はてなキーワード: ダブルバインドとは
ダブルバインドだよなあ
これで俺はレイパー認定という事でよろしいんでしょうか
レイパー認定じゃないかなあ・・・。ということで、認定おめでとう。
こういうプチ旅行的な状況で我慢した人は実際いるわけだし。
相手の気持ちをお互い尊重出来る関係ができなかったってことで終了だとおもうけどな。
トラウマのせいなんだろうけど、やっぱりややこしく考えすぎのような…。
自分の頭の中で元増田の人物像や思考を作り上げて膨らませ、それに対して勝手に恐怖している様に感じられる。要は被害妄想強すぎ。
元増田は「トイレに入ったけど怖くて30分ぐらい出れなかった」という恐怖感があることを事前に男性へ説明していません。にもかかわらず、この恐怖体験を増田に書いて、社会通念に基づいた同意をさも当然のようにギャラリーに求めてしまう。確かに無自覚です。
元増田の記事からは、旅行の前の段階でその「恐怖感」を説明していないとは判断できない。彼氏に「しつこく」誘われた時点で説明はしていたかもしれない(もちろん、しなかったかもしれない)。また、無意識でもギャラリーにその手の同意を求める気が有ったかどうかは増田の憶測でしか無い。
意図的ではないのでしょうが、二人で交わされた合意は平和条約のようなものだと思っています。理念として尊重されなければならないし、現実に実行される「ように」不断の努力をしなければならない。また、平和条約であるからには「守ること自体が正しい」という社会通念が条約を守ってくれるんですよ。その条約の内容が現実的に遂行できないものであっても、理念に共感する人が妥当性を問わずに見逃してくれるんですね。
むしろ、こういう発想は彼氏の方にこそ当てはまる。『男と二人で外泊=セックスは当然』という社会通念に基づいてそれを利用し、一方的に彼女との条約を破棄、というより元から無かったことにして、結果、彼女を恐怖させ信頼を失う切っ掛けをつくったのは彼の方。そもそもダブルバインドという言い回しが出てくることがよく分からない。元増田のスタンスは『旅行には一緒に行くが、セックスには応じない』で終始一貫していて矛盾は無いし、他に解釈の余地も無い。もし彼氏の側が彼女の条件を到底履行できそうにない、そもそも条件そのものが呑めない、というなら、もっと前に彼の方から彼女に条件を緩和もしくは破棄させる努力をしておくべきだった。
要は、「旅行先で彼女にセックスを迫るという社会通念からも許される行為を望んだだけなのに、彼女はよりにもよって大げさに怯えてトイレで30分も立てこもるというやり方で俺を拒絶して、俺のプライドを傷つけて俺を悪者にしやがった!」と云いたいんだろうけど、「彼女との条約を自分の勝手な判断で無視した」「そもそも守るつもりは無かった」この時点で非は明らかなんだから、結果どんな対応を取られてもそれは自業自得でしかない。「愛の証明」うんぬんのややこしい話じゃ無い。彼は約束を破った。結果彼女を傷つけた。それだけ。
「セックスしないならいいよ」っていったんだけどな~
http://anond.hatelabo.jp/20130311155911
ブクマやトラックバックを眺めて複雑な思いがした。社会的にこの男性のやっていることが間違っているかどうか、という視点から考えるのはいいんだけど、二人の信頼の築き方は妥当なのかということがスッポリ抜け落ちているんだよなあ。信頼関係の築き方が妥当かどうかを問うただけでレイプ魔と呼ばれそうな雰囲気で。
「付き合っている男性に対してトイレで30分恐怖する」という体験を自身がしてしまう、男性に目の当たりにさせてしまうって、お互いにとって不幸な選択だと思う。土から芽を出したばかりの苗に除草剤を撒いたら、あっさり枯れるよ。日帰りにしよう、部屋を分けよう、まだ私達には早いから旅行はしばらくおあずけだね。こういう選択を模索することが信頼の積み重ねにつながるんじゃないの?小さな信頼を築いていこうというステップで、相手に対して「セックスしないはず」「応じてくれるはず」という社会通念を突きつけあっている図式に見えるよ。男女の関係が社会から承認されることは重要だと思うけど、二人が社会と咬み合わない価値観を持っていても、それを大切に育てることも重要なんじゃないかな。
男性として一番イヤな気分になったのは、この状況って試されているよな、ってことだ。
私はあなたがセックスしたくてたまらないのを知っているし、お付き合いを始めていますが手を出されたら30分間恐怖して閉じこもるぐらいあなたを信頼していないし、私の意に反して手を出すことは倫理的に間違っていることを理解した上で、ボルテージの上がる旅行後に接触が容易な同じ部屋で私に手を出さないことを貫いてください。
