストの生演奏やDJの選曲が目的の人がほとんどだろう。あとはナンパ・お酒などのコニュニケーション目的。自称音楽通のステータス(地獄のミサワ的な人)もあるかな。私が思う1番の目的は「普段聴けないような音量で音楽が聴けること」ではないかと考える。お洒落なカフェでのアコースティックライブや、コードレスヘッドフォンを着用するサイレントディスコなどは除外するとする。
しかしながら、現代の都会の住宅環境では「爆音」は手軽に楽しめない。一歩間違えれば、小さな音でも騒音であるからだ。当然ながら、ジャイアンの歌やしずかちゃんのバイオリンも騒音である。そもそも音楽は嗜好品であるから、本人にとって不快な音というものは騒音でしかない。「爆音」どころかイヤホンの音漏れで、電車内にて殺し合いが始まるくらいだ。音楽の力というのは恐ろしいものである。
次に、「爆音」の定義だが、通常の話し声が60dB程度であるのに対して、クラブやディスコは100~110dB程度とのこと。これは、ヘリコプターの近く・自動車のクラクションの直前と同量である。耳鳴りなどの聴覚障害が発生してしまうくらいの音量だ。一般的には60dBで騒音なのだ。「爆音」で音楽を聴くことは自虐的行為である。トラ柄大好きヤンキー風なワゴン車の窓明け爆音も恥ずかしいことこの上ない。よって、音楽好きはM体質が多いと思われる。反論は認めない。
なぜ「爆音」を求めるのか。私はカラオケと一緒で、ストレスの発散のためだと考える。耳鳴りがするくらいの高音と、パンツ(下着ではない)がビリビリ震え内臓にも響いてくる低音。身長より背の高いスピーカーの前は私にとっての定位置であり、理想郷(パラダイス)である。もちろん低音房としてはウーハーも欠かせない。新木場のagehaでは踊り台と間違えて上ってしまう人がいるくらい大きい。私はリアルタイムで経験していないが、有名な「ジュリアナとーきょー」である。そして、すぐに黒人セキュリティーに引き摺り下ろされる。黒人怖い。なんであんなにデカイのかと。
よって、以下の式が成り立つ。『「爆音」が好き=自虐的=内向的=1人が好き』。でも、現状は『クラブ・ライブハウス=オールナイト辛い=人多い不快=不良怖い・ドラック怖い・黒人怖い』である。これは敷居を高くしている理由でもあるだろう。
私にはパーティーはいらない。爆音さえがあればいいのだ。吉祥寺バウスシアターでは爆音映画祭というのも開催されている。既に第5回である。恵比寿リキッドルームでも開催された。近年の音楽フェスの多さとリンクするように、時代は「爆音」を求めているのだ。
書いててアホくさくなったので終了。