はてなキーワード: アサーティブとは
心を病んだ奴をいたぶるなんて最低最悪の人間だ。
その通り。
元気に余裕があるなら、殴ってやってもいい!
実際殴ると、警察沙汰になりそうだし。
そうは言っても、気弱なメンヘラにとっては、正直なところ、仕返しが怖いんだよね…。
案外、超自己中な、いじめっ子って、自分がいたぶられる立場になると、急に元気なくなる場合があるよ。
いたぶってくるヤツそいつ自身のマウンティングというか、承認欲求が崩される状態に持っていく。
狙うなら、いたぶってくるヤツが弱っている時を狙え、だと思う。
斎藤芳乃さんの『自信を持つためには「怒りを感じる」こと』って記事は良かった。
だけど、自分の場合は、怒りすぎて、恨みになってしまっている。こじらせ状態。
2年ぐらい経つけれど、自分の身体が、不必要に緊張しまくっている。
これらの経験を通して自分の場合は、怒ることを自分自身に禁じていた。
タブーだと感じていたことを行うことは、どんな人にとっても、成長のポイントだと、思った。
コイツ、キレたら面倒だなって思わせることだよね。
広く一般の人は、相手に受け容れてもらいやすいように、表現を柔らかくあらわします。
『困惑しています』『ちょっと、困ります』『それは、どうかと思います』
『どうも誤解があるようです』
などの表現を使っているようですね。
アサーティブというらしいです。
感情がない、何も感じない、それを出せない。
ヒントを一応文章という形で羅列します。しかし、ヒントの羅列と捉えてもらえるとありがたいです。
自分が必要だと思う部分を掻い摘んで読んでみてください。直訳したような文章になってしまいました、悪しからず。
●『好き・嫌いの嗜好すらそもそもない人』
次に、例えば、モノの好き嫌い。
それは何かを感じるからです。で、こいつはこうだから好き、こいつはこうだから嫌い。
自分の意見も出ます。この感受性を高めて下さい。そのためにはもっと「触れる」「知る」ことです。
で、ここで言いたいこと。その肝心の「感情」とは、「喜怒哀楽」。
何か物事が起こった時、それに対して「感じる」力が弱いのです。
自分の意見が言えない人は特に、「怒り」の感情が弱いと思います。
自己肯定感が低い、自己否定感が強い人は、何かあった時にそれを全て自分に帰属しやすいです。
それはあいつが悪いんだろ、って普通思う局面で、僕が●●だから悪いんだ。
これはいじめとか虐待とかされてた人、周りから否定されてきた人に強いと思います。
理不尽な否定に対して、認知的不協和が起こるために、自己否定感を持ってしまう。
これを止めるコツ。それはべき思考を消し、自分の感情を素直に受け止め、それを一旦出すこと。
怒っちゃいけない、怒りの感情がある時は、それを一旦出す(自分の内にはそれを認めること)。
たとえ、自分が一方的に悪いことでも、怒られればムカつくし、情けなくもなります。
それは逆ギレという形で出せ!というのではありませんが、怒りの感情を抱いたことは事実でそれは認めてあげることです。
その上で、冷静に考える。これをちゃんと出来て初めて、「感情のコントロール」が出来るようになるのです。
怒りを抑圧すれば、いずれ爆発します。感情を抑えれば爆発するか、何も感じなくなります。(失感情症=アレキシサイミア)
酒飲んで暴れる人間とかはこの典型です。
しかし、これも有効に活用出来ます。酒を飲んで吐き出したくなる感情が普段抑圧しがちな感情です。
・心揺さぶられる(擬似)体験をする・心揺さぶられるものに触れること。映画、音楽、TV、スポーツ。なんでもいいです。
自分が好き!!と言えるものを探して下さい。泣いて下さい。笑って下さい。笑いが出たらわざと大げさに笑い、涙が出たらもっと泣こうとして下さい。
・その時に出来れば、感情豊かな人の真似をして下さい。
「芸能人、DQN、幸せそうな人、失恋した人、外国人。それらの真似をすることで感情が出やすくなります。」
