どうやら、血圧が高くなっているようだ
年始めの検診で、
「高脂血症っぽいね、血管がもろくなっているから気をつけてね」
でも、血圧は正常だったんだ
この何日かのふらつきは、血圧高めのせいだった模様
ほな、あれやがな
気温差で、ひょこっと血圧があがると、ぽんと血管破裂して、場所が場所なら、
1年前までなら、電車にひょいと轢かれてみるのもいいかなぁとくそ迷惑なことも考えていた時期もあるけれど
離れて暮らしている娘たちと週1くらいで会えるのが楽しみだったりするので
特別、充実しているわけじゃない毎日だけど、道ばたで倒れるってのは
やっぱ、ナシでお願いしたい
納税できるほどの収入じゃないので、て病気発見器な医者に行くのもねぇ
かといって、そこここにご迷惑はかけたくないんだよね
すべては、老化だよ、老化
やかましわ
この意見が一番腑に落ちる
この人の例で言えば、客商売なのに裏で罪のない特定の客に対する悪口を言うようなもので、それはやはり倫理的に許されないことだと思う。自分はこういうあしざまな罵りをやった以上、たとえ多くの人間に知られてるわけでないにせよ「知らぬ顔」で艦これの作品を作るのは、自分の創作物に価値を感じてくれている人たちや、艦これを純粋に好きな人たちに対して非礼なように思える。
東方の流行った初期頃の現象がここまであからさまだったかといわれるとそこまでチェックはできていない
冬コミのサークル数やpixivの投稿数(をチェックしている旨の発言)
結局自分もゴロなんだ
などの発言から、元増田は「東方中期から同人絵描きになって、今は艦これを描こうとしている同人屋」と推測した。そのうえで話す。
もしそうじゃなかったとしても、少しは参考になるかもしれないから聞いてってくれ。
これは本当にそう思うよ。あれはサイコロ振って6が出たら1歩前に進めるすごろく(ただしゴールは無い)をやっているのと同じ。でもまぁ、元増田の記事を見るとゲーム性の稚拙さは嫌悪感の主要な要因ではなさそうだからこの点はひとまず置いておこう。
ふたつ言っておくことがあるとすれば、クソゲーと流行るゲームとは別の概念だということ。まぁこの点に関しては、モバゲーグリーディーエヌエーガンホーの例を挙げなくても理解してもらえると思う。そして、人は面白いゲームじゃなく流行るゲームにつくということ。
たしかに、ずいぶん早く広まったよね。個人的には、初期に登録可能人数を絞ったのがめちゃめちゃうまく作用したなと思っているけど、細かい点はどうでもいい。
ニコニコ・ツイッター・まとめブログ・同人についてもやはり、元増田と同意見だ。
クズだらけ
まさにそうだと思う。でもこれ艦これに限った話ではないぜ。もっとも艦これは人数が多いし、ゲーム内容は上記のありさまだから、必然的にコミュニケーションツールの主体は二次創作に置かれることになる(ゲーム内容を用いたコミュニケーションなんて、やれ誰をゲットしただの建造時間が何時間だの、その程度しかできない)。だから二次創作の場に人が大量に集まって、結果としてクズの行動が増幅される。でも見渡してみれば、この世の中、どこもかしこもクズだらけだよ。艦これに限った話じゃあない。
みんなゴロなんだよ。それでいいじゃん?
そうだよ。みんなゴロだ。少なくとも同人からの収入がそこそこある絵描きは、そうでないと生きていけない。もう「同人からの収入を前提とした生活レベル」に体が順応してしまっているからね。
そしてちょっと頭が回るやつなら、自分がゴロだなんてことはとっくに自覚してる。知っててみんな「ゴロじゃないですよ〜」って顔をしてるんだよ。当たり前だろ。だって「私はゴロです! でも綺麗な絵を描くからみんな買ってね!」なんて言えるか? それは喫茶店の店員が「お前みたいなチビデブには話しかけたくないけどこの仕事は辞めたくないしおまえは金を払ってくれるから注文を受けてやんよ」って言うのと同じだぞ。そりゃにこやかに「私は艦これが大好きです!! 好きが高じて冬コミで新刊を出すことになったので、みなさんお手にとっていただければ嬉しいです!」って言うに決まってるだろ。
結局、元増田は自分自身がゴロである(もしくは、ゴロになってしまった)という事実に憤っているんだろ? その憤りから解放されるには、自分がゴロであるということを、心の底から認めるしかない。しかしあまりに直接的にそれを認めてしまうことはつらいだろうから、言い訳を考えておくことは重要だ。たとえば「生活のためだから仕方ない」と考えるのもひとつ。「艦これ意外と面白いじゃないか」と自分を騙すのもひとつ。それこそ「いままで培ったコミュニティを失いたくない」という理由でもいいじゃないか。一昔前のサラリーマンのゴルフみたいなもんだ。
元増田を読んでたら2度目だと思うよ
1億当たれば借金返済できる → 「本気」でやるとかバカじゃねぇの
こういう的が外れてる意見はインターネットゆえに起きるすれ違いなのか
それとも対面で話していても発生する当人の問題なのか
わたし気になります!!
元々の話を忘れてもらっちゃ困る。村人AとBが「我々日本人」と言いうるのは日本国があるからだ、という話だぞ?
仮に俺が今でいう北海道にある村の住人で、君が沖縄にある村の住人だとしようか。
日本国がなければ、俺に取って君は「なんか南の方の村の人」だし、君にとって俺は「北の方の村の人」だ。
よそものであり、同胞ではない。血縁的にも遠い。「我々の子孫」? 何それ。俺の子孫と君の子孫は無関係だろ?
日本人が日本人を「我々」という一つの集合と見なし、その子孫の数を云々議論することが出来るのは、日本国という体裁があるからだ。