はてなキーワード: 二日酔いとは
金を直接扱う仕事を新人に丸投げしてたゴミみたいな役所が、一体どこで無駄な人員を使ってきたのかが追求されるんだぜ。
昼の体操ぐらいなら「健康維持のため」って言えるだろうけど、なにか一つでも運動会やレクリエーション的なことで時間無駄にしてたら日本中から焼き尽くされるんだぜ。
それこそ飲み会してただけでも「二日酔いで次の日の仕事の能率が落ちるだろ死ね」って感じになるぐらいの熱気が高まってると思う。
売上に繋がらねえくだらんお遊びを社員同士で強制しあう組織って今の時代マジで嫌われてるしし、それが公務員ともなればヤバイだろうね。
復職してまた一人暮らしを始めたけれど、報告がてら昨日久しぶりに実家に顔を出した
ぼんやりとしか記憶がないが、ゲロ吐きながら家族の前で声を上げて泣いた
病気になったとき、やっぱり死ぬのが怖くて仕方なかった、でもそういうのを家族には言えなかった
コロナ禍で面会ができなかったし、優しい看護師さんがたまにそういうのを聞いてくれた
自分が病気してみて、見守るしかない家族のほうが自分よりも辛いんじゃないかなって思っていた
家族は自分より不安だったと思うから、家族の前では泣きたくなかった
でも昨日そういうの全部言っちゃった
あと最近体調が悪そうな父のことが心配で仕方なかったから、お願いだから元気でいてほしい大好きだからって叫んでまた泣いた
それ以外のこともいろいろ言ったと思うけどあんまり覚えてないし同じこと何回も言った気もする
昨日は泣いて酔いが回って歩けなくなって吐きまくって、家族に申し訳なかった
親元離れて自分ももう30歳過ぎて、親にそういうの面と向かって言う機会なかったし
本当は大好きだとか、ずっと元気でいてほしいとか
そういうのをなにも伝えられずに突然終わってしまうのが死において一番怖かったことなのかもしれないなと思った
今はなんだか安心している
二日酔いもやっと落ち着いてきた
相変わらずはてなの仕様は直感的ではなくて、「え?なに?どこクリックするの?」を繰り返してようやく日記を書いている。
昨日は久しぶりに酒場に行って酒を飲み、マスク越しにではあるがおおいに語った。
今日は二日酔いだが、それも苦痛ではない。頭は痛いがこうして日記を打とうと思う気持ちが湧いてくるということは、
昨日の時間に、ただアルコールを摂取するだけではない、何かがあったのだなと思う。
マインドフルネスはリラクゼーションや宗教関係のなかで語られることが多いから、瞑想して心を研ぎ澄ますイメージがある。
しかし、マインドフルネスは、「今、その時に自分のすべての関心を集中させる行為」と言ったほうが、より近いと思う。
何かに全神経を集中して、そのこと以外何も考えない。
それは、マインドフルネスに近い。
それを、自分自身に向けて、今自分自身がしていることに自分の全関心を向けるのが、長座部仏教の瞑想だと思う。
会話の際にはマスクを心掛けているが、もし、家族がいたら行くこと自体控えるべき行為だと思う。
楽しかった。語って聴いてまた語り、時には相手の矛盾を指摘し、そこから相手の本音を聞き出して、さらに共感する。
あの時間は、シラフではできない、酔い仲間同士の濃密なコミュニケーションがあった。
本音を隠して昼間を生きる人たちの、心の奥底に秘めた思いを知り、驚いたり、呆れたり、共感したりしながら、
でも、けっして全否定はせず、「そうか、なるほど、その気持ちよく分かった。」と返答する。
また、自分が語る時にも、時には大いに共感を得たり、「いや、そうじゃないんだ。」と違う視点を教えてもらったり。
その瞬間は、自分の本音を語り、そして相手の本音を理解することに全神経を集中させていた。
下書きもせず、いきなり増田に打ち込んでいるのは、酔っ払いの特権で多めに見てほしい。
ただ、昨日の夜を思い出していて、「あれってマインドフルネスじゃね?」と思い、ここに文章化した次第です。
それでは。
相変わらずはてなの仕様は直感的ではなくて、「え?なに?どこクリックするの?」を繰り返してようやく日記を書いている。
昨日は久しぶりに酒場に行って酒を飲み、マスク越しにではあるがおおいに語った。
今日は二日酔いだが、それも苦痛ではない。頭は痛いがこうして日記を打とうと思う気持ちが湧いてくるということは、
昨日の時間に、ただアルコールを摂取するだけではない、何かがあったのだなと思う。
マインドフルネスはリラクゼーションや宗教関係のなかで語られることが多いから、瞑想して心を研ぎ澄ますイメージがある。
しかし、マインドフルネスは、「今、その時に自分のすべての関心を集中させる行為」と言ったほうが、より近いと思う。
何かに全神経を集中して、そのこと以外何も考えない。
それは、マインドフルネスに近い。
