学生時代、遠距離恋愛をしていた。だいたい月に一回くらいしか会えなくて、また次ね、今度はクリスマスだね、という感じでイチャイチャしていた。
つぶつぶのコンドーム、友達からもらったんだ、こんどこれでしようね、みたいな約束をして別れて、俺は次はクリスマスだし特殊コンドームだし、めっちゃたのしみだわーってなってたんだけど、
公共の場に貼り出す以上、実際的にその場にどのような層の人間がいるかという想定はなくて、全ての人間が見るという想定でゾーニングすべき、というのが一般的解釈だと思うよ。
世の中には「~すれば良いだけ」と口を出してくる人が結構な数いる。
「事前情報とか今までの経緯とか知らんし、俺はこう思った」と意見を言う人ね。
意見をいう人からしたら真摯に考えて世の中良くしたいと思ってのことなんだろうけど、キツイ。
そういう意見を言う人はそれまで興味なかったことに、ニュースとか告知みて反射的に電話かけたり意見出す人だから。
まあちょっと思い出話という事にして、ずいぶん古いんだが具体例を書く。
今もあるかもしれないが、公民館とかの外壁に映写機で映画を投影してみんなで観るというヤツだ。
昔はフィルムを映写機ごと貸してくれる業者ってのが結構いて、ジブリだの東映だのを地べたに座って見たもんだ。
ある時、年齢層が高めの洋画をやってみようとなった。
確か、「陽のあたる教室」だったと思う。
そこでまあ、やってみて気がつくというタイプの問題が発生した。
字幕が読めない。読みやすくしても子供には読めない。まあそりゃそうだ。
それまでほぼアニメしかやってなかったし、予行演習まで気が付かなかった。
そこで、妙案を思いついたヤツがいた。
レンタルビデオ店で吹き替え版を借りてきて、音声だけそっちから流せば?
実際にやってみたらうまくいった。
良かった良かったとなったところで、現場のチェックに来た職員が指摘した。
借りてる映写機フィルムはみんなで観る用に権利関係が処理されててちょっと高めになってる。
レンタルビデオの吹き替え版は、店で500円くらいで借りてきた。
指摘した職員もシマッタという顔になったが、やっぱり知らん顔は出来ない。チェックが仕事でもあるし。
そこで、その年の星空映画会は中止になった。
さて、星空映画会が中止になった。一週間くらい前に告知を出した。
大量の「したら良いだけ」「すれば良いだけ」のご意見を頂戴した。
ボランティアスタッフを責める意見もあった。問題の有無を話題にする人もいた。
あとはまあ、疲弊するタイプのやつもちらほら。邪推したあげくに責められて弁解をイイワケと捉えて激高する人とか。
(陽のあたる教室はメッセージ性のある映画なので「そういう描写に抗議を受けて取りやめるとは何事だ」みたいなヤツね)
たいてい意見自体はまっとうなんだよね。金と時間と手間を無視すれば。
なんで出来ないかというと、時間が足りないから。仕切りなおすには他のイベントがあるから。
そんなん字幕を青空上映したら字幕が見えないに決まってるじゃん、当然だろ。馬鹿なのか。そう言われる。
洋画が良いと言って頑張ってくれていた何人かは、その後のイベントにはあまり参加しなかった。
だいぶ、自分を責めていたようだった。
中止は役所からの指示(公民館の指示系統的に正式にはそうなる)とは言え、潰したのは自分だという意識があったようだ。
ボランティアとは言え注意深く企画したら良いだけ、とか言われるしね。
それでも、企業の企画する金も手間もかかってるイベントと、手弁当のイベントを同列で比較してるのをみると、ツライ。
文句でも良いんだよ「なにやってんだよ。ほれ、フィルム借りてきてやったぞ」と言ってくれれば。
でも「吹き替えのフィルムを借りればイイダケ」という人は、金を出すわけでも手伝うわけでもない。
当時未成年だった自分が思ったのは、次についてのアドバイスは励みになるけど、戻れないときの事言われるのはキツイ。
終わったことを詰められても、仕事でもない未成年ボランティアは、単にやめちゃうんだよね。
まあ自分は厚かましくもその後も何年もスタッフ参加していろいろやったわけだが。
大人になった今も、「スレバイイダケ」と聞くと「オマエがやれよ」と思う。
それダケなんてこと、めったに無いけどね。大抵お金も人手もかかる。
まあ、愚痴なんだけどね。
あれをエロと決めつけたら、ああいう体型や生まれつき似たような表情の人が差別されることになるんだから。
裸っていうのは、本人の意思で服を着れば済む話しだから差別につながらないの。
この違いを理解してほしい。
ネットなら余計にわざわざ見に行かないかぎり見えないだろ。