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はてなキーワード: 科学者とは

2011-02-12

幽霊とか言ってるやつ何なの?情弱なの?

少し脳圧が変わっただけで歩行が困難なほどボケる。薬を飲めば性格が変わってしまう。

というように脳は、というより思考は物理的な要因に大きく影響を受ける。


でも、幽霊ってなんだよ?


脳という器官がないのに、話したり、光として認識させたりするんだぜ?

「うらめしやー」とか、脳がないのにどうやって恨めしいと感じるんだよw

どー考えても妄想だよな。


自分の家は霊が出る。日本酒が早く腐る。お湯が勝手に沸く。

とか言ってる奴いるけど、幽霊って細菌に作用すんの?

お湯を沸かすのにどれほどのエネルギーがいると思ってんの?

ネタだろw かまってちゃんだろw


もし、それが本当なら、再現性があるなら、テレビ局電話しろよ、しかるべき機関相談しろよ。

科学の発展に貢献できるかもしれないぜ?


ずっと昔から幽霊存在は信じられてきて、著名な科学者の中にもその存在物理的特性を調べ上げ、

新たな原理発見に繋げようと試みた者は数多くいたが、誰一人としてまともな成果をあげることができず、

かの現象は物理生物の一般原理から大きく外れているにも関わらず、教科書に記載されるに至っていない。


から、いない、と断定するのは非科学的あるものの、その存在は非常に疑わしい

いや、オレはいないと考えている。


でも、たまにむかえの家(廃屋)の二階にいるアレは何なんだろうか?

ガチ動画をとりたい。が、たましか見ない。

オレの頭がおかしい、に3000点だなw

妄想や幻覚ってすげーよな

2011-02-02

遺伝子はいから神になったのか

遺伝子はいから神になったのか」

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/4e65f758359c279f2fd19c0bc9b0d20b#

このような記事があがっていたので、目立つように投稿

俺のコメトラバも受け付けてもらえなかったので、この記事から目に付いて読まれればいいなと。

書いた方はいろいろ誤解しているので指摘です

キリスト教では、神が残したものが二つあります

それは、「この世」と「聖書」。

神の教えを知りたければ、そのどちらかを、または両方を知ろうとしなければならないのです

それがキリスト教圏での基本的な考え方。

から西洋では「この世」を知るために自然哲学が発展したわけ。

クリスチャンは、自然を知って神の教えを知り、征服していくことが神に忠実な姿勢だと思ってたの。

それが神への正しい姿勢だったわけ。

で、当然全ての造物主が唯一の神なのですが、人間ももちろん被造物であるわけ。

そして人間は、他のどんな生物とも違う尊い存在なわけ。

まずはそこまで理解して欲しい

で、今でも自然科学が最も発展している西洋人が、クローン技術などを「倫理」で批判する理由にいきます

人は、自然法則を理解して、他の生物をいじることが可能になったとしても、それは動物相手だからある程度いいわけ

でも、人は人を作ることはできない。というか、あってはならない。

それは人を動物に貶めることであり、神しか作れない人を人が作ることであり、それは神を冒涜することだから

それが、西洋人の言う「倫理」。

でも日本は、アミニズムの国、八百万の神がいる国。

あるがままが美しいとする国。

から日本人はこの問題を「え、そこまでしていいの? そんなのいじるのって気がひけるし、あるがままでよくない?」って思想を「倫理」と呼んでいるのです

それはもう完璧に、「倫理」って言葉を誤解してるのです

から日本人的な「倫理」を西洋人は気にしちゃいないわけ。

それでもまあ、国内で言う「倫理」も国内では無視しちゃいけないかもしれないけど、こういう技術に関しては世界で統一した基準が必要なんです

そうしないと何の意味もないからね。

からクローン技術に関する「倫理」を語る場合は絶対に世界標準の「倫理」の話をしないと意味をなさないんです

それを理解している人が専門家にも少ないから、日本人は相手にされてないんです

外人もそういう場で「神が、神が」みたいな話しないからね。

もちろん外人ダーウィン以降、人は神から作られたんじゃなくて他の生物から進化したとかは渋々認めざるを得なくなったけど、根の考え方というか感覚的な思考というか、信条的なスタンスまでは揺らがないわけ。

ま、もちろん両国とも、「命をオモチャにるする」ような行為については共有された「倫理」を持ってはいますけどね。

その辺を誤解して、というか混同して議論すると世界的な枠組みが出来上がるはずがないわけ。

それなのに、

そして発せられるのが「道徳的には」あるいは「倫理的には」という問いですが、しかるにDNAを神聖不可侵なものとして扱う道徳倫理なんてのは随分と歴史の浅いもので、それこそ「作られた伝統」の類ではないでしょうか。遺伝子を扱う技術に関しては宗教界からの論難も多々ありますけれど、その教典に「DNA」なんて言葉が書かれた宗教なんて、それこそごく一部の新興宗教だけのはずです。にも関わらずDNAに触れる技術を神の教えに反するものであるかのように考えるのは、すなわち遺伝子を神と同一視しているようなものと言えます