それを、自分自身に向けて、今自分自身がしていることに自分の全関心を向けるのが、長座部仏教の瞑想だと思う。
会話の際にはマスクを心掛けているが、もし、家族がいたら行くこと自体控えるべき行為だと思う。
楽しかった。語って聴いてまた語り、時には相手の矛盾を指摘し、そこから相手の本音を聞き出して、さらに共感する。
あの時間は、シラフではできない、酔い仲間同士の濃密なコミュニケーションがあった。
本音を隠して昼間を生きる人たちの、心の奥底に秘めた思いを知り、驚いたり、呆れたり、共感したりしながら、
でも、けっして全否定はせず、「そうか、なるほど、その気持ちよく分かった。」と返答する。
また、自分が語る時にも、時には大いに共感を得たり、「いや、そうじゃないんだ。」と違う視点を教えてもらったり。
その瞬間は、自分の本音を語り、そして相手の本音を理解することに全神経を集中させていた。
下書きもせず、いきなり増田に打ち込んでいるのは、酔っ払いの特権で多めに見てほしい。
ただ、昨日の夜を思い出していて、「あれってマインドフルネスじゃね?」と思い、ここに文章化した次第です。
それでは。
相変わらずはてなの仕様は直感的ではなくて、「え?なに?どこクリックするの?」を繰り返してようやく日記を書いている。
昨日は久しぶりに酒場に行って酒を飲み、マスク越しにではあるがおおいに語った。
今日は二日酔いだが、それも苦痛ではない。頭は痛いがこうして日記を打とうと思う気持ちが湧いてくるということは、
昨日の時間に、ただアルコールを摂取するだけではない、何かがあったのだなと思う。
マインドフルネスはリラクゼーションや宗教関係のなかで語られることが多いから、瞑想して心を研ぎ澄ますイメージがある。
しかし、マインドフルネスは、「今、その時に自分のすべての関心を集中させる行為」と言ったほうが、より近いと思う。
何かに全神経を集中して、そのこと以外何も考えない。
それは、マインドフルネスに近い。
それを、自分自身に向けて、今自分自身がしていることに自分の全関心を向けるのが、長座部仏教の瞑想だと思う。
会話の際にはマスクを心掛けているが、もし、家族がいたら行くこと自体控えるべき行為だと思う。
楽しかった。語って聴いてまた語り、時には相手の矛盾を指摘し、そこから相手の本音を聞き出して、さらに共感する。
あの時間は、シラフではできない、酔い仲間同士の濃密なコミュニケーションがあった。
本音を隠して昼間を生きる人たちの、心の奥底に秘めた思いを知り、驚いたり、呆れたり、共感したりしながら、
でも、けっして全否定はせず、「そうか、なるほど、その気持ちよく分かった。」と返答する。
また、自分が語る時にも、時には大いに共感を得たり、「いや、そうじゃないんだ。」と違う視点を教えてもらったり。
その瞬間は、自分の本音を語り、そして相手の本音を理解することに全神経を集中させていた。
下書きもせず、いきなり増田に打ち込んでいるのは、酔っ払いの特権で多めに見てほしい。
ただ、昨日の夜を思い出していて、「あれってマインドフルネスじゃね?」と思い、ここに文章化した次第です。
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しかし、マインドフルネスは、「今、その時に自分のすべての関心を集中させる行為」と言ったほうが、より近いと思う。
何かに全神経を集中して、そのこと以外何も考えない。
それは、マインドフルネスに近い。
それを、自分自身に向けて、今自分自身がしていることに自分の全関心を向けるのが、長座部仏教の瞑想だと思う。
会話の際にはマスクを心掛けているが、もし、家族がいたら行くこと自体控えるべき行為だと思う。
楽しかった。語って聴いてまた語り、時には相手の矛盾を指摘し、そこから相手の本音を聞き出して、さらに共感する。
あの時間は、シラフではできない、酔い仲間同士の濃密なコミュニケーションがあった。
本音を隠して昼間を生きる人たちの、心の奥底に秘めた思いを知り、驚いたり、呆れたり、共感したりしながら、
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しかし、マインドフルネスは、「今、その時に自分のすべての関心を集中させる行為」と言ったほうが、より近いと思う。
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それは、マインドフルネスに近い。
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ただ、昨日の夜を思い出していて、「あれってマインドフルネスじゃね?」と思い、ここに文章化した次第です。
それでは。