わざわざハードルを宣言してこれを超えてみせろ、ってことでしょ。こういうタイプの方とお付き合いしたことがあるけど、この先何度もそういう形で「愛の証明」をクリアすることになる。クリアできて当然、クリアできなければ加害者として扱われるんだよ。ハードルを課す人間は、私が愛されているということを確認したい数だけ矛盾した要求を突きつけるし、俺はそこから正解を出さないといけない。典型的なダブルバインド。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89。「女心だから理解しろ」という意見も散見されるけど、それが心の問題であるならば、無条件に肯定しちゃうのはよくないんじゃないかな。俺は、元増田のような考えをする相手にはドン引きだから速攻別れるよ。
ということを思ったんだけど、これで俺はレイパー認定という事でよろしいんでしょうか。
(追記)
ブクマを読んだけど、誤解が多い表現だったかなと。彼女を悪者にしてでもセックスしたい、という読み方をしている人が多くてびっくりしました。速攻別れるってセックスできないのが理由で別れるわけじゃないんだよ。俺だったらセックスする気もなくなるぐらい気持ちが冷めるパターンだから、そもそも旅行にも行かないし、約束も合意もしないし、関係も維持したくないって話なのね。元増田のような合意に至るまでに自分の不甲斐なさがあることも含めてね。
ダブル・バインドの罪。子供を怒るということ : あぱかば・ブログ篇
でも欲求が満たされないとわかると 泣かなくなるのです
はてなブックマーク - 乳幼児が施設養育で損なわれる危険性-EUにおける乳幼児の脱施設養育施策の理論と方策-(PDF)
なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
あいつは人生のどっかで人を怒鳴るってことを覚えちまったんだな
無力と放棄態度を、スカタン上司に調教され、そして再び以下ループ、か。
友達至上主義とか、個性至上主義とか、コミュニケーション至上主義とか、勉強・暗記否定主義とか。
80年代~90年代前半までの教育環境は、顕在化してないだけで本当にひどかったと思う。(どの世代でもそういうふうに思うものなのかもしれんが)
勉強や学歴については完全にみんなダブルバインド状態に置かれてたし。(勉強するなand勉強しろ)
むしろカリキュラムの面で問題視された「ゆとり教育」世代の方が、議論もあったしまだ救われたんじゃないの?
その一つ上の、いわゆるサカキバラ世代周辺は、その「空気」を否定する言説なんて存在しなかったか、少なくとも学校の教室にまで届いてこなかったからなぁ。
多分リアル上野千鶴子を見てきたからというのと、はてなではFの人とFの人とKの人を見てきたからだけど。
フェミニズム論壇の人って「論敵とみなした相手にレッテルを貼る」とか、「進んだ学者として自らを見立てて、他人を馬鹿な学生であると見立てて馬鹿にして笑う」とか、
「全て男が悪い、という戦術と、「全て男が悪い」というメッセージを受けた奴は悪い、というダブルバインド戦術を取る」とか、
「自分が気に入らないことには、どんなに相手が説明を尽くしても、固定観念に基づいて悪として決め付ける」とか、そういうところがあって好きじゃない。
自分でフェミニズムとか言ってる人は「ああ、レッテルで人を小馬鹿にして喜びたい、正義の持つ罰の快楽に忠実な性格なんだろうか、やだなあ」という強力な疑いを持っている。
真摯に性について掘り下げている人と、権力闘争のためにやってる人の違いはかなり目立ってあるように思う。俺のブログの掲示板でも見てきた。うんざり。
他人にうちの方針に口出しされる筋合いはないと腹を立ててくれても構わない。トライ&エラーでいくらでも試してくれて構わない。完璧でないことなんて分かってて、そんなことで恨みはしないし、ひがみもしない。どんなことがあっても、仮にほんの僅かであっても、人生の貴重な時間を自分の為に費やしてくれた親に、兄弟に、教師に、いつかきちんと心からの感謝ができるから。
でも、
「だって、おかあさんとちゃんと約束したでしょ」
「じゃあ、どうして約束を守れないのよ」
「それくらい分からないの」
