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はてなキーワード: 緑内障とは

2016-03-01

目を圧迫すると緑内障になるので注意

また、花粉症で痒いからと目を掻くと網膜剥離を招く。

かといって、我慢するのは難しい。

目に触れずに、痒さを紛らわす方法

それは「あるがまま」を受け入れること。

痒くて掻きたい自分、どうしようもない自分

その存在をしっかり認識し、そんな自分を労る。

心に余裕を作ることが大事

2015-06-27

犬の老い

実家の犬はよく飛び跳ねる犬で、年に一度か二度帰るとそのたびに前足で腹を押したものだった。くるりとしっぽのまいた日本犬雑種動物愛護センターからその犬がもらわれてきたのは私が高校に上がった年であるうんこを踏んだ足で飛び跳ねていた時はてっきりバカだと思っていたが、びっこをひいているふりをして人の同情をひく仕草を見せた時にバカのふりをしているだけらしいことが発覚した。生後半年もたたないうちから、どうやったら人に愛されるかを知っている犬だった。

毎日マウントをとっていたせいか、実家を離れても犬はずっと私のほうが立場が上だと思っていたようだ。犬が来た時には実家を出ていた姉のことはよそさんだと思っているフシがあり、末っ子に関してはいつか立場が逆転するかもしれないと虎視眈々と機会を伺っていた。だから実家を離れた二人が戻ってくるたび、犬はよく吠えた。私は吠えられなかった。ひと月前に実家に顔を出した時も、犬はやはり吠えなかった。十六になった犬は緑内障で目が見えておらず、耳も悪くなっている。なんにでもすぐに怯えて、よく吠え、そして怖くないものだと分かった後も不機嫌に唸っているおじいさんだ。私が実家に帰った時、犬は玄関の前で丸くなって寝ており、気配に気づいて顔をあげただけだった。わからないかもなと手をさしだし、匂いをかがせると犬は重そうに立ち上がってしっぽを振った。飛びかかっては来なかった。よろこんではねたりもしなかった。後足はもうだいぶよわって、散歩の途中に顔をあげて女子高生スカートの中身を覗くこともできなくなっているのだからしかたのないことだ。かわりに犬は小さな頭を私の膝のあたりに何度も何度もこすりつけていた。なでてくれと言っているような気がした。昔はそんな甘え方はしなかったのに、自分の体の自由が効かないことを犬はよく知っている。撫でるたびに毛が抜けて、服につく。毛は硬くて白くて、そして臭かった。犬はあっという間に老いてしまう。いつまでも甘えっ子な弟のくせに、あっというまに年老いて死んでしまう。さびしい。

2015-03-08

犬のネグレクト対処できる方法がわからない

実家の母(60代)が自営業(昔の喫茶店経営最近殆ど客が来ない)の傍ら、8年前から犬を飼っている。プードルでとても肥満の犬だった。

自分実家になかなか帰省しなかったので、数年ぶりに出会った犬を見たら病気になっていたので心が痛んだ。

心臓が悪いらしい。

そしていつも母に叩かれて怯えている。

背中やお尻が腫れてて血色が悪い。

なぜなら、その子はいつも糞便を店の端っこや廊下でしてしまうからだった。勿論、家の中のどこにもトイレはない。新聞紙のあまりを餌置き場の横に置かれているのみだった。

母がしいた新聞紙の上でしないから母は彼が排尿するたびに怒鳴って叩いて、新聞紙のうえに連れて行ってここでしろってヒステリーを起こしている。

1階が店なのだが、1階の床は犬臭い。糞尿の匂いが漂ってきて、とてもこれでは客など訪れないだろう。

母は毎日愚痴をいいながらしつけとして犬を殴っていた。

正月休みに立ち寄った実家で、(仕事半日しかいられなかったけど)犬は暖房のない冷たい台所で毛布の上で縮こまっていた。

片目は緑内障白内障の進行で失明しており、呼吸器を悪くしていつもぜいぜいしている。

年末に一度具合を悪くして何も食べなくなって、慌てて母は病院に連れて行ったらしい。

そこで対象療法として運動不足肥満(多分、人間残飯を与えられ続けたこと)による心臓疾患やその他もろもろの症状と言われ、服薬でしのいでいる。

毎日朝晩昼と数種類の薬を飲ませないといけなく、月6000円かかるとぼやいていた)

