移民のシッターに押しつけてる外国人は、そのシッターが育児の専門知識もなければ資格もないしその国の公用語すら喋れないのを承知の上で
日本人が日本の保育園に払うより高い保育料をそのシッターに払って雇ってるわけよ
つまり少なくとも育児という労働にその程度の価値は感じてるし、その保育料じゃその程度の人しか雇えないってのも分かってる
でも日本人は、育児の専門知識と資格を持っている日本人が丁寧に育児してくれて小学校入学の準備教育までしてくれるサービスを
外国で移民シッターを雇うのより安い価格で買えて当然と思ってる
でも「大量の税金がつぎ込まれている」事を意識している人は少ないし、意識していても「それで当然」だと思っているから育児に高い価値を感じない
育児サービスに対する妥当な対価=大量の税金をつぎ込んだ上での残りかす程度、だと素で思ってる
だから働く方はブラックになるし、客は大した金も払ってない癖に要求だけが大きい勘違いモンスターだらけになる
外国人実習生を保育園で働かせろとか(恐らく皮肉で)言ってる人もいるけど
移民だろうが実習生だろうが日本で食っていきつつ自国に仕送りも出来る金額稼げないなら来ないだろうし
それだけの金を払うなら日本人保育士雇う場合の給料とさほど変わらなくなってしまう
つまり利用者は現行の(日本人保育士しかいない)保育園と同じだけの保育料を払わなければ成立しない
で、育児の専門知識も資格もない、日本語すら喋れない移民スタッフしかいない保育園に対して
日本人の保育士しかいない保育園に払ってるのと同じ保育料を文句言わず払う親いるか?
自分でやったほうが気楽だしね。
それもわりと男もそうだよ
横だが、お世話される側とする側は違うんじゃねーか?
あんなん外部周辺機器にすぎひんし、タニタがツインスティックを作ったみたいに、少数受注生産とかでやれば何とかなるやろ。「二度と」と言えるほどハードル高くないわ。
アイドルでも声優でも芸能人でも隣の席のあの子でも、なんでもいいからこの世に生きている誰かを推すことに私は罪悪感を感じる。
私にとって「推す」とはその人をエンターテインメントとして「消費する」ことだ。
その人がする一挙手一投足すべてが私にとっては供給であり、すべてのことに私なりのエンターテインメント性を付与して消費する。
その人が歩んできた過去は私にとって極上の小説であるし、その人がこれから歩むであろう未来は私の二次創作だ。
推すくらいにはその人のことを大好きだから笑ってほしいし成功してほしいしいつまでもそこにいてほしいのだけど、同時に困難にぶち当たってほしいし、挫折してほしいとも思う。だって山あり谷ありの人生の方がエンターテインメントとして面白いから。
極端なことを言ってしまえば、私はその人に目の前で死んでほしいとすら思ってしまう。私の見えないところでコンテンツが終わってほしくはないから。コンテンツの終わりを目の前で見て、きっとしばらくは余韻に浸って、そしてきっとその後には違う人をまた推し始めるんだ。節操がないから。
オープン前日、試食会でもやっていたのか、街に香ばしいニンニクが漂い、期待していた。
そんな時期を通り越し、オープンして数カ月たって、このニンニク臭が日常生活において邪魔になってきた。
外で洗濯物を干せなくなったり、換気などがしづらくなってきた。
大変辛い。