こういったダブルバインドなやり方だけは、どんな理由があっても肯定しないでいて欲しい。それは教育的なチャレンジなんかじゃない。括弧付きの”約束”の恐怖を読み取って欲しい。約束が守られたときにはその言葉は出てこないんだ。約束が守られなかったときにだけ、それは発せられるんだ。そしてこの言葉が出た瞬間、もう出口が無いんだ。自力じゃ脱出できなくて途方に暮れるんだ。子供の頃、このやり口にどれだけ追いつめられてきたか。これがどれだけ自立の足かせになってきたか。この呪縛を取り去るのに、三十をとうに越えた今でも苦労している自分の、個人的な願い。
子供に共感するのに、猫なで声はいらない。視線を下げてもらわなくても構わない。言っていることが前と違っても構わない。ただ、出口を塞ぐような問いつめ方だけはどんなことがあっても正当化しないでいてほしい。
panivip ▼日本人男性 ・レイプ発生率世界最少・DV発生率世界最少・休暇日数世界最小・既婚者の昼食代(平均500円)、1ヶ月の小遣い(平均2万円)世界最小・余暇、自由時間世界最小・労働時間世界最大・年間自殺者数(約3万)世界有数
http://twitter.com/panivip/status/19812226550
panivip ▼日本人女性・テレビ視聴時間世界一・化粧品使用量世界一・無駄遣い世界一・余暇、自由時間世界一・無職(専業主婦、家事手伝い)の人数世界一・売春婦(援助交際、AV女優、風俗嬢、水商売、出会い系サイト)の人数世界一・年間中絶件数(約30万)世界有数
http://twitter.com/panivip/status/19812260552
並べてみると「自由時間は悪」「小遣いは悪」「性行為の取引は悪」のような女への要求が、
自殺者も増えるわけだ。恐ろしいわぁ・・・
私は自己評価が低い、完璧主義、コミュニケーション能力が低い。仕事など努力をして結果を出して評価を得ても、自分に自信が持てない。
身近にいる人が不機嫌そうだと自分が何か悪いことをしたんじゃないかと不安になるとか親について悩みを書いたところ、アダルトチルドレンじゃないかと言われてアダルトチルドレンについて調べてみた。
両親は専業主婦の母と働きマンの父。べつに虐待をされたとかもなくってごく普通の一般家庭。
ただ母親は感情でしか物事を見られない子供っぽい人。振り返ってみるとダブルバインドなことをよくされていた。
30歳近くなってもいまだに何かしようとした時に「これは母が嫌がるだろう」と思うと罪悪感にとらわれる。
父親は地頭がいいがそれゆえにマッチョイズム。そして気分で怒る人だったので、何をしたら怒られるかがわからなくていまだにビクビクしてしまう。
友だちは少ないながらもいるが、ありのままの自分を見せたら嫌われると思うので、怒りなど負の感情は隠していつも三枚目キャラでいる。
恋人がいたときはそれがさらにひどかった。嫌われるのが怖くて自分自身のコアな部分は見せられなかった。感情をぶつけ合うケンカもできなかった。
今思うと母親の愛し方は条件付きの愛ってやつだったんだと思う。
何か思いついたらまたメモる
増田には「俺は妻以外の女とセックスするけど、妻が俺以外の男とセックスするのも全然OKだから、これで平等だし対等だよNE!」とか言ってる男がいるけれど、アホじゃないかと思う。
それ、全然平等でも対等でもないじゃん。だって、セックスの結果自分の身体に起こりうるリスクが男と女で全然違うんだからさ。
男は他の女とセックスしたって自分の身体に起こりうるリスクはせいぜい性病くらいなもんだろ?でも女の場合は自分自身が妊娠するリスクがあるわけだ。(男は浮気相手が妊娠するリスクがあるだけ。自分自身の身体は妊娠なんてリスクは負っていない。)
そんなんじゃ、ただ「他の男とセックスしてもいいんだYO!!」とか言ってたって全然説得力ないんだよ。
そういう言葉に説得力を持たせるためには、セックスの結果妻の身体に起こりうる結果全てに責任を持つと表明しないと駄目だ。
すなわち、「俺は妻以外の女とセックスするけど、妻が俺以外の男とセックスしてその結果俺以外の男の子供を妊娠しても、妻の妊娠期間中生活の面倒を見て出産も全力で協力し子育ても全面的に支援するYO!それで妻が他の男の子供を出産して子育てするために、俺の子供を妊娠し出産し子育てする機会がなくなったとしても構わないYO!」って、そんくらいじゃないと全然平等でも対等でもないんだよ。セックスの結果起こりうることが全然違うんだからさ。
「他の男とセックスしていいYO!でも俺はその結果妻の身体に起こりうることには全く責任持たないけどNE!」なんてとんだダブルバインドだ。
統合失調症を作りやすいダブルバインド -あるがままの自分を取り戻す
ダブル・バインドの罪。子供を怒るということ : あぱかば・ブログ篇