このような恥ずかしい意見を堂々と書く人もいる。

遺伝子を神と同一視してる」なんて、完全に逆の捉え方をしている。

遺伝子は神聖な被造物」だからこそ「倫理的に問題」なわけ。

教典に直接 DNA と書かれてるわけはないけど、「アダムとイブが~」って話がすでに人による人の改造を禁じているわけです

そこを理解すれば、自分で書いたものを読み直せばちょっと恥ずかしい気分になると思う。

あと、私は生命科学者なので一応言っておくけど、DNA物質名前

DNA がつながっている」「DNA継承」は誤用で、「血がつながっている」「遺伝子継承」のほうが適してるかなー。

倫理」についても、「DNA」についても、誤解している人が書いているなあ、と気になったので、一応指摘でした

ま、遺伝子操作を神聖視しすぎずに、柔軟に考えたらいいんじゃないのーって論旨には同意です

http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/4e65f758359c279f2fd19c0bc9b0d20b/d3

2011-02-01

http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/4e65f758359c279f2fd19c0bc9b0d20b/d3

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/4e65f758359c279f2fd19c0bc9b0d20b#

キリスト教では、神が残したものが二つあります

それは、「この世」と「聖書」。

神の教えを知りたければ、そのどちらかを、または両方を知ろうとしなければならないのです

それがキリスト教圏での基本的な考え方。

から西洋では「この世」を知るために自然哲学が発展したわけ。

クリスチャンは、自然を知って神の教えを知り、征服していくことが神に忠実な姿勢だと思ってたの。

それが神への正しい姿勢だったわけ。

で、当然全ての造物主が唯一の神なのですが、人間ももちろん被造物であるわけ。

そして人間は、他のどんな生物とも違う尊い存在なわけ。

まずはそこまで理解して欲しい

で、今でも自然科学が最も発展している西洋人が、クローン技術などを「倫理」で批判する理由にいきます

人は、自然法則を理解して、他の生物をいじることが可能になったとしても、それは動物相手だからある程度いいわけ

でも、人は人を作ることはできない。というか、あってはならない。

それは人を動物に貶めることであり、神しか作れない人を人が作ることであり、それは神を冒涜することだから

それが、西洋人の言う「倫理」。

でも日本は、アミニズムの国、八百万の神がいる国。

あるがままが美しいとする国。

から日本人はこの問題を「え、そこまでしていいの? そんなのいじるのって気がひけるし、あるがままでよくない?」って思想を「倫理」と呼んでいるのです

それはもう完璧に、「倫理」って言葉を誤解してるのです

から日本人的な「倫理」を西洋人は気にしちゃいないわけ。

それでもまあ、国内で言う「倫理」も国内では無視しちゃいけないかもしれないけど、こういう技術に関しては世界で統一した基準が必要なんです

そうしないと何の意味もないからね。

からクローン技術に関する「倫理」を語る場合は絶対に世界標準の「倫理」の話をしないと意味をなさないんです

それを理解している人が専門家にも少ないから、日本人は相手にされてないんです

外人もそういう場で「神が、神が」みたいな話しないからね。

もちろん外人ダーウィン以降、人は神から作られたんじゃなくて他の生物から進化したとかは渋々認めざるを得なくなったけど、根の考え方というか感覚的な思考というか、信条的なスタンスまでは揺らがないわけ。

ま、もちろん両国とも、「命をオモチャにるする」ような行為については共有された「倫理」を持ってはいますけどね。

その辺を誤解して、というか混同して議論すると世界的な枠組みが出来上がるはずがないわけ。

それなのに、

そして発せられるのが「道徳的には」あるいは「倫理的には」という問いですが、しかるにDNAを神聖不可侵なものとして扱う道徳倫理なんてのは随分と歴史の浅いもので、それこそ「作られた伝統」の類ではないでしょうか。遺伝子を扱う技術に関しては宗教界からの論難も多々ありますけれど、その教典に「DNA」なんて言葉が書かれた宗教なんて、それこそごく一部の新興宗教だけのはずです。にも関わらずDNAに触れる技術を神の教えに反するものであるかのように考えるのは、すなわち遺伝子を神と同一視しているようなものと言えます

このような恥ずかしい意見を堂々と書く人もいる。

遺伝子を神と同一視してる」なんて、完全に逆の捉え方をしている。

遺伝子は神聖な被造物」だからこそ「倫理的に問題」なわけ。

教典に直接 DNA と書かれてるわけはないけど、「アダムとイブが~」って話がすでに人による人の改造を禁じているわけです

そこを理解すれば、自分で書いたものを読み直せばちょっと恥ずかしい気分になると思う。

あと、私は生命科学者なので一応言っておくけど、DNA物質名前

DNA がつながっている」「DNA継承」は誤用で、「血がつながっている」「遺伝子継承」のほうが適してるかなー。

倫理」についても、「DNA」についても、誤解している人が書いているなあ、と気になったので、一応指摘でした

2011-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20110108023724

2、科学者科学知識をもった人がやっていても、ニセ科学批判という行為そのものは科学じゃない

科学科学証明法という手法である

科学証明法によって証明されることを科学的と呼ぶ。そうでないものは、科学的に現段階では証明できないとよぶ。

科学証明法によって、不可能なことが証明された場合、XXはありえない。と言うことも科学である

よって、否定する行為その物が科学的か否か?はその他の状況によるので、証明が必要。

  

