水星の魔女の二期を見る前に、一期最終話を見た時に思ったことを書いておかないといけないと思った。
一期の最後でスレッタの母が娘を撃とうとした兵士を撃ち殺した時に述べた理屈は倫理一般としてなにもおかしくないのよね。現代日本の裁判で主張しても多分通る。母があんまり平気な顔しているのがおかしいというだけで。(それだけ冷静なら殺さずに済むように準備しとけと思うが、敵が何人いるのか分からんのでたぶん無理。)
母親が人を殺したのを見た後にスレッタが立ち直るのが異常に早いのは、そもそも水星育ちは「人が死ぬこと」に慣れているという推測をしている。そう考えると冒頭で宇宙漂流しているミオリネを見たスレッタの反応は「間に合わなくて死なせた」経験を反映しているのかもしれない。
「手足を失った人が大勢いる」というアーシアンに「どんな田舎から来たんだ」と言われ、マスクを取れと言われて「マスクの下に顔はない」というブラフが通用してしまうのが水星である。
最後のシーンの行動。スレッタは「自分は馬鹿でミオリネは頭がいい」と思っているから、「自分が母親に言われて納得した理屈なんてミオリネさんはとっくに分かっている」と思っているのだが、ミオリネの方はおそらく目の前で人が死ぬのを見たのも初めてで、まず人が死んだ衝撃に打ちのめされている。
「でもよう、ミオリネさん。わたし、4歳の頃にはもう人を殺していたよ」
(元のセリフ、鉄牛ですら15だった。)
「こいつが支持してるっていうことは間違いなんだ」と確認するために
党派性が最優先過ぎてまともなアウトプットができない人のブックマーク、読んでも時間の無駄以外の何物でもなくない?
誰とは言わんけどそういうブクマをしてる人に聞きたい。
政治的な主張にこだわりがある人ってEnergyFlowとか戦場のメリークリスマス聞くと
「9条守れ!」「原発反対」って声が聞こえてくるんだろうか
そしてそれを正常だと思ってるんだろうか
地方のミニライブハウスで自腹切って演奏してるドマイナーなバンドマンでさえ、そんなドマイナーバンドの最底辺であるベース担当でさえ、わりと彼女がいるのである。
この際、トライアングルでもよい。
楽器が出来なければボーカルを担当して他のポジションを全員募集しろ。
思い出すと良い、今までおまえらの言葉が誰かを動かしたことがあったか?
言葉は無力とまで言わないが、世間には他人を動かしたい言葉が死ぬほど溢れている。
だがミュージックは違う。
言葉で伝わらないメッセージも、ミュージックに乗せればたちまち人々のハートにジャストイン。
干乾びたスポンジボブが水を吸収するようにね。
Official弱男dismとでも名乗って、女性への怨嗟を、社会へのヘイトを、メロディアスに歌い上げろ。
ミュージシャンは一発当てれば稼げる。
ヒット曲をものにすれば、使い切れないほどの大金がドバァッと入ってくるだけでなく、継続的に印税がチャリンチャリン入ってくる。
テレビのBGMで使われるたびに、誰かがカラオケで歌うたびに、お金がお金がお金ががぽがぽ。
君たちが今まで大嫌いだったジャスラックが、重ちーのハーベストのように小銭を広く徴収して君に還元してくれる。
作者が嫌いになったからってかつて高評価だった作品の価値を低く見積もるな、
作品切っ掛けで、作者を好きになったり嫌いになったりな、とかいう話ではない。
それを禁じることはできないからね。