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2010-02-21

英語勉強している人

英語勉強に関するエントリーはいつもブックマーク数がすごいことになる。それを見るたびに思う。「英語喋れてよかったなー」と。

変なコンプに悩まされることがないというのと同時に、ある種優越感のようなものも感じなくもない。

ところが、実際に英語を喋る場面がくると、自分想像以上に喋れなくなっているのを実感して愕然とする。

今日も友達(日本人)が外国人の友達を紹介したいというので一緒にごはんを食べていたんだが、その人は日本語を喋れないので必然的に英語でみんな会話する。

「あーこいつこういう英語話すんだー」とか「へー結構喋れるじゃん」なんて思う。そして自分を顧みると、以前ならやらなかった時制の間違いはおろか、語彙がかなり少なくなっていること、英語独特の発音の仕方を口が忘れていること、そんな山ほどのささいなことに気付いてしまう。

こんなふうにたまに訪れる英語での会話の度に思う。「昔の自分はもっともっと流暢に喋れていたのに」と。

英語勉強している人へ。

仕事英語を使うならいざしらず、ふだん英語を使わない人が単にコンプレックスを解消するために英語を喋れるようになりたいといって英語勉強して、それでコンプが解消されたとしても、それを維持するのはとても大変だよ。英語は使わないとすぐに錆びついてしまう。

ブックマークした人は「本当に」英語を喋れる(使える)ようになりたいのだろうか。

俺みたいになるのであれば、最初からその時間を他のことに使ってしまった方がいいのではないかという気がしてしまうよ。

2010-02-20

国境なき医師団」のマーケティングが卓越な件

ttp://blogs.itmedia.co.jp/speedfeed/2010/02/post-d4e6.html

僕は寄付請求のたぐいはいっさい信用しないというか、どう使われるか分からないお金を支払うのがイヤなので、これまでは基本的に無視してきた。

しかし、2年ほど前から実は「国境なき医師団」に寄付をしている。金額は微々たるものだ。一日50円、つまり月間で1500円に過ぎないので、特に誇れるようなものでもない。

とはいえゼロから50円/日の寄付に至ったのには理由がある。それは「国境なき医師団」が行っているメソッド(少なくとも一般に公開したマーケッティングメッセージ)が素晴らしかったからだ。

彼らの主張はこうだった。

世界には貧困迫害に苦しむ小国民族がまだまだ多い。

・その多くは先進国にとっての市場性もないし資源もないから、欧米諸国のメディアにも載らないことが多い。

だから自分たちの力で支援を続けているし、ボランティアバックアップが欲しい、というわけだ。

そして、多くの同様の支援団体と異なり、彼らのメソッドが効果的・効率的であることを訴える。それはこうだ。

貧困に苦しむ第三国の病人の多くは、栄養失調さえ改善すれば助かることが多い。

栄養失調は死因の20%かもしれないが、その20%が病気の原因の80%を占めるといっていい。

・だから彼らはまず栄養失調を改善するための(栄養価の高い)食料を直接病人達に届けるようにしている。

・食器も調理用具もない貧民のために、食料は手でも簡単に空けられる缶詰のみ。

・そしてその缶詰の中身はピーナッツバターに似たもので、指先ですくって食べることができる。

・この食事を与えた病人達の多くが栄養失調から回復している。

僕はこのプレゼンテーションに感動して即座に寄付に応じた。

同じような行動をした人も多いだろう。

いまなぜこのエントリーをしているかというと、二つの理由のためだ。。一つは寄付して3年目の今、「国境なき医師団」から来たダイレクトメールに再び感動したことを伝えるため、もう一つはマーケティングの在り方を論じるためだ。

ダイレクトメールには、これまでの寄付に関する謝意と、もう少し額を増やすことへの依頼があった。これだけならたいした意味はないが、その内容が具体的かつ心を揺さぶるものだった。

ダイレクトメールは、これまでの寄付額で、どれだけの食料を与え、それが結果的に何人を救うことができたかを数字で記してあり、さらにあと300円寄付額を増やすと同じ年月で、あと何人を救うことができるかを明示してあったのだ。もちろんその内容は個々の寄付者の金額に応じて自動的に作成するようになってはいるだろう。しかし、それでも、そこに記載されているのは確かに僕が寄付した金額であり、僕のささやか善意が彼らの努力によって形になったことを明確に知らせてくれているものだ。人のカネではない、僕のカネの成果があったことを教えてくれているのである。

http://anond.hatelabo.jp/20100218042117

http://anond.hatelabo.jp/20100218042117

元々の記事を書いたものです。

新卒で入って、辛い環境で頑張らないと金銭的に厳しい状況におかれるという指摘がとても多かったのですが、その点に関して、どうも個人的には納得いかないんですよね。

会社を辞めてふらふらと生きていたわけだけど、先日、よく行く飲み屋で雑誌編集長と出会いました。

それで「いま何もしないでふらふらしているんですよね」というと、「うちでライターでもやらないか、もしやる気あるなら、社員として雇うけど」という話になった。

それでまあ、あっさりと再就職が決まったわけです。

色々気になる人もいるだろうから、一応書いておくと、月給38万で週休2日です。

たぶん、新卒だとか、空白期間だとかに縛られている人は、まさに「古い価値観」である「エントリー面接就職」というサイクルにとらわれすぎているんじゃないかな。

別に、そんなに難しく考えなくても生きていけるのが、実際の、現実です。

辞めたくなったら辞めりゃいいし、その後のことは自分で足を運んで、人に会って、色々決めればいい。

エントリー面接就職」という「会社」を相手にする働きかけは、もう終わるんじゃないでしょうかねえ。だって、あまりに下らないし、辛すぎる。俺には無理です。

2010-02-19

社会人のための本気の英語学習

※最後に追記有り

そろそろ2010年も6分の1が終わろうとしているぜ。元日に立てた今年の目標はどうよ?今年こそTOEICで900点?今年こそ海外留学する?そんな目標は日々の生活に追われてすっかり忘れ去ってることだろう。社会人にとって最も重大な敵は日々の生活が忙しすぎることなんだよな。学生の頃はまだ自分怠惰であることに自覚できる。「オレ(私)はだめなやつだ…」そんな自己嫌悪にも浸ってられるんだ。でも、社会人はそれがどんなにしょうもない仕事の内容であっても、「オレは毎日、仕事をしてるんだ!今日英語勉強をしなくてもいいことにしよう。週末にいっぱいやればいいや」って思うことができるわけだ。

そろそろそんな自分ごまかす言い訳とはおさらばしよう。

まず、英語学習する理由なんだけど、それが昇進に繋がる、とか年収増加に反映される、なんてせこいことを考えるのはやめようぜ。本当に大変なことを行うとき、その先にご褒美が待っているという考え方は実はうまくいかないんだ。日々の仕事ならば嫌な上司ややりたくない仕事もなんとかがんばれるかもしれない。でも、ステップアップやスキルアップである英語学習っていうのは「あれば良いけど、なくても本当のところ困らない」ものでもあるわけだ。そういうなくても本当のところ困らない物っていうのは、それによって年収が100万円上がるよ、というご褒美じゃ人間動けない。これは行動経済学認知心理学研究からも明らかで、人は容易い方に流れやすく、勝手言い訳を見つけてしまう生き物ってことをまず認識しよう。

では、どう考えるべきか。それはもっと子どもの時に戻って、ただ「字幕を見ずに映画を見たい」だとか「海外旅行中に入ったバーやカフェでマスターとぺらぺらおしゃべりしたい」といった、そういうのかっこいいよな、って素直に思えることが重要なんだよ。

次に、回収しなきゃって思うことが重要。上にも書いたように、将来100万円もらえる、と考えてももらわなくても満足な現状で止まってしまうんだけど、先に100万円投資しておけば、死ぬ気でやらざるを得ない。もちろん100万円という金額は大げさだけど、自分が先に痛みを感じておくことが長続きする秘訣なんだよ。

たとえば、以下のようなエントリーがものすごくはてブがいっぱい付いてる。

英語コンプ馬鹿でも投資ゼロTOEIC900に達するたったひとつの方法

http://anond.hatelabo.jp/20090716175613

これ読んだ人、すごく多いと思うんだけど、じゃあ結局TOEI900点に達したのか?達してない人が9割、いや98%だと断言しても良い。もちろんオレもここに書いてある方法は間違いなくTOEIC900点に達する方法だと思うんだよ。でもね、続かない。ネット無料でできる。いつでもやれる。これは間違いなく続かない。これ心理。もし、対象が学生で、大学入試のために英語勉強しなきゃいけないっていうのなら、お小遣い使わせるのかわいそうだし、そもそも彼らは大学入試っていう明確な目標があるからがんばれると思うんだけど、社会人は何度も言うように言い訳がたくさんできるわけ。にもかかわらず、無料でやろうなんてせこすぎ。もちろん無料でやれるほど精神力が強いならこんなエントリー読んでないし、既に英語TOEIC900点どころか、TOEFL受けて海外大学留学してます罠。

だから、学生ならともかく、社会人は必ずお金を使うべき。これはダイエットと一緒。ジムランニングマシーン使わなくても家の周り走ればいいんだよ、無料なんだから。でも、月会費払うからこそ、毎週火曜日は行かなきゃ!とか思えるわけよ。自分をやらざるを得ない環境に置くことがなによりも重要

将来の自分へのプレッシャー

まずね、今日このエントリー読むじゃん。で、英語やろうとか思うじゃん。で、すぐ忘れるじゃん。で別の英語学習エントリー読むじゃん、英語やろうとか思うじゃん、以下略の繰り返しから脱却することが重要。その抜け出す方法として、将来の自分プレッシャーをかける方法をつくろう。

未来メール

http://lapule.com/etc/miraimail/

リマインダーメーラーβ版」

http://www.remindermailer.com/

Google カレンダー

未来メールリマインダーメールでは将来の自分メールが送れるから、まず今年の3/1, 4/1, 5/1, 6/1, 7/1, 8/1, 9/1, 10/1, 11/1, 12/1の自分メールを送ろう。「単語勉強は終わったか?」「TOEIC申し込んだか?」「2回目のTOEICは1回目に比べて何点上がった?」「リスニングちゃんと聞いてる?」とか何でも良い。本当は下に書く勉強法に合わせて、書く内容を決めた方が良いけど、とりあえず送れ。今すぐ送れ。これによって今年は毎月1回、忘れた頃に自分から嫌みが届くようになる。Googleカレンダーの予定に入れるのでもいい。とにかく自分コントロールしよう。

まず単語だとおもうじゃん?

では単語勉強を開始しようって言いたくなるし、みんなそう書いてあるんだけど、ちょっと待ってくれ。勉強始めるときは「単語から」とか書きたくなるんだけどさ、お前、昨日まで何にも英語とかやってきてないんだろ?で、急に単語帳とか買ってきたら2日で飽きちゃうよ。そういう人って体重計乗った後、やばいと思って急に腹筋とかし始めちゃって、で次の日筋肉痛になって、二度とやらなくなるタイプの人でしょ?まず、英語勉強しようって感じの雰囲気作りからはじめなきゃ。

そこで、マークピーターセンの『日本人英語』『続・日本人英語』を買おう。この2冊で1470円だ。それほど大金でもなく、手軽に買えちゃうだろ?いますぐ書店に走れ。もしくはamazonで買え。

次にTSUTAYAに走れ。

今度はTSUTAYAに行って、とりあえずおもしろそうな海外ドラマを1シーズン全部借りてこよう。英語がわからないと続きの話についていけなくなると困るから「24」とか「プリズンブレイク」はあまりおすすめできない。できれば1話完結ものがいいぞ。「BONES」や「Numb3rs」はマイナーだが、一話完結なのでちょこっとした時間に見れるのでオススメだ。1シーズン全部借りてくると数千円くらいするよな?これでやっと英語に対するアップが終わる。マークピーターセンの本も読んだし、1シーズン海外ドラマ見れば、なんか英語やらなきゃいかんなーという気持ちになるはずだ。ここまで2月中にやればかなりいいスタートが切れる。

では単語と文法やるぞ

3月に入ったら単語と文法をやれ。単語は『DUO 3.0』でいいんだよ、こんなエントリー読んで英語勉強しようとか思ってるやつは。もっとレベル高いことやりたい人はもっとレベルの高いエントリーを読んでくれ。上級者向けの英語学習法って他にもいっぱいあるから。まず『DUO 3.0』がきちんとマスターできてること。これが何よりも重要な基礎になるんだよ。だから、これができてないヤツは今すぐやろう。買っても1260円だ。よりお金を使うためにCDも買え。

文法は『FOREST』でいい。もし学生時代にきちんとやってる場合は流し読み程度して忘れてる感覚を取り戻すだけで良い。逆に学生時代にきちんと勉強できてない人はゆっくりとやるべき内容だ。大学受験用の参考書だから内容の割に安くて1575円。どんなに文法が苦手だったとしても3月中には読み終えろ。

頭よりも体を動かせ

本当はリーディングリスニングをそろそろやりたいんだ。特にTOEIC受験するならなおさら。でもここで、もう人粘りしよう。次に買うべきは『みるみる英語力がアップする音読パッケージ』『どんどん話すための瞬間英作文トレーニング』『スラスラ話すための瞬間英作文シャッフルトレーニング』の3冊だ。でもこの3冊をまじめにやろうとすると2~3ヶ月はかかる。たぶん力尽きるならこの時期だ。でも、これまでに1万円ほど使ってるだろ?結構な時間英語に割いてきたはずだ。ここで止めるともったいない。その気持ちで乗り切ろう。

この3冊は内容自体はものすごく簡単だ。たぶん今見ても意味が取れない英文はほとんどないんじゃないか?でもそれを音読しようとしたり、瞬間的に頭から出そうとする訓練をしたりするとまったくできない自分に気がつくはずだ。日本人は座学で英語勉強しすぎているため、理屈英語を考えようとする。文法はその最たる例だ。だからこそ、FORESTで頭に入れた理屈理屈として考えながら出すんじゃなくて、自然に出てくるまでこの3冊をやるといい。体で覚えるんだ。これは理屈としての文法が不要だと言ってるんじゃない。むしろ逆だ!でも理屈だけにするのはもったいないから、瞬間的に声で出せるのが重要なんだ。