ニセ科学批判という行為そのものは科学じゃない』という命題は、どのよう科学的に証明されたのか?が書いていない。

よって、命題2は成り立っていない。

よって、命題4は未証明命題2を使っているので、同様に証明が成り立っていない。

よって、命題2の証明を要求する。

ニセ科学批判がニセ科学であることの最終証明

1、「ニセ科学」=「科学じゃないのに科学のふりをした科学権威を利用して社会的影響力を得ようとする行為」と定義する

2、科学者科学知識をもった人がやっていても、ニセ科学批判という行為そのものは科学じゃない

3、にもかかわらず、ニセ科学批判は自身が科学でないとはいわず、科学権威を利用してる

4、よって、ニセ科学批判はニセ科学である証明終わり)

2011-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20110106021617

元増田だけど

僕は芸術性というのは第一原理的なモノが必ず作用している、つまり普遍性を伴っていると考えている。

それゆえに時代性、歴史性を考慮した作品評価は商業的にはありだけど、芸術的に評価するのはどうかと思っているよ。

本当に芸術であれば全時代的に、マーケットに左右されず評価されるはずだし、そうじゃない作品はいくら御託を並べたところでそれは商業だ。

 

研究って言っても、最近工学部だったらメディアアートばっかり流行って娼婦たいな自称研究者ばかりだしそういうくくりだと研究クリエイティビティとは思えないね

理学分野でも日本科学者は科哲の教養が無いから、実際に何を研究しているのか理解していない。

小室さんはその辺が理解できてたけど、彼がアカデミック異端であり続けたことはつまりもう日本クリエイティブのあるアカデミズムは死んでるんだと思うよ。

流れというか流行と偉い人の意向に沿って、働きアリをすることがアートか?

たとえばそういう彼らがいくら新しい発見したところで、それは偶然買った宝くじが当たったくらいの価値しかなくて、一過性のモノでクリエイティビティとは言えないと思うよ。

2011-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20110104002647

あなたの言う男女平等ってなんでしょう?

ちなみに、脳科学的な事実として、男女比が1:1の社会では

知的障害の数は絶対に男性の方が多く

犯罪者の数は絶対に男性が多くなる

同種の労働を行った場合うつ病になる人間は絶対に男性の方が多い

ここまではフェミニストも認める事実

でもこの話には続きがある。

これほどリスクの高い男性の脳だけど

IQ130以上の人間男性の方が多く。

偉大な発明家芸術家政治家科学者などの数は圧倒的に男性が多い。

これは、女性社会支配をしていた時期(たとえばエジプト)でもこの傾向は変わりない。

米国女性社会進出率は非常に高く、管理職に居る女性の数も50%近いが、有名企業取締役会女性比率は非常に低い。

からライス国務長官カーリー・フィオリーナが注目されるのだ。

この2人が男性ならさほど注目されない。

こういう生物的な絶対的な違いがある中で、男女平等って何?

ナデシコプランたいに、女性ってだけで研究費を上げること?

一部の旧帝大でやってるみたいに、女性加点制度を行うこと?

2010-12-25

アンチ似非科学原理主義者を恋人に持った女のつぶやき

昔、強固なまでのアンチエセ科学原理主義者とも言える人と婚約をしていた。

私はそれを否定しなかったが、それでも日々積もる不信感は拭えなかった。

向こうの家族といった初詣

一人おみくじを引かない彼。

ここで、この強固な思想についていくことに限界を感じて別れを決めた。

私も科学者だったことがある。だが、心を病み、それどころでなくなっていた。

エセ科学が人を騙し、お金を吸い上げ、騙された人は何の効果もない「作業」を

することになる。

それを彼は許せなかったようだ。

生活の中で科学的な思考が問われる瞬間など、

実はそれほど多くない。

マイナスイオンドライヤーのうさんくささも、科学的云々の手を離れて

ユーザーからの「効果があるようなないような」という評価に落ちついている。

エセ科学を片っ端から論破していこうという皆さん。

あなたたちが作り出した不完全な科学

その科学証明できないものはすべて偽。

その偽が、人を幸せにすることもあるのですよ。

子どもの成長を願い、こいのぼりを上げること。

七五三参りをすること。

これらは、科学を模しているわけではないかエセ科学はないけど、

科学以外全部撲滅派にとってはこういった「慣習」すら悪になるんだと

あちこちで言いふらして回る。

テレビに出ているタレントの発言に大きく笑う。

から、「でも、この人○○学会だよ」

○○学会人間だったら、面白いとおもってはいけないのか。

宗教を気にせず、一タレントとしてみているだけの一般人にまで

宗教いか非科学的か、そして人間にとって害悪か」と

説かれてしまって、科学性・合理性に少しでも欠ける要素を持つ

者をほめる、気に入ることが許されない。

そんな、「科学原理主義」は人を幸せにはしない。

彼は、自分が死んだら散骨してほしいという。

でも、祖母の葬儀にはきちんと参加するという。

科学原理主義で、輪廻転生など絶対に信じない彼が言った。

「生まれ変わっても君と結婚する」

結局、生まれ変わらなくても私たちは幸せにならなかった。

上の約束は、そもそも彼の中では嘘だったのだから、当然だ。

それでも私は言う。

祈りというものに効果がないことがわかっていても、

あなた幸福を祈ります

あなたの否定する生まれ変わりがもし存在したら、

その時はまっすぐにあなたの元に向かう。

そしてあなた言い訳を聞き、現世でなしえなかった

あなたとの人生を送って生きたい

でも安心してください。生まれ変わりなど、存在しないのですから

2010-12-07

いよいよ、この国が専門家軽視のツケを払うときが来た

昨今の民主党の数々の失政の最大の原因が、官僚の軽視にあることは論を待たないと思う。

そもそも、「ズブのド素人である政治家の、安易な思いつきで政治をやることが「リーダーシップ」と勘違いされるに至ったのは、いったい何時頃からなのだろう。既得権益解体し、ゼロベースの「政治家主導」で政策の優先順位を判断する。ここまではいい。しかし、実際に優先順位を判断し、具体的な施策を決めていくには、専門家の協力が不可欠だったはずだ。

