はてなキーワード: 歴史的瞬間とは
「統合失調症がやってきた」の松本ハウスが来るというので、行ってみた時のこと。
狭い会場に二百人以上が詰めかけて、それに加えて立ち見のギャラリーもイル。
会場に掲げられた白膜には「精神科医療における松本ハウスの歴史的意義」だって。
司会をしていた精神科医いわく、100年以上にわたる、排除の歴史から統合失調症がやっと地域社会に帰りつつある。我々は、ハウス加賀谷=松本キックが、統合失調症をめぐるタブーを打ち壊す歴史的瞬間に立ち会っている!
精神疾患をお題に名披露目した松本ハウス(とくに当事者であるハウス加賀谷)は、その象徴的存在であるそうだが。。。
ハウス加賀谷は「統合失調症がやってきた」という本を昨年の8月に出版した。私はとくに興味もなかったし、そういう「商売」にのる気もなかったので、買っても読んでもいないが、彼らが言うには初発の症状は中学2年のときだとか。
夏の暑いある日のこと、教室でふと振り返ったとき、友だちが下敷きで顔を仰いでいるのを見てしまった。友だちは自分の臭さを吹き飛ばすために下敷きでパタパタやっている、彼は一瞬でそう理解した。
それ以後、「加賀谷、クッサー」という声が聞こえるようになったという。
以後、事実でもない声が聞こえてくる彼は精神科とのつきあいをはじめる。ようは、通院がはじまったということ。
それでもビートたけしが好きで漫才師になりたかった彼は、17歳のときオーディションを受け、松本キックと出会い、「松本ハウス」としてデビューした。
――――ある時、鞄いっぱいの薬を見つかり、病気を告白。その症状を聞いた相方が、それ、漫才に使えんか? ということで、すでにこの時代に、病気をネタにしていたらしい。
幻覚、幻視。病気の症状を面白おかしくしゃべる加賀谷にキックの方が突っ込みを入れて、笑いを誘う。
それって是か非かどっちだ?
病気の症状で笑いをとることに不快感を表したある統合失調症患者の女性が、その思いを自分のブログに書いたり、松本ハウスのブログにコメントを入れたところ、ファンから袋叩きにあったというエビソードもある。
確かに話としては面白いが、当事者として症状で苦しんでいる人には笑えるものではないだろうし、侮蔑と感じる場合もあるだろう。
「昔のような切れはもうないけれど、今できることを探していこうと思っている」と相方の松本キックはいう。
「薬のせいで感情が平坦化していて、昔のように言葉のキャッチボールはできないけれど、いまは、その鈍さを笑いにしてしまえばいい。僕はそんなふうに思ってます。笑いには計り知れない力がある。病気だってできることはたくさんある。みんな、統合失調症だって、こうして働けるし、社会復帰だってできるんです」
そして、「統合失調症」の当事者として本の出版とともに復活し、その体験をネタに、現在の「地位」を築き上げたのである。ネットを見渡せばわかるが、ソーシャルサイトの囲い込みも検索エンジンのSEOも広報マーケティングには抜かりがない。病気で稼ぐ、精神疾患ネタで稼ぐ。彼らにとって「統合失調症」は一種の鉱脈なのかもしれない。彼らは鉱脈を見つけた者として、その権利を決して手放さず、「精神村」にいつづけるに違いない。
彼は私の初恋の人で、初めての恋人で、私に初めての失恋を経験させた人。私が16歳のときに彼の大学の学祭で知り合い、2ヵ月後にお付き合いを始め、私が社会人になって1年少し経つまでの7年を一緒に過ごしました。1年だけでもいいから同じ学校に通いたくて猛勉強したのに、理工学部と文学部ではキャンパスが違ったのにがっかりしたなぁ。
大学卒業後、彼は就職ではなく、遠くの学校に進学することになりました。地元に帰ってくるのは本当にたまにのことになりました。遠かったけれど、アルバイト代をためて、私も何度か会いに出かけました。