何が足りないのかを自覚しよう

はっきり言ってこの段階まで来れれば次に何の教材をやろうと何の問題もない。ネットでそこそこ良い教材を調べて買えばいいんじゃないかと思う。でも、勉強ばっかりで飽きただろう。1回TOEICでも受けて、自分に何が足りないのかをチェックすればいいんじゃないだろうか?そうすればそのために必要なことが何かを自分の頭で考えて対策を立てることができる。TOEICで高得点が取りたい人は『公式問題集』を、文法問題が苦手な人は文法問題の教材を、リスニングが苦手な人はその教材を買えばいいと思う。

今から間に合うTOEIC試験は5/30(日)の試験で申し込みは3/1~4/20だ。まずここを一つのペースメーカーにすればいいだろう。たまに英語の得意な人がTOEICなんて英語力を測定するのに何にも役に立たないって言う人がいる。オレも本心ではそう思う。でも、それとは別の観点として人間が身近な目標がなければすぐにだれてしまうことも知っている。だからTOEICで990点を取ることが目標という人がいれば心から軽蔑するが、TOEICペースメーカー仕事をしながら英語勉強をしていて、行く行くは海外留学をしたいという人であれば心から応援したいと思う。ただ通過点を設定することをそれほどに批判することもないのではないかと思う。

ここまでやってきていれば、そこからは自力で走り出せるだろう。この段階での教材についてはネット上にもいろいろ情報があるので詳しくは書かないが、また時間があれば書きたいと思う。

■追記

予想以上にはてブがついて驚いた!こんな汚い文章なのに読んでくれてありがたい。

この内容はもともと昨日、会社の後輩が英語勉強するする言う割に全くやろうとしていないので、その説教をした内容がベースになっている。後輩にはそのままTSUTAYA海外ドラマDVDを借りに行かせたんだが、今朝後輩から「なに増田に書いてるんすかwww」ってメールが来たwホッテントリにしてもらったので、その感謝を込めてより詳しく内容を書いたので参考にできる部分は参考にして欲しい。いろいろ批判もあると思うが、オレは英語教育者でも何でもないので、そのあたりはオレよりも偉い先生が言うことを信用してもらった方がいいように思う。

社会人のための本気の英語学習(1)増田と同じ内容

http://busenglish.blog82.fc2.com/blog-entry-1.html

社会人のための本気の英語学習(2)リマインダーの使い方編

http://busenglish.blog82.fc2.com/blog-entry-2.html

社会人のための本気の英語学習(3)TOEIC 1回目の受験後編

http://busenglish.blog82.fc2.com/blog-entry-3.html

社会人のための本気の英語学習(4)発音・リスニング

http://busenglish.blog82.fc2.com/blog-entry-4.html

社会人のための本気の英語学習(5)最後のTOEIC受験

http://busenglish.blog82.fc2.com/blog-entry-5.html

社会人のための本気の英語学習(6)その後のライティング編

http://busenglish.blog82.fc2.com/blog-entry-6.html

病気じゃないから治りません」て残酷言葉だ。

日常生活に気をつけましょう、とか誰にでも言える。

警察犯罪じゃないから扱いません、てのと同じだね。

自分人生カードがいろいろブタ過ぎるので早く人生終了したいもんだと思ってきた。

韓国を応援しないのが差別とか何とかいうエントリーがあったけど、何かにおいて不利な人なんて彼らだけじゃないんだよ。

みんなそれぞれの現実を受け入れた上で、それでも前に進んでるわけで。

人生に対する謝罪と賠償を一生求め続けても、何も築けやしない。

愛情脅迫しても手に入らない。

2010-02-18

 去年東情(Fラン)を卒業した俺が新入生にアドバイスしたい

おいおい、そんなマイナーなFラン大学知らねーよって感じだよなwww

でも、なんかこの辺りのエントリーが面白かったので、オレも書いてみようと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20100217113611

http://anond.hatelabo.jp/20100218180915

合格おめでとう。(本当におめでたいの?w)東京情報大学千葉僻地にあるFラン大学だ。学科によっては男女比率は9:1だ。青春を送りたいならチャラい系のサークルに入ることをオススメする。女子に興味がなくヲタクなら、あそこは楽園だろう。

また、あの大学ぼっちにも優しい仕様になっている。選択する講義研究室によってはチームでの作業にもなるが問題ない。ぼっちを許可してくれる講義もあるし、どうしてもチームである必要があれば、講師勝手に決めてくれることが多い。だから、ぼっちでも十分に攻略可能だ。真面目に講義に出て、ノートを取る能力があれば十分に卒業できる。ただし以下のアドバイスはよく読んで欲しい。

 それとオレは一人暮らし経験がないから、ここでは通学、単位講義教科書の買い方、昼食のとり方、サークルへの参加、留学生との距離感研究室の住み方についてアドバイスする。

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①通学

 大学僻地にある。大抵のヤツは車かバスで通学することになる。千葉駅からバスに乗ると40分~1時間近くかかる。毎日が遠足だw暇をつぶせるものを用意しておくと良い。大学直通便も朝のみ運行しているから利用しろ。それとバスを利用するヤツはキャンバスライフっていう年間パスを購入しろ。「春先にしか買えない」がこれを買った方が得だ。車や原付で通学したいヤツは許可証が必要だからちゃんと取得しろよ。

単位講義

 単位計算は絶対にやっておけ。それと履修登録は期間が決まっていて、学内の指定されたPCからしか登録ができないから注意。卒業要件は学科、入学年度で若干違うからな。履修登録は混み合うと登録に失敗することがある。朝と夕方の時間帯を狙おう。当たり前だが登録し忘れたら半期を無駄にする。が、必修科目だけは自動で登録されるので、最悪それだけは単位取っておけ。

 講義で落としやすいのは「英語」だけ。クラス分けテストで良い点数とると特別クラスに放り込まれるからなw英語はFランだけあって、中学レベル英語力があれば難なくクリアできるが、毎年多くの学生(推薦組)が単位を落としている。単位落としても皆で落とせば怖くない。それに再履修は真面目に出席してれば、お情けで単位くれるから安心しろ。

 一応、情報系の大学だからプログラミングに関連した講義が数多くある。1年次に履修することの多い「離散数学」は高校数学をやってきた人向けであって、数学嫌いの人間にとっては鬼門だ。どうしても数学やりたきゃ「プログラマ数学」を独習した方が良いw

 試験講義内容も簡単だけど、ぼっちの場合は真面目に講義出ろ。友達が居れば適当にやってても単位はちゃっかり取れる。要領よくやれよwww

テキストの購入

 1年次は糞真面目にテキストを買うヤツが多いが、この大学講義に使われるテキストは糞が多い。名著や古典にはまず触れない。講師執筆した書籍は「基本的」には買うな。特に哲学系の書籍だ。それは地雷だ。教科書ビジネスだからなwそれwww

 中には試験に持ち込むために購入がオススメされるテキストもある。分からなけりゃ言われるままに全部買っておけ。

④昼食のとり方

 学内にはデイリーヤマザキ学食がある。学外にはセブンイレブンローソンガストクリエイトドラッグストア)がある。一人飯をするなら、本館の6階、7階あたりで食べると良いだろう。人通りが少ないから気にならないし、何より便所で食うより良いだろ?クラブ棟の1階も良い。この大学は1年次からゼミに配属されるから、各ゼミ室で食べても良いだろう。教授や先輩も居るだろが、挨拶して初めて会うヤツには自己紹介すればOK、親しくなれば色々教えてもらえる。

サークルへの参加

 何年か前に強化指定部活というのが出来て、ガチで練習している部活もある。テニスは…どうだったかな?w

 軽い気持ちでサークルに入りたければ、適当に皆で集まって遊ぶようなサークルで良いだろ。縦のつながりはゼミ室に入り浸ってれば嫌でも出来るから、他の大学ほどは気にならない。好きにしていい。基本はヲタクだらけの大学だから、自分を出せばすぐに友達はできる。ちなみに左翼宗教サークルはない…と思う。安心して良いぞwww

留学生との距離感

 留学生がちらほら居る。だが気にしなくていい。あれらはそこに居るだけで、別に好意も無ければ害もない。ちょっと煩いのと、バスの乗り方のマナー大陸風ってだけ。基本はスルーでいいぞw 

研究室の住み方

 7号館のゼミ室には、毎日泊っているような変人が毎年、数名確認されている。期間限定のも居れば年中居るような主も存在する。そういう変人が居るゼミ室に1年次から配属された場合には、試しに泊ってみるといい。いい勉強になる。

 研究という名目でゲームして泊っているヤツもいる。一人でゲーム作ったり、Webアプリをごりごり作ったり、ロボット動かして騒いでいるのも居る。だから話しかけてみるといい。時々、本当の変人に出会えると思う。

 もっとも、どのゼミ室にも人間が快適に泊れるだけの設備があるわけでもないが、冷蔵庫電子レンジは必ずある。エアコンも完備されているし、シャワーもクラブ棟と体育館にある。だから寝袋とダンボールがあれば、パイプ椅子を並べた簡易ベットを作って快適に過ごせる。

 注意事項だが、大学に泊るにはゼミ担当官から許可を貰う必要がある。それと書類を庶務課に提出して、警備員に連絡する手間もある。大学に泊ってみたかったら、その辺りはゼミ人間に相談してみることだ。

 

 

パソコンについて

 学内のいたるところにLANポートがある、無線LANもとんでるからノートPCがあると便利だ。実習室も6つか7つぐらいあるので、PCには困らない。ゼミ室にはリースしたまま放置されているPCもあるので、頼めば使わせてもらえるかもしれない。それと学内PCが捨てられていることもある。部品を集めてくれば自作も出来る。オレはそれで2台ほど作って鯖にしてた。一応、捨てられていることを確認してから拾えよ。

大学が指定するノートPCは高いばっかりだから、自分で選んで買った方が良いぞ。ただしVineLinuxなどを自分で入れることになる。それも勉強だ。分からなければ詳しい教授に教えてもらいに行け。親しくなるチャンスだ。

せっかくのモラトリアムだから、学歴気にして卑屈になってないで楽しまないと損だぞw

2010-02-17

リフレ村の司祭様かく戦えり

せっかく2時間もかけて前のエントリーを書いたのに、丸一日経っても誰も読んでくれないよ…と涙に暮れていたのですが、なんとお褒めの言葉付きで長文のリプライが!「もうこれは2chに自作自演宣伝書き込みをするしかない」、と悲壮な決意を固めかけていたのですが、ああ、神様、どうやら私は人の道を踏み外さずにすみそうです。

馬鹿なことを書くのはこれくらいにして本題に入りましょう。

http://anond.hatelabo.jp/20100217164344

「中銀が高めのレートでインフレターゲットを実行する」能力も意志もないのです。処方箋はあるのに肝心の中銀がそれを採用しようという意思がないのです。

こんな中銀ですから、平時においてインフレ率を高めに誘導しておく必要が、すなわち名目金利引き下げの余地を残しておく必要があるのです。

名目金利引き下げの余地を残しておいて流動性の罠に陥らないようにしておかないといけないのです。

まず、ブランチャード(フランス語読みではブランシャール)らがここで書いた文章の表題をもう一度確認してみましょう。”What we thought we knew”とあります。直訳すれば「我々が理解していると考えていたこと」でしょうか。

ここで過去形になっていることは非常に大きな意味を持ちます。これは「今はもうそうは考えていない」ことを意味しているからです。日本語的な発想では「過去にそう考えていたとして、今どう考えているかは分からないのでは?」と思いがちですが、今も引き続きそう考えているなら英語では現在完了形を使わなければなりません。

英語はこの辺りの時制のコントロールに対して非常に厳密です。ですから、1970年のJohn Smithの論文がこう主張している、という表現をするときには、J. Smith (1970) arguesと書くのが普通です。論文自体が書かれたのは40年前ですが、Smithの主張が今も有効であるならば、現在形になるのです。逆に Smith (1970) arguedと書いた場合、この著者はSmithの意見を既に時代遅れなものと見なしていることになります。

つまり、私の翻訳した部分はブランチャード自身が「既に時代遅れである」と判断したことについて書いてあるのです。翻訳では若干時制が不明確になってしまっていますが、『中央銀行が将来の高い名目マネーサプライ成長率とひいては将来の高いインフレーションコミット訳注約束)できるなら、中銀は期待インフレ率の上昇によって将来の予想実質金利を低下させ、それによって現在の景気を刺激することが出来る』という下りは、原文では

The formal argument was that, to the extent that central banks could commit to higher nominal money growth and thus higher inflation in the future, they could increase future inflation expectations and thus decrease future anticipated real rates and stimulate activity today.

