2024-04-07

『鳥を取るもの』あらすじ

鳥取砂丘で、「因幡の白ウサギを着た人間の遺骸のようなもの」が発見された。これはいったい何者なのか? 各地の組織に照会するも、砂丘での行方不明者は誰もいなかった。

 

鳥取市内に運ばれた遺骸をC14法によって年代測定を行ったところ、彼は5万年前に死亡したとの結果が得られた。らっきょうと名付けられたその人物の正体は、全く謎であった。

 

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その正体を探るために、二十世紀梨使用して物質を透過撮影できる「トライマグニスコープ」が手配されると共に、その開発者である物理学者浜田ハントにも調査への参加が要請された。スコープを駆使して少しずつ齎された情報と数少ない所持品を手がかりに、あらゆる分野の学問を総動員した分析が始まった。だが、その指し示す事象矛盾だらけだった。

 

らっきょうの所持品の中から現代技術を駆使しても造る事の出来ない超小型の「松葉ガニパワーパック」が見つかり、使用されていた放射性物質半減期からも5万年前という値が裏付けられた。だが、こんな高度な技術文明鳥取存在したという歴史上の痕跡はこれまで残っていない。

 

これに対し、生物学者青山ダンチェッカーは、らっきょうの遺骸を調べ上げ解剖学的にも、後には分子生物学遺伝学の見知からも、「彼が間違いなくヒトであり、出身地鳥取である」と断言する。その一方でダンチェッカーは、らっきょう発見された場所の近くにある構造物廃墟で見つかった携行食料と思われるものを調べ、その材料となった「鳥取名物のホタルイカに似た水棲生物」の肉体構造が、鳥取生物のもの根本的に異なり、とても鳥取産とは思われないことに悩む。

 

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また、手帳と思われるものを透過撮影して浮かび上がった記号の解読は、言語学者の協力を得ても困難を極めた。その一部は何らかの数表と思われ、現在手帳よりカレンダーである類推されたが、それは鳥取とは相容れない暦法から成り立っていた。

 

ハント博士アドバイスで、らっきょうの所持していた機器のラベル文字電圧電流物理量表記である仮定したところ、それを糸口として手帳を解読する作業に進展がみられる様になり、やがて、それは「らっきょうが記した日記であると判明する。

 

彼は「鳥取砂丘守備部隊に配属された軍属」であり、因幡伯耆地方戦闘を観察し、また、砂丘基地に置かれた兵器から放たれたエネルギー波が地上の敵都市を灼く様子を記録にとどめていた。だが、有史以前鳥取砂丘まで飛行できる高度な科学技術があった筈もなく、因幡にも伯耆にも大規模な戦争痕跡は見られず、そもそも砂丘には基地兵器痕跡すらもない。

 

矛盾する事象を整理し、数々の仮説が立てられ、謎が少しずつ解き明かされていくかに見えつつも、別の事実がその仮説を否定する。その繰り返しがいつまでも続き結論に行き着く見込みは立たなかった。果たしてらっきょうは一体何者なのか、どこから来たのか、何故、ここに居たのか、そしてどこに行こうとしていたのか?

 

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さらに、大山の山頂を訪れた調査隊が、雪の中から発見した驚異の物体が混迷の度を増した。それは人類にとってまったく未知の知性体の手になる「UFOの残骸」であり、UFOから大柄な体躯搭乗員の遺骸が発見され、また「数百万年前の鳥取生物たち」も積み込まれているのが見つかった。

 

大山発見されたこからダイセンと名づけられた彼ら大柄な種族調査したところ、その肉体構造は例のホタルイカに似た水棲生物と相似していることも明らかになった。

 

一方で、鳥取砂丘の内部を探査したところ、数百メートルの砂に埋もれた各種の設備基地が続々と発見され、らっきょうはこれら技術文明を担った、人類と同種の種族トットリアンの一人であることが明らかになる。

 

また、各種の証拠から現在隠岐の島に一個の惑星因幡星の存在が浮かび上がり、そこには鳥取とは別の生態系があり、ダイセンや件の水棲生物因幡星の生物であることが判明した。

 

すると、5万年前の戦争は、鳥取に棲む人類と、因幡星に棲むダイセンとの間の星間戦争であり、その結末として因幡星が隠岐の島々に砕かれ、ダイセンは鳥取から姿を消したのだろうか。だが、そう結論づけるにも矛盾が多すぎる。

 

直接大山に赴いてこれらを目の当たりにしたハントやダンチェッカーらは、更に深まる謎に悩まされるが、やがて、鳥取人の生い立ち、そして、かつての鳥取の姿につき、一つのストーリーが形作られていく。

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