はてなキーワード: ジェンダーとは
偏見というのは、配慮すればなくなるというもんじゃないんだろうな。
強さや傷つきやすさの男女差というのは、いってみれば偏見なんだけど、
言論警察よろしく配慮に欠ける発言をバッシングすれば解消できるわけでもない(公言しないようにすることは可能だとしても)。
男女の役割の固定化についても思うんだけどね。例の出産の件とかね。
配慮に欠ける発言をバッシングして偏見を乗り越えたつもりになって、その内実は、しらずしらず別の認知のゆがみに囚われているってことはある。
例えば、女性の傷つきやすさを前面に出さないと大臣の発言を叩き潰せない、というところに。
男女の役割の固定化を理性的に批判するつもりでいて、ふっと自然に強さや傷つきやすさの自らの偏見が滲みでてしまうというか。
近代の黎明期に、イギリスから隣国で起きているフランス革命で、反革命派が断罪されている様をみたエンモンドバークは、
なんでも理性的に判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤバいと考えた。
偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、偏見を生かそうという考えを進めた。
それが保守の出発点なんだけど、世の中が保守一辺倒というのもそれはそれでどうしようもない社会だ。伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとだっている。
さすがに、公平性については、制度が、最低ラインとして補助線というか設計図を引かないと、いつまでも伝統的な価値とか懐古的になっててもしょうがないだろう。
ということでまあ、ジェンダー問題は、極力、制度としての公平性、機会としての公平性という観点に限定して話をするように注意しておくのがいいってことかな。
もちろん、制度機会平等を理性的に討議したとしても偏見がなくなるわけじゃない。
偏見はなくならないけど、制度の普及に伴い、ひとの意識は変わっていくだろうと期待する。それ以上のことはあえてしないほうがいい。
しかし、偏見を解消しようとして、制度的公平といいつつも、産みたくても産めない人が可哀そうだなどと感情的正義で持論を補強すると、変なことになる。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのをひさしぶりに思い出した。
たまにはケシカラニズムに陥っていないか自己点検でもするか。フェミニストさんも自分の偏見を認めたほうがいい思うんだよね。
制度的に不幸になっている者は救済する、しかし、偏見ある社会のなかで生きている者の幸せや自己実現は否定しない、という具合のバランスがちょうどいい。
自分は助産師が男だったらすごい嫌だ。でも、うまく反論できる言葉が見つからない。
今後ジェンダーについての考えが進んだら、男性助産師も誕生するのかな。
赤ちゃんにおっぱい飲ませるところガン見され、おっぱい出てないと判断されて乳腺のつまりをほぐすために指圧で乳首を潰された。
搾乳機の使い方も実際におっぱい丸出しで教えてもらった。とても感謝している。
私の場合は処置上の都合で、助産師さんが股に指つっこんで「子宮口の開き5センチです」みたいな検査が10回以上あったし(規定を満たすまで続く)
性別で職業が制限されちゃいけないって頭ではわかってるんだけど。
ちなみにお産をしてくれた医者は男だった。できたら女がいいなと思ってたけど
なんかもう取り敢えずで掲げやすいの掲げてるだけで、これじゃ全然効果ないでしょ。
ちゃんとしてたら全部達成可能なんだから、逆に「うちはこれが出来てませんでした!次回は頑張ります!」って言わせるほうが効果的よ。
たとえば時給換算すると最低賃金未満となる企業や、それを見過ごした自治体は「逆SDGs1 貧困を助長」という烙印を押されるわけ。
若年人口が減り続けていたら「逆SDGs11 住み続けられないまちづくり」を食らうし、役員の女性比率が低い企業は「逆SDGs5 ジェンダー不平等」とされる。
17の項目による強烈な外圧を受けて、グローバルをやってる企業は大幅な変革をすることになるし、中小企業であってもHPや看板にデカデカと逆SDGsを5個も10個も並べるのは流石にしんどいんじゃないかな?
女が偉そうにしてるの見ると、イラっとすることが多い。
コールセンターで女性に担当されると、つい不満をそのままクレームしてしまうが、男性が担当の時はかしこまってしまう。
チャットで問い合わせしてる時も、女性の名前だと敬語を使わなくてもいいやってなりやすい。
私は大学でフェミニズムの授業とったし、ジェンダー論はかなり研究したし、娘もいるのに、
それでも↑のように思ってしまうよ。実家の父とそっくりな行動で嫌になる。
自分の中にステレオタイプがあるんだな〜って自覚できても、抗うのって難しい。
だから男だったら尚更だろうな。自分が女性だって事実が死ぬほど悔しい。女同士でもそういう差別心があるから、保守派男の気持ちはわかる。
2020年代にもなって、「おいおいこの脚本は勘弁してくれよ…」という作品を目にする。
昭和か平成ぐらいまでならそれで許されたかもしれないけど、明らかに現代の価値観にそぐわないジェンダー・家族描写が描かれた作品。