となっています。過去形に注目してください。ブランチャードはこの議論を最早信じてはいないことがここからも分かります。過去形解釈について納得がいかない方はマークピーターセンの「日本人英語」辺りを読んでみると良いでしょう。

つまり、ブランチャードが批判的に取り上げているのは、「処方箋があるにもかかわらずそれを採用しようとしない中銀の存在」ではありません。処方箋に問題があるにもかかわらず、それを中銀の意思と能力の問題に矮小化してしまった経済学者の態度こそが批判されているのです。だからこそ、前回翻訳した最後の部分で『公平を期しておくと、Fed日本経験を無視したわけではなく、2000年の初めにデフレリスクを憂慮した論文を発表している』と添え書きされているわけです。経済学者にも良心的な態度を取った人がいたことは、公平のために言及しておく、と。もしも「リフレ処方箋」にコミットする能力と意思を中銀が欠いていることをブランチャードらが問題視しているなら、to be fairなどと書くはずもないことは文脈から明らかでしょう。

ですから、

将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、4%のインフレ率が必要となるのです。

将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、流動性の罠など恐るるに足るのです。

流動性の罠に陥らないようにするために、4%(具体的な数値は検討の余地があるでしょう)のインフレ目標が必要になるのです。

この解釈ブランチャードらの論文から引き出すことは出来ないと思います。この論文で議論されているのは徹頭徹尾経済学の問題であって、「能力と意思を欠いた」中央銀行に対して批判的な表現は、(上でも書いたとおり)少なくとも私の読んだ限りでは全く見当たりませんでした。中央銀行能力も意思もないから、それを前提に現実的な経済理論を再構築しよう、とも書いていません。今まで半ば普遍的に信じられていた、「2%前後で安定したインフレ率が望ましい」という経済学者コンセンサスそれ自体に疑義を唱えているのです。

加えて、中銀が無能ないしは怠惰であるという理由以外で能力/意思を欠いているのであれば、それは中銀の問題(だけ)ではなく処方箋の側に(も)問題があると考えるのはごく普通の理解であろうと思います。例えば、中銀にそもそもコミットメント能力が備わっていないならば、それを前提とした処方箋は無効であることは当然ですよね。

「いかにして流動性の罠に陥らないようにすればよいのか」を問題にしているブランチャードが、「いかにして流動性の罠から抜け出せばいいのか」という問題への処方箋であるリフレ政策を支持するはずも否定するはずもないのです。

前回翻訳した部分をもう一度参照してください。なぜブランチャードらは2%のインフレ率を望ましくないと判断したのでしょうか。ブランチャードらは過去にも「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念があったことを紹介しています。そして、その懸念は「ゼロ金利になっても、中銀が将来のインフレコミットすれば大丈夫だ。」という、Eggertsson and Woodford (2003)らの議論によって葬り去られました。そして、日本金融政策の失敗を受けても、一度葬り去られた懸念が見直されることはありませんでした。

そして、世界中ゼロ金利の罠にハマった後、ブランチャードらはようやく「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念を復活させます。それは、「いやいや利下げ余地が小さくても問題ない、打つ手は他にある」、というリフレ派の議論がもはや有効とは言えないと考えられたからこそなのです。繰り返し書きますが、「流動性の罠から抜け出す簡単な方法は存在しない」からこそ、利下げ余地が論点として再浮上し、高いインフレに伴う経済への負担を覚悟してでも流動性の罠に陥らないようにしようという結論に至る、という論理構成なのです。この論文はかなり読みやすい英語で書かれていますので、暇があれば通読なさると良いでしょう。

また、以上の説明から、最終段落で言及されている「ブランチャードらは流動性の罠から脱出するためのリフレ政策を支持していると読めないこともない」点は、誤読であると申し上げるより他ないことはご理解頂けるのではないかと思います。この辺りも、原文に当たられた方が文章の雰囲気と構成("stood more uneasily in the way"や"to be fair"など)をよりはっきりと掴めるでしょうから、原文を当たられることを繰り返しお勧めします。

最後に、ブランチャードが書いた部分を、少し分かり易く脚色してみます。

とあるところにあるリフレ村で司祭様が村人に説教をしています。

司祭 「全能なる我らが神はこの村の人々を温かく見守ってくださっておる。なんの心配もいらないよ、君たちは選ばれた民なのだから。100年前の大飢饉大恐慌)では人々は神への祈りを捧げなかった。だから多くの民が死に絶えたのだ。だが今は違う。私が正しい神への祈り方を教え授けている。神は我らの祈りを請け給うたのだ。」

 「司祭様。それでは何故私の父は病に苦しんでいるのでしょうか。既に10年以上、病床を離れることが出来ません。」

司祭 「…それは、あなたの父親の信心が足りないからだ。神を理解する能力に欠けるからだ。彼が心から神を信じているならば、彼の病が長引くことなどあり得なかった。家に帰って彼に伝えなさい。悔い改めよ、と。さすれば彼はたちどころに快復するであろう。」

これは新興宗教の必勝パターンでありまして、この父親が毎日祈りを捧げても(量的緩和)、喜捨の額を増やしても(国債買いオペ増額)、病から快復しないならば「信心が足りない!まだ不十分だ!」と言い続ければよいのです。楽な商売でございます。

ただし、この戦法は多くの村人が病にかかってしまうと通用しなくなります。挙句の果てに村の外からは賢者様がやってきて、「いや、そのお祈りじゃ患者は救えないでしょ。治療法は確立されてないし、一度病気なっちゃうと後が大変だから、とりあえず患者が増えないように予防策を考えようか」とおっしゃっておられます。

さぁ司祭様の立場は一気に悪くなってまいりました。石もて追われる5秒前!しかしこのまま大人しく村を去る司祭様ではありません。一発逆転の隠し玉は当然用意してあるはず。疫病快癒の大祈祷でもって見事リフレの神のご威光を天下に知らしめ、村人達笑顔を取り戻して下さるに違いありません。

というわけで、外野増田矢野先生(及びリフレ村の司祭様方)の逆転の一撃を心よりお待ちしております。

2010-02-16

ブランチャードはリフレを支持していない件について

リフレ村の方では「ブランチャードがインフレ率を4%前後に誘導することに言及した」ことで色々と盛り上がっているようでありますな。

http://d.hatena.ne.jp/Yasuyuki-Iida/20100214#p2

要するに、マクロ経済学大御所ブランチャードが「今まではインフレ率は2%前後に誘導するのが望ましいとされていたが、2%程度だとゼロ金利に陥りやすいので、もう少し高めの4%前後インフレ率を誘導した方がいいのかもしれない」という論文を発表したと。で、日頃から高めのインフレターゲットによる景気回復を主張なさっている皆様が盛り上がったという構図のようであります。

で、それに対して(直接言及があったわけではないものの)、我らが池田先生が果敢に反論。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51377205.html

あちこちで話題になっているIMF論文をざっと読んでみた。日経の記事には「平時から4%など高めの物価上昇率を容認し金利水準も引き上げることで、金融危機のような経済ショック時の利下げの余地を広げることが望ましい」と書いてあるが、この記者は明らかに原論文を読んでいない(か英語が読めない)。論文にはこう書いてある:

Should policymakers therefore aim for a higher target inflation rate in normal times, in order to increase the room for monetary policy to react to such shocks? To be concrete, are the net costs of inflation much higher at, say, 4 percent than at 2 percent, the current target range?

[...]

Perhaps more important is the risk that higher inflation rates may induce changes in the structure of the economy (such as the widespread use of wage indexation) that magnify inflation shocks and reduce the effectiveness of policy action.But the question remains whether these costs are outweighed by the potential benefits in terms of avoiding the zero interest rate bound.

と書いており、むしろ高いインフレ目標には否定的だ。


うわぁ。読めてない。全然読めてないよ池田先生。ここでブランチャードが書いているのは、

ということであって、「高いインフレ目標には否定的」なんてこの段落から読み取れるわけがありません。これでは突っ込まれてもしょうがない。池田先生にはエントリーをアップする前に深呼吸を3回することをお勧めしたいと思います。


さて、一方でリフレ村で給食当番をなさっているらしい矢野先生は、高らかに以下のエントリーをアップされました。

http://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20100215/p1

主要国のインフレ目標「平時から4%に」 IMF提言

(以下略)

「まあ、当然の話だよね」とリフレ派なら誰もが思う訳ですが、(以下略)

リフレ政策論争を巡って、誰が正しくて誰が間違っていたのか?」が明らかになる日が近づいていると思います。


…いや、先生ブランチャードの論文リフレを全然サポートしてません。ちょっと考えれば分かる話です。なぜブランチャードは2%ではなく4%のインフレを検討課題としてあげているのでしょうか?ご自身も翻訳されているとおり、「ゼロ金利制約(それ以上利下げできない状態)にハマるリスク回避するため」です。リフレ派の人たちが主張するとおり、「ゼロ金利制約に陥っても、中銀が高めのレートでインフレターゲットを実行すればデフレから脱却できる!」のであれば、なにも4%のインフレを許容してまでゼロ金利回避する必要などありません。処方箋はあるのですから、それを粛々と実行して安定成長へと復帰すればよろしい。

ブランチャードらがここまで繰り返しゼロ金利制約の問題を強調するのは、その処方箋が当てにならないと判断したからです。この点を明確にするために、以下でブランチャード論文の一節を翻訳します。この論文

  1. What we thought we knew (以前はコンセンサスとして認められていたが、今回の危機で否定されたか、疑問符が付いたアイデアを列挙している)
  2. What we have learned from the crisis (文字通り、今回の危機の教訓)
  3. Implications for the design of policy (今後の経済政策へのインプリケーション)

という3部構成になっており、問題の4%インフレは第3部の一項目です。以下で翻訳するのは第1部のB節、つまり「今や否定されつつある過去コンセンサス」について語った一節です。

http://www.imf.org/external/pubs/ft/spn/2010/spn1003.pdf

B. Low Inflation

インフレーションはただ安定しているだけでなく、非常に低く抑えられているべきだ(多くの中央銀行は2%前後ターゲットに選んでいる)」という広いコンセンサス(increasing consensus)があった。これはインフレによって流動性の罠へ陥ってしまうのではないかという議論へと繋がった。低い平均インフレは低い平均名目金利を招き、そして名目金利ゼロ以下には下げられないので、低インフレの下では不景気の際に利下げ(金融緩和)の余地が小さいと言うことになる。しかしながら、この低インフレ危険性は低いと見なされた。なぜなら、中央銀行が将来の高い名目マネーサプライ成長率とひいては将来の高いインフレーションコミット訳注約束)できるなら、中銀は期待インフレ率の上昇によって将来の予想実質金利を低下させ、それによって現在の景気を刺激することが出来るからだ脚注)。そして、それほど景気へのショックが大きくない世界では、2%のインフレがあればゼロ金利制約を回避するのには十分だと思われたのである。こうして、議論の焦点は、コミットメント重要性と中央銀行インフレ期待への影響力へと絞られたのである。

大恐慌時に発生した流動性の罠、それに伴うひどいデフレと低い名目金利は、もはや歴史上の出来事であると認識され、そのような政策の失敗は今や回避可能であると考えられた。1990年代日本経験、すなわちデフレゼロ金利および長く続く不景気は、この認識の前に不愉快に立ちふさがる問題だった。しかし、これは日銀が将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力ないしは意思に欠けるからであると片付けられてしまった(公平を期しておくと、Fed日本経験を無視したわけではなく、2000年の初めにデフレリスクを憂慮した論文を発表している)。

脚注ではEggertsson and Woodford (2003)が参照されている)

ブランチャードらがなぜゼロ金利流動性の罠)に陥るリスクを重視するのか、このB節から明らかであると言えると思います。 特に太字で強調した部分を参照してください。どこかで見たことがある主張ではありませんか。少し分かり易く言い換えれば、リフレ政策が役に立ちそうにないから、「低インフレによって流動性の罠へ陥ってしまうのではないか」という懸念が復活しており、だからこそリフレ政策が必要になるような状況に陥らないように政策を運営すべきだと彼らは主張しているのです。4%のインフレ率というのはそのための政策案です(ただし、ブランチャードらもイマイチ自信がないのか、6つ挙げられた政策オプションのうち、この4%インフレの案だけは表題にクエスションマークが付いています)。

紅茶を片手に「まぁ、当然の話だよね」などと余裕をかましている場合ではありません。さぁ、今こそ高らかに「リフレ政策があれば流動性の罠など恐るるに足らない、だから4%のインフレ率なんか必要ない!」と宣言を!

外野増田池田先生矢野先生の熱い戦いを心から応援しております。

2010-02-10

アフリカ引揚者

気がついたら、アフリカがあつい。一時、アフリカに滞在していた身としてはどうにもスルーできない言説が多いので、ここに少し考えを。

アフリカの問題はとても複雑でシビアです。特に日本人にはよくわからないことだらけ。国際協力関連で3年ぐらい彼の地で生活をしていましたが結局よくわからないまま、未だに理解できないことも多いです。知らないことに関しては口を出さない方が良いと思うのだけど、やはり生活していた土地愛着もあり、この思いを伝えたいとも思ったので、長文になりますが興味のある方には読んで戴きたいです。

まず、ちきりんさんのこのエントリーは読んでいて悲しくなりました。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100207

よくわからないけどただこれだけはわかった、といって再植民地化が良いのじゃないかなあ、なんて暴力的すぎるんじゃないかな。アフリカの開発支援に関わった人がもしこのエントリーを読んだら、多くの人は悲しみや怒りを感じたりするのではないかと思いました。

そしてこのエントリ

アフリカ大陸在住中 : http://anond.hatelabo.jp/20100209065146

この方は西アフリカ方面にいらっしゃるのかな?そう思ったのもヨーロッパという言葉がとても多く出てきたからだけなのですが、宗主国を限定されないようそういっただけなのかもしれません。自分がいた南部アフリカとは違う感じもありますが、通じるところもとてもあります。とても共感できました。

増田さんも仰ってますがアフリカと一言で言っても国や地域によって気候も言語文化も種族も宗教政治経済も何もかもが異なります。この点については日本人感覚からは最も離れている、アフリカ現実の一つだと思います。アフリカ大陸の国や人々を一括りでアフリカと呼ぶことは、私たちが一括りでアジア扱いされるのと同じくらい乱暴なことかもしれません。私が関わっていた国には民族が2,3しかない国もあれば、100近くある国もありました。後者には公用語だけで10近い言語あり、同じ村にいるのに部族が違い、間に翻訳できる人が立たないと話し合いがスムーズに進まない場面に出会うこともあり、外部の人間としては国と呼ぶのも躊躇してしまうくらいでした。

そうした彼らですが、欧米先進国日本、そして中国に対する考えや感情は一筋縄ではいかないとても複雑なものを持っていると思います。というのも、彼らの多くはこんな風に思っているように感じたからです。今現在生活できているのは多くがODAなどの開発援助や外国資本サービスや製造品のおかげだ、だけどそのせいで国の一部の権力者や有力者が私腹を肥やしているのを知っている、でも彼らは独立英雄だ彼らはすばらしい、だけど自分たちが貧しいまま生活しなければいけない、だから、おまえら外国人がもっとカネやモノを俺たちにくれればいいんじゃね。

そして、こちらのエントリーについてです。

「発展」と「アフリカ」 : http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20100208/p1

難しいこともいろいろいわれていて、よくわからない点もありますが、結論はおおむね賛同いたしました。

自分もそうですが、本当に私たち日本人アフリカの問題についてよくわかっていないと思います。アフリカ大陸歴史背景や今おかれている政治力学、そして国際開発・援助ビジネス。当然それらのことは今の私たちにとって無関心な事柄でしょう。しかしそれは同時に多くのアフリカの人々にとっても、理解しがたいものであるようにも思えます。