そう、少なからぬ数の官僚自分権益を守るために行政を捻じ曲げていたとはいえ、それ以前に、官僚は各政策領域の専門家エキスパート)なのだ。しかし、民主党は、官僚全てを十把一絡げに「既得権益の象徴」として排除しただけでなく、代わって在野の専門家を味方に付けることもしなかった。

現在の迷走ぶりは、その当然の帰結と言える。どんな「リーダーシップ」も、それを背後で支える多数の専門家の協力無しには成り立たないという当然の話に、何故気付かないのか。

しかし、これら全ての責を民主党に帰すのも、また酷な話であるのかもしれない。なぜなら、こうした専門家軽視の態度は、彼らに限った話でも、今に始まった話でもないからだ。

学者科学者技術者医師弁護士裁判官、そして官僚エトセトラエトセトラ。この十年や二十年、我々の社会はひたすら専門家を貶め、その影響力を削ぐことに邁進してきた。曰く、『あいつらは一般人に理解できない理屈を捏ね回してばかりで、社会常識からかけ離れている』。

裁判員制度などは、その典型だ。「社会常識の無い裁判官に任せてはおけない。市民感覚を反映してこそ、正しく罪を裁くことができる」。法を犯した人間を何百人と見てきた裁判官(=専門家)より、初見の一般市民(=ド素人)の方が正しい判断ができるとは、なんという傲慢だろう。

『いや、そのようなことはない。「はやぶさ」の帰還を成し遂げた科学者技術者達に、人々は惜しみない賛辞を送っているではないか』と反論する人がいるかもしれない。しかし、それは単に「はやぶさ」の感動的な帰還物語が「一般市民」にも分かりやすく、また自分達との利害の接点が見えにくいからに過ぎない。

果たして、宇宙開発に要するコストが、人々の身近な利害とのトレードオフとして明確に突き付けられた時、それでもなお手のひらを返さずにいる人間が何人いるだろうか。

政権が代わったことで露になったのは、「私は何も口出ししないので良きに計らってくれ。ただし、自分の利害に関わる場合は全力で阻止するけどね」という素晴らしい国民性だった。こうして、自分の狭い視野の範囲内での利害にしか興味のない人々による「総論賛成、各論反対」の前に、あらゆる政策は頓挫することになる。

まぁ、優先度の低い事柄の切り捨てを決断することも「リーダーシップ」の一部に入っているわけで、それすらできない「政治主導」とは何なのか、という話ではある。しかし、そこを押し切る決断ができないのも足腰の弱さ、すなわち専門的知見によるバックアップがない「思いつき駆動政策」の当然の帰結と言える。

こうして、事態はいよいよもって袋小路に陥った。

民主党が、そしてこの国が、今すぐ専門家軽視を改めない限り、次のフェーズとしてやってくるのはウルトラ保守によるバックラッシュ、あるいはカリスマの登場による熱狂と、それに伴う民主主義崩壊だろう。

2010-12-03

知ったかぶりをするバカが多い

NASAが重大な発表をしたわけだが

ニュースコメントブログを見ても、

「何をいまさらw」とか

「そんなの見つかってなかっただけで存在することに不思議はない」とか

地球生物常識ばっかで語ってお前らアホじゃねw」とか

そんな反応が非常に多いんだ。

そういうやつは何て無感動で、なんて知ったかぶりで、なんて科学をわかっていないのだろうと思う。

SF現実を混同して、机上の空論だったものが現実に有り得る、という発見をなぜバカにできるのだろう。

今回のニュースに限らず、重要発見ニュースで流れたときは少なからず同じ反応をする者がいる。

増田には文系の者が多いようなので文系にわかるように例えてみるとこんな感じだろうか。

ノアの箱舟が見つかったんだってー」

「そんなの聖書に書かれてるんだからどっかにあって当たり前でしょw何をいまさらww」

どう思うだろう?

おかしいことに気付くだろうか?

ただ、今ある常識の外の事象にとりあえず否定的立場をとるのも科学者の特徴。

ところが、机上の空論が空論でないことも夢見ており、そして空論が空論でなかった場合には素直に衝撃を受ける。

しかし、証明以前の段階では否定する。

こういう矛盾をはらんだ姿勢が、一般的に受け入れられないのだろうか?

2010-11-14

科学が信用されないのはなぜなのか?