でも欲求が満たされないとわかると 泣かなくなるのです
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[体罰][共謀][対人関係][警戒]パシンとたたく音。許してください。
なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
あいつは人生のどっかで人を怒鳴るってことを覚えちまったんだな
古い記事に長文トラバごめんなさい。失礼します。
http://anond.hatelabo.jp/20090628172950
ああ、ああ、いつもこうだった。
私はときどき、何の前触れも無く小さな反発をする。
といっても、ランドセルを玄関に脱ぎ捨てたまんま部屋に持ってかないとか、少しだけこぼした水を拭かないでそのまんまとかいった、たいていたわいもない内容。
しつけの失敗を目の当たりにして、うろたえる母。
「なんでこういうことするの?」と問われて、私は必死に考える。
なんとなく、したくなかっただけ。
ん?なんとなくじゃ理由になんないなぁ。
だっていつもはランドセルも水の始末も、何のためらいもなくできていることなのに。あれ。あれ。
私はなんでこういうことするの?
私の「不快」の原因フォルダはどこにあったのか、脳内で必死に探し回る。
今朝寝坊して怒られたことか、夕べ宿題の取り掛かりにぐずって説教されたことか、はたまた3日前に祖母についての愚痴を聞かされた時のストレスか。
思い当たるふしはある。けど、どれもこれも直接の理由というにはピンとこないし、強いて言うならもう全部だ。
全部?全部ってなんじゃそりゃ。なら違うか。もっと前だ。
1週間前、1ヶ月前、1年前、3年前、5年前・・・。
違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。
際限なく開かれるウィンドウ。
「なんで」攻撃をやめない母。
処理能力の急激な低下。口がきけなくなる。
無言の抵抗にいらだつ母。
「黙ってたら何も伝わらないでしょ」
「説明しなさい、何言っても怒らないから」
このあたりから、「説明しなさい」という簡単な命令の処理すら即時に実行できない、自己の低スペックぶりをひどく反省しはじめる。
ああ、なんて私は「できない」んだろう。
寝坊するのも、宿題をすぐやっつけないのも、あのときのあれも、うん年前のそれも、すべて私が「できない」せい。
だから私は母を何度も怒らせる。何年経っても性懲りも無くこの人を不快にさせる。この人は何も悪くないのに。
ああ、ああ、なんて私はダメなんだろう。
脳内CPU100%。
ファンが回りだすように、こらえきれなくなった涙が畳に落ちる。
ばれたらやばい。ただじゃすまない。
うなだれた頭に容赦なく降ってくる怒号の嵐。
「泣けばいいと思ってるんでしょ!」
「そうやってまた私を悪者にしようとして!卑怯よ!」
ああ。ばれたか。
悪者でも卑怯でもなんでもいい。
もう二度としませんから許してください。
なんだかからだがあつい。くるしい。ふらふらする。よこになりたい。
「めそめそ泣いてないでなんとか言ったらどうなの!」
そうだ、なにかいったらかいほうされるかな。なんでもいい。いわなきゃたおれる。はやく。
「おえんなあい」
だめだ
ことばにならない
あたまががんがんする
おなかがいたい
いきがすえない
きこえない
たてない
そして、うちの親子関係が異常だったことも。
「うちにはおとうさんもいて、おかあさんもいて、きょうだいもいて、かぞくなかよし。みんなけんこう。せいかつにもこまっていない!」
小さなころから、なんて恵まれた境遇なんだろうと思っていたし、今でもそれを誇りに思っている。
元記事ブコメを読んで、言い尽くせないほど救われる思いがしたと同時に、会ったこともない赤の他人にひどく親を貶された気がして胸糞が悪かった。
私がこんなふうに思うのは、産んでくれた親への敬愛か、長年を共にした情か、はたまた生存本能か。
ちなみに父に叱られた覚えはない。
仕事人間でいつも帰りが遅かったので、もともとあまりなつくこともなかった。
時々悩みを話すと、あれこれ言葉を変えてアドバイスはしてくれるが、結局言いたいことは「毎日勉強をきちんとして規則正しい生活をしてたら悩みは消えるぞ!」の一点張り。
これはこれで至極正論なのだが、毎回こうだとどうにも頼りにならない。
私が上記のごとくフリーズしている時は、たいてい家にいないか、ただ困った表情でビールを開けながら母の私に対する愚痴を聞いてるかのどっちか。父関せず。