私は某セクター日本などからODAで落ちてきたお金を有効に活用するため、現地組織に入り込んで様々なプログラムの支援を技術的に行っていました。多くの貧しい人たちとも関わってきましたが、現地のプログラムコーディネーターやその上司マネージャーディレクターなどとも関わってきました。彼らの中で政府組織に属しているぐらいの立場の人は多くが代々の権力者であったり、裕福でコネがあったりとった特権階級に近い人たちでした。ただ単に政治家的にその地位にいる人もいれば、本当に優秀で頭の回転も速く常識もあり、その地域と国の未来を考えて行動している人もいました。しかし彼らと話し一様に驚き残念に思ったのは、そうした人を動かす立場と責任にある人でさえ、まずお金外国から貰えることが当然だと考えていることでした。そして、その支援国や団体のいうなりのままだということでした。しかしそのことについて、支援する側の人間が彼らを非難できないとも思いました。

例えば、その地域の人たちに有効にサービスを提供するためどうしたらよいか、現地スタッフは様々な議論や調整をして企画を立てます。しかし、支援者はその支援理由や報告責任やさまざまな政治性やビジネスなどが関わって、現地スタッフの企画をそのまま受け入れることができないケースが多々あります。そしてその支援団体がそのような活動にお金をだせないといったらそこで支援は打ち切りです。サービスを提供できないだけでありません。彼らの給料さえなくなってしまいます。なので現地スタッフは当然いわれるがままになります。そういうことが何十年と続くうちに、自発的に地域や住民のことを考えて意見を押し通すような気概のなるエリートは段々少なくなってゆくでしょう。どうしても「支援する・される」という一方的な力関係が開発支援には生まれてしまい、現地の人々の自助努力が生まれがたい土壌になっていることは否定できないと思います。

そういう反省を含め開発支援業界自体も、「持続性」というキーワードの下、非支援国の自発的な活動を助長するような支援ができるよう工夫し続けています。しかし、持続性が形成されるためには社会の様々なセクターが有機的に関係し合いよい影響を与えあう必要がありますが、実際そうした広い視野を持って支援することはとても難しいのが現状です。例えば、田舎学校を建てるということは、その地位の子供教育を施すだけではなく、同時に教育者を育成するということでもあり、教育教材を作るということでもあり、教育そのものの内容を作るということでもあります。しかし、そのような広い視野での支援体制を長い時間をかけてじっくり進めるプロジェクトが始まったとして、果たして成功するのでしょうか。教育という国の根幹に関わるようなことに対して、じっくりと腰を据えて政治的にも経済的にも向き合っていける支援者が存在するでしょうか。私の想像する限りでは、存在するようには思えません。

まず、ODAなどは税金ですし、NPONGO企業であっても、支援する側はその活動内容をきちんと報告しなければなりませんし、成果と結果が必要になってきます。なのであまりに大規模な支援はその先行きが読めない分、そのようなプロジェクト自体成立しがたいでしょう。また、以前に比べればあからさまではなくなってきましたが、支援側も多かれ少なかれ見返りというか利益計算して支援しているところがあります。ODAであっても、その国の開発支援団体にその予算の一部が当然ゆきますし、都市インフラであれば自国に関わる土建屋や製造関係へお金が落ちるようになっていたり、保健セクターであれば薬剤などを通して自国の製薬会社お金が回るでしょう。また被支援国の資源に関わる利権を求めるケースもあるでしょう。また専門分野の人材開発研究などもそうした特殊地域でなければできないことも多々あると思います。そうした開発支援にかかわる政治性やビジネスがあっての支援でもありますので、あまりに大規模な支援はマネージメントしづらいので、やはり成立しにくいでしょう。

結局、アフリカの人々はそうした先進国の支援に振り回され続けているというのが現状なのではないでしょうか。なぜ今、自分たちが支援を受けているかといえば、かつて植民地化され支配された代償だというでしょう。代償なのだから貰って当たり前、求めて当たり前です。今まで奪う立場だったものが、与える立場になっただけ。今まで奪われる立場だった者が与えられる立場になっただけ。なのに、貰うばかり、ほしがるばかりで働かない、自発的に国が機能しないと責められても、自分たちが作った国でもないのになぜそんなことをいわれればいけないのか、彼らにはよくわからないのではないでしょうか。そもそも独立したときに勝ち取った国は彼らにとって必要なものだったのでしょうか。そしていま、代償として先進国のカネやモノをうけとっていますが、実際彼らは何を失ったのでしょうか。そしてそれは私たちが代償として払わなければいけないモノなのでしょうか。正直わからないことだらけです。アフリカの様々な地域の人々のそれぞれがそれぞれに、様々なことを思っているというのが現状なのではないかと今は思っています。

先日、島田紳助さんが司会をする番組外務省を辞めNGOをたちあげ、スーダン渡り、現地で医療を施している川原さんという方が紹介されました。島田紳助さんのボランティアや支援に対する熱い思いが放送され続ける中、川原さんが二つとても心に残ることを仰いました。一つは治療などを現地の人にしても必ずお金を取ること。二つ目は正直むかつくことも多いけど、ここには小さいけれど未来を照らす明るさのようなものがあるということ。曖昧ですが、そのようなことだったと記憶しています。

長く紛争の続いたスーダンは未だに危険地域と聞いています。そのようなとても限界度の高い地域にいても、医療サービスに対してきちんとお金を取るという根本的なことをやり続けることはとても大変だと思います。しかし、支援という名の下にモノとカネを垂れ流すことの無意味さ空しさを理解しているからだと思いますし、現地の人ひとりひとりと対等に向き合っているからだと思いました。払う払うといって逃げ続ける人、借金を踏み倒す人、そんな人もたくさんいるかもしれません。それでも、川原さんがそんな人々に未来を見いだしてしまうのは、なぜでしょうか。アフリカに限らず、東南アジア太平洋州、南米などの貧しく何もないけど、ただただ自然はある、というような土地で暮らしたことがあるような方なら、具体的に思うところは違うかもしれませんが、この川原さんの言葉のいわんとするところはどこかわかるのではないでしょうか。

わたしの場合は、どんどん閉塞してゆく日本での生活を突き破り得るモノをアフリカで感じました。素朴さやふてぶてしさや狡賢さ、モノやお金歴史なんてなくても何とかなるさ、生きていけるさ、死んだら死んだで悲しいけど仕方ないさと本気で思わせてしまう力。そうしたものを彼らから学びました。日本というか、先進国フレームの内部でそんな意見をきいても単に痛い発言にしか聞こえないでしょう。でも仕方ないです。そう思ってしまったのだから。

最後にここまで読んで戴いた方に感謝します。そして、ここに述べたこともまた一増田の偏った意見でしかないと思ってください。まだまだ考慮しなければならない事や、語られなければならない事はたくさんあると思います。私が見てきたものもアフリカの一面でしかありません。そして結局のところ、世界アフリカアフリカという大きなフレームで見ている限りこの問題はどうにもならないと思います。なので、すこしでも彼の地に対する理解を深めてほしいと思い、自分経験をこうして書きました。しかしやはり、狭い業界、特定されるのを避けるため、時や場所を明示せずに増田で語ったことを許してください。

アフリカでは今急激にインターネットインフラが整いつつあります。といってもまだまだISDNレベルの速度でも速いほうだし、利用できる人はアフリカ全体ではまだ1割もいないかもしれませんが、それでも彼ら自身の言葉ブログソーシャルメディアを通して、彼ら自身の手によってどんどん世界に発信されていってます。私たちがインターネットを介して意識社会が様々に変化していったように、彼らのそうした言葉を通してまた私たちと彼らの関係や、彼ら自身が変わってゆけば良いなと思うのはあまりに楽観的でしょうか。

2010-02-07

プログラマーという職業

プログラマという職業は『ふつう』の人には厳しくないか」というエントリーにまつわる、様々な反響を見てふと思うことがあったので、匿名で書いてみようと思う。

プログラマーという仕事は、普通仕事と大きく異なる部分がある。成果物であるプログラム品質は、労働時間に必ずしも比例しない。長く時間をかけたとしても、駄目なプログラムは役に立たない。

業界の一部で横行している、無駄ロジックを何度も書くと言った行為は本来評価すべきではない。バグの巣窟になりやすい、コピーアンドペーストなんて論外だ。本来、プログラマーに求められるのは怠惰さともいえる。オブジェクト指向にせよ、いかに同じロジックを書かないかという目的もある。

むしろ、短期間に集中して無駄の少ない簡潔なロジックを書くことが求められるべきだろう。長時間労働プログラムの質を低下させる。長時間やったほうが効率が上がるというプログラマーは、本当に集中して仕事をしていない。個人差はあるだろうが、本気で仕事をしてれば、10時間もやっていれば疲れが出てくる。納期前日はともかく、平常は無理をしても全体的なパフォーマンスが落ちる。

労働としては、コピーライターに近いと思う。こんな少ない文字数の文章に、いくら払っているかと思われるだろうが、労働の質が異なるのだ。品質の高いプログラムを書くためには、技術情報収集をしたり、風呂に入ってぼんやり考えたりといった、「仕込み」が効いてくる。この仕込みが最終的な成果物につながる。

しかしながら、こういったプログラマー仕事は一般的な労働尺度では理解しづらいだろう。自分がある程度プログラムを書いたいた人間は、ある程度理解できるだろう。しかしプログラミング経験の浅いプログラマーはそれを理解できない。上流SEと称して、発注伝票を切ることしかスキルの無い連中は、そういった感じではないだろうか。

さらにいえば、体育会系人間にはそのあたりが理解できない。体育会系といってもイチロー中村俊介のような卓越したスキルを持つわけでもなく、絶対服従と忍耐力だけしか能の無い連中だ。彼らは、成果物イコール労働時間と考える。だからプログラマーが「怠惰」であることが許せない。彼らが評価するのは労働時間だ。

僕は、体育会系で有名な大手元請けのプロパーとして働いていた。そこで働いているうちに、仕事スタイルに疑問を持つようになった。そういった疑問や無力感が重なっていき、精神を病み、今でも後遺症に悩まされている。幸いにも生活保護を受けられているのがせめてもの救いだ。

日本情報産業はもう駄目だと思っている。中国インド韓国はもちろん他の新興国にも追い抜かれる可能性があると考えている。僕の見てきた限りでは、業界の病巣は根が深い。個人的にはプログラマーゼネストでもして、たちの悪い元請けを一社潰すくらいのショック療法を行わないと、状況は変わらないと考えている。

2010-02-05

はてなキーワードはてなブックマークの個別エントリーページがGoogleスパム認定されて貴重な収入源である広告からの収入が無くなってはてなは潰れればいいのに。

2010-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20100131234834

なんか、このモニターの向こう側に、どっかのおっさんがいるなぁ、ということをアリアリ想像させてくれるすばらしいエントリーだった。

「どっかのおっさん」臭さを漂わせるという点において秀逸なエントリ

2010-01-31

ぷよぷよで旦那が私に勝てない。

ぷよぷよで旦那が私に勝てません。

圧倒的に負けてしまいます。

30戦ぐらいしますと、だいたい3回くらい旦那が勝ちます。

言いかえれば、27回近くは負けます。

勝率で言うと一割程度です。

もちろん、旦那だって負ける為にぷよぷよをやっているわけでは無いと思うのですが……。

27回も負ける前にやめればいいのに、とみなさんも思うでしょうし、私も思うのですが、

いつかは流れが変わり逆転すると旦那は主張して、30戦は頭を下げて私にプレイさせます。

27敗に至るまでの旦那の異常行動は以下の通りです。

3敗して、まず、自分が慢性の腱鞘炎であることを告白します、唐突に。

5敗して、妙にせき込みだします。体調が悪いというアピールでしょうか。

7敗して、コントローラー不具合を訴えてきます。ボタンの反応がよくないだとか。

9敗して、貧乏ゆすりをしだします。

11敗して、ゲームに勝ったからなんだっていうんだ、ばかばかしい。と何故か私を馬鹿にしだします。

13敗して、この気持ち、なんだろこれ。と意味不明言葉を発します。

ここらへんで旦那がようやく1勝するのですが、その時の喜びようと言ったらないです。

ちらちら私を見ながら、

「試合に負けて勝負に勝った」

というような事を言います。

旦那の口癖ですが、よく意味が分かりません。

17敗して、ここらへんで、私がぷよぷよに疲れてきます。

でも、まだまだ旦那は続けたいらしく、必死に頭を下げてきます。

見え透いたおべっかを使ってきます。

ぷようまいなぁ。もっと参考にしたいからプレイしようよ」

笑顔で言ってくるのですが、目が笑っていません。

19敗して、バーチャルコンソールは、移植度がどうたらこうたら、と妙な言い訳をしだします。

20敗して、怖い話をしてやろうかと言いだします。

私は怖い話が苦手なので、その弱点を攻めるこしゃくな手段に思い付いたのでしょう。

「あんな、えっと首切り死体があったらしい、えっとトンネルの、えっとすごく怖い、あー首切りで、あっ、しゃべってたらミスった!」

支離滅裂で、全然怖くありません。

21敗して、怖い話に夢中になって負けた事を強調してきます、ことさらに。

22敗して、さすがに私も結婚を後悔しだします。

23敗して、「後一回だけ、本当お願いします」と深々と旦那は頭を下げます。

なんなら土下座か?土下座すればいいのか?と、必死の形相です。

24敗して、目がうつろになります。

25敗して、言葉を発しなくなります。

26敗して、お母さん、ごめんなさいと一言だけ漏らします。

こうして27敗目を迎えるわけですが、旦那が突然笑顔になります。

地球ってこんなにきれいだったんだね。」

「俺、気付いたんだ、争いのない社会が、この世に実現すれば、みんながしあわせになれるってことを。」

そんな気持ち悪い台詞を次から次へと並べるのですが、手が明らかに震えています。

どう見たって怒りで満ち溢れています。

そんな中、浮かべる偽善笑顔

そりゃ、起きますね、戦争

こんな感じで、私(妻)側から、見た旦那の異常行動です。

エントリーでは、ほんとたくさんの方々に見ていただきありがとうございました。

旦那は、朝から晩までパソコンの前に座り、

ブックマークが増える度、コメントが増える度、声を出して私に読み聞かせました。

それだけ、嬉しかったようです。

ただ、これ以上、旦那を持ち上げないでください。

完全に天狗になってますので。

ぷよぷよに関してですが、謙遜ではなく私はほんとうまくないです。

むしろ旦那が弱すぎます。

私は、あまり連鎖とかは組めないので、

2、3連鎖をこまめに出していくという戦法ですが、

旦那は4連鎖以上を狙うタイプみたいです。

それ自体は悪くないのですが、とにかくぷよを組むのが遅くて

ほどんど自然落下に任せるような感じです。

たぶんそれが敗因かと思います。

それでは最後にもう一度、こんなくだらないエントリーを見ていただき、本当にありがとうございました

2010-01-24

Re: 植民地主義者の欲望

http://d.hatena.ne.jp/usoki/20100122/1264167020

元増田です。原論文に当たる労を取ってくださったことに感謝します。

そもそも「有益」か否かで論を立てるのであれば、それが誰にとっての利益であるかをはっきりさせないといけないはずだ。そうではなく、単に統計数字を見ただけで言っているのであれば、何の疑いもなく「資本主義=good」「近代=good」と思い込んでいるだけである*1。また、その問いがなければ「善政かどうかはともかく」と言いながら、結局は植民地支配肯定論となってしまうだろう。

