30代独身彼氏なし。先日パーティで頼まれて裏方をしたら、その仕事ぶりを見ていた同期たちに「美人だし、スタイルいいし、どんな仕事でもてきばきこなせてかっこいいし、高学歴でバリキャリでお給料も多いし、英語も喋れて着物も着れる。彼氏がいないなんて思えないし、どんな男でもたちうちできなくて気後れするし、敬遠されるからモテないんだね」と言われた。
いったいどないせーと。
読んでないけどハイペリオンなんて駄作もいいところだと思う。
別にSFじゃなくてもできるし、僕の中ではエンダーシリーズと同じくほとんどラノベとして分類されてる。
世界がひっくり返される感じ。
それまでの前提がすべて崩れ去ることがないSFはSFじゃない。
変な感じ、変な手触りがいつまでも残る。
と言っておきながら例を挙げようとするとイマイチ浮かばなくて好きなSFは「夢見る宝石」とかなんだけど。
ぜんぜん途中から違う話になってるところがすごい。
ドラスティックさ。
映画ならフロムダスクティルドーンとかクライング・ゲームみたいなもの。
ぜんぜんサイエンスじゃないけど、僕がSFに求める感覚はそういうものなんです。
といいつつほとんど小説として質が高いティプトリーが好きだから困るんだけど。
小説として質が高くてSFにする必然性がまったく存在しないのに面白いのは困る。ヴァーリイのブルー・シャンペンとか。
ラファティのつぎの岩につづくはSFだかなんだかもうわからない。
変な話としか言い様がない。
違和感とか驚きが好きなんです。
ヴォネガットも別にSFというフレームいらない。本人が自由にやった結果としてSFになっているだけで枠組みはどうでもいい。
星新一はそこらへんを追求していたと思うんです。
本人もそんなに深くは考えていないんだけど、「変な感じ」を。
星新一に関連した話で言うと、ショートショートの広場1の前足のない犬の話とかはSF感がある。
新井素子は構成が緻密すぎて、我々の知っている世界を超えたなにか違う世界になっている。
過去の作品に言及せざるを得ないのは、それを超えた作品が出てこないからなんだけど、
体力とか社会環境とか必然性が揃わないとよい作品はできないのかもしれない。
どういう状況になったらいい作品が作られるようになるのか知りたい。
ナデシコ大好きだったなー今でも好きだよ。
あの作品は本当によく出来てたからなぁ。
ハードSFからヨコジュン系のハチャハチャSFまでカバーしてて、SFに詳しいほど面白味が増すというwww
技術の安売りを阻止するためには技術を安売りしている会社を滅ぼして、技術が必要な人が高い金を払わざるを得ない状況を作り出す以外にないけど
天才性はある事柄を学んだ時に感覚的に理解することができる能力で、
一つ一つ段階を踏むことで理解することができる能力だ。
多くの人が1+1=2という決まりごとは直感的に受け入れることができるし、
ある程度の段階まではエレベーターに乗って進むことができる。
しかし多くの人が小学校中学校と進学するに連れて徐々にエレベーターを降りて階段を進まなければいけなくなるだろう。
だが階段を進むだけでもかなりの高さに到達することはできる。
高校大学あるいはそれ以上の段階までエレベーターで登っていけたとしても、
どこかの段階で誰しもエレベーターを降りて階段を歩むことになる。人間は全知全能でないから。
ただし階段を登りはじめたあとでも、人によっては辛抱強く階段を登っている途中で再びエレベーターが現れることもあるし、
稀にはじめから高いステージにいるがゆえに乗るべきエレベーターがわからず発揮されない天才性もあるだろうけれど。
で、
エレベーターをまずまずの高さで降りた人ってのは、エリート意識が高いってのはまあいいんだけど、
そのくせ自分は天才じゃない=自分は凡才って思ってる人が多くて、扱いづらい面がある。
凡才の自分でもこれくらいはできるのに、それすらできない奴らは何なの?ゴミなの?
っていう態度が透けて見えるから。
弁護士になるほど勉強したくないけど、簿記一級はちょろかったし会計士でもとっとくかねってレベルの学生には向いてるかも。
受かんない奴は頑張っても受かんないけど、けっこうサラっと受かる奴も多いよ。
Dia de ?
ハインラインは「時の門」や「輪廻の蛇」みたいな緻密なタイムパラドックス小説も書いているが
CADの出現を予測してたり、家電のモジュール化のアイデアが先駆的とか言われてるけど
センス・オブ・ワンダーとか発表当時としても薄かったと思う。
┌(┌ ಠิoಠิ)┐