はてなキーワード: シマックとは
昔、立風書房のジャガーバックス・シリーズで『宇宙SFベム図鑑』という本が出ていて、色んなSF 小説に出てくるエイリアンやモンスターを、出展作品と作者名付きのイラスト図解で載せていた。その本で自分は、アーサーC.クラークの『メデューサとの出会い』、ラリー・ニーヴンの『ノウンスペース』シリーズ、ニーヴン&パーネルの『神の目の小さな塵』の存在などを知った。パペッティア人、クダトリノ人、モート人などがイラスト載っていた。アンドロメダ病原体もトリフィドも載っていた。
その本の巻末には、シマック『都市』のラストから、犬とロボットの会話場面が引用された後、SF作品未来年表が付いていて「1984年 地球は三大全体主義国家体制に」とか書いていて、子供心に震えた。
最近の社会の議論とか、男女の同人文化の違いとか見てて思ったんだけど、
男性文化は快楽の可能性を最大化するのを望ましいとする一方で、女性文化は苦痛の可能性を最小化するのを望ましいとしがちじゃない?
気持ちよくなるためなら多少の不快や混沌や争いもよしとする男と、苦痛を避けるためなら快楽やわがままや気楽さを我慢してよしとする女。
前に柴田英里が「フェミニストは欲望の裁判官ではなく欲望応援団になった方がいい」って言ってたけど、
それはやりたいことをやろうぜ! 楽しむことが優先! っていう己の欲望実現を求めるマクシマックス戦略的な考え方で、
嫌な目にあいたくない! 傷つくのを防ぐのが優先! っていう他人の欲望からの被害を最小化したいミニマックス戦略とは考え方が違うよな。
http://anond.hatelabo.jp/20110531011008 からの続き。
試験日が迫って心に余裕が無くなってくると、いつも以上に自分の身の回りのことしか目が行かなくなってしまいます。
そうなってくると、とにかく今すぐ自分が何か進歩したのだという確証を得たくなりますので、やればすぐに何かのアウトプットが出てきそうなものに飛びつこうとします。
たとえば、先日の経済学・完成答練で、ミニマックス理論が出題されていましたが、この問題に正解できなかったとして、そのことが合否とどれくらい関係しているか、一度冷静になって見直してみる必要があると思います。
最悪のパターンだと思います((ちなみに、マキシマックス理論はテキストに登場していませんが、処理手順はミニマックス理論の真逆です))。
前回( http://anond.hatelabo.jp/20110531011008 )も書きましたが、受験生の側が合格に必要な知識を選択することはできません。
もし、そうやって分野を選んでいるつもりだとしたら、それはたんに自分ができること、あるいは自分がやりたいこと選んで、本当はやらないといけないのに面倒くさくてやりたくないことをサボる言い訳をしているだけです。
ですので、受験生の側が勉強する内容をピンポイントに取捨選択するのはリスクがひじょーーーーーーーに!、高いと思うのです。
もしピンポイントにやりたいのなら、受験指導のプロか、せめて合格者に同席をお願いして、都度判断を仰がないとダメです。
一人で勉強していると、時々どうしても不安になってきて、あれもこれも何でも理解しないといけないのではないかという気になってきます。
あるいは、テキストには書かれていないけれど過去問に登場した用語のことを知っておく必要があるのではないか・・・、などなど。
この不安の虫を放置してしまうと、あれもこれも何でも薄く広く勉強して、最終的に選択肢を二つまでは絞り込めてもその後でエンピツを転がすということになりかねません。
http://anond.hatelabo.jp/20110529233312 からの続きになります。
また、同じ順番の中で、本質的に順位の上下があったり、どこかの順位の人と別の順位の人が入れ替わることもないと言うイメージです。
※たとえば、受験生の間でカリスマとあがめ奉られているような方がいたとして、その方の仰ることが合格者より正しいかというと・・・かなり微妙なのではないでしょうか。
まず、試験委員の先生と採点者の方が、試験のことを教えてくれるはずがありません。
となると、受験生が教えを請うべき相手は、講師の先生か合格者のいずれかとなります。
そして、興味のあること、得意なことばかりをやりたがるようになります。
ですが、残念ながら、試験範囲を決めるのは受験生ではなく、試験委員の先生です。
たとえば私がミニマックス理論だけではなく、マキシマックス理論という(講義では取り上げられていない)手法をどれだけ上手に使いこなせたとしても、本試験では一点もプラスされません。
試験対策としてマキシマックス理論を勉強すべきかどうかを決めるのは試験委員の先生であって、二番目の採点者が何も教えてくれないのですから、講師の先生かその次の合格者の方にアドバイスを求めるしかない。
受験生が自分で勝手にマキシマックス理論を極めるぜ!と意気込んでも時間の無駄です。
何を勉強して、何を勉強すべきではないか。それを受験生自身が勝手に決めるのは危険です。講師の先生に個別に判断を仰ぐのが、現状最も安全な方法です。
少なくとも合格者であれば、深く掘り下げて勉強すべきポイントと、さらっと流すポイント、一切手をつけるべきではないポイントはご存じのはずです(そうでなければ試験をパスできないからです)。
合格者未満の人間は、勉強に費やした時間がどうあれ、「合格したか否か」という点で、合格者の方とは決定的な違いがあって、この違いを乗り越えるためには自分自身も合格者になる以外方法はありません。
ここで問題となるのは、個別論点をピンポイントで取り上げる勉強会のリスク項目です。
二番目のリスクについては、個々人で気付くことができるのでさほどインパクトはありません。
最初のリスクは、講師の先生か、少なくとも合格者の方に判断を仰ぐ必要があります。
最後のリスクは、参加者の間で不公平感を生むと言う意味でもっとも回避すべきリスクと言えます。グループ学習は、特定の参加者に不満が残るような形が一番悪いパターンと言えます。
というわけで、今回のように学習進度が不明な人を巻き込む勉強会では、ざっくばらんなディスカッションを中心にすることがもっとも高い効用を生むと考えられます。
ですが。
初対面の人間とスムーズにディスカッションできるというのは、とんでもなくコミュニケーションスキルの高い人です。
そもそも参加者全員がそのような人であることを前提にするのは合理的ではありません。
ならば、どのように対処すべきか。
一つのアイデアとして、「体験を共有する」という方法があります。
具体的には、前回の案の中では運営管理の問題に取り組むという方向性を提示していますが、問題を解く→答え合わせをする、という体験を共有することで、コミュニケーションを取りやすくするということです。狙いは、限られた時間の中で費用対効果を考慮しつつ「アイスブレーキング」を図ることです。
勉強会を通じて行いたいのは、おおむね以下のようなイメージです。
勉強の思いっきり先に進んでいる人に、その人なりのやり方や工夫を聞いてみるというのも有効かと思います。
最終的には、そのやり方や工夫を自分の中で咀嚼して、講師の先生や合格者の方のアドバイスを元に自分にあった形にアレンジしなければならないのですが。