なんだか1段落でいくつもロジックが飛んでいて文意が取れません。まず、なぜ有益か否かを立論するに当たって受益者を特定する必要があるのかが分かりません(国レベルでの特定が必要であることは自明ですが、そういう話をしているわけではないでしょう。もしかして、就学率上昇の受益者は朝鮮人子供日本政府、とか全て特定しろということですか?)。「はず」で済まさずにその理由を説明してください。

さらに、受益者を特定しなければ『何の疑いもなく「資本主義=good」「近代=good」と思い込んでいるだけである』という文章も論理が飛躍しています。付け加えれば、私はGood/Badを議論しているわけではありません。有益であるかどうかとGoodかどうか(または、善であるか悪であるか)は別の問題です。だからこそ「善政かどうかはともかく」という但し書きを入れています。そもそも、「日本植民地政策は正しかった、善政だったというコンセンサスがある」と主張するなら、私がCumingsの『日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。』という言葉引用した段階で、その主張は破綻してしまいます。

更に加えて、受益者が誰であるかという問いがなければ植民地支配肯定論となる、という文章も論理が飛んでいて意味が分かりません。それから植民地支配肯定論というのは「植民地支配には肯定的な側面が存在した」という議論であると定義してよいのでしょうか。

それにしても、増田はKohliのOn the state and lower classesのパラグラフを紹介しながら、「日本植民地は有益なものだった(というコンセンサス英語圏の学界にはある)」という増田の理解が揺らぐことはなかったのだろうか。

国家権力を後ろ盾とした労使関係の(強制的な)改善とその経験は、戦後韓国経済の離陸に当たって有益なものであったと思います(もちろん、日本政府意図していたのは、日本統治下での朝鮮生産性を向上させて日本利益資することであって、戦後韓国の成長など考えてもいなかったことは当然です)。経済発展の初期段階で賃金が上がりすぎれば、適切な資本形成が妨げられるだけでなく、インフレと(unsustainableな)貿易赤字を招来して最終的には国民生活水準に甚大な被害をもたらしますから。

ちなみに増田が省略してる結論部では「日本朝鮮植民地支配は無慈悲で屈辱的なものであったが、それと同時に後に韓国の高度成長へと進化することになる政治経済を形成するためには決定的な影響を持った」「植民地時代からの(経済発展の)連続性を強調することによって、日本国益のための残虐な植民地支配を免責することはできない」って書いてあるぞ(強調は引用者)。

そんなことは、私のCumingsからの引用に同じことが書いてあります。『日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。』私がエントリーの中で一度でも日本植民地支配が慈悲深く思いやり溢れたものだと書きましたか?植民地支配の残虐性はその有益性を持って免責されると書きましたか?そんなことを思っているならCumingsもKohliも引用しません。この段落は私のエントリーのどこに対する反論として書かれたものなのでしょうか。

ところで、私のエントリーは「有益性についてのコンセンサス」を書いたものであり、冒頭で『・・・ことについては、学者の間である程度のコンセンサスがある”という考えにはとても同意できないな、と思った。』と書かれていますが、コンセンサスの存在に対する不同意の理由がどこにも見当たりません。この点についても説明を加えていただけますか。

Re:Re: 搾取を語るなら論文を読め

http://anond.hatelabo.jp/20100123120122

こちらこそはじめまして元増田です。英語が得意でないとおっしゃるにもかかわらず、紹介した論文に目を通す労を取っていただいてありがとうございます。そういう方がいるだけでも、2時間近くかけてあれこれ和訳した甲斐があるというものです。

(一応の確認ですが、この元増田さんの主張って「日本植民地主義が他の帝国主義国家のそれよりも、被支配者にとって有益であった」ってことですよね?)


有益であった、というのが学者(私が読んだのは私が土地勘を持つ経済学者のそれが多いですが、American J. of Socio.の論文でも韓国資本主義の発展についての日本寄与について言及がありましたので、経済学者という表現は避けました)の「コンセンサスである」というのが主張です。この点についてはhttp://anond.hatelabo.jp/20100121082524 に少し詳しく書いてありますのでご覧下さい。

1) ここでCumingsが書いているのは、「日本のviceはヨーロッパ帝国主義国家と似ている(かもしれない)けど、virtueは全然似ていないよ」程度のことであって、「日本植民地主義ヨーロッパのそれよりも有益であった」なんてことは言っていないように思われます。

コンセンサスとしての有益性はReynoldsの論文に一言でまとまっていますので、そちらを参照してください(大学図書館でないと原文は見つからないかもしれませんが、上のリンクにごく一部ながら訳を乗せてあります)。または、同じリンク先のBooth(2007)の最初の数段落(上のエントリーに若干の和訳あり、原文アクセス可)を参照して頂いてもいいでしょうし、Kohli (1997)も農業生産性向上、資本主義の萌芽としての植民地時代(Eckertの引用も含め)、国家権力を後ろ盾にしての労使関係の(強制的な)改善と、それに伴う生産性の向上、などを挙げています。特に、農業労働投入の増加ではなく生産性の向上による収量の増加は、多くの論文で当時の植民地経営としてはユニークなものと指摘されています。また、韓国台湾資本主義を受容するための有形無形のインフラストラクチャー植民地時代に整備され、それが戦後韓国台湾の急速な成長を支えた、という点も、広く受け入れられた見解となっていることはBoothが指摘するとおりです。

Cumingsの著作の中からは、p486の第2段落を参照してください。また、有益の度合いは下がりますが、p489の「多くの植民地ではde-developmentが進行したが、日本の統治下の韓国で起こったのはover-developmentであった」という指摘はなかなか興味深いので一読をお勧めします。

2) で、virtue=美徳ですが、一般的には「あのひとは勤勉だ/勇敢だ」のように、人間が持つ性質や姿勢のことを指すと思います。

virtueにはいくつか意味があり、どれも日本語では美徳の言葉でくくりえるように思えたので、一番一般的な訳を用いました(それでも疑問が残ったので訳出元の単語を併記しました)。この単語モラルの高さを示す意味のほか、長所や有意義であること、のような意味合いも持つので(後者の場合、必ずしも人間姿勢や性質を表すことに用いられるとは限りません。ODEで念のために確認しました)、そちらの意味で取るのが正しかろうと思います。

"The virtues that the Japanese shared"を元増田さんは「軍事的な成功、急速な経済発展などの、日本がもたらした美徳の数々」と訳して、日本朝鮮半島にいいことをした!と主張されていると思うのですが、実際はこれ「軍事的な成功、急速な経済発展といった、日本人が持っていた優れた点」ぐらいの意味じゃないでしょうか。

(「日本朝鮮に軍事的成功をもたらした」って、なんか変ですよね?)

その訳ではsharedの単語がそっくり抜けてしまいますし、その直後のwere hard to justify philosophicallyと繋がらなくなってしまいます(日本の急速な経済成長近代工業構造といった日本人の優れた点それ自体がunjustifiableだというのはおかしいですよね)。

軍事的成功というのは私も少し引っかかりましたが、p479にある、韓国指導者の幾人かが日本の訓練した軍を率いていたり日本軍に参加していたりしていたことを指している、と解釈したのですが、いかがでしょうか。多くの朝鮮人日本軍で訓練を受けたことは確かですし、その中には士官がいたことも事実なのですから。

それから、私は日本植民地政策が朝鮮にとって有益であったというコンセンサスがある、と書いていますが、『いいことをした!』とは書いていませんし、思ってもいません。良いか悪いか、善か悪かは、有益かどうかとはまた異なる評価基準が介在するでしょうから、ここでは議論の対象にしていません。だからこそ「善政かどうかはともかく」という但し書きを入れています。そもそも、「日本植民地政策は正しかったというコンセンサスがある」と主張するなら、私がCumingsの『日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。』という言葉引用した段階で、その主張は破綻してしまいます。

3) 論文冒頭(479ページ)でCumingsは、

アメリカ朝鮮半島に深く関わるようになって長い時間日本の侵略期間と同じくらい)が経つのに、自由選挙・自由民主主義基本的人権の尊重といったことが根付かないのは、日本の侵略の影響がいまだ継続している、つまり、日本の侵略の影響が、大戦後の韓国北朝鮮両国家をさまざまな方法で形作っていったからなのだ」

と書いています。「Cumingsが日本植民地政策を有益だと評価している」というのは気のせいではないでしょうか。

この点は私の引用部とほとんど同じことを書いていると思います。日本は自主独立のよき教師でもなければ、民主主義のよき規範でもなかったのです。ですが、Cumingsはそのような「悪い」側面を鋭く批判する一方で、ヤヌスの顔のもう片方、practical virtues(実用面における長所、有意義性、有益性とも訳せるでしょう)についても語っているのです。個人的な感想になりますが、こういうバランスの取り方は大切だと思います。このバランスは専攻分野の違いによって左右されるものの、学界で一般的な態度といってよいのではないかと思います。

2010-01-23

今、ふと、前に増田に書いたエントリーが何文字だったのか数えたくなって、Wordに貼り付けてカウントさせたんだけど。

約900文字。

読書感想文なんかで使ってた400字詰めの原稿用紙で2枚ちょっとか。

結構書いてるなあと思った。

確か数十分で書き捨てたエントリーだったと思ったけど。

さいころの読書感想文では原稿用紙1枚書くでもあんなに苦しめられていたのに、つまんない文章ならこんだけ簡単に書けちゃうんだなぁ。

逆にいうと、当時のオレにまったく筆を進ませなかった感想文推薦図書がすごいのかな。

もちろん、ちゃんと読んだんだよ。

友達の中には内容はまったく読まずに、最後に載ってる解説だけ読んで感想文を書き上げたなんて自慢してる奴もいたけどさ。

ほんと今思うと不思議だよなぁ。

読書感想文。今年の夏も、たくさんの子供たちが苦しめられるんだろうな。

たった原稿用紙数枚のことなんだけどさ。

アルファブロガーが教えるブログアクセス数を倍増させる6つの裏技

はじめに

はてブ人気エントリーでこんなのを見つけた。

どうやったら読まれるのかを自分経験から考えてみた

http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20100122/1264135438

これを読んで、まず大きな疑問。「アクセス数を集めたいと考えて、実際になにかやってみて、それでもアクセス数が増えない人」ってどのくらいいるんだろう? はっきり言ってはてなを利用している限り、ちょっとの工夫ですぐにアクセス数は稼げる。

こういうのはSEOっていうんだっけ? そういうのの本格的な勉強は一切していない。これははてブ人気エントリーを見たり、自分ブログ更新したりして得たノウハウ。もっとほかの方法をあなたが知っているのならぜひ教えてほしい。

その1 タイトルで稼ぐ

よく言われる方法の一つ。ライフハック的に「××をする○の方法」でもいいし、マスを思いっきり煽るタイトルでもいい。要は人の目を引くタイトルを考えださなきゃいけない。だって、まずはタイトルで引き付けられなきゃ、クリックすらされないんだから。極端な例だけど「×月○日」じゃ誰もクリックしてくれない。

そして、これは内容と関係ない大嘘でもいい。さすがに「○の方法」と書いていて、その方法がまったく書かれていないのは問題。けど、記事に書かれているキーワードを散りばめておけば、人はタイトルが大嘘だとは、意外と気づかない。

コツは「とにかく誇張する」こと。これは今現在はてブのトップにある記事を見ればよくわかる。

DB設計の神ツール「ERMaster」なら、ここまでできる』

http://www.atmarkit.co.jp/fjava/rensai4/devtool11/devtool11_1.html

東京世界一魅力的な都市である 50 の理由』

http://www.cnngo.com/tokyo/none/50-855494

『知らないと損をする?Macユーザーなら入れておきたい便利ソフト

http://b.hatena.ne.jp/articles/201001/743

上記のタイトルにある「神ツール」「世界一魅力的」「知らないと損をする」が誇張の部分にあたる。そこで人の目をタイトルに持ってきて、「ここまでできる」「50の理由」「便利ソフト」の文字で「え?なんだろう?」とクリックさせるのだ。

これはひどいメソッド」というのもある。タイトルを見た人間に「はぁ?」と思わせ、反論欲を煽ってクリックさせるのだ。またはてブのトップから持ってくるが、以下のようなものがそれに当たる。

産経新聞小沢容疑者」と誤表記 謝罪、おわび記事

http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012201000727.html

首相は4文字熟語に弱い? 朝三暮四朝令暮改を混同』

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100122/plc1001221034007-n1.htm

こうやって思わず「これはひどい」と思わせるようなことをタイトルにする。人は反論をして溜飲を下げるのが大好きだから、みんなはてブで一言反論を残していく。そして、そこからさらに反論したい人が集まってくる。

その2 トラックバックで稼ぐ

トラックバック機能を使って稼ぐ方法。まずすることは自分が書こうと思っている記事に関連しそうなはてブ人気エントリーをとにかく集めることだ。最近のものの方がより良い。そうやって人気エントリーを集めて、うまく記事中にリンクすれば、相手の記事やはてブの「このエントリー含む日記」に載るので、そこから人がやってくる。誰かはてなユーザーに言及する場合は、必ずidトラックバックをすること。そうすれば相手の「最近トラックバック」に載る。idトラックバックは無理矢理やったっていい。ぜんぜん関連した記事を書いていなくても、我田引水で記事にその人の名前を出してidトラックバックしてしまえ。ぜんぜん関係ない記事にトラックバックするんなら、それはマナー違反だが、はてなで人の名前を出すときにid名で書くのはマナー違反じゃない。

