はてなキーワード: 十倍とは
Twitterやネットで知り得た情報のうち、冷静かつ蓋然性が高そうなものをテキストにしてオカンにメール送信。
送った内容は、有馬温泉には通常の4万倍の放射線(テレビの何十倍なんて報道はナンセンス)とか、
12ロールで1千人がトイレにとか、ワカメ買い占めても効果ないしヨーチン飲んだらダメとか。
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toオカン
放射性ヨウ素が大量に体の中に入った場合、健康への影響を低減するために、内服薬である『安定ヨウ素剤』を医師が処方する場合があります。
市販品としてヨウ素を含んだものはたくさんあります。ヨードチンキ、うがい薬、のどスプレー、消毒用せっけん、ルゴール液などです。これらを内服薬である『安定ヨウ素剤』の代わりに飲むのは絶対にやめてください。
理由は以下のとおりです。
・うがい薬などの市販品は内服薬ではありません。これにはヨウ素以外の成 分が多く含まれ、体に有害な作用を及ぼす可能性のある物質も含まれます。
・たとえ飲んだとしても、ヨウ素含有量が少なく、放射性ヨウ素が集まるの を抑制する効果がありません。
わかめ等の海藻にもヨウ素が含まれますが、これらも効果がありません。
・ 含まれる安定ヨウ素が一定ではなく、十分な効果を得られるかは不明です。
・ コンブなどは良く噛まなければならず、消化過程が必要であり、吸収までの時間がかかります。
以上のことから、消毒剤やうがい薬などのヨウ素を含んだ市販品は、 『安定ヨウ素剤』の代わりに飲んではいけません。また海藻等を食べても十分な効果はありません。
『安定ヨウ素剤』を医師が処方するものです。原子力災害などの緊急時に、指定された避難所などで服用指示があった場合のみ、服用してください。
ヨウ素を含む消毒剤などを飲んではいけません インターネット等に流れている根拠のない情報に注意
http://www.nirs.go.jp/index.shtml
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fromオカン
ありがとう
明日流そうかな。
友達がイソジンでうがいしろの昆布やとろろ昆布を買ってきたのと騒いでます。
早いとこガソリンも入れ 水もワンカートン買ってきたと得意になってます
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toオカン
買い占める前に
トイレットペーパー12ロールで1千人がトイレに。バナナ1房で10人の子供にオヤツ。ガソリン10Lで怪我人4人を隣町に搬送。パン1斤で1家族が食事。ガスコンロ1本で10人が暖かいご飯。お米5kgでオムスビ120個。電池1個で100人がラジオ聞けます。あなたたちが買い占めているものが被災地でどのくらい使えるか想像してください。
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fromオカン
本当その通り!
買い占めてる友達に知らせてやりたいわ、その人がなんと○○○(自粛)なんだから何をか言わんや!
