太陽の「おらー!」という叫びと、アスファルトの「うぎゃー!」という断末魔にサンドイッチされた哀れなトマトであるところの私は、ひたすら汗をかきながら嫌な思いをするのである。
家に篭もれば、することがない。
本を読み、映画を見、音楽を聞き、隣人がぼっち大学生じゃありませんようにと祈りながらアコギを弾いてみたりするものの、すぐ飽きる。
勉強は大切だ、しなくてはいけないと思いつつ、惰眠をむさぼるのである。
母は地元に残った旧友の話をまるめた鼻クソのごとく弾き飛ばしてくる。
あの子は双子を産んだとか、あんたが仲良かったあの子は市役所に務めているとか、どうでもいい話だ。
あとは父親が骨折して家系が火の車なんて、気が滅入る話しかストックがない母。
じいちゃんは趣味の麻雀で若干の借金をこしらえたらしい。ばあちゃんは1年前より膝が曲がった。
カレーと畑でとれたほうれん草は相変わらずおいしかったけど、2匹の猫がいなくなった居間はどこかさみしい。
偶然連絡先を交換できた、ちょっと好きかもしれない女の子にLINEで連絡すると、上っ面な返事ばかりが返ってきて、上っ面が禿げそうだ。
バイト先の同僚に連絡してみようか?何て?シフトを交換してもらいたいような用事はないのだ。
ネットに逃げこむこともできない。
SNS社会は大の苦手だ。Facebookはもってのほか、Twitterは何度もオフ会した相手といざこざを起こして以来嫌になった。
そら「凡人でも誰でもできる」ことができないんだから馬鹿にされて当然じゃないっすかね
ファッション、つまり自分の外見を客観的に把握し服飾の知識と流行の知識を得る、という
「自分がしなかった努力をしてきた人」「自分ができないことができる人」を「尊敬」できてねーじゃん
誰でもできるのにー論理的じゃないーとかいって、自分が持ってない他人の能力に敬意をはらえてねえじゃん
俺がサベツされたー俺が尊敬されないーあんなの凡人でも誰でもできるのに(俺はできないけど)ー
とうだうだ言ってる凡人以下とか滑稽すぎる
あ〜、、、ほらまた煽ってる
あなたのような考え方を持って生きている者が世の中にはどのくらいいるのだろう
あなたがどんな人なのかが素直に知りたいです。
元増田の作文と憎悪に満ちた人達のコメントを読んで、20代の女の子が結婚と妊娠の喜びを思い切りぶちまける場所が無く、増田で作文欠いたんだろうなって思いました。
俺は当然独身だし何となく嫌な文を書く女だなってだけで憎悪などはありません。こういう奴もいるよね、若気の至りで仕方ないなって感じます。
一連の流れを見て、リアルとネットが完全にリンクしたFacebook、名前を伏せずに利用するTwitter、ネットはリアルと同じって感覚が広まりつつあるのかなって感じたくらいです。