そら俺でも落とすわ
別ジャンルの反応は、元増田たちが公式に感じた憤りを初動で「解釈違い」の一言に纏めたのが悪い。
このいきさつが伝わるまでコミカライズで同人界隈の暗黙の了解設定が崩れる事が解釈違いって叫んでるヒプマイのオタクがいるようにしか見えなかった。
最初の立ち回り次第で同情煽れただろうに、残念でしたね。
心を抉るような虚しさもあれば、こびりついて煩わしさを与えてくる虚しさもある。
たっぷり眠っても虚しさに襲われるし、ゲームを楽しんでいる最中にも虚しさは襲いかかってくる。
でも家族と暮らしていても虚しさに囚われている人はいると言う。
だけど「虚しさは誰でも感じるもの」と受け入れてしまったら「これが手に入ったら虚しさから解放されるのかなぁ」という小さな心の支えさえ砕かれてしまう。
全て受け入れるのが良いのか、抗い続けるのが良いのか。
こんな事を考えることさえ虚しいことであるなぁ。
方言使うかどうかはあんまり関係無いでしょ。反対に地元出身者でも無いのに、変に迎合して使う方が感じ悪く思われる。渡辺徹の関西弁とかいじられてたじゃん。
北海道における浸透度の謎は、日高晤郎でしょ。それなりに思い入れはあったんだろうが、別に北海道に住みもしなかったし。
事務所の方針みたいのも『縁』のうちだからね。最近人気が出てきている『ゴリパラ見聞録』のパラシュート部隊も、関西出身でしばらくは東京でやっていたけど、事務所が九州支社をやるというタイミングで移動して、福岡を中心に九州のローカルタレントをやっている。
ローカルタレントは流れ着くもんなんじゃないの?
キミの中で でしょ?
「社会的、政治的そして経済的に性別は平等と信じる人のこと」
言葉は正しく使おうぜ?
フェミニストは一人一派のスタンスをとるのならば(実際そうだしね)
いるさっ ここにひとりな!
ここにいるぞ!
いるんだな、それが
公の仕事の講師謝金には上限があり、国の場合1日17,700円。そのせいで、高額な謝礼を必要とする講師を呼びたかった文部科学省の官僚が監督下企業におねだりしたニュース。
https://www.asahi.com/articles/ASLDL5QBTLDLUTIL045.html
行政の末端に関わる仕事をしている立場で言うと、これが行政の不正を生むという意味で批判されるのは当然だと思うが、上限を単純になくせばいいわけではない。
記事にもあるが、今回の講師は議員からの紹介である。つまり、上限を無くして莫大な講師料を渡せるようになると、今度はバックマージンなどの腐敗が発生する土壌を作ることになりかねない。講師の質よりも紹介者の政治力が優先されることになれば、金額が大きいだけ国民の損失も更に大きい。
では、その講師が適正であるか無いか審査すればいいだろうか? すぐ思いつくことだが、審査するコスト自体が莫大である。
今回の件を公金で支出するには、「講師を呼ぶところまで含めた委員会の設置・運営自体をアウトソーシング」する方法がある。つまり、土木工事のように丸ごと1件で見積もり・入札させることによって、過剰な支出に歯止めをかけるやり方だ。土木工事ならそれもいいだろう。しかし、教育のように、日々その内容が変化し、コストもその効果の検証も難しいケースでは、これもあまり現実的ではない。
正直、教育予算の場合には、「固定費はいくらいくら、変動費については総予算の○.○パーセントとする」と決めておいてくれたらよいのではないか。不正は不正で糺すべき。だが、予算の効率的運用に支障を来しては本末転倒である。