幸いなことに、親元から遠く離れた場所で一人暮らしをしている。
経済的な自立はまだまだ先の話。
人間関係はそこそこうまくいっている。表面上は。実際のところ、いつもわけのわからない謎の焦燥感と闘っているけど。
さて、なにからはじめればいいんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20090119095226
こんな機能あるのね。ありがとう。とりあえずエリクソニアン・ダブルバインド!!が面白かった。あとでまた読もう。
http://anond.hatelabo.jp/20090119101944
何コレ。面白さがよく分からん。
“使えない奴”を足切りする為の面接テクニックについて(d:id:p_shirokuma:20090111:p1)
まあそういうことなのだろうと思うので、採用御担当はどんどん実践していただきたい。面接官のやってることがほとんど精神分析みたいなことなので興味を持った、という感じでしょうか。
しかしここで語られるテクニックは、恐らく素人にも感覚的にわかるようなことであって、要するに、こいつなんかきめえ、一緒に仕事したくない、というのは世間話してればわかるじゃないですか。それを分析的に書くとこうなる、という点においては非常に参考になります。
回答から透けて見える、その人の価値観や生活状況。外部へのアウトプットや他人とのコミュニケーションよりも、自己満足を重視するような価値観の持ち主であれば、それが透けて見えやすい。
こういうのは、面接直前に付け焼き刃的に勉強しただけでは身に付きにくく、日常生活の態度・経験の多寡・素養しだいという部分が大きい。これから面接を受けるという人は、小手先の面接テクニック本を買い求めるよりも、その前に、自分自身の日頃の生活やコミュニケーションの態度を省みたり、自分の弱点に詳しくなっておいたほうが、得るところが大きいのではないかと思う。
という結論にも首肯せざるを得ないが、つまるところ過去二十年間とかそこらで形成されてきた志望者の思考パターンに依る、ということですから、さあ就活だという段になっても手遅れである、という意味だと思います。
それでこの話は「“使えない奴”を足切りする」話なのだが、足切りされる側としてはどうしようもないし、最低限の身だしなみを除けば、テクニックなんかないよね、ということになる。なので妙なテクニック本で儲けてる著者とかどうかと思う次第だが
まして疑問に思うのが、どうして「“使えない奴”を減らそう」という方向には向かわないのか、何故かお医者さんがいまさらこんな事書いてる、ってどうなんだろう、というあたりですが、私は医学も人事も専門外です。
ともあれ専門外なりに考えますと、この場合の必殺の面接テクはまさに幼少からの思考パターンの形成にかかっている、ということで、採用御担当はお呼びじゃないとして、お医者さんができることはなんかあるんじゃなかろうか。ないのか。
というのも、ここで言われる「使えない奴」は、常に社会に一定数存在しているわけです。これを多少なりとも減らそう(というか使える奴にしよう)という方向性が見られないのは、これはもう社会に何らかのレイシズムがあるということですよね。そういう人らは浄化されるべきだみたいな。
で、この「使えない奴」には、ぶっちゃけ適応障害の人とか相当数含まれると思うのですが、こういう人の存在がさほど珍しくもないという場合に、こうした足切りテクニックが広まることでどこにも行き場がなく、一生使えない奴の烙印を押されるか、望まずして派遣の立場に甘んずるを得ず、現実もまたその通りである、という社会の歪について、君たち法律がこうだからこうなのだ以外の思考はないのかね?というのはもはや誰に向かって言ってることなのか全くわかりませんが、思うことですね。まあ浄化作用なわけですね。わかります。
さて自分が新卒で就活した時を思い出してもそうだったが、どこも判で押したようにこういう意味深な、というかよくわからん質問をされたもんです。で、このよくわからん質問というのも、結構ダブルバインド的だなーと感じたので、これマジになったら自分がやばいなと。こうして妙に賢者モードになったせいで、その後えらい苦労しましたが(笑)やっと入れた最初の会社が、そんな採用活動をやっておきながら、蓋を開けたら営業戦略も何もないどえらい場所で、まさに精神的に死にかかったという、それはさておき
はっきり言うなら、この手の質問を繰り出す面接官は、“あなたが何を頑張ったのか”には殆ど興味を抱いていない。