人柄がこんな時ばれますね。
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toオカン
100倍の放射線と聞いて周りに慌ててる人がいたら、通常の温泉でも通常の200倍、有馬温泉とか4万倍以上の放射線が出てるけど大丈夫って教えてあげて下さい。
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fromオカン
ラドンでも塩でも、OK
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・・・最後のは伝わってない気がするw
そう。その通り。それと同じように、完全自由主義ならば値上げは正しい。
平時、ライフラインは法律の縛りを受けている。値上げもままならない。
規制緩和が叫ばれてはいるが、すべてにおいて真に完全自由化が求められているわけではない。
水(水道)は特に重要なライフラインとして民営化すらなされていないのが普通である。
そのような重要な物資の値上げへの非難は間違ったものではない。そもそも、完全な自由経済下におかれるべきものではないのだから。
元記事の理論であれば、電力の不足に対しては電気料金を値上げすれば良いことになる。
数倍や数十倍に値上げを行い、即時支払などを求めれば、多くの人は電気の使用を控え、使用電力は下がり、電力不足はおこらず、医療に限らず必要な人が必要な分だけ使用できる事になる。
しかし、実際にはそれが多くの問題を生むことは明らかであろう。
それは独占が云々と思う人もいるだろう。そう。それもある。
市場の寡占化に限らず、様々な不均衡が実際の市場には存在する。
いや、言ってることは正しいと思うし、博士号取得者は教養人であり文化人であり専門家であれ、という考え方はおおむね賛成。
というか俺もそうなりたいと思って専門の研究以外に文化活動も趣味でしている。
文化人って希少価値だーステータスだー、って感じで、貧乳みたいなもんなんだよ。
優れた絵画と一緒なわけ。
それを国家として量産してどうするの? と思う。
国家として余裕があればそれも一興だよ。
科学技術で押し切らなければ日本は国家として成りゆかないわけで、いやウソ、ごめん、本音いうとやっぱどうでもいい。
それが一番のポイント。
だから、ポスドク問題だろうが、就職できなかろうが、がんがん博士を増やして競争させたらいいんだよ。
そして一握り残るバリバリの研究者は、その十倍屍を作ったって国家として価値があるわけ。
そしたら日本は国力を保つし、研究の一線から脱落しないし、そしたら我々研究者は失職しないわけ。
だから、元増田が言うような、「屍を作らず文化人を作ろう政策賛成」案は、はっきり言って自分が当事者の博士課程の学生だから言ってるように映る。
自分のなりたい文化人像と政策の大義名分がたまたま近かったってだけ。
そんな文化人なんて、なりたいやつはほっといても勝手になるんだよ。
政策で芸術品ばっか作ってどうするのよ。
結論:
世間が求めているのはCカップの美乳。
http://anond.hatelabo.jp/20101123002445
言っていることはわかる。理解できる。認める。
でもあえて言う。
それでも俺は努力すると。
誰もが敬う夢を達成できるのか。
それは達成することが楽しいからじゃない。
達成するまでの過程が楽しいからだ。
結果的にそれは達成することが楽しいことに
つながるわけだが。
わかりやすいかもしれない。
ゴール=夢、走ること=努力。
ランナーはゴールに到達することが
楽しいから走るわけじゃないだろ。
彼らは走ることが楽しくて、そしてその楽しさをより何倍にも
何十倍にもするためにゴールを設定するんだよ。
ゴールに到達することが目的じゃない。
あくまでも目的は走ること。
たまに自分の設定したゴールが
あまりにも遠くて、
到着できないと思うとき、
はるか先を息も切らさず走っているとき、
何故走りはじめたのか、と。
今いる地点もゴール地点も大して差はない。
そこにとどまり続けても十分な幸せを得られると思う。
だって今立っている地点は、今以前に描いた夢なんだから。
例え、今描いている夢を将来達成したとしても
またすぐに新しい夢ができて、
壁にぶち当たって同じ無力感を感じるだろう。
だからどの地点にいても一緒のこと。
でも気持ちの持ちよう次第で、どの地点にも幸せを感じられる。
ときには走ることをやめるかもしれないけど、
夢は走り続けるための手段の一つであって、走り続けることが夢。
あのね、毎年だれもが生活レベルを上げていける
そんな時代はもう10年前に終わっているんです。
はいいんだけどさ。それがどうして
もういいかげん身の丈にあった生活に入りましょう。
に結びつくのさ?
借金しても身の丈に合わない生活をしてくれた方が、現状の日本経済のためにはありがたい話だよ?
