その昔から女たちは教室の影でボソボソするオタク達に侮蔑の目を容赦なく浴びせ唾を吐いてきた。女たちはオタク達にキモい、消えろ、何度となく呪いの言葉をかけた。オタク達はこの世に絶望し、機械の中に救いを求めた。オタク達は機械を友達とし伴侶とした。社会が少しずつ機械文明になるに従って、教室の隅っこ暮らしだったオタク達に少しずつ光があたるようになった。女たちは相変わらずオタク達に唾をしていたが、オタク達の中から成功者がでてくると喜んで尻尾を振った。普通のオタク達には変わらず唾を吐いた。オタク達が社会の中で一定の存在感を示すようになるとオタク達の文化が社会のここそこに表れてくるようになった。女たちは激怒した。女たちにすれば、オタク文化は気持ち悪いオタクのスペルマが社会のここそこに撒き散らされたようなものだった。女たちは叫び声をあげ、仲間を集めてオタク達の弾圧を始めた。
でたー「AなのにBじゃないやつはダブスタ」!
3年ほど付き合った男と別れました。
とても愛しかったし、愛されているように思っていたのですが、結婚についてを問いかけたところ、お前とは結婚する気はないと言われ、身を引くことに決めた。
愛しい気持ちは変わらないが、わたしもいずれは結婚し子を持ちたいと思っていたので、割とあっさり引けました。
彼とわたしの間には婚姻関係に至れるだけのきずなや愛情や相性の良さがあると感じていたのはわたしの方だけで、彼の方にとってはそうでもなかったという点だけが胸に突き刺さって痛かった。
男性も女性も変わらないと思うのですが、良い年になると恋しく思う相手以外に時間を割くのは苦痛です。
仕事も趣味もそれなりに守るべき生活もあり、自分のリズムを崩さないようにいち社会人として必死で暮らしていると、そこに新しくもう一案件加えることにとても気後れする。
それこそ恋してしまえば感情やリズムを崩され相手に振り回されてしまうことすら甘美な体験ですが、いい年になるとそう簡単に恋できない。
わかれた彼と初めて触れ合った晩はわたしも彼もまだ22で、熱に振り回されるように逢瀬を重ねていましたが、ここ最近は食事するのも会話するのもその他もろもろもすべてルーチン作業。
それで成り立っていたのがありがたかった。彼といるのは楽だったし癒しでした。
こんな干物関係にながらく身を置いてしまったために、マッチングアプリでなんとなく素敵な方だと思いメッセージをやり取りしていても、いずれ会うとなったら襲ってくるに違いない気疲れの予感にすでに気疲れしてしまい、筆が鈍ります。
記憶の奥にかすかに残っている恋心というやつは、この気疲れこそ極上のスパイスに変えてくれるものだったと思う。
それにしてもマッチングアプリというものはどうも陳列された異性同士で値踏みをしあう感じが風情がないように感じてしまいます。
矛盾では無いが。よくよく調べてみると「日本でだけの事件」ではない事が多いのに、なんでそう予断を持って非日本人的な立場で日本人をぶん殴ろうとするのかな?と。自分も日本人という意識があるなら「自分も戒めねば」とは成らないのが不思議。彼らはとにかくぶん殴り好きの印象。
COBOLとか「英語で書けるようにしたら誰でもプログラミングできるんじゃね?」という発想で作られたけど、アイデア倒れだったし。
当のCOBOLでも、
ADD A B GIVING C
みたいな書き方は少数派で
COMPUTE C = A + B
願って言ってるよ