そうではなくて自覚がない人たちは普段の生活でもふとそういうこと言ってるんだぜ。。。
(ブコメなんてしてる大体の人が、「俺はネットと実世界を区別してる( ー`дー´)キリッ」の人なんだろうけど
それが出来てたら無自覚に攻撃することなんてないんだぜ。。。)
だから怖いという話なのに。
あーやこーや言ってる人達、実生活でそれ以上酷いこと言ってたり、まあ、単に自分が欝で逃げ惑ってるだけなのかも知れないけども。
ヒント:ポリティカル・コレクトネス
そして何故それがポリティカルにコレクトなのかははてブ辺りで解説されているよ。
具合の悪い人の煽りで仕事か忙しくて愚痴を言いたくなる気持ちはわからなくはないけど、
責められるべきは、具合の悪い人が出た時に心の余裕がなくなるような人員配置をしている管理者だから。
そんな管理をしていて、ポリティカル・コレクトネスが通らないような文化の職場だから鬱になるんだよ。
全部思ってることを正直に話す、まず話さないことには何も解決しないし、杞憂で終わるかもしれないし。
そこにゴジラのたまごというモニュメントがあったことを知っているだろうか。
それが出来たのは1988年で僕が生まれるよりも前のことだ。
幼い頃ほとんどの子供がそうであるように僕もゴジラに夢中だった。
正確に言うと平成モスラの1作目がきっかけだったし、ウルトラマンも大好きだったので厳密には特撮モノなのだが。
ともかく、そんな僕のことを父親はゴジラのたまごのところまで連れて行ってくれた。
当時の僕は子供だったので、劇場で観たモスラのことを引きずっていたのか、そのモニュメントは「モスラのたまご」だと勘違いしていた。
観に行った記憶、観て思ったこと、そのどれも正確に覚えていないが、僕の中では「父親とモスラのたまごをみにいった」という記憶として定着していた。
そして時は過ぎて、大学生になった僕は東京の大学に進学し、映画のサークルに入った。
ある夏休み、サークルの同期(年齢的には先輩)が僕の地元に遊びに来ることになった。
僕の実家に2泊ほど、映画をみたり議論をしたり、色々したのだが、結局暇を持て余してしまったので僕はモスラのたまごを観に行こうと言った。まぁその時まで間違いに気づいていなかったのだけど。
しかしながら僕の言うところのモスラのたまご、つまりゴジラのたまごは1997年、放火によって撤去されている。それが決定的だっただけで、それ以前にも落書きなどあったようだが。
僕は勿論そのことを知っていたので、わざわざ観に行ってもそこにたまご自体は無い。それは同期にも伝えたのだが、それにも関わらず僕は同期と二人でそれを観に行くことになった。
実際たまごがあった場所につくと、案の定始めて来たような感覚だった。川沿いあるたまごがあった場所には当然だが観光客などはおらず閑散としていたのを覚えている。
車で入れるぎりぎりにつけて、進んでいくと、そこには断層がむき出しになった土の壁で囲まれていた。
入口にはかつてここにゴジラのたまごがあったけど撤去されたよという恨み節にもとれる文言が書かれた看板が置いてある。
僕はそこに来てようやく「あぁこれはモスラのたまごじゃなかったんだな」と気がついた。
まぁそれなりにはショックではあった。覚えていないとはいえ、僕の中では一応思い出として成立していたことだ。
僕の中にあったたまごはその時、物理的にも精神的にも無くなってしまった。
僕がこんな何もない場所にわざわざ連れてきてしまった同期に対して申し訳ないと考えながら彼の方を見ると、彼は持ってきたビデオカメラでなにやら撮影していた。僕は彼に近付き、「モスラじゃなくてゴジラだったみたいです。」と伝えた。
彼はただ、あぁそうなんだと答えた後でこう言った。
僕がなぜ、と聞き返すと、彼は大体こんな感じのことを言った。
ゴジラは海のイメージがあるけど、ここには海から繋がる道がない。そんなところにわざわざたまごは産まない、だからモスラ。
彼が何を思ってそんなこと言ったのかわからないが、今思うと僕にとっては嬉しい言葉だったのかもしれない。
僕はそれならラドンでもアンギラスでも一緒だろうと言いつつ、自分たちが今いる場所から顔をのぞかせるモスラの幼虫は正直かわいくて、悪くないと思っていた。
帰りの車中で彼ともしゴジラをつくるとなったらどういう話にしたいか尋ねると、彼は1作目みたいなものにしたいと答えてくれた。僕の方は多分モスラを出すとだけ言っておいた。
ゴジラのたまごが心ない人の放火で破損してしまった。それ故に展示しておくのは不可能だと判断した。
今現在のゴジラシリーズの置かれた状況を考えるとそれはなるべくしてなったことなのだろうと思う。
過ぎたことをどうこう言うつもりはないが、壊れる時は存外あっさりしていて、過ぎてからその重要さに気づくことなんて生きてればザラにあるだろう。
例えゴジラが子供たちに夢を与え続けていたとしても、たまごは多分壊れてしまう。事故だとかなんだとか壊れないでと望むことがそもそも贅沢なのかもしれない。
でも、今の僕はあそこにあったのはひょっとしたらモスラのたまごなのかもしれないと思っている。僕の思い出の中には父と観に行ったモスラのたまごというねつ造された記憶がはばをきかせている。
多分嘘なんだろうけど、どこかにホントがあるかもしれない。僕が物語ることから離れられない理由はその辺りにあるのだろうか。
おまけ
正直期待値は超えなかったのだが、そのことに少しばかりの安心も覚えている。
やはり最高のゴジラ映画は日本がつくるのだと、その余地が残っていることは下衆なようだが、正直嬉しい。
それほどまで話題になっておらず、日本でまたゴジラが観れるかというと、期待薄ではあるが、もしその時がくるならば僕に本を書かせてもらいたい。
こんなこと公に言えることではないので、匿名で、しかもおまけという形で言わせてもらった。
ともかく、「僕とゴジラ」っていうテーマだったら日本には腐るほど面白いエピソードがありそうなので、そういうものがあればみたいものである。
そして、僕の世代がどうあがいても手に入らない当時の思い出から新しいゴジラが生まれる日を僕は一ファンとしても楽しみにしている。
以上。
「お前が休むと俺に迷惑がかかるだろうが」っていう考えは自分のことしか考えていないのと違うのだろうか。
皮膚病のかゆみはかゆいところをかくことに快が伴うという点ではよいが、
かゆいところをかけなければ不快であるし、実際にはかきたいところをすべてかけないことが多い。
呼吸困難の発作では、呼吸がしやすくなればなるほど、まだ呼吸に関して苦しみを伴った状態でも、ましになったことについては嬉しさもある。
皮膚病や呼吸困難がなければ上のような快や嬉しさはないが、皮膚病や呼吸困難はなくてもよいと思う。
起きている間は悪化させないためにかゆみに耐えようとして苦しみ、意識がないときにかくことによって悪化させることが印象に残りやすい。
自演乙。そんなにそうじゃないといってほしいのか?
子供がほしいなら酒が好きすぎる女は避けよう、と思わされる名文
シラスウナギは高額で取引されるので乱獲されているということでしょう。