というのは面接する技術としてはありだし、よく言われることでもありますが、面接される側がこれをコマンドとして受け取ってしまうと、多分にダブルバインドくさいと思います。まあダブルバインド言いたかっただけですが、この場合、要求されるのは過剰な空気読みであって、志望者の心理に重大な負荷を与えます。あるいは鉄面皮みたいなのだけが生き残ります。つか空気読みと鉄面皮の組み合わせって何だ。
ということで皆さん、空気読みとか鉄面皮が欲しいのでしょうが、それで現場がうまく回るかと言うと、そんなこともなくてですね。新卒が三年で辞めると言われた時代がありましたが、そんな折になぜ人事部門がクビにならず存在し得たのかも、今となっては大いなる謎です。使える奴採ってこい、って言ってるのにですよ。それこそ社長の心眼に一存、とかの方が遥かに真っ当だし、それは経営者の義務とも思いますよ。なんか採用活動に金かけすぎじゃないですかねー。いったい誰に踊らされてるんですかー。
あと心理検査ですよ。科学的にどれだけ有効性があるんだかわかりませんが、学校でも対策授業やってたり、今にして思うとアホかと。聞けば現在でもクレペリンやらその亜種が横行しているようで、これについてお医者さんとしてどう思われるのか、というのも大いに気になるところです。
あとネタモトであるところの「74冊読みました」と言ったら「それは何がすごいの?」と返された、というのは、面接官の微妙な反応(一種の圧迫だろう)に負けず、鉄面皮にも「何がすごいのか」を滔々と説明できればよかっただけだと思われます。すると、これのどこが意味深なんだろう。あれ??
よく女性が感情的・感覚的であるさまを「子宮で物を考える」と侮蔑的に言うことがある。
子宮と言えば性的なものなので、この言葉は女性が性欲に流されるさまを指しているように聞こえる。
それから、食欲とも関係している。性欲を司る脳部位と食欲のそれとは隣接しているから。
性欲や食欲に支配される自分に嫌気がさしたことは誰にでもあるはず。
だから、性欲や食欲に支配される馬鹿だと言われると頭に来る。
知らない人も多いようだが、本来は「子宮で考える」というのは女性の神秘的な第六感を褒めて言われていた言葉である。
子宮→性欲
という連想ではなくて
その結果、あたかも女性的思考が悪いことであるかのような認識が生じてしまう。
これに類似した例を考えてみよう。
痩せた男を「ヒョロ男」と言うことがある。
痩せてるのには良い面と悪い面があるが、ヒョロ男というのはむろん、悪い面を指している。
だから、この言葉を使うことで「痩せてる男は良くない」という認識が生じてしまう。
なるほど、明らかに痩せすぎな男をヒョロ男と呼ぶのは妥当なのかもしれない。
しかしながら、程よく痩せてる男にもヒョロ男と使われることがあるのが問題なのである。
例えば、フィットネストレーニングをしている友人達がいるが、彼らは「60kgの男なんてダサい」といった世間一般からはズレた価値観を持っている。
彼らの輪の中にいて60kg近くの男性がヒョロ男と呼ばれるのを繰り返し聞いているうちに、いつのまにかあたかも
このように悪い面だけを強調していると、いつのまにか対象を悪く判断するようになってしまうという現象がある。
こんな例もある。
悪いことではないのに、オナニーばっかりしてる男はダサいという認識が多くの人に共有されているという現実がある。
彼女いるいないに関わらずオナニーというのは多くの男性が多かれ少なかれするものである。
それにオナニーの悪い面がよく指摘されるが、それも医学的には不確かなものが多い。
逆に良い面もある。
オナニー中の脳の活動が非常に活発だったという研究結果があるし、性機能が高まったり、セックスの擬似訓練ができたりする。
それなのに悪い面だけが強調されて「オナニー」という言葉が使われることが多々ある。
こんな書き込みが2chにあった。
「>>26 俺が一番、他の人は糞メソッドですね分かります。オナニー乙」
良い面もあるものが、こんなふうに悪い意味で使われるのは残念なことである。
これと同じ現象が「子宮でものを考える」の件でも起きている。
学問のような理性的とも言える知能活動ですら、時には論理をすっ飛ばして物事を直観するからこそ偉大な業績につながる。
また、「机上の空論」という言葉があるように、優れて理性的で抽象的な思考であっても現実に即していなければ役に立たない。
現実に即した行動をとるためには、「具象的思考=感覚的思考」を合わせることが不可欠なのである。
なのに、「子宮で(ry」という言葉によって価値が貶められるのは暗澹たる思いがする。
ところで、「ダブルバインド」をご存じだろうか?