芸能人のようにわざとらしく泣き、笑い、DQNのように怒り狂い、ウエディングドレスを来た新婦(新郎)のように幸せに身を委ね、失恋した人のように悲しみにくれ、外国人のようにオーバーリアクションをしてみてください。感情は感情ありきでないというか、笑顔になるから楽しい、眉間にしわを寄せるからムカつく、と表情に牽引されて出るものでもあります。
※わざとDQNと書きました。
自分が嫌いなもの、苦手なもの、こうなりたくないというもの、をイメージして下さい。
それは、そうなれないもの、では無いですか?? それが自分のコンプレックスを刺激するものでは無いですか?ある意味羨望。
だとしたら、一旦それを真似して下さい。地面につばを吐いて、店員に悪態をついて、街を肩で風をきるように、歩いてみて下さい。
自分がなりたいイメージがある、変わりたい場合、あえて真逆を言ってバランスを取るのも手段の1つです。
アサーティブとは、自分も相手も台頭ということです。(詳しくは、「アサーション」等でググって下さい。)
自分が何者であるか、そのバックグラウンドがあまり関係ない場です。ネットとかもそうですよね。
●『恋愛をしてください』
…ここまで書けば、何をすればいいか分かりますね??
そう、『恋愛』をして下さい。
アサーティブな関係で、自分の絶対的な「好き・嫌い」、「喜怒哀楽」を出すことの許される関係です。
そして、自分を忘れ、恋に走り、歓び・傷ついて下さい。理性を忘れ、自分の思うがままに相手を求め、SEXして下さい。
『恋愛』…ああ、言いたいことはそういうことね。俺には無理だわ。クソ記事乙ww
こういう自己否定的、斜に構えて物事を見るのを止めて下さい。こういう人はYESマンになって下さい。
物事をそれをする前から、自分には向いてる/向いてない、意味がある/ない、出来る/出来ないで判断しないで下さい。
そんな「効率」や「要領」なら捨てて構わないです。それを誇って生きられるのは、ネットの世界だけですから。
コストパフォーマンス・仕事の効率化…熱量を失った人間ばかりです。それは死に物狂いで何かをして、何かを得た人間がやればいいことです。
あなたは、ネットで難しい言葉で相手を言いくるめ、論破し、罵倒し、勝ち誇った気持ちになれるかもしれません。
自己を肥大化させて万能感でもって、愉しく生きているのかもしれません。
だからこの記事の中にも、批判しやすいように「餌」を何個か用意しました。それを叩いてくれてもかまいません。
しかし、実態は「感情」を持った、人間なのです。感情を失ったら機械です。理性を失ったら動物です。
人間が素晴らしいのは、感情も思考能力(理性)も持っているからなのです。しかし、ベースは感情です。
感情があるから物事を考えることが出来るのです。感情、それは「あなた唯一無二のもの」です。
我思う故に我有り。思うのは、考えられるのは、感じることができるからなのです。
客観性・妥当性だけで生きていたら、平凡な人間にしかなれません。
その平凡さを否定するために、人を蹴落として自分の価値を高めるつまらない人間にしかなれません。
元増田だけど、思った以上にバズってて驚いてる。
俺が顧問の手で生まれて初めて首を絞められた12,3年前、ここまで体罰は問題視なんかされてなかった。
田舎の中学ってこともある。親が頭下げて、「こいつをビシバシ鍛えてやってください!」なんていう時代だしね。
まあ当時の恐怖と怒りに任せての誇張も、客観的に見ればかなりあると思う。その後顧問は、厳しく接すると部活サボるようなニューエイジの悪ガキどもを指導するにあたって、もっとソフトな指導をするようになったらしいし、今はそういう理不尽な指導はしてないだろう。顧問に恨みがある、ってのとも違う。
ただ、自分の人生は、あの三年間で、あるスティグマを植え付けられてしまったと思ってる。
それは、威圧的な人間に対して徹底的に下手に出てしまう癖がついてしまったことと、捕食されかけの草食動物みたいなパニック癖がついてしまったこと。
体罰モーマンタイの時代ってこともあるが、うちの柔道の指導ってのはこうだった。
