すごく楽になりました。
私を認めてくれて、かつ、私も尊敬できるような人と結婚したいと思います。
手順も、参考にさせてもらいます。
手順というのはいきなり「結婚してください」とかって言わないってこと。
「ちょっと飲みにいきません?」とか「映画みにいこうか?」とか
「○○に旅行に行かない?」とか段階がある。
どんなに合理的な人間でも親近感というのはだんだんに形成される。
徐々に親しくなっていれば成功。
頭いい女って最高に貴重よ?
こっちが言ってることが理解できない女はイライラする。
オレが結婚してほしいくらいだ。言わせるな。
ちなみに手順というのはなんでしょう?
サークルもバイトもやっていたし、勉強も一生懸命やっていたけど、友達があんまりいなかった。
いっとき仲良く一緒に過ごす子はできるんだけど、なぜかいつも最後には関係がぎくしゃくしてしまって、最後には疎遠になってしまう。
それがない日は特に予定も入らない。
内輪の飲み会みたいなのもなかった。
サークルにいても、あんまり周りの子と話すことはなかったし、いつも一人でいた。
バイト先でもうまく馴染めない。
授業も一緒に出る子はいなくて一人で受ける。
過去問なんかはなんとか手に入れてたけど、レポートを一緒にやったりテスト勉強を一緒にやったりする子はいなかった。
昼食も一人でとっていた。
だけど、大学院生になってから、友達が増えた。みんな信頼できるいい人たち。
最近は毎週のように誰かと遊んでいる。
一緒にスポーツやろうぜっていって定期的にやっている。
個人的な旅行も行ったりしてる。
合コンもたくさんしている。
だけど、本質的には非リアなんだろうか。
それとも、人間には実は非リアな時期とリア充な時期があるんだろうか。
後者だと信じたい。
結婚するだけならいつでもできるよ。
別に40だろうが50だろうができる。
子供を産むことを考えるなら30までに結婚したほうが有利だろうね。
25くらいの女の子というのはほとんど誰でも選ぶことのできる位置にいる。
単に自分の好きなタイプの男を見つけて結婚してくれと言うだけでよい。
あ、当然だが手順は踏むんだぞ?
あせって結婚すると失敗するから、1年くらいのプロジェクトとして計画するとよい。
1、自分の異性の好み、どういう結婚生活をしたいのかを紙に書く
4、ターゲットの行動領域への接近
5、直接会話等のコミュニケーションによって個別の相手の好み、ニーズを調査
6、互いにある程度条件が合致した相手と交際開始
7、同棲等による実地テストと親族環境、経済的な運用計画、家族計画等の結婚条件の確認
8、結婚
自分のやる気がないだけかと思ったけど、治療が軌道に乗り始めてからは驚くほど集中力があがった。
集中できないのは、うつのせいだと思うよ。
なんであんな身勝手な女にここまで振り回されればならないの、ほんと嫌いになりたいなりたい
でも好きなんだよ、ッ結婚したいとか思っちゃってんだよ
他好きする女なんてろくでもない女だってわかってるのに!
こんんだけ待ってもだめなのかよ!
出会いをください
そうかなぁ
ネタでそう言ってるだけで、鬱憤のたまった勤め人が多いと思うな。
本題と関係ないところに横ですまない。どうしても気になった。一般的にはそんなイメージなのかと。
きょうまさに貴方が言っていることと同じ事されたわ。まさかウチと話したご本人様?
That's Masuda!
「いつものこと」なんですかね
単に気になっただけです
誠実さがないダメな男性はいるよね。私も男性だけどそう思う。お疲れ様。
結婚してからの話だけど、自分の場合は結婚してから年収が上がった、転職したのも大きいけど。
ホント嫁のおかけだな、と思う。嫁と結婚してなかったら、まだ自分は安アパートでアニメ観てたんじゃないかって思う。
まぁ、そんな訳で嫁のおかげで(良い方向に)変わるパターンもありますよ。
(最初にも書いたけど誠実さが無いような男は辞めとけ、と男の私でも思うよ)
他責的であるということは、歪んだ自責の裏返しなのではないか。
私自身にもその傾向があるが、何事も他人の責任にする人がいる。
傍から見れば迷惑この上ない人だが、実はその人の心の奥底では、自分自身を強く責めている何かがあるのではないか。そして、その何かが必要以上に自分を責めてしまうので、心のバランスを取るために、その負のエネルギーを内部で処理できずに、外に向かって吐き出しているのではないかと感じる。
私が何故そのようなことを思いついたかというと、今日たまたまNHK教育テレビで自閉症の家族のドキュメンタリーを観たからだ。
障碍を持つ家族がいるために、色々と振り回される。そして、誰も責める相手はいない。そのような状況の中で、不器用な人は上手く処理できず、「上手くいかないのは自分が悪いのではないか」と思いつめてしまう。自分の中に負の感情を溜め込んでしまい、負のスパイラルに落ち込んでいるようにも感じられた。
私自身も両親が障害者だったこともあり、ドキュメンタリーに出てきた家族の気持ちは少しわかる。
私も両親に対する怒りを感じることがあっても、「障害者だから仕方が無い」ということでどこか自分の中に押さえ込んでしまう癖がついていたように思う。
そのために、それが歪んだ形で外に向かうこともあった。
(現在は両親は亡くなり、そのときの気持ちを客観的に見ることが出来るようになりつつはある)
器用な人であれば、上手くその理不尽さを乗り越えられるかもしれないが、コツをつかめない自分のような人はどんどん不満を心の奥に溜め込んでしまう。
だからこそ、他責的であるというのは一つのシグナルだと思うのだ。
そういう人が職場や身の回りに現れたら、まずその人自身が自分自身を見つめなおすように促す工夫が必要だ。
下手をすれば、その人は一生中二病的な状況から抜け出せず、一生を棒に振ってしまうかもしれない。
取り留めの無い文章ですまぬ。