科学信奉者への反感

http://news.livedoor.com/article/detail/5136929/

を読んで、雑感。

私自身は科学を盲信しているつもりもないし、信用していないつもりもない。

科学という方法で得られた結果に対して、ある程度の信頼をおけるという立場である。

盲信している科学者を見ると、科学者であっても科学のことは何も知らないんだなと感じる。

逆に反発している人もいる。

なぜ反発するかについて深く考えたことがなかったので、ちょっと考えてみることにする。

視野の狭さ

まず科学者視野の狭さが上げられる。

科学信奉者は「証明されたから正しい」「実証されたから正しい」と言う。しかしその実は学界の権威が言っていることを正しいとしているに過ぎない。

この意見は全く正しいが、その「科学信奉者」は科学をよく理解していないのであって、科学そのものに反発する理由にはまったくならない。

しかし残念ながらその「科学信奉者」はかなりの数、存在して、一流の科学者の中にも存在する。

「一流の科学者だからといって、科学について正しい知識があるわけではない。」

このことが良く理解されていないのは残念だと思う。

コンプレックス

次に相手への無理解などコンプレックスを刺激することもある。

科学信奉者は「月面は真空であり、無風である」と言う。しかし「月面に行ったとされるアメリカ宇宙飛行士写真では星条旗がはためいているのはなぜか」いう質問には答えようとしない。そこから生じる「あの写真は、本当は月面ではなく、地球上のどこかで撮影されたものではないか」という疑問に対しては、根拠のない妄想と頭から否定する。

一番のポイントは、「頭から否定する」というところだろう。

科学信奉者の視野の狭さを露呈する事実という見方もできるだろうが、ここではコンプレックスという切り口で理解を試みてみる。

何か理由があって科学的に完全に間違いと言うことができる場合もある。

その場合、「間違い」とだけ結論づけると、聞く人は自分の考えを否定されたように思う。

理解できない自分の無能さを暴露されたかのようにも思う。

本来ならば、相手にも分かるように説明してあげなければならないだろう。

相手に分からせるというのが難しい場合もあるが、その場合でも、頭ごなしに否定するのは良くない。

「一流の科学者だからといって、一流の教育者であるわけではない。」

このような頭ごなしの否定は、このようは科学への反発を生む。

これは科学者の説明が下手だったからであり、科学者責任なのではないだろうか。

例えば、

月面に行ったとされるアメリカ宇宙飛行士写真では星条旗がはためいている

と断言しているが、なぜ断言できるのか?

かりにはためいていたとして、「地球上のどこか」という説明以外の説明はないのか?

「こうであって欲しい。」という思いが科学によって否定されることを好まない人がいるのも事実だろう。

「それは科学的に不可能です。」という言明が受け入れられない人が一定数いるのも分かる気がする。

これは「子供意見」だ。

対象が科学でなくても、自分が納得できないことを受け入れられないのは子供だろう。

「妻が死んだ」という事実が受け入れられない夫に似ている。

そう言う意味では、これは科学の問題と言うよりは教育の問題の気もする。

ただ、「科学の説明」という側面もあるだろう。

未知のものや自然に対する謙虚さが欠落し

ういうところにも、「あこがれを否定された悔しさ」がにじみでいるような気がするのは僕だけだろうか。

負の側面

また事実、多くの事件などの負の側面もある。

そのような輩がすることといえば、ロケット打ち上げ連続して失敗したり、原発事故を起こしたり、とろくでもない。

技術力におぼれ、技術に凝るから、おかしな物を作ることになる。

まず、失敗というものは絶対に避けることができないものだ。

減らさなければならないのは当然だが、失敗なしに発展はありえない。

発展と失敗を天秤にかけて判断する必要があろう。

だから「失敗したから良くない」とは言えない。

もしそのように言いたいなら、一切の科学技術による恩恵を捨ててからでなければならない。

ただ、科学に対する慢心という側面があることは否定できない。

ちょうど子供が剃刀を持つと危険だから親が与えないように、

自分で安全に扱える範囲で取り扱う必要がある。

しかし、得てして自惚れというものは恐ろしく、私なら安全に扱えると思ってしまうことがある。

しかもこれは科学だけのことではない。

お金にしても、権力にしても、人は何かを手に入れるとそれにおぼれる。

そうならないように厳しい監視の目が必要である。

この部分について、我々は整備が進んでいないように思う。

現在研究で得られた成果は基本的に雑誌という形で一般に公開される。

この在り方は、もしかしたら見直す必要があるのかもしれない。

研究発明から重大な副作用が生じても「私の仕事発明とその実用化まで。発明品の使い方を誤る人がいても、それは私の責任じゃない」と責任転嫁する。

では、それを「買った人」に責任はないのか。

「欲しい」と言った人は、「本当に安全か」を確認したのか?

「必要は発明の母」と言われるように、要望がなければ科学は発達しない。

要望は、場合によっては単に「知りたい」という欲求であったりもする。

そして、その要望に対して、成果が常に求められ、競争している。

最終的な責任まで確認できるほどの余裕がない。

(もちろん、事柄によってはそのような重大な副作用が生じないかどうかきちんと確認しているものもある。)

そのような状況は一体誰が作っているのか?