これは心理学用語であり、暴力を与える側と暴力を受ける側の相互の依存関係を指す。
例えば、暴力夫を妻が黙認するどころか、暴力をついふるってしまう夫に対する同情をしてしまうと、
互いに抜け出せないDVの泥沼にハマってしまう。
こういうのをダブルバインドと呼ぶ。和訳すれば「二重拘束」。
夫が暴力で妻を拘束するのと同時に、妻も「夫の暴力を黙認し止められなくしている」という意味で拘束しているというわけだ。
男性が「これだから女は」と言うのを女性が黙認してしまうと男性は言葉の暴力を止められなくなる。
それどころか、横柄な男を「男らしい」と思ってしまう女性さえいる。
そのような間違った男らしさがもてはやされることで、本当の男らしさが見えなくなってしまう危険性もある。
例えば、「ケンカの強い男がカッコいい」と思う女性が存在することで、需要と供給の関係じゃないが、
「ケンカが強い男」や「ケンカが強いのをカッコいいと思う男」が生産されてしまう。
言うまでもなく現在の少女漫画や女性向け小説の登場人物には、九州男児のような古き良き男らしい男性はあまり登場しない。
それどころか、今の少女漫画には「兄萌え」や「ご主人様萌え」もあるらしい。
そういうメディアの影響はきっと計り知れない。
総じて言えば、女性はM化の方向に動いているという面が間違いなくある。
SMを長くやっている友人も最近M女性が増えてきたのは嬉しいが今までとは毛色が異なる、と言っていた。
曰く、「昔のM女性は内気な人が多かった。今はほんとにMかと思うような闊達な女性までもがM。それに自己中心的で娯楽気分なMが増えた」。
そう、娯楽気分で男らしさを求めているという表現がしっくりくる感じがする。
メディアに踊らされているという意味では、今の「男らしさ」は歪んでいると言わざるをえない。
そして、男性どもはモテるためにその歪んだ男らしさに合わせて歪んだSになろうと努力するというわけだ。困ったことである。
この男女の構図は明らかにダブルバインドと類似している。
女性が男性の暴力を許すのみならず、一部の女性がカッコいいとさえ思うことで、男性は暴力を止められなくなる。
女性脳の良い面をきちんとアピールすれば、事態は少しは改善するはずである。
悪い側面だけ言われるのを許してはならないが、そのためには悪い面ばかり言ってるのを叩くだけでは、
図星を突かれて憤慨してるようにしか見えない。
なので、自らの良い面も主張する必要がある。
ところが、2chの男性論や女性論のスレをみる限りでは、女性は自らの良い面を主張するのにあまり成功していない。
女性脳の良い面を主張するよりは、男性の悪い面を叩くことで自己防衛してるふしがある。
そうすれば議論には打ち負けないで済むが、結局「女性脳に対する不当評価」を汚名返上出来ないままになる。
だから、議論が終わったあと、男性は「やっぱり女性は子宮で物を考える」と思うことになる。
もっと良い面を女性達が自覚するようにメディアが働きかければだいぶ違ってくるだろう。
OKOK。話は大変よく分かるし筋は通ってると思う。特に誤解はない。
そうすると、あなたと私の立場の違いは、国歌というのはどういう観点から誰が選ぶものなのか、そもそも何のためにあるのか、という点に関する認識の部分だと思う。
以下、三行でまとめ。
・そこで「開き直り」はあり得なくね? (あと最後に大事なこと言った!)
以上終わり。…とりあえず、暇が有れば以下を読んで欲しい。
国民主権の民主主義国家にあって、国歌を選ぶ主体が国民であることはまったく問題がないし(だからこそ国会で国旗国歌法が定められた以上アレが国歌であることを否定はしないけれど)、その際国民でない人には一票を(たとえ間接的であっても)投じることはできない、というのは実際その通りだ。でもそれは純手続き的な意味でそうであるに過ぎないのではないかな。国の「歌」というのは単に象徴として存在するだけではなく、事実様々な場面で歌わされるものでありそれによって国民の自覚を高め団結を強めるための道具であるわけだよね。神棚に飾ってあるだけでなく、事実使う、という。
従ってそれは、大げさに言えば日本という国の国民が持つ「国家観」に関わるものだと思うのだけれど、日本という国は、私の記憶が間違っていなければ、その憲法前文で「国際協調主義」を謳っておるね。
われらは,いづれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて,政治道徳の法則は,普遍的なものであり,この法則に従ふことは,自国の主権を維持し,他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
我々は日本人として『国家の名誉にかけ,全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓』っているはずだと思うんだ。その点から見て、
つまり諸外国の認識がヒトラー=天皇であるかどうかは関係ない話では?