私は出版社に就職が決まり、彼は子供の頃からの夢だった職業につきました。なれない社会人生活に奮闘しながらも、夏休みには「落ち着いたら結婚します」と、お互いの親に報告をしました。
駆け出しの編集なんて奴隷だから、ボロボロになるほど忙しかったけれど、一緒に過ごす時間をなんとか捻出していました。仕事が終わってから彼の家に行き、ただ一緒に眠るだけなんてこともありました。
お互いの新しい仕事を興奮しながら報告しあったり、忙しいけれど楽しかった。
それまで、理工系で男子ばかりに囲まれていた彼にとっては、綺麗な女性の多い職場は楽しかったのでしょう。今日は職場に芸能人が来てた!なんて喜んだりしてました。
ある日、彼に「同僚に紹介したいから」と飲み会に呼ばれました。一歩入っただけで、綺麗なお姉さんと可愛い子ばかりでクラクラしました。薄化粧にGAPのジーンズ、ノーブランドのバッグの私が、とてもみすぼらしく感じられました。時計なんてGショックだし。女の子たち、みんなカルティエとかエルメスの時計してるのに。「これがA君の彼女~?可愛い~!若い~」と言う彼女たちの言葉が痛かったです。
その中でも、彼と同い年で向かいに座っていた女性、なんだか嫌な感じがしました。恋愛経験がなくても、女の勘って働くものなんですね。
両親に結婚の話をした半年後の冬、彼とお付き合いを始めて7年の記念日の二ヵ月後、彼は私の前で泣いていました。
「酔っ払った勢いで浮気して、その相手との間に子供ができてしまった」とのことでした。
相手は「やだな」と私が思った、同僚の女性でした。彼女、きっとずっとずっと、彼のことを狙っていたんでしょう。酔っ払った勢いで色仕掛けして既成事実を作って…。高校生のころから、彼以外知らなくて、合コンにすら行かなかった私では、太刀打ちできない手だれです。
彼が何を言っても、何が起こったのか、何を言われているのか、全然頭に入ってこなくて、真っ白でした。涙を流していたみたいですが、その記憶もありません。
翌日、初めて会社を休みました。現実を受け止められなくて、ただ部屋で呆然としてました。
いろんなことが頭をめぐっていた気もするし、そうじゃなかった気もします。電話もメールも取らないで、ただ、部屋でじっとしていました。
とりあえず実家に帰って、2週間ほど実家から会社に通ったこと。お母さんの切り干し大根や厚揚げの煮物を食べてポロポロ泣いたこと、彼が実家に謝りに来たのをお母さんが「そっとしておいてください」と帰したこと、彼の親からの電話を切ったあとにお父さんが黙って寝室に行ってしまったこと。友達からの「大丈夫?元気出してね」という電話やメールに、「だいじょうぶ」とかろうじて返事をしていたこと。細切れの記憶がぽつぽつと浮かぶばかりです。とにかく、人生最初の失恋は、思った以上に辛かったです。仕事に行くことで、なんとか日常生活にとどまっていられた気がします。仕事をしている間は、プライベートの辛さを忘れていられました。
彼は、責任を取って、その同僚の女性と結婚したと、共通の友達から聞きました。モデルみたいに綺麗な花嫁さんだったそうです。
彼とはそれっきりでした。共通のお友達とも、私のほうから離れていくことにしました。気を使わせてしまうのが心苦しくて。
以来、綺麗で可愛らしいけれどしたたかなハートを持った女性が苦手になり、そういう女性にころっとだまされてしまう男の人が大嫌いになりました。
出版不況が厳しい中で部数が減るばかりの編集部をやめ、アメリカのITバブルの波に乗りました。シリコンバレー発のスタートアップに「雑用でもなんでもいいから」と紛れこませてもらい、毎日が文化祭の前日のような熱気の中で働き続けました。右肩上がりの成長に興奮し、歴史的瞬間に立ち会ってることに感動しました。