「おい○○、さっき相手を投げられなかったのは何でだと思う?」
「そうじゃねえだろう(バシっと頭を叩いて) 腰が引けてたから手で投げてただろう、違うか?」
まあ、こんな感じ。
こんな環境に三年も置かれると、弱気な奴は相手が手を高く上げただけで、身をすくめるようになる。(顧問も、部活の引退後に、まあ冗談か親愛のつもりで腕を振り上げて、身をすくめる俺を見ながら「大丈夫だって、何もしないって」と俺をからかっていた。同級生にもよくやられた)
で、相手が高圧的な口調だと、謝らないと、もっと殴られる、と思うようになる。
この性質って、ビジネスの世界じゃカモになってくれって言ってるようなものでしょう。
上司が「この数字だけどさ」って質問した時点で、殴られる?殴られる?モードに入っちゃう。つれーわー、ホウレンソウになんなくてつれーわー。
で、パニック癖ってのは下手に出る癖に比べれば、まあかわいいもんだ。
大学時代、デカいし柔道経験あるってんで、友達の入ってる総合格闘技研究会みたいなとこに遊びに行った訳よ。
で、柔道経験もあるし、先輩と軽くグラウンドの練習でもしてみる?って話になった訳。俺も初段持ちだしね、たまにはいいかなと思ってちょっと張り切った訳よ。柔道経験者だし、関節OKでいいっすよー、って俺も調子こいた。
だけど相手とは土俵が違う、あっさり腕ひしぎを取られちゃった訳だよ。
その時、俺は腕ひしぎから、必死で逃れようとして、相手した先輩は慌てて腕を放して、俺に注意した。
「危ない危ない、自分が説明しないのも悪いけど、関節が入っちゃったらタップしないと! 暴れたら本当に折れちゃうよ?」
柔道やってた俺に、参ったなんて、許されてなかったのよ。
中学柔道では絞め技が許されてるけど、絞め技はタップしたら負け。だから、絞めを掛けられたら、外すか絞め落とされるかの選択肢しかない。
顧問とか学校外の指導者と寝技練習してて、首に隙があるとするよね。すぐに絞めてくるの。で、タップするじゃない、中学生が。
「お前参ったして負けるのか? おい負けるのか? 絞めを外せ!」
指導者にもよるけど、八割方逃がしてくれないの。逃げるか、絞め落とされるかだけ。タップなんて無視されるだけよ。
気道を圧迫され、頸動脈を締め上げられて脳への血流が遮られる中で、落ちるまでに絞め技を外すしかない。呼吸困難状態でパニックになりながら。
その精神状態が蘇ってさ、相手の先輩が落ち着かせようとするのもお構いなしに、「す、す、す、すいませんでしたあぁ。参ったは許されないので、逃げるしかないと思ったんですううう」って、大の男が泣いちゃって。まあそれで沙汰止みよ。
俺の人生がそんなにうまく行ってないことについて、自身の資質に相当問題はあると思うんだけど、「この三年間を、もっとアサーティブに過ごせていたら」ってたまに後悔するよね。甘えなのは百も承知で。
http://d.hatena.ne.jp/elm200/20100502/1272778365
池田氏が言うとおり、Twitter ではすべての発言が、匿名掲示板ではなく自分自身に帰属するので、無軌道な発言に対する一定の歯止めにはなる。そのため、アサーティブネスを促進するツールになりうるだろう。日本人たちよ、もっと大人になろう。そして、もっと自由で創造的な言説を日本語圏のインターネット上に満ち溢れさせようではないか。
無軌道さと自由さって表裏一体だから、無軌道に歯止めをかけつつ自由な言説をあふれさせようってのは矛盾してるように思う。なぜはっきりと自由を制限しようと言えないんだろうか。それこそ空気を読んじゃって「自由=善とみなすのはなぜか?」という問いがタブー視されてるからじゃないの?日本のネットでは表現の自由を絶対正義とする悪しき風潮ができてるが、無制限な自由があるなら名誉毀損も公然わいせつも罰されるはずないだろうに。自由に対する無邪気な信仰こそが新自由主義者の増徴とかで日本を駄目にしてるって事にそろそろ気づこう。
“見習いのような方がただ同席して、なにも言わずに帰っていくのは止めてください。”