いっさいのワクチン未接種、狂犬病(これは毎年受けるのか知らないけど)も飼い始めた1回目のころしか受けていない?、健康診断はいかせない、人間の残り物を食べさせ続ける(焼肉定食の残りとかスーパー惣菜残りとか)、

散歩にろくにつれていかない(母は足腰が悪いのでリハビリ通院もやめたため運動が大嫌い、でも店ではいそいそと走って働く)、一人で運転するの寂しいから夜にカラオケいくため、車に犬をいれて連れて行く(駐車場でずっと車の中に犬を置きっぱなしにするだけ)、「おしっこしといで」と言って夜の11時ごろに犬を放し飼いにする(呼んで戻ってこなかったらそのまま朝まで帰ってくるま放置

この件で近所から匿名で犬を放し飼いにするなと手紙を投函されたと不満を母は言っていた。

俺は、あの子のそんな状態を知って帰省した時に、泣いてしまった。

昔の自分と同じ姿を見たからだった。

俺も病気放置されて理不尽な毒親の対応をたくさんされて育ったので、見てて辛かった。

聞けば去年、母が飼っていた猫(俺が実家をでた年に生まれ、飼われ始めたらしい(14歳くらい))は去年、物置の中で行方不明の末病死していたのが発見されたとか。

獣医じゃないのでわからないが、ネット検索する限りフィラリア注射とか受けてないからあの犬の心臓は寄生虫で悪くなってしまったんじゃないのかとか・・。

色々調べたけど、調べるだけで、あの犬を救う行動が移せない。

今、住んでる自分アパートペット不可で賃金生活費でいっぱいで、帰宅が遅く残業続き。

病気を抱えて通院していく生活は無理・・・とても俺には犬を飼える余裕がない。

犬のネグレクト実家で知ってからどうしたらいいか・・・救いたいのに犬を引き取る経済的余裕がない。

すごく心残りで、通院する薬代だけでもと正月に母に渡した。

それで、電話最近の犬の状態を聞いたが、薬代にそれが使われていなくて、母は自分の新しいスーツを買ったと聞いてもう絶望した。

あと未払いのカード代にも渡した犬の医療費が宛がわれていて、病院に連れて行くのを母は渋っていた。

だったら俺が犬を病院に連れて行けばいいんだと思うが、先月、腰痛を発症して運転ができず、実家に頻繁にいけそうにもない。

犬を、どう救ったらいいのかわからない。

週末期に近い犬をどう扱えばいいんだろうか・・・

精神不安定なので、思考が働かない俺にできることを教えてくれる人いないですか?

2014-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20140702000730

視力低下したときに、

緑内障ですね~→薬だしておきますね~

って感じで治療ができる。

  

発達傷害とわかれば、それに対応した対処策がいくつかある。

  

発達傷害の場合、「普通努力をしても無駄」で、「工夫した努力」をしないと永遠に努力無駄になる。

たとえるなら、野球強くなりたいのにサッカーの練習してるようなもの

  

なので、診断されることで、自分特性治療や予後を知ることが大切になる。そうとうQOLが違う。

2011-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20110601121113

緑内障はほっといても治らん。

というか、医者でも進行を遅らせることしかできん。

失明したらアウト。回復する方法は一切ない。

さっさと病院に行け。ネット愚痴ることすらできなくなるぞ。

亜鉛が終わってしまった。

左目が、左の瞼だけがひくひくするんです

だいぶ前から症状はあったんだけど最近頻発で。

鏡で見てみたけど他人にはわからないと思う。けいれん?

ネットで調べたら亜鉛が足りない場合があるってあったので健康食品亜鉛を飲んでました。約20日。

症状はちょっと少なくなったかもしれないけどまだ残ってて

いやほんとは軽減なんてしてやしないのかもしれないし。

眼科…?

