はてなキーワード: 暦法とは
鳥取砂丘で、「因幡の白ウサギを着た人間の遺骸のようなもの」が発見された。これはいったい何者なのか? 各地の組織に照会するも、砂丘での行方不明者は誰もいなかった。
鳥取市内に運ばれた遺骸をC14法によって年代測定を行ったところ、彼は5万年前に死亡したとの結果が得られた。らっきょうと名付けられたその人物の正体は、全く謎であった。
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その正体を探るために、二十世紀梨を使用して物質を透過撮影できる「トライマグニスコープ」が手配されると共に、その開発者である物理学者の浜田ハントにも調査への参加が要請された。スコープを駆使して少しずつ齎された情報と数少ない所持品を手がかりに、あらゆる分野の学問を総動員した分析が始まった。だが、その指し示す事象は矛盾だらけだった。
らっきょうの所持品の中から、現代技術を駆使しても造る事の出来ない超小型の「松葉ガニパワーパック」が見つかり、使用されていた放射性物質の半減期からも5万年前という値が裏付けられた。だが、こんな高度な技術文明が鳥取に存在したという歴史上の痕跡はこれまで残っていない。
これに対し、生物学者の青山ダンチェッカーは、らっきょうの遺骸を調べ上げ解剖学的にも、後には分子生物学や遺伝学の見知からも、「彼が間違いなくヒトであり、出身地は鳥取である」と断言する。その一方でダンチェッカーは、らっきょうが発見された場所の近くにある構造物の廃墟で見つかった携行食料と思われるものを調べ、その材料となった「鳥取名物のホタルイカに似た水棲生物」の肉体構造が、鳥取の生物のものと根本的に異なり、とても鳥取産とは思われないことに悩む。
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また、手帳と思われるものを透過撮影して浮かび上がった記号の解読は、言語学者の協力を得ても困難を極めた。その一部は何らかの数表と思われ、現在の手帳よりカレンダーであると類推されたが、それは鳥取とは相容れない暦法から成り立っていた。
ハント博士のアドバイスで、らっきょうの所持していた機器のラベルの文字が電圧や電流の物理量の表記であると仮定したところ、それを糸口として手帳を解読する作業に進展がみられる様になり、やがて、それは「らっきょうが記した日記」であると判明する。
彼は「鳥取砂丘の守備部隊に配属された軍属」であり、因幡・伯耆地方の戦闘を観察し、また、砂丘の基地に置かれた兵器から放たれたエネルギー波が地上の敵都市を灼く様子を記録にとどめていた。だが、有史以前の鳥取に砂丘まで飛行できる高度な科学技術があった筈もなく、因幡にも伯耆にも大規模な戦争の痕跡は見られず、そもそも砂丘には基地や兵器の痕跡すらもない。
相矛盾する事象を整理し、数々の仮説が立てられ、謎が少しずつ解き明かされていくかに見えつつも、別の事実がその仮説を否定する。その繰り返しがいつまでも続き結論に行き着く見込みは立たなかった。果たして、らっきょうは一体何者なのか、どこから来たのか、何故、ここに居たのか、そしてどこに行こうとしていたのか?
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さらに、大山の山頂を訪れた調査隊が、雪の中から発見した驚異の物体が混迷の度を増した。それは人類にとってまったく未知の知性体の手になる「UFOの残骸」であり、UFO内から大柄な体躯の搭乗員の遺骸が発見され、また「数百万年前の鳥取の生物たち」も積み込まれているのが見つかった。
大山で発見されたことからダイセンと名づけられた彼ら大柄な種族を調査したところ、その肉体構造は例のホタルイカに似た水棲生物と相似していることも明らかになった。
一方で、鳥取砂丘の内部を探査したところ、数百メートルの砂に埋もれた各種の設備や基地が続々と発見され、らっきょうはこれら技術文明を担った、人類と同種の種族、トットリアンの一人であることが明らかになる。
また、各種の証拠から現在の隠岐の島に一個の惑星、因幡星の存在が浮かび上がり、そこには鳥取とは別の生態系があり、ダイセンや件の水棲生物は因幡星の生物であることが判明した。
すると、5万年前の戦争は、鳥取に棲む人類と、因幡星に棲むダイセンとの間の星間戦争であり、その結末として因幡星が隠岐の島々に砕かれ、ダイセンは鳥取県から姿を消したのだろうか。だが、そう結論づけるにも矛盾が多すぎる。
直接大山に赴いてこれらを目の当たりにしたハントやダンチェッカーらは、更に深まる謎に悩まされるが、やがて、鳥取人の生い立ち、そして、かつての鳥取の姿につき、一つのストーリーが形作られていく。
問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい 川北 天華
川北天華。当時は進学をめざす高校生。進学は最終目標ではなく過程のひとつだろう。
単語と語法は平易。しかしそれらはすべてべつの何かを表象する。示唆により言外を表象するテクニックは掛詞とよばれるが、この歌は全句が掛詞で構成されさらに全体として言外のなにかを表象する。このため通常の和歌の範疇を超え、たぶんに神話的な雰囲気を持つにいたる。
配置
物理か地学の問題文をなす歌を助詞などを除去し単語をならべその内容を検討。
内容は上記のとおりテスト、光景に二分され、交互にならんだふたつの要素がリズムを形成している。
テスト、光景、ふたつの要素は卑近。受験をひかえた高校生という状況をあてはめると、この世代特有の神話的要素がうかぶ。