みんなが身の丈に合わない消費をして、例えば個人消費が20%増とかになれば、例え破産者が十倍になろうが、マクロ経済は良くなるし、結果として生活が良くなる人も増えるよ。
日本経済の低成長の原因は基本的にはマクロ環境の変化だけど、それを冷静に把握して「身の丈にあった生活をしよう」とする貴方みたいな生活態度の消費者が多いことが、需給ギャップの拡大を生んで成長低下に拍車をかけている側面がある、っていうのは認識しないと。
「身の丈にあった生活をしよう」は家計の知恵としては正しいんだけど、現在の日本のマクロ経済的には害悪なんだから、過剰消費を非難して節制を呼びかけるのは個人に注意するのはいいとしても、広く呼びかけるのは変だよ。
だから、アメリカの大学は無条件で日本の大学より優れているという思いこみはやめろよ。
中国では優秀な人間からの需要(単純に考えて日本の十倍いる)に対して優秀な指導教官の供給が追いつかないし、先進国に生活の基盤を置くことで生活レベルやその他(政治的自由を含む)の上昇が見込まれるから必然的に外に出ようという意欲が促進される。
対して、日本では既に高いレベルの指導教官が有り余るほどいるわけだから、何が何でも外に出ようという必要がない。ある程度自分の専門性が固まってきた段階(普通は修士を出て以降)で、その分野の権威が外国にいるならばその先生の門を叩いてみようかなどとなって、はじめて外に出ようという動機が芽生えるのが普通。
結果として、米国への留学生の数を比べれば中国の方が日本より圧倒的になるのは当たり前の話であって、それがどうしたとしか言いようがない。
君と出会えて本当によかった。
君が居れば何も恐くなかった。
だから、君が居なくなる事は何よりも恐い。
でもね、君は居ないんだよね。
全部解ってるよ。
恐いんだ。本当に本当に本当に、恐くてしかたないんだ。
君が心配だなんて全部嘘なんだ。
俺が心配なんだ。
女々しい、情けない、こんな男で・・・
でも楽しかったよ。本当に楽しかったんだ。
ケンカばっかで、どうしようもないバカだったよね、お互いに。
でも本当に幸せに溢れていたと思うよ。
これからは一人で頑張らないとね。
いや、でも僕には友達も居るし、会社の皆も優しくしてくれる、それに家族だって居るんだ。
君もそうだろう?
だからさ、絶対に堕ちないでほしい。
君が居るだけで幸せになれる人はいっぱい。
それってイコール、君が居ないだけで辛い思いをする人がいっぱいいるんだよ。
人を信じよう。
いつか自分を信じられるようになった時、あなたの事を思い出すでしょう。
その時、僕は何を考え、何を感じるのか。
君は何を考え、何を感じるのか。
答えなんてないし、正解なんてない。
だから間違えることもない。
どんな事があっても、僕らの過ごした楽しい時間、辛い時間、全部が全部大切な事には変わりない。
本当に大切な時間だ。
そんな時間を過ごす事ができないのは本当に嫌だ。辛い。
でも、君のタメに、僕のタメに。
ほぼ愚痴。垂れ流してみる。
人生最大の買い物は住宅だと思ってたけど、本当に一番高い買い物は「家族」だったということに気づいた。奥さんと子ども。食費、生活費、光熱費、その他もろもろ・・・結婚して10年でいったいどれだけの金をつぎ込んだことになるだろうか。数千万? 定年まで・・・いや死ぬまでに家族に費やすお金っていったいどれだけになるんだろう。
住宅だって、土地付き一戸建てを勢いで買ってしまったけど、独り身だったらこんな大きな物件はいらなかった。賃貸ワンルームでもいいくらい。車だって何台もいらないし、レジャーや旅行の費用だって少なくすんだ。ひとりだから飲みとかで遊びに出ることも多くなったかもしれないけど、それでも日々の生活費に比べたら微々たるものだ。子どもに費やすお金もバカにならない。義務教育とかいったってけっこうお金がかかる。もし将来、大学とか私立の高校に行きたいなんて言い出したらまたお金がいる。っていうか、いまの収支の状況ではそのお金を捻出できないことは確実だ。
何かを買うときでも、自分ひとりの好みでは買えない。特に子どもが生まれてからは子ども優先の生活になった。パソコンやテレビだって欲しい欲しいといいつつ何年も我慢している。お金がたまらないから、将来的に買えるときが来るとも思えない。家族を得ることで失ったのは「お金」だが、それ以上に「自由」というものを失っているような気がする。