国民が納得するかどうかと、諸外国が納得するかどうかというのは違う話ですし、諸外国が納得しないから国歌として不適格ってのも変な話です。
…と、これを「関係ない」で押し切ることが適切かどうか、私は日本という国家の『名誉にかけて』この主張はまずいんではないかと思うがどうだろう。
さらに言うなら、そういう国際協調を憲法で唱える国が、諸外国から旧戦争指導者とみなされる存在を讃える歌(そうじゃないという解釈は所詮詭弁だと思うね。戦前に教育を受けた人で『君』が天皇を指さないと考える人など一人もいないよ。歌を変えないが解釈だけ都合良く切り替わるなんという説は『味噌も糞も同じにする』ようなものだ。)を「国民統合の象徴」として用いる、というのは、はたして日本という国の『名誉』の問題として、どうなのかね。
もちろんこれは、根っこのところでは天皇制を存置したことと同じ問題ではある。そして、私は先に述べたようにそれが「充分にやむを得なかった」とも考えている。昭和20年のあの時点で、占領軍には天皇制を存置する以外の現実的な選択肢は無かったという考え方に説得力を感じるよ。だから日本人と占領軍はいわば「コソコソと」天皇制を続行した。君が代はその余録で残ったようなものだね。確実に言えるが、敗戦時に天皇制が廃止され天皇の戦争責任が追及されていれば「日の丸君が代」は廃止されていたんじゃないかね。その状況なら「過去を振り返るためにこれは残そう」などという案は一顧だにされなかったことは確実だ。(…ただし、天皇を訴追していれば、軍の武装解除は進まず、結果確実に内戦が勃発していたと思うがね。)
そして多分その事情は現在もなお変化が無いんだな。法制化された現時点でもまだ「君が代」は「コソコソと国歌らしい何か」として存在するのが唯一やむを得ない正しいあり方であり、いかなる開き直りの余地もそこには無い、と考える方が妥当だと思う。開き直った瞬間に、確実に二つ三つと戦後日本を貫いてきた論理が破綻するからね。
天皇制を存置させた以上、君が代をおいて別の国歌を作ることもできず、かといって君が代を大手振って歌うことにも矛盾が残り……というダブルバインドから、我々は免れ得ないんじゃないかな。
いずれにせよ、「過去をきちんと振り返る」ということはとても大事だし、戦争を振り返ることはとても大事だ。その発想には同意する。同じ意味で「(押しつけであろうが無かろうがいずれにせよ唯一の存在としての)日本国憲法を愛し守ってきた戦後60年の日本人」の歴史の重みもきちんと振り返るべき時期にきている気がするんだ。
ちょっと聞いてくれ増田よ。
今さとある先輩の席の後ろ通ったんですよ。うちの会社の。そしたらさはてな匿名ダイアリーって書いた窓開いちゃってるの!わお!お仲間?でもさ、ぜんぜん嬉しくないんだよね。そいつ仕事回しても殆ど動かないし、理解力に難があって他の奴の仕事の時間が取られるし、会社でもハブだから。一緒にプロジェクト組もうと人員集めるのにネックな人。まあお互い時間ないのは分かるけどね。せめてそんなにドデカクブラウザ拡げて増田をやるなと。で、よくよく見たらこのエントリーですよ。そんなわけなんで、後輩として謝ります。ちなみにダブルバインドとか言っていい気になってるみたいですがバインドされてるらしい新人ははっきり言ってデキる奴でスルーしてるし、上だからっていうだけで指導力の無いこいつの事なぞ鼻にもかけてないから言ってやったんですよ。こいつの為にも会社の為にも上にちゃんと報告しろって。この新人さっきこいつの上と相談終わらせたし、こいつももうすぐ何か言われるはずだし、この程度の事が楽しみらしいんで、ちょっと大目に見てやってください。
(Tさんに気をつけてください。)