手品師になって儲け放題だろ
あるねこういうの
最近よく使われているマッチョイズムの意味って段々広くなって来て、
噛み砕いた言い方をすれば「強い方がいい。それによる結果は仕方がない。」だと思う。
この強さは身体的強靭さだけでなく、資産や人脈、コネやモテやその他能力諸々だろう。
だけど、こういう考え方は別に男性特有のものだけじゃなくて、女性社会にだってあるよ。
私は強いから、美人だから、彼氏が偉いから、セレブだからあんたより上、仕方ないでしょ。
そんなのは少なくないし、持たざるものをなぜか努力不足だと一蹴する。
他にも女性社会だと、コミュニティのプロトコルを読み取ってそれに準わない人間は暗黙の了解で
序列を格下げされてしまうし、その読み取る力を能力の一つとして見ればまさにマッチョイズムだ。
だから、マッチョイズムは男性的だっていうレッテルを貼るのはやめてほしい。
幸運な人間の横暴さを批判するのに格好の議論が、男女間のジェンダーの話にスライドして、問題点へ正確にフォーカスできなくなるから。
うちの会社は非正規の人の中にはジーパンはいてる人もいる。ジーパンにトレーナーでも誰にも注意されてない。男性社員はスーツやビジネスカジュアルという感じだけど、女性社員の服装はけっこう緩くて、かたぐるしい職場感がない。
そんなうちの職場でもとにかく下駄はNGと入社のときに厳しく言われた。
おいおい、この炉心溶融時代にもなって下駄がだめとかどこのジャップだよと思ったんだけども、音がうるさいとか転んで危ないとかそんな理由でだめらしい。まあその理由ももっともな気がしたし、まあしょうがないかと引き下がった。
下駄ってのは日本が誇るべき文化なんだよなあ。世間が西洋流に染まってしまって普通の日本人としては悲しい限りだ。今更和装は難しいかもしれないが、足元のおしゃれとして下駄くらい許してほしい。ネトウヨはダンロップはくのをやめて下駄をはくべきだ。
毎朝社畜を見てて思うのは、革靴似合ってないおっさんが多すぎるってこと。磨いてもいないし、ヒールは減りすぎてるし、シューツリーとか使ってないのかひどいシワというか亀裂が入っててほんとみっともない。そういうおっさんって毎日同じ革靴はいてるんじゃないか。革靴履いてりゃいいと思ってるのかもしれないが、革靴をきれいに履くためには普段の手入れが必要不可欠なんだよ。手入れも含めての身だしなみ。革靴履いてるからいいだろなんて意識だったらいっそ下駄のほうがいいに決まってる。
いくら表面だけ取り繕っていても中身がずさんでは意味がない。革靴の履き方を取り入れずに革靴だけを取り入れた。革靴を履くことで満足してしまって、そこに含まれていた文化や精神を無視している。こんなハリボテ精神だから炉心溶融するし、慶應はレイプするわけだ。
身の丈にあった下駄を履いて、等身大の自分を見つめ直すべきだ。自分は醜い日本人。顔が悪いし、背も低く、猫背で、口呼吸で、頭髪も薄くなってきたし、腹も出てきた。それなのに革靴を履いてなんとかごまかそうとしているのは哀れだよ。いい加減にしてほしい。短パンにグンゼのシャツ、そして下駄。