2019-01-21

生身の人間を推すこと

アイドルでも声優でも芸能人でも隣の席のあの子でも、なんでもいいからこの世に生きている誰かを推すことに私は罪悪感を感じる。

私にとって「推す」とはその人をエンターテインメントとして「消費する」ことだ。

その人がする一挙手一投足すべてが私にとっては供給であり、すべてのことに私なりのエンターテインメント性を付与して消費する。

その人が歩んできた過去は私にとって極上の小説であるし、その人がこれから歩むであろう未来は私の二次創作だ。

推すくらいにはその人のことを大好きだから笑ってほしいし成功してほしいしいつまでもそこにいてほしいのだけど、同時に困難にぶち当たってほしいし、挫折してほしいとも思う。だって山あり谷ありの人生の方がエンターテインメントとして面白いから

極端なことを言ってしまえば、私はその人に目の前で死んでほしいとすら思ってしまう。私の見えないところでコンテンツが終わってほしくはないから。コンテンツの終わりを目の前で見て、きっとしばらくは余韻に浸って、そしてきっとその後には違う人をまた推し始めるんだ。節操がないから。

もっとキラキラ推してみたかったなあ。

  • お前はちょっとでも気に食わないことがあったらどうせすぐここに長文書き散らす だからお願い、やめて

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