自分の発言がちょっとおかしいかな、と気付けないのはこれまでの人生の圧倒的なコミュニケーションの経験の不足でしょう。
自分だって若い時はあったはずなのに、年を経てこうなってしまうのは恐ろしいですね。
古い職場にいる相当年配の方の中には稀に、若い社員に態と自分の時より苦労させたくて意地悪する人もいます。でもそれは相当閉ざされた古い職場でのかなり年配の人の話だと思っていました。
無口な人が同席していてそんなに迷惑なのでしょうか。大人として社会人として、ましてやオピニオンリーダーを名乗るなら「人見知りなので気が散ってしまう」なんてその歳で良く言えたものです。女子高生じゃないんですから。
この女史は少しでも意見や反論するとすぐリムーブするらしいので、彼女のフォロワーはyesマンと無口な人のみで構成されているそうですね。 現実社会でも同じなのでしょう。
耳の痛いことを言う人をリムーブして、部屋を掃除したような気分にでもなっているのでしょうか。
それは課題解決にならないし改善もないことを折角コンサルティング業界にいたのに学んでいないのは残念ですね。
ビジネスパーソンだったらアサーティブの意味ぐらいは知ってほしいですが、どうも彼女はこれまでビジネスパーソンだったことはないようで知らないのは仕方ないことです。
問題は知らないことを認めない、知ろうともしないことです。
こういう状態になってしまっている人は悪い意味でのおばさん、おじさんと言えます。
「誹謗中傷に時間を割くのは最もROEが低い行動」という言葉を気に入っているようですが、意見や反論、他人の評価も何でもかんでも誹謗中傷とカテゴライズしてしまって、賛成意見しか受け付けないでおいてこれぞアサーティブなんて勘違いも甚だしいです。
アサーティブというならその担当者に直接言えば良いことなのに自分のブログにこっそり書いている。いくらブログに私の基本情報ぐらい勉強しておけ、なんて書いたって、彼女に興味のない人がブログを読むわけがありません。少し考えたら分かることです。
著名人や芸能人も、みんな漠然とした取材を何度も受けながら、その都度にっこり笑って答えてあげているのです。
それもできないで、他人が悪いと悪口をブログにポストしても自分も周りも苦しいだけではありませんか。
「精神衛生上」良くないなんて言ってのける社会人がいることが驚きです。妊婦か何かですか。
人間ができてないだけ。できていないなら努力すればいいだけなのにそれをしない。
だから諸々人生がうまくいってないのに他人や環境のせいにし続けているから負のスパイラルから抜け出せない。
うまくいってないことすら認められない。
その勇気がないにも関わらず、私はとても努力した、やればできる、などと努力もせずに仰るから現実と空回りするのも当然です。
彼女は若いころ仕事ができなかった理由を、フレームワーク思考ができていないからなどと認識しているようですが、そういう問題ではなくて自尊心が強すぎて自分だけが正しい、他人に勝ちたいという思いばかりが強かったからであることに未だに気付けていません。
寂しいのは分かりますが、自分を認めてほしい、私は偉いんだ、という思いを暴走させて、周りと協調できないままではますます空回りします。
本当に優れた人なら着実に周りの評価が高まってくるものです。
それはちょっとどうかな、と言ってくれる人を排除してきたから、その歳になってもおかしな発言をしてしまうのです。
相手だって好きで彼女と口を聞いてるわけではないのに、自分だけが被害者と思うのはそろそろ卒業した方がいいです。10代なら分かりますが。
彼女は一生寂しいままなのでしょうか。行く末が心配です。
と言うと語弊があるかもしれないが、気弱な自分は相手に傷つけられたり、気分を害されたり、いやな思いをしてもそれに対して文句を言ったり、主張するということが苦手だ。
でもなぜか内弁慶的なところがあるので、成長するにつれ、仲良い間柄の友人とかには倍にして言い返すぐらいのことはできるようになった(それが良いことかどうかはともかく)。なんだろう、自分と近しい人ほど冷たくなれ、無関係な人ほど丁寧に接してしまうというか・・・たとえて言うならツンデレの逆というのか・・・。