もちろん、この方法はその1と併用して行うこと。特に最近の人気エントリーで、それに反論する内容だったら、多くの人がクリックする。

その3 セルクマで稼ぐ

その1とその2を駆使すれば、もう誰かしらがブックマークしてくれるだろう。そうしたらすかさず、セルフブックマークをしてブックマーク数の水増しをしよう。こうすれば誰かがあと一人ブックマークすれば、はてブのトップに載ることになる。たまに書いた記事をすぐにセルクマする人もいるが、それはオススメしない。何故ならはてブトップページには直近の注目エントリーを、カテゴリごとに三つしか表示しない。これは記事を書いた時間じゃなくて、最初にブックマークされた時間が基準になっている。だから、最初に自分セルクマして、残り二人が数時間後、数日後だったりしたらはてブのトップには載らないことになる。なので、誰かがブックマークしたらすかさずセルクマすること。その際、記事に関連し、なおかつ注目度の高いタグを入れ込んでおくのを忘れずに。

これもその1とその2を併用すれば威力は倍増。トラックバックすればはてブの「このエントリー含む日記」に載ることは書いたが、ブックマークされたら「このエントリーを含むエントリー」に格上げされる。「このエントリーを含むエントリー」だとブログタイトルだけじゃなく記事タイトルも表示されるので、クリックを促すようなタイトルにしておくわけだ。そして、誰かがはてブするような有益な情報だと思わせて誘導する。

その4 自演で稼ぐ

セルクマもある意味自演だが、こちらは本当の自演だ。一つは「タレコミ歓迎」のようなニュースサイトに自らたれ込む。もちろん、他人のふりをして。ほかにははてな匿名ダイアリーで自らトラックバックしたり、2ちゃんの関連スレなんかに自らリンクを貼ったり、という行為もある。あとの二つは猛烈な反論にしておくと目を引くのでいい。「なんだなんだ?」と記事元に誘導するってわけだ。

その5 キーワードで稼ぐ

 地味でアクセス数も少ないですが、しっかりとやっておきたいのがこれ。はてなは「はてなキーワード」というサービスをやっており、簡単に言うならばwikipediaプラスして、同一のキーワードを書き込んでいる日記リストをつけたもの。

 何か作品名や人物名を入力する際、きちんと正式名称を入れておくと、このサービスから人がやってくる。

 昔はよくこのサービスから日記を見に来る人が多くて、人気有名人名前を入れただけで30~50アクセスがあったものだけど、今じゃ一桁が普通かな。けど、取りこぼしを少なくするためにぜひやっておきたい。それに、はてブの「このキーワードを含む注目エントリー」にも載るから、そこからやってくる人もいるだろう。正式名称は最初の一回だけで、あとは略称でいい。こうすれば、正式名称で検索した人、略称で検索した人、両方をゲットすることができる。

その6 どや顔で稼ぐ

オタク評論家岡田斗司夫は自らのブログで「どや顔」はダメって書いてある。

魁!ブログ塾どや顔に気をつけろ!」

http://okada.otaden.jp/e79268.html

しかし、これははてなアクセスを稼ぎたいなら大間違い。とにかく自信満々で言い切ろう。そうすれば、「おおっ!」と納得させてもはてブされるし、イラッとさせても「これはひどい」ではてブされる。一挙両得なわけだ。

最後に

ちなみにこれ、はてな以外じゃおそらく通用しないんで注意。それにはてブ人気エントリーを見たらわかるけど、例外もある。そういう例外は本当に有益な情報アクセスした人に与えてるんだと思う。それにこれは実体験からわかったことだけど、「よし、アクセス稼ぐぞ」って気張って日記を書いたってすぐ疲れて持たないし、持たなかったらブログの勢いも失速して人は去っていってしまう。たくさんはてブされたって嬉しいのは最初のうちだけで、すぐに虚しくなるし、虚飾を張らずに人気エントリーを書いてる人に対して劣等感が増すだけ。興奮状態ではてブコメントアクセス元をチェックしたって(今じゃtwitterつぶやきもあるか)、「その時間、本でも読めばよかった」って後悔の時間が待っている。はてなで有名になったって、そこから一歩でも外に出たら無名の自分に苦しくなってしまう。

私の今の目標は「普通に書く」こと。そうやってブログ更新して、やってきてくれる人こそ「本当の読者」だ。上の方法ははてブ荒らしているだけだ。だから人間よ、もう止せ、こんな事は。

自分のことがニュースになってた。あと犯罪者逮捕したとき負った怪我について保障制度に詳しい人いない?

http://www.asahi.com/national/update/0122/TKY201001220225.html

お暇があれば下のページも

http://anond.hatelabo.jp/20100122151624#tb

警察の対応がホントに気に食わない

大けがでもあいつらははぐらかすんの?

あっちのほうのエントリーにみなさんどうかお知恵を貸してください

多分このエントリー書いた後にニュースになってるから

もう警察のほうに僕がエントリー書いてることは把握されてると思う

見てるだろうから言うことがあるとすれば、

一般人なめんのもいい加減にしろよ糞野郎!

2010-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20100121011555

元増田です。

横だけど、元増田が書いているのは、元増田意見ではなく、一流論文誌に載っている事実だよ。

選んだ論文恣意的であったら、元増田と近い意見になるだろう。

結論を見ると、元増田と異なっている。

ご紹介頂いた論文の最初の文章をご覧下さい。

"Since the 1980s, a widespread view has arisen in the literature that the post-1950 economic successes of Taiwan and the Republic of Korea have been due, in part at least, to the legacy of Japanese colonialism."

とありますよね。現在進行形記述されている以上、「1950年以降の台湾韓国経済的成功は、少なくとも部分的には、日本植民地政策の遺産に依っている」という説は、30年間にわたって、そして現在も、「広く知られた見解」なのです。もしこの見解が実際にはマイナーなものに過ぎず、私の恣意的な選択によってあたかも広く受け入れられているかのように錯覚させているだけだと思われるのであれば、是非その根拠をお聞かせ頂きたいと思います。私は紹介した論文以外にもいくつかの論文のliterature reviewを参照していますが(議論の大枠をつかむにはこれが一番手っ取り早い)、この見解が学界で広く受け入れられているものであることを疑わせるような記述はただの一つも見つかりませんでした。A Boothの論文も、「歴史修正主義者」の見解がどのようにして学界で広まり、議論が深められていったかを丁寧に説明していますよね。この最初の数段落サーベイとして良くまとまっていると思いますので、是非ご一読ください。

もちろん、この見解には反論も提出されています。私の最初のエントリーで紹介したHaggard, Kang and Moon (1997)がそれです。ですが、Haggard, Kang and Moon論文が世に出て10年以上、依然として彼らが異を唱えた見解は広く受け入れられていることはBooth自身が指摘しているわけで、彼らの反論が受け入れられなかったことは明らかです。Boothの論文はまだ発表されて3年ですので、この論文の影響を測るのは難しいですが、比較的似たKimura (2005, JEH)の論文(前のエントリーで紹介済み)と比べて、発表されたジャーナルの格が全く違います(主観的な感想をお許し願えれば、論文自体の説得力もKimura, 2005が遥かに上であると思います)。現時点で、門外漢がどちらを信じるべきかと考えた場合には、やはり学界の多数派であり、多くの一流ジャーナルアクセプトされている「歴史修正主義者」側の見解を採るほうが客観的でフェアな選択であると思います。少なくとも、「自分政治的な意見にとって都合のいい方だけを信じる」という、安易な選択よりは遥かに望ましいでしょう。

この意見が妥当かどうかはともかく、匿名で主張しているのではそもそも検討に値しない。

これはいいすぎだろう。しかし元増田idで主張したほうがいいと思う

私自身もブログは持っていますが、この手の話を書くと、議論の内容ではなく、「自分意見の味方であるか敵であるか」だけに注目して妙な感情論を投げてくる人が多いので、政治宗教プロ野球の話は原則として益田を使うことにしています。妙に興奮した感情論にいちいち答えるのは疲れますから。

また、この件で匿名で書くか実名か、またはペンネーム(id)を使うかが何か重要な違いをもたらす理由が良く分かりません。重要なのはプリンストンのKohliやイェールのReymonds、またはご紹介いただいたSOASのBoothが口をそろえて指摘する、「1950年以降の台湾韓国経済的成功は、少なくとも部分的には、日本植民地政策の遺産に依っている」という見解が広く受け入れられている、ということを信じるかどうかであって、私の個人的見解は披瀝してもいませんし、信じてほしいとも思っていません。

若干突き放した書き方をしますと、あそこまで書いても、中身も読まずに「検討に値しない」とか言ってしまう人は、私が想定する読み手ではないのです。(こういう放言が出来るのも増田メリットと言えるかもしれませんね。)

2010-01-20

朝鮮生活水準日本の統治下で向上していた件

http://anond.hatelabo.jp/20100119124726

上のエントリーについて、こちらのブログ(http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034)でコメントを頂戴したので、もう少し書いてみたい。

日本植民地経営朝鮮人の暮らしは悪化したのか?

植民地の立場を脱してからはじめて、旧植民地近代国家経営のお手本としての大日本帝国モデルを自国の発展に生かせたのです。植民地支配体験が韓国民にとって有益になり得たのは、植民地から脱して後のことです。

水田開発や農業技術の向上は、ほとんど朝鮮の民生向上に繋がりませんでした。そのことは統計数字が示しています。

最初にいただいた反論は、日本植民地政策は朝鮮人からの収奪のためであって、朝鮮人生活水準の向上にはまるで寄与しなかったと言う点。こちらのブログでは、その論証として以下の3点をあげている。

  • 朝鮮人所有の土地面積が減少している。
  • 工業化は大して進まず、民族資本もあまりたいしたことがない。
  • 日本統治化で、米の消費量はむしろ減っている。

まず、第2点目に付いては、むしろ韓国人による起業植民地時代に始まったものであると言うKohli教授の指摘と矛盾する(上のエントリーを参照のこと)。また、目に見える工場などの資本以外に、経験や知識が蓄積されていたという彼の指摘は無視されるべきではないだろう。

また、第1の点については、当時の朝鮮人の大半は小作農であろうから、朝鮮人地主土地保有が若干減少したとしても、それで朝鮮人一般が搾取された、収奪されたという結論に結びつけるのは難しい。

重要なのは3点目。朝鮮人の米消費が植民地時代に減少していたと言うこと。これは朝鮮人の生活ぶりに直結しうる大切な指摘だ。しかし、我々は米だけ食って生きているわけではない。代わりにパンかうどんでも食えるのならば、少なくとも私は文句はない。もっと言えば、Quality of Lifeというのは食い物だけで決まるわけではない。教育、娯楽、医療水準、すべて食欲と同程度に重要だ。

で、そんなさまざまな要素を私が知りうるはずもない。ここはやはり専門家の出番だ。で、例によってGoogle scholarにお伺いを立てると、”calories Japan Korea colonization”でど真ん中の論文が見つかった。「植民地時代の朝鮮生活水準大衆の生活は日本統治下で改善されたのか、それとも悪化したのか?」という論文がそれで、著者は帝塚山大学木村教授。ちなみにこの論文はJournal of Economic Historyという、経済史学のトップジャーナルに掲載されており、信頼性は高い。面倒なので最初の要約部分だけ和訳すると、

この論文では日本統治下での朝鮮大衆生活水準の変化について研究した。世帯辺りの農業収入農業部門の実質賃金、必需食料品からの一人当たりカロリー摂取量は減少した。一方で、初等教育の履修者数、識字率、生存率は上昇し、また平均身長は少なくとも減少はしていない。この論文では、識字率や生存率、それに平均身長は、他の条件よりも生活環境により直接的に関係している数字であるということを主張した上で、朝鮮大衆生活水準植民地化から1940年までの間に向上したと結論付けた。ただし、この問題についてのいかなる概括も、さまざまな要素のどれを重視するかと言う点に決定的に依存する。

言うまでもなく、識字率とはハングル識字率のことである。もちろん、生活水準などと言うあいまい言葉は如何様にでも定義できてしまうので、このような研究を胡散臭く思う人も多いだろう。しかし、木村教授はここでノーベル賞経済学者アマルティア・セン生活水準基準を適用することで、一定の客観性を確保している。これは、資産効用といった経済学でおなじみの基準を使わず、平均余命や生存率、識字率栄養摂取などに着目しようというものだ。

ちなみに、木村教授の推計では、米および穀物からのカロリー摂取は1918年までの5年間で急速に向上した後、以降1936年まで年率-0.4%で低下し、それ以降はまた急速に増加している(前者の増加は穀物消費によるもの、後者は米消費の急増によるもの)。これはもちろん好ましいことではないが、この時期の生存率はむしろ改善しており、日韓併合前と比べても朝鮮人身長はほとんど変化していない。少なくとも、朝鮮人健康を損ねるレベルカロリー摂取が減ったわけではなかったようだ。

一方で、男子の就学率は日韓併合直後の20%から1940年には60%へ、女子の就学率もゼロから20%へと、大幅に上昇している。識字率や生存率も統計上有意な上昇を示している。

これらの要素から、木村教授アマルティア・センの基準に基づいて、

日韓併合後、日本の統治下で、韓国生活水準は損なわれた側面も当然あったにせよ、全体としては改善されたと結論付けている。

M Kimura (2005), "Standards of Living in Colonial Korea: Did the Masses Become Worse Off or Better Off Under Japanese Rule?", Journal of Economic History.