もちろん、家族がいることの精神的なメリットは多大にある。あるにはあるが、逆に家族がいることに対するプレッシャーも大きい。会社が潰れたらどうしよう、仕事がしんどくてもやめられない、そもそもお金なんてどうやって稼げばいいかわからない。そんな自分に家族全ての生活が、人生がかかっている。望む教育、望む生活、望む遊び、それを子どもに与えてあげられないことに対する後ろめたさ。妻に楽をさせてあげられない心苦しさ。そして自分が自由に生きられない息苦しさ。家族さえ構成していなければ、それらの皆の苦悩など存在しなかったのではないか。そんな気さえする。
でも、家族がいなかったら自分はひょっとしたら、ある程度お金をためて会社をやめて引きこもってゲームばかりしている人間になっていたかもしれない。そのくらい、仕事に対して思い入れがない。人生に対してヤル気がない。欲しいものといっても娯楽や遊びのものでしかない。生産的なことはなにひとつやろうという気がおきない。つくづくダメ人間だ。
けっきょく、「家族のいない自由」とは持っていないものへの幻想で、もし仮に家族を失ったらそれがきっと今望んでいる「自由」とやらの何倍も、何十倍も大切で必要なものだったと気づくのだろう。家族があるからこそ、かろうじて社会的な存在としての自分を保っていられるのかもしれない。家族がいなければお金がたまるどころか、人間としてまともに生きていくことさえできていないかもしれない。自分はそれほどの腑抜けなのではないかという気もする。
でも案外だらだら仕事続けて、友達も少ないので適当に小銭がたまって、悠々自適な生活をしてたんじゃないか、という気もする。現実ではないことは想像するしかない。都合のよい想像と、最悪の想像の間を行ったり来たりしている。
とにかく・・・お金がない。それが不安であり、不満だ。老後の貯金などまったくできていない。子どもの貯金もせいぜい公立の高校に行かせてあげるくらいしか計画できていない。この子たちが大きくなるまで、高校の授業料無償化が続いていれば少しは余裕もできるかもしれないが、それでもしかし私立大学とか無理。急な事故や病気でお金がかかったら、それだけで家計が破綻する。そうでなくても老後は確実に飢え死ぬ。仕事がなくなればローンが払えなくなって家を売り払わなければならない。行き場もなくした家族はどこで生きていけばいいんだろう。そんな綱渡りな今日この頃。プレッシャーで押しつぶされそうだ。みんな、こういう重圧をどう処理してるんだろうか。それともみんなはもっときちんと稼いで貯蓄とかしてるんだろうか・・・。
そしてけっきょく、家族さえいなければこんな重圧はなかったのに、なんて都合のいいことを考えてしまう。家族がいないと生きていけないくせに。われながら最低だなぁ。
人間関係や職場でのミスから、「自分なんて死んでしまった方が迷惑かからないしいいんじゃないか」と深刻に悩むようになった。
で、そのことを周りに相談したら
そして祖父。
とのことであった。
祖父は、弟を(弟が)今の自分とまったく同じ年齢の時に無くしているらしい。弟を失ったショックは相当の物であったらしく、鬱になり自殺も考えたらしい・・・とのこと。
そのような経験をしているからこそ、「身内の死」と言うものの「重さ」が分かるのだと言うことを感じた。そして、その重さは自分が想像しているより計り知れないものなんだと思った。
そして、それで自分は思い出した。「自分と言う存在はここに1人しかいない」のだと。
ちなみに父方の祖父母はもういない。今、彼らに会いに行っても彼らは喜ばないだろうし生きていて欲しいと思うだろう。だから、彼らのためにも自分は今生き続けてるんだとも思う。
自分は、1人しかいないのだから。
政治論争を聞いてようやく悟ったけど、政策成果ってのは70点から75点ぐらいの結果に収まるのがちょうどいいってことだ。
ある分野で100点満点を目指そうとすると、他のとこに必ずゆがみが生じて、結果的に全体がだめになる。たとえば日本の貧困問題を究極的に解決するためにベーシックインカムなどを社会保障を極端に高くすると、維持コストやらフリーライダーが増えて国の国力全体が衰えて結局ベーシックインカムを支える財力すらなくなって本末転倒になる。
ITプログラムにたとえるとわかりやすい。あるプロジェクトでエラー精度がほぼ100%の製品を作るのと、80%ぐらいに抑えてリリース後にアップデータでエラーを修正していく製品とでは、おそらく制作コストは何倍、いや下手したら何十倍も違う。エラー精度でいったらたった20%の差でも、それを100%に近づけようとするとコストが飛躍的に高くなる。そしておそらく100%を達成するのは無理だし、そんなに無理しても目的達成できないどころかスタッフも疲労して最悪だ。ってこれってわかりやすいのか?