プライベートでは、ずっと一人でいるのを心配され、出会いの場に連れ出されることも何度かありました。でも、合コンでは苦手なタイプの女子たちに気圧され、男の人に誘われても一線を越えることはできずにいました。それは、「また裏切られるんじゃないか」という恐怖だったり、私が”浮気相手”で他の女性を傷つけることになったら…という恐怖だったり、いろいろでした。
忙しい日々の隙間にぽっかりと時間が空くと、ものすごく孤独な気持ちになりました。年に数回、帰宅後に、彼は奥さんと子供と幸せな家族をしているんだろうな…と、レンジで温めたご飯をつつきながら泣いたりしてました。
仕事とプライベートのバランスも取れるようになってきた30歳からは、結婚や恋愛の話題を振られることもぐっと減ってきて、心穏やかに過ごせるようになりました。思い出せば胸を締め付けられるけれど、部屋で泣くこともなくなりました。
それからしばらくして、彼からの最初のメッセージがFacebookに届きました。ご飯食べに行こう、とお誘いに少し迷ったものの、「ぜひ」と返信しました。
銀座の焼き鳥屋さんで久しぶりに会った彼は、記憶の中の彼よりも随分くたびれていました。私がオバサンなんだから、彼はオジサンなので、当たり前といえば当たり前です。
楽しかった頃の話をしていたら、16の頃に戻ったみたいな気持ちになりました。手にしていたのは焼酎だけど。
お酒も進んだころ、「本当にごめんな。俺、バカでさ」と彼がぽつりと言いました。
「本当だよ。あの後、ほんっっっとうに大変だったんだからねっ!おかげでキャリアはついたから一人で生きていけるようになったけど、気づいたら三十路だよ~」と笑う私に、彼がした話は、思った以上に重かったです。
2年前から別居中であること、奥さんが妊娠したのは自分の子供ではなかったこと、成長してきても全然自分に似てこないこと、不況でリストラされること…。FBで何かあったようだとは感じていましたが、実際に聞くと重みを感じました。
「バチがあたったのかなぁ」とぼやく声が、彼のくたびれ具合を加速してました。
「そうかもしれないけど、起きてしまったことは仕方ないよ。今できる中で、ベストなことをするしかないよ。頑張れば、思い描いていたのとは違うかもしれないけれど、それなりに幸せはみつかるって」
「そうかなぁ」
「棚ぼた待ってるより、絶対いいよ」
「そっかぁ、そうだなぁ。大丈夫かなぁ」
「だいじょぶだから!」
こんな会話、彼の就職活動のときにも、社会人1年目のときにも、交わした気がします。ふと思い出して、切なくなりました。
あのとき、あのまま順調に付き合って、結婚していたら、私たちは幸せな家族になれていたのかな。
帰りの電車の中で、「S子(私のこと)と話したら元気になったよ。ありがとう」と言って帰っていった彼のことを思いました。
やっとやっと、長い間背負っていた荷物を降ろせた気持ちになりました。彼への気持ちをやっと手放せた。
あの失恋から10年が経ち、「最後にもう一度だけ」の気持ちで、結婚相手を探しはじめました。ほどなく、優しい年下の男性に出会うことができました。
アラサーというより、ミドサーといったほうがいい年齢の私にはもったいないくらい、優しくて素敵な人。順調に話が進み、今年、入籍しました。
結婚が決まったことは、彼にも報告しました。「私が人のものになっちゃうの、さみしい?」と聞いたら、「S子は幸せにならなきゃいけない人だから」と返事がきました。
私は今、夫と一緒に暮らしていて、毎日幸せな気持ちでいます。彼からのメッセージは、奥さんとの調停がやっと片がついた、でした。再び自由になったら、また、幸せを見つけて欲しいな。
追記:
今朝、はてぶを開いたら、自分の投稿が人気のブックマークに載っていたのにびっくりしました。初めての投稿が、大勢の方に面白く読んでいただけて幸せです。ブックマークしてくださった皆様、はてぶやTwitterでコメントくださった皆様、ありがとうございます。感謝です!
