はてなキーワード: クレプトマニアとは
小児性愛が病気なら同性愛も病気であるべきだし、同性愛を病気としないなら小児性愛も病気とするべきではない。
ようは法やその文化圏を支配する倫理観との兼ね合いで病気かどうかを決めてるのがおかしい。
イスラム圏でも同性愛は病気とはされてないだろう。その文化圏で処罰すべきかとされてるかどうかという人為的な尺度を、「自然現象」としての病気に関連づけるのはどう考えても問題の混同だ。
私個人としては同性愛も小児性愛も感情的に忌避すべき対象だ。しかし理想としては同性愛も小児性愛もただの性的嗜好の一種で、ヘテロに対してこれらを病気とするべきではないと思う。いやむしろ進化論的には小児性愛の方が妊娠させる可能性が高く有利でまっとうな進化という可能性すらある。一般に奇形という概念があってたとえばミオグロビン肥大とか一見普通より優れているようにみえるとか、無毛症とか少なくとも普通と比べて特に劣っている要素も無さそうなのも、やはり専門的に見るとそれなりに奇形するに値するよくない面が見出されるらしい。先天的な精神障害も精神的な奇形とかんがえることができるが、果たして小児性愛はどうか?少なくとも同性愛と扱いを異にするほど生物学的に異なる事情があると言えるのか?
社会的価値観に基づきある状態を病気障害とみなしそれから変わること、変えられる治療が良いものとする考え方は、共産主義者が資本主義者に洗脳を施すのと全く根が同じ考え方ではなかろうか。
それなりに名前が知れていて、金銭的には全く困っていないであろう俳優・アイドルが万引きを繰り返していたというニュースが報道された。
彼が出演していた特撮も楽しく視聴していて、ゆるい人間性含めふわっと好きだったので衝撃的だった。
そして、長年忘れていたけど、自分自身が万引きを繰り返す子どもだったことを思い出した。
時期としては確か小学校2、3年のころ、関西のど田舎で祖父母、共働きの両親と暮らしていたときのことだ。
そのころスーパーへの食料品の買い出しは祖父母の役割で、自分も車に乗せられ同行するのが常だった。
基本じっとしていられない子どもだった私は、カートを押して店内をまわる祖父母の元を離れ、お菓子売り場や文房具売り場をうろつくことが多かった。
そしてその際、私は誰にも気づかれず、何度もポケットに入るサイズのお菓子や文房具を万引きした。
私の家は田舎にしては収入が安定した世帯であり、チョコでも飴でもかわいい消しゴムでも、「これ買って」と祖母のもとへ持っていけば、大概はすんなり買ってもらえた。
今回真剣に思い起こしてみたけど、盗ったお菓子を食べたり、文房具を使った記憶は全くない。
また、そのころの私は「万引き」という言葉を既に知っており、それが犯罪にあたるという認識もあった。
「警視庁24時」的な、顔にボカシがかかった万引き犯がGメンに取り押さえられる場面をテレビで何度も見ていた。
「窃盗症」や「クレプトマニア」で検索すると、「監視の目をかいくぐるスリルに病みつきになり…」といった記述も散見されるが、そういう高揚感を得てもいなかったと思う。
今の私の語彙で言うなら、「やっぱり大人は私のことをちゃんと見ていない」ということを確認していたのだと思う。
私が生まれる前から続く父の不倫、父との関係の破綻を仕事にのめり込むことで見て見ぬふりをする母、破綻した夫婦に変わって「家」の役割を担う祖父母、早々に実家に見切りをつけ都会の大学に進学した兄、その全員が、私のことを「若干落ち着きがないが聞き分けの良いいい子=放っておいてもいい子」と認識していた。
たぶん万引きをするたび大人を嘲り失望しながら、いつか見たドラマのように万引きが発覚し両親が店に呼ばれ、母親に泣きながら「なんでこんなことをしたの!」と聞かれる展開をどこかで望んでいた。
そしたら私も泣きながら、「さみしい」「かまって」「口を聞いて」と主張できるのに。
別に聞かれなくても「さみしい」と主張する権利ぐらいはそのころの私も有していたし、お店に迷惑をかけていい理由には全くもってなっていない。
結局、私の万引き癖は突然終わりを告げた。
たまたま休みの日に父が私をスーパーに連れて行くことがあり、調子に乗って小さいサイズの折り紙を盗った私は、不自然なポケットの膨らみを父に看破され、往復ビンタ等の激しいお叱りを受けたからである。
その際「以前にもお菓子や文房具を盗った」ことを白状し、父とともにスーパーに謝罪をし、お年玉貯金から盗品に相当する額の弁償を行った。
「子どものしたことですから」と謝罪を受け入れてくれた店長さんには、改めて本当に申し訳ない気持ちだ。
ちなみにこの過程で、「なんでそんなことをしたのか」とは家族の誰からもついぞ聞かれることがなかった。
「いい子」からはみ出そうが、この人たちが自分の内面に関心を寄せることはないのだ、と悟った私は、「じゃあ優等生でいた方が得じゃね?」という発想に至り、以後自立まで「聞き分けのいい子」で通した。
その後、家族は祖母の大病、両親の離婚と再婚などを経て、見る影もなく離散している。
あのころ言えなかった「さみしい」は、心の隅っこの方にまだいる気がするが、別に家族に期待せずともそれなりの人生が送れることも学んだ。
クソ長い自分語りになったが、要は万引き、あるいはその他の嗜癖も、その時のその人に必要な、なんらかの役割を持っているから嗜癖になっている。
不器用な、笑顔の似合う、お菓子作りの得意な、彼にとって万引きとはなんなのだろう。
彼はそういう道を歩めるだろうか。
歩んでほしい、と思う。
まあ実際には心神耗弱も心身喪失も統合失調症以外はほぼ認められないけどな。
犯罪者が減刑するために精神疾患が利用されるというのはDSMの元編集委員長も危惧していること。
たとえば窃盗癖(クレプトマニア)と単なる常習的な窃盗犯は違う。診断基準を読めばわかるがクレプトマニアは自分にとって利益のあるものを盗まない、と定義されている。寿司が食いたいから寿司を万引きしました、なんてのはただの窃盗。
特に裁判沙汰になると世界的な診断基準(DSM、ICD)に厳密に当てはまっているかが重視されるから「犯罪者はみな精神疾患」とはならないように診断基準の側も慎重に定義されている。