少なくともこのツリーじゃ誰もそんな話していないぞ?
その"精神的な傷害を負っている人"とやらが、他人の自由や権利に制限をかけるに足るほどの数いることをまず示して社会的合意を取ろうな? って話をしているだけで。
流石に現状不快を示している一部の人の感情を表現の権利より下に置いたからって、それを「他人の精神的な傷害を軽視」というのはナシな。
そんなことを言い出したら、行きつく先は頭にアルミホイルを巻いている人のために電波を出す機械を根こそぎ破壊しなくちゃいけない不自由な社会になってしまう。
小学生低学年のときに、アメをなめながら家に帰ってる途中に上級生に絡まれた
その上級生は俺がアメを持ってるならよこせと迫ってきたんだが、今なめてるものしかないから、正直にそう言った
そしたら嘘だと思ったのか、いきなり俺の首を絞めてきた
大暴れしてやっと離されたのだが、大泣きしてその場を逃げ出そうとするところに親父ごたまたま通りががった
泣きながら首を絞められたと訴えて、仕返ししてくれと懇願したが、何を思ったか「自分で仕返しすればいいんじゃない」とだけ言って逃げていく上級生になにもしなかった
どういうことだと思う?
「コミケは入場制限して感染対策ができたようだが、これだと運営の儲けが・・」
みたいなのを見たけど、あれって運営は「儲ける」必要ってあるん?
勿論ビッグサイト借りるとかでお金自体は必要だろうと思う。でもなんかうまく表現できんけど、
儲けを追求するために大量の「お客」を呼び込まないと成立しないってのとは種類が違う感じている。
「こんな絵が公共の場に存在するのは相応しくない」と言われても「何故?どこが相応しくないのか理解できない」と思う。
「過度に胸が強調されている」と言われても「全く、そんな風には見えない」と思うし「胸が揺れている」と言われても「え?揺れてないのでは?」と思う。いったい何が問題なのだろうと、煽りとか抜きで、本当に理解に苦しんでいる。
男性の裸体の絵画や写真や彫刻が、公共の場に設置されているのを見ても、自分は別に男に対するセクハラだとは思わない。別に自分が裸にされているわけではないので。だから正直に言うと、或る種の女性が「水着姿の女性の絵や写真のポスター掲示はセクハラだ」と言う気持ちが、全く理解できない。彼女たちは、自他の境界の区別が付けられない人たちなのだろうか。
よく「昔は日本の企業は女性の水着ポスターとかが社内に貼られていた」と言われたりするが、そもそも仕事に関係ないものを大っぴらに職場で貼ったりしているというのが、セクハラ以前にダメだと思う。
よく言われることなんだが、noteというサービスは何かと「どうなの?」と思う部分が多い。
最近気になったのがダッシュボードから見れる「全体ビュー」という数字。この数字にはいわゆるページビュー(PV)だけではなく、記事一覧ページでリンクだけが表示された数も含まれるとのこと。大半の記事では実際のPVは全体ビューよりずっと少ないことが予想される。言ってしまえばほとんど参考にならない数字である。
純粋なPVも間違いなく計測しているはずなのに、あえて全体ビューというあいまいな数字だけを表示しているのはどういうことなんだ?
あえてPVだと勘違いされることを狙っているんだろうな。実際にTwitterで「note 全体ビュー」と検索すると全体ビューをPVだと思いこんでいる人が大量に見つかる。
投稿者に大きな数字を見せて、気持ちよくさせて、もっとユーザーに投稿したいと思われる、というのはマーケティングなんだろうが、さすがにちょっと汚いんじゃないかな
https://toyokeizai.net/articles/-/477279
なにこれ。
『正義中毒』ってなんだよ。許せないのは実際に酷い目に遭っているから怒っているだけであって
別に気持ちいいとかそんなんじゃないし悪より正義の方がずっといいと思うが?
結局、表現の自由肯定派(笑)の主張ってこれなんだよな。論理性なんてない差別主義女性蔑視のバカなのにバカだと思われたくなくて空想の上に空想を組み立てて議論したつもりになってるだけで本音はこれ
喰い倒せ! ミシュ乱闘