テスト、光景という対極を交互につなぐ構成は内外両極を往還するリズムを生んでいる。対句法ではくくりきれない振り子のようなリズムである。その振り子は往還をくりかえしながら全体をある方向へとすすめてゆく。机上の1枚の切片にしるされた問12という即物的な文言は夜空を数式で描けと命じそのときは下界を無視せよと結ぶ。一枚の切片がもとめる問いは振り子のようなリズムのなかで一瞬にして無限の宇宙へと拡大し発散する。読者はこの内外両面、両極往還のリズム、そして机上のちっぽけな紙片から数式をとおして一気に宇宙にひろがる強力なベクトルによってここちよく翻弄され、さまざまな記憶作用を楽しむことになる。じっさいのところこのリズムとベクトルは、おとなとこども、他発と自発、受動と能動、服従と自立ーつまり境界面を生きる高校生の生活のリズムとベクトルそのもので、それらが作者、あるい読者のこころのゆらぎそのものを表徴する。
問十二
夜空
青
街
明り
良い
各々の単語および叙述は高校生にとって卑近ではあるが軽くはない。試験問題、ふと見上げる夜空、その奥にひろがる宇宙。それらは作者の人生の主要な一部、あるいはすべてかもしれない。ひとつひとつの単語が表層の意味から遊離して現状と行く手の不安、悩み、探求、願望、希望、決意といった、思春期から青年期にかけての心象を表象する。この歌は、読者ひとりひとりに当時の記憶を想起させる力を持つ。
展開は三部で序破急をとる。
テストの問題文からはじまる文章表現はそもそも斬新なのだが、それを体言止めとして何かを宣言している。この宣言は直裁に読者にとどき、読者はこの歌とともに問いに挑むことになる。
十二は天文や暦法と関連がある。詠人だけにわかる何かの符丁かもしれない。だがそんな読み解き以前に十二月は受験シーズンであり、夜空がもっとも冴えわたる季節でもある。受験生たち、あるいはかつての、そしてこれから受験生となる読者たちは、冴え渡る夜空にひろがる大宇宙を仰ぎ何を思うだろう。
この衝撃はじゅうぶんに非凡な序を一気に振り切り読者を天空に打ち上げる。
微分される夜空の青とは何か。
それは学問的対象として規定される夜空であり、それゆえ純粋に観察と探求の対象であり、その分野への進学を目指す詠み人にとって、それは宇宙であり未来であり、そして自分でもあるだろう。それだけではない。その解をもとめる読者じしんの姿でもある。
街のあかりとは成功し定着したものたちの放つ光、そうしたしがらみとははなれた位置にいる受験生にとって、街のあかりは外部か雑音にあたるかもしれないし、いつか自分が再参入する場所かもしれない。
この歌はテストの問題文そのものであり、解答は記されない。作者はこの問いに答えることも思考の過程を示すこともせず、それらすべてを読者に投企している。そのため読者は作者の投げかけた問いの答えを探すことになる。読者は自問し夢み思惟し想像し記憶を想起する。歌を鑑賞することで作者の心象に分け入る作業がいつのまにか自問となり、ときには自分の過去、あるいは未来、そして今この瞬間を投影する。
上記のような構成は、ありていに言えば時分の歌、青春期限定の叙情歌といっていい。さしあたり言語機能の極限をさぐる現代短歌のなかではこうしたテーマははやらない。ではそれだけを根拠にこの歌の価値を限定できるのか。
そうかもしれないが、それで終わりにしてほしくない。なぜなら、こうした心のゆらめきを大切に記憶し想起し記述する行為は自己と世界のはざまから生まれる認識の、つまり哲学と科学の原初のすがたであり、その姿勢が現代短歌の流行からはずれていようといまいといっこうにかまわないから。
結句を復唱したい。
俗世、しがらみ、現実などを表象する「街の明かり」を無視してもよいと歌い上げる。かそけき深き空の青さが真実ならばその対極にある現実など捨象してかまわないとも歌い上げる。
時分の歌かもしれないが、そこに込められたまっすぐに真実を見ようとする迷わない力をわたしたちは大切に保持してゆきたい。なぜならそれはたぶん、うしなってはいけないものだから。
「非キリスト教徒は何とも思ってない」なんて一言も言ってないけど?
私は非キリスト教徒の日本人として、A.D.やB.C.が世界標準になってるのは、仕方ないと思いつつもモヤモヤしたものを感じる。
でも、それをC.E.に書き換えられた方が腹立つわ。お前たちの暦法はコモンじゃないって言ってるようなもんでしょ。
元号だけの話じゃないよ。世界中には他にも暦法があって、なかには複数の国・地域で使われてるものもある。それをコモンじゃないと呼ぶ方が失礼でしょ。
A.D.からC.E.に変えたことで一番「スッキリする」のは結局西洋のキリスト教徒でしょって話をしてるわけ。自分たちがキリスト暦を押し付けているというモヤモヤから解放される。
でもなんでそれだけのために私たちの、あるいはイスラム教徒たちの、もしくは東南アジアの仏教徒たちの、ひょっとすると世界の他の人たちの暦法がコモンじゃないって扱いを受けないといけないの?
キリスト暦は堂々とキリスト暦を名乗り続けるべきだ。西洋あるいは他の地域の非キリスト教徒の観点からみて問題があるというなら、まったく新しい暦を新しく作るべきだ。
ハッピーホリデーも同じ。そもそもキリスト教の祝日が国家の休日になっている時点でそれはキリスト教と国家が深く結びついていることを意味している。ハッピーホリデーと呼んで取り繕ってはその構造が見えにくくなってしまう。
実質キリスト暦のままで名前だけコモン暦にされるより、あるいは実質キリスト教徒の祝日が優遇されてるのに白々しい顔で「みんなの祝日だよ!」とか言われるより、それはキリスト教の暦であり祝日なのだと常に意識し続ける方が全然マシだ。
キリスト教中心主義者ならそれを誇ればいいし、暦や祝日は宗教から中立的なものであるべきだと信じるならまったく新しい暦を作ったり12月25日を祝日から外したりすればいい。