左翼、右翼、経営者、労働者、社会的弱者、文化人などなど、各立場によって政治・社会の理想は大きく違う。どれが正しいのかは誰にもわからないがひとつだけ確実にわかるのは、どれかの意見を100%再現させようとするとその社会はどこかにひずみが生じて結果的にだめになる。お互いが多少の不満を抱えながらもぼちぼちかな?ぐらいですごせられる社会が実は一番理想的なのだ。
まぁ、今の日本ではそれができてないってことなんですけどね。
努力なんて眼に見えないもはの評価しようがない。成果を上げた人、競争に勝ち残った人達が幸せになるのは今でも大体そうだ。
真面目に単純作業を淡々とこなして生活が出来ないのはオカシイというのも無茶な話だ。発展途上国の数倍から数十倍の給与を貰っているのだから、誰もがそれに値する働きをしなければならなず、単純労働はそれに大抵の場合値するとはされない。
だが、結局のところ誰もが成功できるわけではないし、また社会に貢献したからと言って収入を得ることが出来るわけでもない。我々の社会は全ての人々に一定水準の生活を保証すべく努力するべきなのだ。誰が貧窮すべきで、誰が豊かになるべきかなどというのは最後の最後に議論すべきことだ。
俺達が論じるべき問題はもっと単純だ「何故金がないか或いは何故金が必要としているところに行き渡っていないか?」だ。
理由2)非効率的な教育並び商習慣を留め、改善努力を怠り続けた結果日本製品が売れなくなった。
解決策は
(1)情報開示の義務化と天下り当に対する組織的な抗議活動、行政組織の縮小。
(2)高校では大胆な教育改革と民営化。大学では産業界との連携強化。産業界ではCartel やvertical integration に寄るモノポリーを規制し、企業の新陳代謝を活性化し、新しいより効率的な体制を持つ企業が育つような環境を整える。
子供でもこれぐらいわ思いつくが、実行はなぁ・・・。
ちなみに、上手くいっている社会では生活するのに努力なんて必要ない。何年か前にニュージーランドにいたが、時給はどんな単純労働でも12ドル程度、普通に週20時間程度適当な仕事をしていたらそれで車が持てて人生楽しめてるようだった。
無論向上心から必死になって勉強したり働いたりする奴等もいたが、生活するのに困らない状態で自分の幸福やプライドの為にする努力は生きる為の努力とは同一視されるべきではない。
>やればやっただけ、しっかりリターンの得られる社会を目指すべきだ。
現実にそんな社会が存在した事はない。AppのSteve Jobsを見れば解る。彼は自分では大した事はせずに、人をこき使って金持ちなった男だ。しかし、彼は間違ってはいない。彼は資本主義社会で成功するために必要なことをやっただけだ。
http://msbellum.exblog.jp/4925768/
東京都では、昨年11月に、都内に通勤・通学する女性を対象に、アンケート調査を行いましたが、回答者632人のうち6割余りが痴漢行為の被害に遭っており、そのうち被害を届け出たのが、わずか10人という結果でした。この結果から、表面化しない潜在的な被害は、検挙件数の数十倍に上るものと思われます。
http://www.local.co.jp/news-drift/bbs8.html#Anchor528254
東京都内の私立女子高2校の生徒計400人を対象にした市民グループのアンケート調査で、「電車内で痴漢に遭ったことがある」と答えた生徒が71・6%にも達した、とか。
アンケートは「痴漢犯罪NO!鉄道利用者の会」という市民グループが学校と父母らの協力を得て実施し、対象になった生徒全員が回答した。
http://www.marsh-research.co.jp/examine/ex1705.html
対象者: 全国在住の14~49才男女、「D STYLE WEB」登録者かつ日常、通勤・通学で電車を利用している方
★女性限定設問★今までに痴漢の被害にあったことはありますか。
何回かある:70.0%
ない:17.0%
要約すると
1.放射線被曝によるガン発症促進リスクと、乳がん検診見送りによるガン見逃しリスクの
単純な数値比較
(恐らく、ガン発症促進リスクの方が高い)
10年後に発症?20年後に発症?30年後に発症?
