他人にうちの方針に口出しされる筋合いはないと腹を立ててくれても構わない。トライ&エラーでいくらでも試してくれて構わない。完璧でないことなんて分かってて、そんなことで恨みはしないし、ひがみもしない。どんなことがあっても、仮にほんの僅かであっても、人生の貴重な時間を自分の為に費やしてくれた親に、兄弟に、教師に、いつかきちんと心からの感謝ができるから。
でも、
「だって、おかあさんとちゃんと約束したでしょ」
「じゃあ、どうして約束を守れないのよ」
「それくらい分からないの」
こういったダブルバインドなやり方だけは、どんな理由があっても肯定しないでいて欲しい。それは教育的なチャレンジなんかじゃない。括弧付きの”約束”の恐怖を読み取って欲しい。約束が守られたときにはその言葉は出てこないんだ。約束が守られなかったときにだけ、それは発せられるんだ。そしてこの言葉が出た瞬間、もう出口が無いんだ。自力じゃ脱出できなくて途方に暮れるんだ。子供の頃、このやり口にどれだけ追いつめられてきたか。これがどれだけ自立の足かせになってきたか。この呪縛を取り去るのに、三十をとうに越えた今でも苦労している自分の、個人的な願い。
子供に共感するのに、猫なで声はいらない。視線を下げてもらわなくても構わない。言っていることが前と違っても構わない。ただ、出口を塞ぐような問いつめ方だけはどんなことがあっても正当化しないでいてほしい。
お前が約束守れないからそういわれるんだろ。 それを棚に上げて30過ぎて親が全部悪い!か。本当に甘ったれてんな。
その「縛る人」みたいな方は、"約束"という言葉を、お使いになりますか。 それとも、「今度は、こういうことをして」と命令的な態度をする感じ? それとも、「期待して待っています...