問題は「科学」ではなく「科学者」にある

いずれも、「科学」ではなく「科学者」の問題である。

科学者」が信用できないから「科学」が信用されないのである。

科学に対して反発する人を見て、科学のことをよく分かっていないとバカにすることもできよう。

しかし一方でそのような態度がコンプレックスを刺激し、ますます反発を強めることになる。

そしてそのことは科学者待遇を悪くすることにもつながってしまう。

科学者はいかにあるべきか。

自らの待遇改善のためにも、真剣に取り組んで良い問題であると思う。

2010-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20101030185540

差別心を隠そうともしないネトウヨとか、

匿名有名人を好き放題に叩く名無しさんとか、

近隣住人の陰口叩いてる井戸端会議のおばちゃんとか、

居酒屋不愉快愚痴をこぼしまくるサラリーマン

他人の不幸を飯のタネにしている評論家や、

信者の弱みに付け込んで金をまきあげる宗教家

研究よりも詐欺の得意な科学者

政治のことより保身に必死な政治家とか、

ガチ犯罪者さんたちとか、

それらと自分は決して違うと信じている増田さんとか、

適当に思い浮かぶだけでもけっこう出てくるね。

在特会右翼の底辺)とか、VIPPER2chの底辺)とか、

主婦の底辺、サラリーマンの底辺、評論家の底辺、

詐欺師池田大作福永法源大川ナントカホメオパシー論争の攻守、政治家ネット

犯罪者

「と、頑張って底辺を並べればホラ結構同じようなの居るじゃないか!

 俺達はてサだけがひどいんじゃないよ!」


…って弁護なの?自爆なの?

http://anond.hatelabo.jp/20101030180331

世の中にあんなに卑しいものがそういくつもあるかね

差別心を隠そうともしないネトウヨとか、

匿名有名人を好き放題に叩く名無しさんとか、

近隣住人の陰口叩いてる井戸端会議のおばちゃんとか、

居酒屋不愉快愚痴をこぼしまくるサラリーマン

他人の不幸を飯のタネにしている評論家や、

信者の弱みに付け込んで金をまきあげる宗教家

研究よりも詐欺の得意な科学者

政治のことより保身に必死な政治家とか、

ガチ犯罪者さんたちとか、

それらと自分は決して違うと信じている増田さんとか、

適当に思い浮かぶだけでもけっこう出てくるね。

2010-10-13

http://anond.hatelabo.jp/20101012234739

科学者なんだから証明すればいいのに

マジでこういうレベルの超馬鹿が国政の意思決定してるんだろうな…。

ほんと終わってる。

2010-10-12

一番じゃだめなのか?について

今だに一番を目指すと二位を目指した場合との

技術的、経済効果比較が出てこないのが気になる

科学者なんだから証明すればいいのに

とりあえず一番を目指さない場合には

税金節約できることは確定です

2010-10-11

ノーベル平和賞談合は何が問題なのか?

http://twitter.com/usoki/statuses/26906631024

これに賛成するほうも反対するほうも政治談合=汚れという前提を共有してるようだけど、何か賞を与えるときは事前に関係者との調整根回し話し合いとかするのが当たり前であって批判されるべきでないだろう。

こういうのを批判する人たちは「批判されるべき談合」と「通常の事前調整」というのをどうやって区別してるんだろうか。

そもそも談合というのは入札前に業者がカルテルやって値段吊り上げて金が余計にかかるのが問題という話でこの場合ノーベル財団かなんかが金だしてるわけだから部外者がどうのと批判するのもおかしいし、誰が受賞しても賞金変わらないだろうに、いったい何を問題視したいのかね。

それとも一切事前調整するべきでないという立場なのか?その場合事前に話し合ってはいけない相手の範囲はどういう風に決めるんだろうか。物理化学とかでは事前に科学者から誰がいいか推薦されたりするのが当たり前なのに、平和賞だと政治家やら政治団体から推薦があるとだめだというのも変な話だと思わんのだろうか。

談合という言葉イメージに引っ張られて深く考えることもなく表面的な批判をしてるようにしか見えない。

http://anond.hatelabo.jp/20101011130544

認めるかどうか、ではなく「認めるかどうか」を気にせざるを得ないのが子無しの業という奴だという話だ。

生物学者が「子無しは生物学的に負け組」みたいな非科学的・反科学的な言説を肯定する可能性なんかゼロだろw

科学者生物学者を馬鹿にするのもたいがいにしとけ。

2010-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20101007165000

科学も専門化したせいでおかしくなっていると色々な人が言っている(科学者とか中心にね)

あまり聞いたことが無いんだが、例えばどんな科学者が言ってんの?

2010-09-25

ホメオパシーは確かに「正しい」

ホメオパシーだの代替医療だのといった、いわゆる疑似科学についてはあらかた意見が出されていて、もう議論の余地はないと思われるのだが、そうした問題について考えるとき、どうしてか疑似科学それ自体、もしくは推し進める当事者のことばかりクローズアップして、疑似科学を支持する利用者のことがあまり注目されないのはちょっと妙な話であり、この偏りはマズいのではないかと思う。

科学というのもつまるところ美術文学と同じであり、考案者と追実験者のコラボ、それを追いかけて信憑性や科学性を視認する研究者、そうして知識として蓄積された学問を後追いで学ぶ学生といった階層性が歴然として存在する。確からしさや権威は独創的な「表現者」が単独であれこれと試行錯誤するだけでは付随してこず、「鑑賞者」が群がってあれこれと議論することで科学体系は形成されるのだ。

とすると疑似科学もそれと同じことで、それが科学の衣をまとっていられるのは、「表現者」の誤謬だけではなく「鑑賞者」の支持も多大な要因としてあることが推測されるだろう。ところが件のホメオパシー議論では、「表現者」にばかり気を取られて「鑑賞者」側の心理を分析していくアプローチがあまり見られない。それどころか、医学と一対一対応させて医学に軍配を上げ、だからホメオパシーは誤りである、といったお決まりじみたストーリーで反駁する主張ばかりで、ホメオパシーという体系がなぜ批判されねばならないのか、という根源的な問題への解答を避けているものが少なからず多い。そうした偏向はつまるところ科学の絶対的真理性や反証可能性、さらにはアプリオリな真理の存在といった諸々の難解なテーマになんら疑問をもつことなく、権威の安楽さにフリーライドしていることの裏返しであり、彼らもまた科学という教条に絡め取られているのではないのかと危惧するに到る。