凱旋門賞とは簡単に言うと世界一のサラブレッドを決めるレースで、これに勝つことが世界中のホースマンの夢でもある。
毎年世界一の称号を目指して世界中の強豪馬がフランスのロンシャン競馬場に集結するけれども、今年で92回目を迎える伝統のレースなのにもかかわらず、未だにヨーロッパの馬以外が勝利したことはない。
44年前、第48回凱旋門賞にスピードシンボリという馬が参戦したのを皮切りに、日本のビッグレースをいくつも優勝してきた数多くの名馬が凱旋門賞に挑戦してきたが、その多くは海外の怪物馬たちに全く歯が立たず、今までの最高着順は2着、かの有名なディープインパクトでさえ3着(のち失格)に敗れた。
欧州のホースマンには彼らの矜持があるために日本には何としても勝たせたくないのであろう、勝利の壁は実に高い。
けれども少しずつその壁が低くなってきていることも事実である。日本の競馬界は44年前とは比べものにならないくらいの発展を遂げてきたのだ。
さて、今夜凱旋門賞に出走する日本馬の一頭の名は、「オルフェーヴル」。第78代日本ダービー馬であり、史上7頭目のクラシック三冠馬でもある。
オルフェーヴルはまさに歴代屈指の名馬で、世界中を見渡してもこの馬を凌ぐほどの馬はなかなか見当たらない。
騎乗した騎手を振り落としてしまうほどの激しい気性の持ち主だが、その気性がレースではプラスに転じ、獰猛な闘争心でもって他馬をあっという間に抜き去ってゆく。
しかしその気性はレース中にマイナスの面を露呈する場合もある。話題になったのが去年の「阪神大賞典」というレース。
このレース中、オルフェーヴルは騎手の指示に背き、本来なら後ろの方でレースを進めるはずのこの馬が、一気に先頭にまで躍り出てしまった。
先頭に立ったことでレースが終わったと馬が勘違いしたのか、何とコーナーのカーブの所で突然失速し、外へ逸走、最後方近くにまで下がってしまったのである。
1倍台前半の圧倒的人気を背負った馬のアクシデントに、馬券を買っていたファンは目の前が真っ暗になったであろう。
だがオルフェーヴルはやはりただの馬ではなかったのだ。失速した直後、まだ一生懸命走っている馬たちを見つけたとたん、レースが終わっていないことに気がつき、負けてたまるかとそこから一気に加速、さすがに最後はバテたものの、結果は何となんと2着であった。運動会の長距離走で、いったん走るのを諦めておきながら再びやる気を興して先頭に迫ろうとすることなど自分にはまったく考えられない。
とにかく、野蛮で規格外で破天荒、この馬は普通の馬ではないのである。
何としても世界一の称号を手に入れなければならない義務を背負う池江調教師、世界的名ジョッキーのスミヨン騎手らは、並々ならぬ闘志を秘めて本番に向かう。
凱旋門賞に出走するもう一頭の日本馬は、「キズナ」。第80代日本ダービー馬である。
オルフェーヴルが5歳という円熟期を迎えているのに対して、キズナはまだ3歳のピチピチの若者だ。オルフェーヴルが嵐だとすればキズナはセクシーゾーン。(ジャニーズのことはよく知らないが多分あってる)
「キズナ」という素晴らしい名前は、武豊騎手や佐々木調教師、前田オーナー、そして負傷する前にこの馬に乗っていた佐藤騎手たちの「絆」を見事に表している。
今年5月に行われた、世代の頂点を決める日本ダービーでは、武豊騎手を背に大外から豪快に差しきって優勝した。
さらに海外デビュー戦となった先月の前哨戦ニエル賞でも、前評判を覆し、大外から豪快な伸び足をみせ、今年の英国ダービー馬を振り切って優勝。
ちなみに、この馬は、7年前やはり武豊騎手を背にして凱旋門賞に挑戦したディープインパクトの子供で、親父の忘れ物を取りにいく意味につけても、実にロマンがあるのだ。
昨年、日本中の期待を受けて出走したオルフェーヴルは、いちどは先頭に立って他馬を突き放しておきながら、最後の最後に失速して人気薄の牝馬に差しきられ、悔しい悔しい2着だった。
新たな歴史を刻む現実味がいよいよ帯びてきたように思えるけれども、実際海外の強豪馬は「怪物」だらけで、欧州ホースマンのプライドもあり、今年もそう簡単には勝たせてくれないと思う。
しかし少なくとも歴代の日本馬14頭が敗れ去った過去の凱旋門賞と比較すれば、今年に最もチャンスがあることは間違いない。
こんなに長々と競馬のことを連ねて申し訳ないけれども、ふだん競馬に興味の無い方々にも、今夜のレースはぜひとも見てほしいと思い書くことにした。