ちょっと前に眼科に行ったら「眼底出血してる緑内障かも」って言われて

結局「緑内障じゃないけど予備軍だろうから毎月検査ね」

って言われて、ああ緑内障になるまで検査するつもりなんだ…って思ったら

先延ばしにしたくなってばっくれてます

今の気持ちは

医者を変えたい。でも医者には掛かりたくない。そのうち治ってくれ。

医者さんて苦手ですよ。

2010-08-11

記録その5。つかの間の平穏。その先にある最期。

前回:http://anond.hatelabo.jp/20100805013139

また大分間が空いてしまったけれども。

今はとても穏やかに時を過ごしている。何もすることもなく、何かしなくてはいけないこともなく。ただ、浅い眠りをうつらうつらと繰り返し、意識清明なときだけネットを見たり、外に出かけたりしている。好きなゲームにはほとんど手を出していない。アニメは…ちょっと見るようになった。劇場で「インセプション」を見られるようになったというのは、自分では大進歩だと思っている。題材的にも、劇場へ足を運ぶという行為自体も、前の状態だったら絶対に無理だっただろう。

そして、この平穏があと2週間くらいしか続かないことも、知っている。

今、とても意識清明な時には医師の診察を受けに行っている。

まずは眼科。これは生活上目が見えなくて困っていたからで、眼鏡コンタクトの処方を変えることで大分改善した(あと、生活環境Macに替えた)。緑内障の恐れがあるから、視野検査も受けなくてはならないが…。

次に歯医者にいくことにしている。十年来奥歯に痛みを抱えていて、これは生え方がおかしい、いわゆる「埋没歯」というやつなのだが、こいつの手術をしなくてはならない。入院がいるだろう。そこまで派手な治療をしてくれる歯科の心当たりはないので、聞いて回らないとダメなのだろうな。

あとは耳鼻科で耳垢を取ってもらう(俺のは医者にやってもらわないとマズいらしい。素人は手を出すなといわれている)とか、メニエール氏病の検査を受けたりしなくてはならないが、このへんはまあいつでもできるし、重要でもない。

問題は、循環器科案件。この件について知っているのは家族と親しい友人数名だけなのだが。俺は首の動脈爆弾を抱えている。何らかの弾みでこいつがはじけたら一発アウトのあの世行き。手術することもできるのだが、その後のケアが大変すぎるのと、そもそも成功例があまり多くない? らしく「ほっといてポックリいったほうがいいですよ」などと言われる始末である。どちらにせよ、そう長くは生きられそうにもない。この休職の間にこの案件を片付けるか。それとも忘れたふりをしているか。さすがに忘れてしまうことなど出来るわけもない。ちなみにこの爆弾が原因で、俺は1日に大量のボルヴィックを浴びるように飲んでいる。血の巡りが悪くなるとこの爆弾に着火する可能性が高いからだ。


この休職により、ついに俺は社会的に死を迎えることになった。後は生物学的な死だ。むろん、お金が稼げず飢え死にするなどということは充分に考えられるが、それよりもこの満身創痍の状態でいつまで耐えられるのか、のほうが問題だろうと思っている。


結局のところ、俺はもう半分死んでいて、近々完全に死ぬのだ。それが自らの意志なのか、それとも抱えている地雷が爆発するのか、それとも別の原因なのかはさておき。時期もなんとなく、休職の明ける11月くらいなのだろうな、と言うのがうっすら見えている。一応増田たちに責任をかぶせたくないので、いわゆる「自殺」を積極的に選ぶことはしない、ということは約束する。ただ、そういう状況に追い込まれてしまったときには、謝って許してもらえるだろうか。…無理だろうな。それでも謝っておく。ごめんなさい。

今はとても穏やかに過ごしている。死んで行く事への恐怖を除けば。

再チャレンジ不能である世の中というのも案外よいもので、あの血を吐くような苦労をして、それが結果徒労となり、砂の城が崩れ落ちていくこと自体、しなくてすむというのは、とても楽な気持ちになれる。あるいは成功したとしても、それは誰かの生き血をすすり、返り血を浴びた結果であることは承知の上。そんな汚れた人間が大地に両足をつけ、太陽を仰ぐ、みたいな非道い生き方をしなくて済むのは、楽だ。