もはや焦点は「なぜそれが正しいのか」ではない。「なぜそれを信じるのか」である。「科学は正しいから美術文学とは違う」と言い張る人間がいる。そのくせ地球が丸いことを実地で確かめたこともないのだからおかしいものだ。正しさの担保が分からないなら、それは正しいのではなく信じているのである。ならば、「科学者ならそれ(=科学的知識)が正しいと言い張れるじゃないか」という反論は一見成立しそうだ。だが、それは同時に「疑似科学者ならそれ(疑似科学的知識)が正しいと言い張れるじゃないか」という主張となんら変わりないように思える。なぜなら、正しさの担保は今現在明確な形で示されていないからである。

ポパーにしろクワインにしろ、ある点で建設的な、もしくは過激な条件づけで科学の特徴を言語化しようとしたが、どれも一長一短で、条件づけした途端にそれまでれっきとした科学の一部であった知見が科学でなくなってしまう。幸い、ホメオパシーについては科学でないということはテストによって容易に示されるかもしれないが、知識の欠けた「鑑賞者」に関しては全く問題が別である。それがありがたい体系で身体の健康に役立つと感じられるなら、ホメオパシーもまた利用者にとって十分に医学でありうる。この認識論的な事情科学全般に延長できてしまうものなのだ。

今一度、問題点を問おう。科学というものは、証明能力を有する人間と利用する人間とで「正当」の意味内容が著しく異なり、しかも当の科学者であれ「正当」の普遍的な根拠が未決定の状態である。こう表現するとホメオパシー擁護論にも思われるかもしれないが、それは誤解だ。ここで言いたいことは、たとえホメオパシー支持者が科学的思考の持ち主でないとしても、ホメオパシーという体系それ自体が非科学的であることを決して意味しはしないこと、そして現代医学科学性がホメオパシー非科学性を意味しもしないことだ。後者の指摘については、免疫学が謎めいた「自然治癒能力」を反駁することが(今現在)できていないという一例でも分かるだろう。必ずしも、ある体系の正当性が別個の体系の正当性を否定するというわけではないのである。また、これが最も核心的なことだが、科学証明とは無縁のいずれの「鑑賞者」にとっても、信じることで一方を支持し、信じないことでもう一方を唾棄しているに過ぎないという深刻な背景を宿していること。

治療に関して、被治療者にはいかなる治療を受けるか選択できる権利がある。このことをしっかり認めた上で、ホメオパシーに傾倒する被治療者を理性的に説得することは、果たして可能なのだろうか。

2010-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20100917141715

宗教側から言ったら、宇宙についても進化論についても科学の方が間違ってて、宗教の方が正確に把握してるんだよ。

宇宙は空飛ぶスパゲッティモンスターが作ったわけだけど、科学者はそれがわかってない。

2010-09-08

2006-09-20 ものすごく長いぼくが渋谷にいる理由。

さて、

膨大に仕事が溜まっているが、

やっぱり書くことはやめられない。

いつ死ぬかわからないので、

記録しておく。

『他人を意識し、比較すること。』

これってさあ、基本的にどっちかっていうと、

あんまりイイって感じじゃないよね。

自分らしさがなかったり競争意識が強すぎるように感じるから。

だけど僕にとってはマジ基本的な思想で、

成長するにはもってこいのこと。

たとえば、すごい人がいると、

僕とどう違うのかを考える。

年齢は?仕事経験は?今のことをどのくらいやってる?

過去経験は?好きな本は?日ごろどんなことをやっている?

読んでる本、習慣などなど

あと、話し方とかから、ざっくりとした考え方や思想、

行動様式などを考える。

何が成功要因で、何がその人間を突き動かす要因になっているのかを常に考える。

で、今なにやってて、これからどうしたいのかを考える。

ってな感じで、ぼくと比較する。

この人に追いつくにはどうすればいいのかなー。

いまこの人は○○歳だから、あと○○年後には、

僕はこの人のレベルにたどりついていないとな。

てことは現在能力値、経験値を考えると

○○やって、○○と○○を○○くらいやらないとだめだな。

とりあえず○○しよう!