http://www.jstor.org/stable/2122408

日本植民地経営だけが素晴らしかったのか

日本英国なんかよりもずっとましな植民地経営をしたというのが、歴史修正主義排外主義の立場の人の言い分ですね。

しかし香港シンガポール英国植民地でしたが、素晴らしく発展していますよね。

経済発展の結果を以て日本植民地経営の良さを言えるのであれば、英国植民地経営もまた良かったことになります。

でも英国植民地が悪い見本であると言うなら、日本だってどっこいどっこいなんじゃないかと。

この点については、Reynolds (1983)の論文が参考になるだろう(著者はイェール大学教授、収録されたジャーナルJournal of Economic Literatureは一流誌)。彼はまず世界中植民地政策は国によって大きく異なることを指摘した上で、まず日本に言及し、『日本は、自国にあっても植民地においても、いつも経済成長重視の政策を貫いていた。そして日本の統治が朝鮮台湾の急速な経済成長のきっかけとなったことは明らかである。フィリピンも、アメリカの統治開始以降高度成長を達成している。またイギリスも概して経済成長志向であったが、イギリスは当地の殖民政府へと権限を大きく委譲する傾向があったため、各地の為政者次第でまるで政策が異なる。』イギリス植民地経営が悪い見本だったと言う主張は、少なくとも私は見たことがない(ミャンマーについては、かなり悪い例に入ると思うが)。一方で、Reynolds教授が「失敗国家メーカー」の烙印を押したのは、ドイツフランスベルギーオランダ、そしてポルトガルアフリカとかでにっちもさっちも行かなくなっている国は大体この辺の国々が荒らし回っている。ちなみに今大変なことになっているハイチ宗主国フランスである。

http://www.jstor.org/stable/2724912

日本の統治はどう有益だったのか

北朝鮮」も日本植民地でしたが、先進国になっていますか。

あの国は自業自得だというなら、逆に韓国の発展は韓国人努力の賜物だとも言えますよね。

まあ経済発展の要因はいろいろありますから、単純には言えませんね。

教育の普及やインフラ整備はたいていの植民地に施されていますから、日本が特に特別な恩恵を残したとまでは言えないと思いますよ。

後段については上で説明したので繰り返さない。1点のみ付け加えると、前のエントリー引用したCumings教授は、日本の統治下で朝鮮鉄道網はアジア最高(日本を除く)のレベルにまで整備されたことを指摘している。

前段については、「北朝鮮経済成長に失敗したのだから、日本の統治はたいした影響がなかった」という議論はやはり無理がある。韓国経済成長韓国人自身の努力の賜物であることは自明だが、努力だけでは補えない経験技術、各種インフラ教育制度官僚機構などを日本植民地経営がもたらした、というのが前回のエントリーで紹介した「学界のコンセンサス」なのだ。もしそれを「経済成長必要条件であった(十分条件ではないのは北朝鮮の例から明らか)」と言い換えることが出来るなら、やはり日本植民地政策は韓国にとって有益であったと言うことは出来ると思う。

2010-01-19

平気でパスワードを平文で送る新卒サイト

普通ハッシュ?の状態でDBに保存して管理者も元のパスワードはわからないようにしておくもんじゃないの?

この度は楽天株式会社エントリーいただき、ありがとうございます。

今後は、会員制ページ「マイページ」にて選考に関するご案内や会社情報等をお送りします。

住所やメールアドレスなど個人情報に変更があった場合も「マイページ」内で修正をお願い致します。

◆ID :  

パスワード: 

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今回はご登録ありがとうございます。 ログイン名とパスワードは下記の通りです。

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サイバーエージェントに至ってはご丁寧に毎回IDとPWを送りつけてくる

搾取を語るなら論文を読め

http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034

日本韓国統治は善政か否か」問題で久しぶりに面白いエントリーを読んだ。正直、日本韓国統治は悪だ、という議論は感情論ばかりが横行するので辟易していたのだが、こういう数字に基づいたエントリーが出てくるとちゃんと議論になる。実際、コメント欄でも、すれ違いはあるものの真っ当な議論になっているように思う。

でもさ、『ちゃんと学術的に認められた歴史書を読み直されるよう、お勧めいたします。』って書くならさ、もう一歩踏み込んでもいいと思うんだ。学問の主戦場たる英語論文の数々に。ここ20年間、様々な定性定量分析が積み重ねられてるのに、それを無視するなんて余りにももったいない

結局、日本韓国もこの件ではバリバリ当事者な訳で、どうしたって中立的な議論は出来ない。純粋に学術的に中立的な議論をしても、その裏の政治的思惑を勘ぐられるのがオチだ。なら、第三者たる欧米の、それも世界最高峰大学で教鞭を執る学者の議論を参照することは決して無意味な事じゃないはずだ。

それに、10年前と違って、我々はほぼ自由にこれらの議論にアクセスできる。Google Scholarで”Japan Korea colonization”を検索してみるだけでいい。10回くらいクリックすれば議論の形はある程度つかめてしまう。いい時代になったもんだ。

で、2時間ほど仕事をさぼって論文を流し読みした結論。それは、

日本韓国統治が善政だったかどうかはともかく、「その植民地政策が、他の帝国主義国家の政策とは明らかに異なる、有益なものであった」ことについては、学者の間である程度のコンセンサスがある

ということ。ついでに言うと、欧米開発経済学者と何度か話した時も、この結論をある種自明のように語っていたので、現在でもこのコンセンサスは有効であるように思う。私自身は門外漢なので断言は出来ないが。

日本植民地政策の総論として、大体平均的な見解になっているのは、Bluce Cumings(シカゴ教授)の以下の下りだと思う。

エトウ教授日本の悪徳はヨーロッパの植民者のそれと何ら変わるところがなかった、と述べている。それは正しいのかもしれないが、一方でその美徳はヨーロッパ人のそれとは全く異なっていた。日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。少なくとも何人かのフィリピン人は、アメリカ植民地主義独立というゴールへと至るための良き教師であると信じていたが、日本は良き教師ではなかった。少なくとも幾人かはイギリスインドにとって自由民主主義の良き模範であったと信じているが、日本は良き模範でもなかった。日本がもたらした美徳の数々は、倫理的には(philosophically)正当化するのは難しいが、実際的には(practically)容易に受け入れられるものだ:軍事的成功、強力な国権の運用、急速な経済発展、そして近代的な工業セクター。それゆえ、1945年韓国人達は日本植民地主義に対する全面的な拒絶を唱えて解放を謳歌したが、その一方で日本がもたらした様々な影響からは抜け出すことが出来ないという、二律背反に直面することになったのである。

ちなみに、このCumings教授北朝鮮よりの言動が過ぎると批判を受けているくらいであって(英語Wikipedia参照)、決して日本よりのスタンスを取っているわけではない。むしろ、日本植民地政策は朝鮮政治的に分断される一因となったと書いている(人となりの雰囲気はこの辺りのブログで分かるかもしれない。http://d.hatena.ne.jp/uedaryo/20090208/1234060826)。それでもなお、36年間の日本経済政策については、むしろ肯定的な言及が多い。日本植民地政策についての興味深い言及もあるので、興味のある人は以下のリンクを読んでみると良いだろう。英語は平易なので、特に苦労なく読めるはずだ。

B. Cumings (1984), “The legacy of Japanese colonialism in Korea”, RH Myers and MR Peattie eds., The Japanese Colonial Empire: 1895-1945, Princeton UP.

http://brightrising.com/pdf211/week10/Bruce%20Cumings%20%27The%20Legacy%20of%20Japanese%20Colonialism%20in%20Korea%27%20-The%20Japanese%20Colonial%20Empire-%20p.%20478-496.pdf

似たような議論としては、

LG Reynolds (1983), “The Spread of Economic Growth to the Third World: 1850-1980”, Journal of Economic Literature.

G-W Shin (1998), “Agrarian Conflict and the origins of Korean Capitalism”, American Journal of Sociology.

CJ Eckert (1991), Offspring of Empire, U of Washington Press

などがまとまっている(最後のは読んでないが)ので、興味のある人は参照して欲しい。Google scholar検索すれば他にも沢山出てくる。個人的にはReynoldsが俯瞰的にまとめていて良いと思う(アクセス権がないと入手が困難だが)。

さて、ここからが本題だ。欧米の碩学達はなぜ「日本植民地政策は有益であった」と結論づけたのだろう。正直、上のリンクを読みやがれの一言で済ませてしまっても良いのだが、一連の議論がある程度まとまっている論文を見つけたので、以下で抄訳してみたい。プリンストン大学のAtul Kohli教授論文なのだが、まず彼は94年に「日本植民地政策は、戦後韓国経済発展に重要な貢献を成した」という論文を発表したのだが、これにS. Haggard(UCサンディエゴ校)、D.Kang(ダートマスカレッジ)、C-I Moon(延世大学)の3人が「いやいや日本の影響なんてたいしたことないから」という反論論文(以下HKM)を寄稿した。これに対して更に「いや、君たちの言うことはおかしい」という再反論をKohliが行った、という流れになっている。この最後の再反論の論文が短くまとまっていて論点も明確なので、これを取り上げてみることにしよう。

1.The economic records and legacies

HKMではKohli論文に対して4点の反論を試みている。まず、日本統治下での韓国経済成長と、終戦後韓国経済成長とを過大評価しているという点。『私の原論文では、主によく知られたS-C Suh (1978)のデータに基づいて、植民地時代の米の生産量は年率2%相当の伸びを示しており、その相当量が土地1単位辺りの収量の増加によると議論している。生産性の向上は、日本政府による計画的な灌漑、品種改良と肥料の使用を反映したものだ。

日本の行動が利己的なものであって、多くの韓国人はこれらの植民政策の恩恵を受けていなかったという不快事実に関係なく、安定的で近代的な農業生産の成長は植民地主義歴史の中でほぼ無類の成果であった。この経験韓国を他のアジア諸国(除日台)から一線を画す存在にした。そして、この経験はその後の韓国経済成長へ貢献する一要素となったことは間違いない。』

HKMはこれに反論を試みているが、『HKM自身が提示した資料によれば、1911年から38年までの植民下の韓国農業成長は3.17%増加しており、私の提示した数字よりも更に高い。』Dehliはなぜ彼らはこの事実をちゃんと議論しないのかと指摘した上で、もう少し細かい議論をしている。さらに他の研究を引いて、Myers and Yamada (1984)は1920年から40年までの農業生産の伸びを年率1.15%、S-C Suh (1978)は穀物生産が25年間で45%、米は30年間で100%増加したと推計しており、『これらのデータを前にして、植民政策下の韓国農業生産と米の生産が植民経済の基準から言ってかなりの増加を示したことを誰が疑うのだろうか?』と問うている。

『より重要なのは、これらの、特に米の生産の成長の源泉は何かと言うことだ。Suh (1978)とMyers and Yamada (1984)の双方が、この時期に耕地の大幅な拡大や、農業への労働者の大量投入は見られないと指摘している。これらが強く示唆するのは生産性の向上である。HKMは生産性の向上はあくまで緩やかなものに過ぎなかったと主張するが、30年間で60%もの生産性の向上(Suh, 1978)を緩やかと表現するのは不可能だ。籾付米の栽培パターンの変化は韓国農業に“生物学革命”が起こったことを示している:品種改良された種籾を使用する水田は倍に増え、肥料の投入量は10倍になり、灌漑された農地は年率10%近いスピードで拡大し続けた(Suh, 1978, Myers and Yamada, 1894, Ishikawa, 1967)。

これらの改善明治時代農地革命の日本から韓国への計画的な普及の成果(Suh, 1978, Myers and Yamada, 1984)であった。日本植民地政府韓国農業改革の努力によって、“近代的な農業革命が開始され”、日本台湾と同様に、“これはアジアにおける近代農業改革の端緒となったと言って良いだろう”(Myers and Yamada, 1984)。更に、他の研究者達が指摘するように、この革命は終戦後も引き続き行われた。これでもなお、「ユニーク植民地の運営は大戦後の韓国経済発展への足がかりとなった」ことを否定することが出来るのだろうか?』

日本工業政策の影響については、『HKMは3つの伝統的な-そしてあまり説得的ではない-理由から反論している。曰く、工業部門は殆ど日本人が所有していた。曰く、その殆どは北朝鮮に位置していて韓国経済発展には関係ない。曰く、どちらにせよ、朝鮮戦争であらかた破壊されたので関係ない。

日本人への所有権の集中という最初のポイントは説得的とは言えない。韓国1965年以降の経済成長においても、企業所有権はかなり集中していた。こっちは問題ではないとでも?日本資本について言えば、「外国資本ニ支配サレタ工業化ハ真ノ工業化トハ言エナイ」的な議論は、既に説得力を失って久しい。第2に、工業資本朝鮮戦争破壊されたという点は私が原論文で指摘済みの点である。繰り返すが、当時の工業資本の約半数は南朝鮮にあったのである。さらに、南朝鮮にあったのは繊維工場のような軽工業資本であって、北の重工業に比べて輸出産業としては離陸しやすかったはずである。』

Kohliは、更に反論として、脱植民地運動朝鮮戦争破壊からの急速な回復は、韓国人近代工業を運営した経験があったからこそであること、(2) 工業資本戦争破壊されたのは事実としても、知識は消え去らないこと、近年のRomer (1993)などの内省的成長理論においても知識の重要性が強調されていること、などから、日本植民地時代の「正の遺産」は韓国経済発展に寄与したとしている。

2. On the developmental state

政治プロセスの話をしているのだが、「てめーの読み違いだよ」という話なので省略。

3. On the origins of Korean capitalism

『主にEckert (1991)の重要な著作に依って、私は原論文日本植民地主義韓国資本主義が孵化するためのフレームワークを構築した、と論じた。』『HKMはEckertはある特定の例しか研究しておらず、日本植民地政策の影響がなかったとしても、韓国固有の資本主義がいずれ芽生えたはずだ、と主張している。』

これに対する反論として、Kohliは3点の反論を挙げている。(1) Eckert (1991)の“韓国資本主義日本の統治の下で、日本の公式な承認(official Japanese blessing)をもって花開いた”という議論は依然として受け入れられており、仮に例証の少なさが問題だとしても、多くの研究者がいくつもの例証を発見しつつある(例えば、Ho Su Yolの研究によれば、韓国企業家の数と、韓国人所有の企業の規模は、1930年代に共に増加している。(2) 歴史にifはありません。 (3) 『確かに、植民政府利己的な動機で動いていた。確かに、多くの企業日本人に所有されていた。しかしそれでも、その政府で、企業で、多くの韓国人が働いていた。そして、その過程で日本式の資本主義はゆっくりと、しかし確実に韓国に根付いていった。更に言えば、多くの韓国人起業家がそのビジネススタートさせたのはこの時期なのだ (Eckert, 1991)。確かに、有力な財閥企業の多くは大戦後に設立されている。しかし、資本主義というのはある日突然芽生えるものではない。多くの財閥企業(現代、三星Lucky Starなど)の創業者達が最初に事業を興したのは植民地時代なのである。』

5. On the state and lower classes

最後に、日本政府による朝鮮人労働者の使役の問題について。『私は原論文で、韓国での日本人は、きわめて抑圧的でそして日本自身のそれによく似た労使関係の構築に寄与した、と主張した。マネージャー達は若い韓国人を雇い、OJTを施し、愛社精神を植え付け、とんでもない長時間労働を要求し、そして国家権力を後ろ盾として労働組合政治的な活動を禁じた。さらに、“サンポ”システムで「産業愛国クラブ(industrial patriotism clubs)」を組織して経営者労働運動リーダー達を同じクラブの一員とし、彼ら労働運動リーダー達を経営者が雇い挙げる仕組みを作り上げた。この厳格なアメとムチのシステム日本人経営者に「生産性上昇よりも低い賃金アップ」という恩恵をもたらしただけでなく、政治運動を無視して生産性向上に集中させることを可能にした。この仕組みは韓国政府に受け継がれ、その高度成長期まではこの仕組みは維持された。』

以下結論が続くが省略する。残念ながら、この論文大学関係者以外はアクセス権がないので、興味のある方は大学図書館で以下を当たって欲しい。

A Kohli, (1994), “Where do high growth political economics come from?”, World Development.