むろん、自分の作っていたものには「命をかけてもいい」と思っていたのも事実だ。ただ、会社に「命をかける必要なんかない」と言われてしまった時点で、俺のあの案件への情熱は冷めてしまった。プロとしては失格。しかし、実際に掛け金に命を賭けろと強要していたのは、どっちだ? むろん、言い出したのは俺だが、その結論に陥るトラップを入念に準備していた人たちがいたのは知っている。

そう、結局社内政治自分の弱さに負けたんだ。そして今もまだ負け続けている。

あとは願い。完全にくたばってしまう前に、自分のやりたかったことを、形として残しておきたいと思っている。それに何日かかるのかは分からないし、なにせ相手のあることだ。そううまくはいかないだろう。それでも。俺にできるだろうか。時間普通にあって、記憶力が常人なみで、集中力が続くのであれば、なんでもなくできること。そもそも、そんなこと、俺がやる資格があるんだろうか。


わからない。怖い。そうしたまま、今日も夜が過ぎる。

2010-04-24

ありがとうテト!

我が実家を守っている猫がいます

アビシニアンの「テト」です


綺麗なエメラルドグリーンの目がチャームポイント

機敏な動きと軽快なジャンプ

定位置はすっごく高い冷蔵庫の上

(暖かいみたい)

もちろん家主として家族以外は侵入を許しません

(被害にあった友人多数…)

実家マンションなのですが

このテトのために買ったマンションなのです

前のアパート大家にテトが見つかり…

大家「捨てるか出てくかどっちかにして!」

と急に言われて

親「出てきます!」

と即答

流石です、うちの親(笑)

こうしてテトは私が高校生の頃から13年間ずっと家を守り続けてます






先日、実家に帰りました

テトは目の病気(緑内障)になっていました

綺麗だったエメラルドグリーンの目は濁っていて何も見えていないようです

ご飯も食べれずガリガリなってしまい

動くこともままならない

でも、誰かに触られてないと不安になって

無理して歩きだしちゃう…

用事のあった私は、テトに

私「ご飯をちゃんと食べるんだよ」

約束して、家を後にしました

でも家を出てすぐ涙が止まりませんでした

そう長くないことはわかってしまったんです

そして、次の日

テトは私の約束を守る体力もなく

親の胸の上で

息を引き取ったそうです

大好きな家の

大好きな親の胸で

最後を迎えられた

テトにとってすごく幸せだったと思います

私の勝手な思い込みですが

テトは私が実家に寄ることを知ってて

待ってくれたのかもしれません

会えてよかったよ

今までありがとう!

そして、今でもテトは実家の主です

これからもよろしく!



※この日記で気分を害する方もいると思いますが

 テトが生きてた記録として残させてください

2009-12-20

死亡記事専門記者が教える人生のレッスン6カ条

欧米新聞社では、死亡記事部を設けて日頃から著名人についての経歴などの情報を収集し、各著名人ごとに死亡記事の準備稿を作成してその死去に備えているのが一般的とのことで、当然死亡記事を専門に書く記者も存在するそうです。死亡記事の多くは、死因や享年などの具体的な情報だけを列挙した無味乾燥なものではなく、その人の人生を振り返り簡潔かつ文学的にまとめた職人芸のようなもので、時には「作品」と呼びたいような読み応えのある死亡記事も登場します。

死亡記事部に配属された記者は、毎日のように死亡記事を執筆し数え切れないほどの人の死を見つめることにより物の見方や人生に対するスタンスも変わってくるのではないかと思われますが、配属3年半で800以上の死亡記事を執筆してきたボストングローブ紙の死亡記事専門記者Bryan Marquard氏によって、仕事を通じて得た人生の心得6つが明かされています。

詳細は以下から。

6 life lessons: from the dead - Boston.com

その1:人に優しくすること。

単純なことのようですが、「自分が死んだあと、人の記憶にどう残るか」という視点で「優しさ」について考える機会はなかなか無いのではないでしょうか?人生においてどんな偉業を達成した人でも、生前の人に対する接し方は、死後人々の記憶にどう残るかに大きく影響するとのことです。