仮に「60年後に発症」なら、それは平均寿命を突破しているため、
3.若年層に見逃したガンの進行スピード、転移スピード、致死スピードと
放射能被曝により発症した●年後のガンの進行スピード、転移スピード、致死スピード。
これは推測だが、一般論として、高齢になってから発症したガンほど、
4.そしてこれがもっとも重要だと思うのですが、
人々が「20代での早世」を、60代での逝去よりも「悼む」のは、
「人生でもっとも充実した時期を過ごすことなく逝ってしまったことに対する悲しみ」です。
理系の専門家の議論では、この「4.」の部分の議論が一番欠けていると思う。
(多分、「1.」しか議論していない)
彼らにとっては、20代での死亡も60代での死亡も、「同値の、単なる1つの個体の死亡」の
事実でしかないですが、本人や周囲に取ってみれば、
「早世の悲しみは、60代や70代での逝去より、数倍、数十倍も悲しい」のです。
親に取ってみれば「子供に先立たれる」のは、自分の死よりもつらいのです。
そういう人々の、特に若い女性の「自然な、率直な感情」を無視して、
単なる「発症率や死亡率の乾いた数値」だけで理系チックな、統計チックな議論を
展開していたので、「はてなブックマーク」に違和感を感じていたのです。
単純な発症率、死亡率からすればTBSは間違っていたかもしれない。
しかし、「早世の悲しみを取り除きたい」という素朴な感情からすれば、TBSは間違っていない。
客観的にイーブンな論議をしたいのであれば、
「20歳時点において、マンモグラフィーを受診した場合において、
30年後の50歳まで生きられる生存確率」と
「20歳時点において、マンモグラフィーを受診しない場合において、
30年後の50歳まで生きられる生存確率」を比較すべきでしょう。
放射線被曝によるガン化を主張する人は、
「平均すれば、ガンがいつ発症するのか」を明らかにして欲しい。
自分は医学の素人ですが、被曝でガン発症するのは、50歳過ぎてからじゃないですか?
「マンモグラフィー被曝で早世しないが、
こんなもんですよ。
他に「福利厚生がスゲーいい。家賃8000円で都内2DK」「入社した日からゴールドカード」とかそういうオプションはつくけども。
大体にして、30で年収一千万ちょい越え辺りが「いい大学→いい会社」を必要条件に得られる対価。
そもそも、俺の所属するチームの稼ぎを人数で頭割りしたら会社に9000万以上の利益はもたらしてると思う。
つか、いわゆる大手大企業の人間は年収の十倍くらいの利益出してるはず。でも、それは
企業のバックグラウンドを利して出してるものなので、営業職でもない限り即座に給与には反映されない。
いわゆる、組織の論理というやつです。そして、俺の職は組織を前提に動いている職域が多いので、
独立といわれても「どーやって独立して今の仕事やるんだよ」って話に。
所詮歯車に過ぎないわけですよ。
つか、官僚ってそんな儲かるのかねぇ・・・。
あー、確定申告でアレコレってのもあるなぁ。
基本、お給金を貰う立場でウマイ汁って吸いにくいよね。