S Haggard, D Kang, CI Moon (1997), “Japanese colonialism and Korean development: a critique”, World Development

A Kohli, (1997), “Japanese colonialism and Korean development: a reply”, World Development.

念のために書くが、別に権威ある意見が全てだと言っているわけではない。自分の足でデータを探して考えるのはとても大切なこと。でも、それだけではたどり着けない議論というのがあることも分かってもらえればありがたい。上で紹介したKohliは帝国主義経済発展が専門分野で、日々そんなことばかり議論する毎日を送っているはずだ。そういう人たちがたどり着いた「日本植民地政策にはありきたりのvices(悪徳)と、ユニークなvirtues(美徳)がある」という結論には、それだけの重みがあると私は思う。

2010-01-17

欺瞞と実態

【IT】深刻な情報処理技術者の不足、社会基盤を支える人材の育成を急げ--東洋経済 [01/14]

http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1263458599/

1 名前ライトスタッフ◎φ ★[] 投稿日:2010/01/14(木) 17:43:19 ID:???

賛否両論の渦巻いた事業仕分けの中でもとりわけ注目を集めたのが次世代スーパー

コンピュータだろう。学界、産業界からの強い反発を受けて、鳩山首相から

「凍結見直し」が示唆されたが、現政権国家戦略・百年の計のなさをはしなくも

露呈する結果となった。

民主党マニフェストにも「科学技術の育成」はうたわれている。しかしターゲット

不明なうえ、育成のために何をすべきかすらもまったく見えない。政策の骨格が見えず、

予算削減という目先の目的一つで政策自体がぐらつく。この政権に対する産業界

不信は根深い。

開発が中断し、ロードマップが途切れると、その遅れは二度と取り戻せない。単にその

期間分の遅れにとどまらない。産官学の共同研究は、いったん解体されると二度と同じ

メンバーを集められない。

さらに、スーパーコンピュータ開発の遅れは、他分野の研究にも多大な影響を及ぼす。

医療宇宙、気象など、さまざまな分野での解析・シミュレーションに不可欠な

インフラだからだ。インフラ脆弱では、世界のトップをうんぬんする以前の話で、

国際競争の中で生き残ることすら難しい。

資源の乏しいわが国にとって、唯一の資源人材であり、中でも「ものづくり」を

中核とした科学技術の力は、最も期待の大きい分野といっても過言ではない。しかし

科学技術開発のタイムスパンは長い。ハイビジョンテレビという民生技術でさえ、

技術方式が考案されてから一般に普及するまで30年の歳月を要した。量子コンピュータ

開発ロードマップも30年計画だ。長期にわたる技術開発だけに、現在科学者技術者

だけで終わる話ではない。研究開発の継続性を念頭に置いた、教育による人材の育成も

また、計画の中に織り込まれねばならない重要な要素だ。国家単位での長期的視点からの

下支えがなければ、企業努力だけではどうにもならない。

人材確保に苦しむ情報産業

国の財政支援によって育成すべきは、スーパーコンピュータのような最先端技術だけ

ではない。表面的には見えにくいが、今や情報産業経済社会インフラというべき

重要な存在だ。資金、生産・販売、コスト、労務人事、決済に至る企業活動のすべてが

情報化され管理されている。鉄道、航空など輸送の運行制御、高速道路ETCシステム

銀行オンラインシステムお財布携帯など電子マネー自動車家電製品電子シス

テムなど機器組み込みソフトに至るまで、情報産業バックグラウンドなしに経済

社会も生活も成立しえない。

IT産業のうちシステムソフトウェア開発等サービス関連の市場規模は5兆円(IDC調べ)。

自動車産業の十分の一にすぎないが、重要性において他産業に決して劣るものではない。

にもかかわらず、人材の確保が非常に厳しい環境にある。

情報処理技術者試験を管轄している独法情報処理推進機構IPA)の集計によれば、

情報大学出身者の半数以上が情報産業以外に職を求めている。卒業生数自体、年間

わずか2万1000人にすぎないのに、である。一方で情報学生新卒求人情報産業

一般企業を合わせると、毎年7000人の供給不足だ。

※続く

ソース 週刊東洋経済

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100114-00000000-toyo-bus_all

686 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/17(日) 01:25:53 ID:rK1wYYKs

ピンポンパンポ~ン 定期的にお知らせします。

>>1-2の記事の「人材不足」とは「新卒不足」のことです。

新卒でなければ人材にあらず(>>143)だそうです。

143 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/14(木) 20:42:03 ID:J4ojKbk3

だからさぁ、不足してるのは人材じゃなくて新卒の間違い。これがFA


320 名前名無しさん@毎日が日曜日[] 投稿日:2009/11/17(火) 14:23:09 ID:XvIqWccI

既卒という言葉がある。

既卒とは、就職内定がないまま大学卒業してもらったことを

一般的に人事部ではそう呼ぶ。

(中略)

はっきり言ってしまえば、殆どの企業で「既卒者は門前払い」となる。

それは、本人の学歴がどんなに素晴らしくても変わらない。

「計50社ぐらいは送りましたね。履歴書と送料で3万円は払ったかな」

近藤君は28歳のフリーターだ。現在は都内で進学塾講師バイトをしながら暮らしている。

月収は15万円ほど。家賃が6万だから、けして楽な暮らしではない。

実は、彼は東京大学法学部卒業という学歴を持っている。

(中略)

ネット企業就職説明会でエントリーしても、その後なかなか呼び出されないんです。

 でも、ネットで調べてみると同じ時にエントリーした人は内定を貰っている。

 10社以上回ってみてからですね、ようやく変だな、と思ったのは」

私自身、人事部に配属されて最初にやった仕事は、新卒応募者の中に紛れ込んでいる

既卒者の履歴書をチェックして引っ張り出すことだ。

取り除けた履歴書は、オフィスの隅の箱に入れられたまま、二度と人の目にすることは無かった。



・出典

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本未来城繁幸

これは記事の文脈を読めば気付くはずですが、皆さんはボケレスされていることと思います。

奴隷が不足してるってことだろ?というのも違います。

下っ端の奴隷はむしろ余ってるので言及する必要すらないだけです。

本当に高度な技術者はITに限らず育成で何とかなるものではないので、やはり言及なしでしょう。

足りないのは新卒です。奴隷たっぷりいます。

新卒が不足すると困る理由は、大手IT企業年功序列を維持できないからです。

そして肝心の、新卒不足の理由は>>116、キャリア・パスに全く希望・魅力が無いということです。

ちなみに実質人材余りの理由は>>294の後半。これが奴隷化への意図的な布石意図まであったとしたら悪魔戦略でしょう。

116 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/14(木) 19:20:32 ID:J4ojKbk3

262 名前名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/12/17(木) 01:34:58 ID:Lf+iFfjd0

IT系の会社は、社員がある程度歳を取ったら 『自発的に』 辞めてくれるような環境を作る。

みんな 『愛想を尽かせて』 辞めたり、『仕事苦痛になって』 辞めたりするんだけど、これ実は会社の意向なのよね。

この手の会社は平均年齢を若く保たないと駄目だから。

IT系は若い頃は他の業種より多少収入がいいんだけど、 これ実は未来自分の財布から(不効率な方法で)現金をくすねているだけに過ぎない。

新卒100人が独立系の上場IT企業に入ったとしよう。



     会社に残る 中小ITに転職 零細ITに転職 異業種に転向 独立開業 無職

35歳     40人       20人       10人        20人     5人  5人

40歳     20人        15人       20人       30人     5人  10人

45歳     15人        10人       15人       40人     10人 15人

50歳     10人       5人       10人          65人     10人 10人

定年        5人       0人       0人        75人    10人 10人

IT業界20年の俺が見た所、人数の推移はこんな感じ。

加えて言うなら、定年まで会社に残れる5人の中に、経営者親族が3人くらいは入っているw

独立して最終的に食えるのは、業界の1割ほどに過ぎない。

残りはほとんど未経験の異業種で恐ろしく低賃金で働かざるを得ない人生負け組として人生を終える事になる。

若い頃のプログラミング楽しいものだが、それを仕事にしてしまうと、かなりの高確率負け組が確定する。

この業界に入るなら、能力が上位1割(独立開業できるライン)に入る自信がなければ止めといた方がいい。


270 名前名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/12/17(木) 01:43:12 ID:ZfD4e96GO

262の言う通りだべ。何か読んだが、ITは30までに管理職になれないと辞めさせられる環境らしいしな。


342 名前名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/12/17(木) 03:37:05 ID:miR7gPpU0

本当はアメリカと比べたくないけど、アメリカの場合は職種が専門家されていて、デベロッパー(あえてプログラマと書かない)だったらデベロッパーとして、ITプロとしてだったらITプロとして食べていけるけ。

日本の場合は、管理職にならないと給料が上がらない仕組みだから、ある程度の年齢になると、希望する/しないに関わらず管理職にならざるを得ない。(それが嫌なら独立するか)

これが日本にIT職が根付かない理由だと、個人的には思っているんだけど。


↑↑↑

だれがせっかくの新卒カード切ってこんな業界に就きたいと思うのかw

294 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 04:39:15 ID:5gPqY2Sw

>>160,167,226

人材不足じゃなくて新卒不足w

新卒でなければ人材にあらず、だってさw

>>172,206,228

その通りなんだろうが、記事の文脈では人材不足じゃなくて新卒不足を言ってますw

新卒を湯水のように使い捨てたいらしいですw

>>242

ピンって1割って意味だったらしいよw

1割ならすっごくすっごく良心

この国をダメにしたのは>>273

さらに日本のIT業界ダメにしたのは>>116と↓

165 名前名無しさん@毎日が日曜日[sage] 投稿日:2009/10/26(月) 20:13:06 ID:/5Ruvz1N

ほんの少し前まで未経験30男を採用する企業が実際にあったのよ

ブラック限定だったけど

で、その頃の情報ネットに飛び交ってるし、職安馬鹿職員共の頭にもこびりついてて、

こいつらは職安でその当時の情報を吹き込まれてるわけ・・でそれを鵜呑みにしちゃってるの

何故ITは一時的に極度の人手不足になったのか?

それは急激にIT化が進んだ為であり、あくまで一時的に人が大量に必要になった為。

今はIT化の波が一段落して逆に人余りの状況になっている。

そして、その人余りの状況に、この大不況がぶつかってしまった。

だから仮に何年先かわからないが、景気がよくなっても、残念ならITの需要はかつてのようには増えることはない。

そして人余りの状況に変わりはない。当然、30代の未経験者が仕事にありつけることはない。

ITなら就職できるというのは、情報として古すぎる。

457 名前:非決定性名無しさん[sage] 投稿日:2009/10/27(火) 00:40:22

顧客にものすごく工数がかかると錯覚させるのが元請けの戦略なんだよ

100人規模のプロジェクトで本当に必要な人材は上位20人のみ

他80人はいてもいなくても関係ない人材だからね

これで1人月100~200万×100人を顧客に請求していたわけ

その他80人に対して50~100万×80人を払えば差分は丸儲けの仕組みだったんだよ

このその他80人を埋めるための人材を提供していたのがIT人売りと言われる企業

スキルあろうがなかろうがどっちでもいいから未経験でも受け入れてもらえてたんだよ

466 名前:非決定性名無しさん[] 投稿日:2009/10/27(火) 07:56:43

多重下請構造の生み出した、無駄無駄のヒダの間で生きていたのが、人売り会社フリー

業界スリム化して、入り込む隙間が小さくなれば、そりゃ生き残れる奴は少なくなる

でもこれが本来の姿

二度と戻る事はない



奴隷から抜け出せない現象は、手配師やタコ部屋、“型にはめる”などのヤクザの手法が応用されているかもしれませんね。

一見カオスですが、不完全情報ゲーム下での均衡状態の一つなような気がしますが如何でしょうか。

IT業界に限らない日本低迷の理由は、硬直した年功序列新卒至上主義+ピーターの法則、一段階正義パターナリズム、そして>>273ではないでしょうか。

273 名前名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2010/01/15(金) 03:36:03 ID:PYTcTri7

日本下士官は優秀だ。

 下級将校は熱狂的に戦う。

  しかし、将軍は無能である。

 特に金モールを吊った高級将校は低能としか いいようがない。」

    ゲオルギー・ジューコフ



以上、詳細は引用先をご参照ください。 ピンポンパンポ~ン。

2010-01-16

2010年も始まったって事で、2009年内の射精回数をまとめてみた。

  年間射精回数:183回

  年間性交回数:75回

  年間自慰回数:108回

月間平均性交回数:6.25回

月間平均自慰回数:9回

  月間射精回数:15.25回

  平均射精間隔:47.86H間隔

 年間射精精液量:549cc

         (1回を3ccとして計算)

(参考)

サプリメントは、エビオスマカ亜鉛を適量摂取。

彼女には、ピル服用をさせているので性交時は全中出し。

(総括)

仕事の関係上、出張等で去年比で大幅に射精回数及び性交回数が減少しているのが分かる。

しかし、自慰行為に関しては出張先では問題無く実施可能な為、大幅な減少は見られない。

また、射精精液量を1回辺り3ccとし計算を実施している。

しかし、どう見積もっても3cc以上の射精が行われたケースが多々存在した。

これは、射精間隔が伸びた事による事象と判断する。

 

 

去年のエントリーはこちら

http://anond.hatelabo.jp/20090106045737

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