ってな感じでざっくりとした筋道ができる。

これを何十人もやってると、

重複してくるところがいっぱい出てくるので、

それのプライオリティーを高く設定し、リソースを集中していく。

ってなことをやる。

ここで大切なことは、

修正条件として、時代のちがい、生まれた環境育った環境の違い、

思想信条のちがい、方向性の違いなどをちゃんと考慮しておくことだ。

全て負けているからといって、その人の模倣に尽力してちゃダメ

オリジナリティがなくなるし、そんなんじゃうまくいかないからね。

このように、僕は他人を意識し、比較することでここまできた。

あの人には勝っているとか、この人には負けているとか、

この人のここはダメとかそんな次元じゃない。

ただ常に成長したいと考えているだけだ。

これらをちょこっと抽象度を高めると、

いろいろと情報リソースの窓口をオープンスタイルにしといて

一気に収斂し、凝縮しオリジナリティを加味し、質を高める。

そんでもって自分の行動様式・思考様式にインプットし、

とりあえず試験的にベータ版として投入。

やってみてあわんかったら、原因を把握し、修正するか破棄するか考える。

良かったらα版にして、完全に組み込む。

その過程でも常に改善、修正、調整は行われるよ。

人は不完全な生き物で、完全な把握もできないし、完全な方向性すらわからないからね。

つまり、人というものは矛盾した生き物であって、

目標の修正や方向性の変更は全然あってよい。

というか、その辺をグダグダいっても無意味だと思う。

人はいろんな感情が日々繰り返し更新してフロー的に流れて、

だんだんストックもされ熟成していって個人のその時期の意思とか判断が生じる。

だからね、複雑でいろいろだから変わるのは当然。

でも、たった一つの原理原則、ポリシーはあんま変えちゃいかんけど。

まあそれも20代では抽象的でいいと思う。

まだ社会のことをそんなにわかっとらんからね。

僕も今は適当に日々修正しながら、インプットアウトプットを繰り返している。

その中で今までのものとは全く異なった属性のモノを手に入れることが在る。

これはけっこううれしい。

弁証法的に生じた第三次派生物に関しては、

レベルアップの源泉になる可能性が秘めているからだ。

ドラクエでいうと、はぐれメタルクラス経験値。

けっこうあぶないものもあるけど、その辺は臨機応変に対処すること。

だからね、まずはベータ版で導入することが大切。

ってな感じで、生きていく。

んでもって時間ができると、

歴史上の人間の分析をして、日々考えたりする。

哲学者政治家文学者、慈善家、科学者企業家文明学・人類学者…

世界中にはいっぱい著名かつ優秀で世界に影響を与えた人物が

たんまりといるわけでかなり勉強になる。

一度、3年くらい集中して勉強したいが

日々のタスクを考えるとまあ無理だろう。


僕の頭の中はほとんど仮説で構成されている。

それを実証したいと思うが、

そのためにはかなりのリソースが必要なので

現実的でない。

よって、これをやったら大体の仮説に、ある一定以上の確実性を

与えることができる、というようにもっていこうと考えている。

ってなわけで、僕は京都タスクを一時停止し、

いま渋谷にいるのです。

おわり☆

2010-09-05

ホメオパシーじゃないよ

もう200年以上前からあるんです。

元々はイギリス科学者の人が開発したんだって。

理論はよくわからないけど、ある意味、「同種療法」ってやつに近いみたいです。

身体の自然治癒力を引き出すための方法なんで、時にはいわゆる「好転反応」ってやつに近いような状態になっちゃいます。でも、心配しないで。

こういう反応は、身体がきちんと反応している証拠!

反応が強ければ、強いほど効果が高いことは実証済み!

しかもこの方法は200年以上前に開発されたのに、今でも医療重要一角を担っているんです。

世界中で実用化されていて、国によっては政府お墨付き!そういう国では政府からの補助金もでてるみたい。

ただ日本保険診療は使えないから注意してね。

保険が使えないし、決して安いわけじゃないけど、それだけきちんと作られたものだってことだから安心だよね。

日本人の中では、これに対して根強い反対派が多くて、ネット上には批判的な意見が多いけし、新聞でもネガティブキャンペーンがおこなれることがあるけど、そんな情報にまどわされないで!

この方法を知らなかったり、近くにやってくれるところがなかったりして、つらい思いをしている人が世界中にたくさんいます。

そういう人を一人でも少なくすることが、この方法の推進者たちの願いみたい。

だから、周りの人にこの方法のすばらしさを教えてあげて!みんなが健康幸せになれるように!!

!!注意!!

これは、「ワクチン」について書かれた文章であり、「ホメオパシー」とは何の関係もありません。

2010-09-02

ホメオパシーとの「共存」を言い出した現代医療日本軍韓国合併と同じ

赤ん坊一人が死んだぐらいでホメオパシーを全面否定する感情的な攻撃が続いていましたが、科学者科学ライターからもあまりに心ない攻撃に批判の声が上がり始めました。現代医療ホメオパシーの駆逐をようやく諦め、ホメオパシーとの共存を模索し始めたようです。

ですがその内容はとても共存とは呼べないもので、ホメオパシーを支配下に置き限定的な自由を認めるものにすぎません。通常医療と言う言い方が示しています!これは、大東亜共栄圏を目指すと言って李氏韓国中国を併合して行った日本軍と同じ発想ではないでしょうか。本当の共存は、完全に差別なく対等でなければなりません。

2010-08-31

ホメオパシーを信じている人にたった1つだけ言いたいこと

科学と言っても範囲は広いんです。

医学ホメオパシーを否定しているのは

化学で認められないからではなく

生物学てきにおかしいからでもなく

物理学的にそんなエネルギーないからも違い

ただ、一点。

統計学的に、効かないと証明されたのです。






科学者たちは、自分たちが間違っているのかもしれないと考えて実験しているのです。

自分たちが正しいと思って実験をすれば見えないものが見えてしまう。

だから予断や予測、思い込みの入らない方法を、自分たちが見たいものだけしか見えなくならないように実験するのです。

その上で、ホメオパシーの効果を測定する実験は行われ、

結果として効かないと、効果が無いと、何もしていないのと同じだと、統計学的に証明されたのです。




だから、科学者たちは、ホメオパシーは効かないと言っているのです。

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