その2:意地悪をしない。

死亡記事部に配属されて数カ月後にMarquard氏は非常に長生きした女性家族インタビューする機会があったのですが、成人した子どもの一人に「お母さんは天寿をまっとうされましたね」と話しかけると、「ああ。ボストンイタリアンだったからさ。ボストンイタリア系は殺しても死なないんだ」と切り返されたそうです。母を亡くしたばかりの子どもたちの言葉が通常予想されるような反応と違ったのは、どうやら生前お母さんがいわゆる「意地悪ばあさん」のような人となりだったためらしく、結果的に子どもたちのコメントの大部分は記事には引用されず、長い人生の割にとても短い死亡記事となってしまったそうです。

その3:長生きしたいなら、若いうちにリタイアすること。

親は人生の教訓を子に伝えたがるものですが、これもその一つで、Alfred Larkin Sr.氏が息子で元ボストングローブ編集長マイケル氏に伝えたもの。家族が集まった時にマイケル氏を脇へ引っ張り、「僕からのアドバイスは、可能な限り早くリタイアすることだ。この10年で、その前の50年分を全部合わせたより多く、楽しいことがあった」と伝えたそうです。Larkin氏は隠居生活を満喫し、92歳まで生きました。

その4:もしくは、生涯リタイアしないこと。

アーティストのPolly Thayer Starrさんは赤ん坊のころ、鉛筆を持てるようになるや否や絵を描きはじめ、緑内障と加齢黄斑変性により視力を失いつつあった80代のころにもまだ素晴らしい作品を描いていたとのこと。視力を失った後は、散歩中に友人たちが読み上げる詩を記憶し、常にクリエイティブであることにより、101年間の充実した人生を送ったそうです。Starrさんは彼女をかきたてる芸術情熱について、「天の猟犬(Hound of Heaven)なのよ。いつも追いかけてくるの」とスミソニアン協会のインタビューで笑い混じりに語ったそうです。

その5:金持ちである必要はない、家すら持たなくてもいい。

Harold Madison Jr.氏、通称「Mr. Butch」はボストン大学付近のKenmore Square一帯やハーバードビジネススクールを擁するAllstonのハーバード・アベニューで30年間にわたり路上生活をし、学生を中心とした数万人の人々に親しまれている有名人だったそうです。飲み過ぎて酔っぱらった時には少し怖がられてもいたようですが、ファンによりWikipediaに項目が作られたり、MySpaceにページが作られ、YouTube動画が投稿されるほどの人気者でした。2007年交通事故により56歳で亡くなった時には盛大に追悼パレードが行われたそうです。

その6:今、行動に移すこと。

「800人もの死亡記事を書いていると、山の上で一人黙想する仙人のように、人生を変えるような深い洞察を得られるのではないかと人々は考えます。人生における答えのない深い問いに対する回答が得られたということはありませんが、確かにある意味人生が変わったかもしれません」と語るMarquard氏。「死について頻繁に考えるおかげで、去年、もし自分が父と同じ寿命を持っているのなら、残りあと25年だということに気付きました。そのひらめきは、ボストン都市圏からバーモント州の小さな町へと引っ越すきっかけとなりました。ボストンへの通勤時間は長いですが、今住んでいる町が大好きです。前々からやりたいと思っていたことを、いつまでも後回しにすべきではありません。死亡記事記者として自信を持って言える教訓です」

http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20091220_memento_mori/

2007-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20070617011303

アメリカだと緑内障治療(確か病気の進行を遅らせるだけなので、治療ではないか)

の一環で処方されることもあるんだよに。

ジャガイモの葉っぱはスーパーとかじゃ手に入らないけど、

大根の葉っぱは混ぜごはんにしたりお味噌汁にしたりと大活躍だよね。

野菜の皮は良く洗ってきんぴらにするとおいしいし、

ネギの青ぃて硬いとこは捨てないでネギ油作ればいいよ。

話が逸れた。要はもったいないおばけコワイヨー、ということです。

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