問題は、友人知人ではない、たとえば店員など明らかに自分がクライアント、お客様側などの立場であるとき。
友人に「増田は、見知らぬ店員に対しては愛想がいい/やけに優しい」とか言われるほど、なぜかこちら側が気を遣ってしまう。いやな思いをさせられたのに、クレームまではいかなくともその気持ちを伝えたいのに、どうしてさらに「いい客」を演じてしてしまうのか、等々、クヨクヨと負のスパイラルに陥ってしまう。アサーティブコミュニケーションとか聞くけど、でもやっぱり無理だ。
(前略)
例えばこういう場面を考えてみましょう。
「あなたが急いで外出しようと身支度をしているときに、友人から電話がかかってきたとします。その友人はいきなり別な友人のことでグチを言い始めました。あなたは時間に遅れないために早く出かけたいと思っています。」
こんな時、内心は早く終わってほしいなと思ってイライラしながらも「あ、そう、ふーん。でも、それは考え過ぎじゃないかな…。ウン…」などと、自分が出かけることは後回しにして、話を聞いてあげてしまう人がいます。こうした自己表現のことを非主張的(ノン・アサーティブ)な自己表現といいます。
(…)
また逆に、相手の話を聞こうともせずに「ちょっと待てよ。おれは忙しいんだからそんな話を聞いている暇なんかないんだよ。」と一方的に電話を切ってしまう人もいるかもしれません。こうした自己表現のことを攻撃的(アグレッシブ)な自己表現といいます。
(…)
では、アサーティブな表現だとどうなるでしょうか。たとえば、「ごめんね。今ちょうど出かけようと思って支度をしているところだから、聞いてあげたいけど無理なんだ。また、今晩にでも電話してくれないかな。」と言ってみましょう。この例のように、今は聞けないという自分の気持ちをきちんと伝えながら、しかも相手にも配慮しているような表現をアサーティブな自己表現と言います
なお、アサーションというと「ノー」がきちんと言えることがよく強調されますが、「できない」「困った」「つらい」「助けてほしい」などが言えることや、相手のいい点をほめることなども含まれますので、アサーションはかなり広い範囲を含むものだと思ってください。
(後略)
全文読みたい人はわっふるわっふr
上の人の意見に言い返せないことが、悔しくて仕方がない。言い返せないというか、気を使ってしまってか、自分を守るためか、思いついた反論を口に出すことができない。
ただただ言いなりですよ。その上で、「納得して仕事しなさい」と言われるので、より酷い。納得なんて全く出来ない、でも言い返せない。酷い酷すぎる。
もう、言うしか無いのかもしれない。和が乱れるとか関係無しに、言うしかないのかもしれない。それで、もし自分が間違っていれば納得できるし、言わないでいることに耐えられない。
結局は自分が干されるというか、嫌われるというか、仲間はずれにされるのが怖いのかもしれない。子供だ、実に子供だ。しかし、絶対に大人にならなければならないということもないのも確かだし、そういう協調性を保った関係性を望んでいる人もいるのかもしれない。
協調性と自己主張は相容れないモノなのだろうか?アサーティブという考え方があるが、部下が上司を肯定するという関係性はあり得ないものなのだろうか?ゴマをするしかないのか?若いうちは素直さが大事というが、本当にそうなのだろうか?自分でぶつからないと結局は解らないのではないだろうか?でも、ぶつかって壊れたらダメなんだよね。あーーあーーー。
少なくとも今の状況から抜け出すには、学習と経験を繰り返すしかないのか。自分の「キャリア」を見つける?目標を持つことはいいことなのか?やりたいことをその場その場でやることでは自分の得たい結果を得ることができないのか?
疑問だらけです。悩むことで成長すると言うが本当にそうなのか?成長することが本当に自分にとっていいことなのか???????????