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はてなキーワード: 敗戦の日とは

2023-08-15

終戦の日

日本にとっては終戦の日であって敗戦の日だけど

ロシア中国その他にとってはビクトリーデイであって

教訓は侵略されないようにする、侵略者には徹底的に戦う、であって

自分達が侵略者になるなんてことは露ほども考えてないんじゃないか

2022-10-24

2022/10/24トヨタEV戦争敗戦の日

自分は3ヵ月前に、https://anond.hatelabo.jp/20220620225630 というエントリで「トヨタEV戦略は明らかにおかしい」(トヨタの主販売市場の動向や競合企業ロードマップ比較して、明らかに展開が遅く、投入車種も少ない)という指摘を書いた。当時は結構叩かれたが、今日ロイターからトヨタがこの戦略見直していることを示唆する報道が出た。

https://jp.reuters.com/article/toyota-exclusive-idJPKBN2RJ0NR

[24日 ロイター] - トヨタ自動車電気自動車(EV)事業を巡り、戦略修正検討していることが分かった。基本設計プラットフォーム(車台)も見直し対象に含めており、2030年までにEV30車種をそろえるとしていた従来の計画の一部は既にいったん止めた。想定以上の速度でEV市場が拡大し、専業の米テスラがすでに黒字化を達成する中、より競争力のある車両を開発する必要があると判断した。



まとめるとこうだ。

・「2030年時点でトヨタ販売車種の1/3をEVにする」路線撤回する(目標が低すぎて死亡確定なので)

・「EVCVより安くクルマを作れる技術」という現状認識に基づいて、EV生産コスト構造を抜本的に見直す

・そのために混流生産向けのe-TNGAは徐々に切り捨て、EV専用の新規プラットフォームを開発・投入する

・追撃のために、なりふり構わずテスラの先行技術を後追いする(ギガプレス、オクトバルブ他)

まりEV時代におけるトヨタ最初の敗北宣言である。おそらくこれからもこうした敗北が積み重なっていく。日本自動車産業にとっては、技術競争力の低下という現実を次々と見せつけられる、暗く辛い時代がやって来る。

2021年年末トヨタEV30車種投入発表会やったときは、ネット上に「トヨタは全方位戦略からリスキーEV一本足打法にしてなかっただけ」「トヨタちょっと本気を出せばEV時代横綱相撲を取れる」という奇妙なファンタジーがはびこった。来るEV時代でのトヨタ勝利を疑わず多幸感に浸る連中がいっぱいいた。蓋を開けて見れば、1年も経たずにこの有様だ。




系列部品サプライヤーを束ねて膨大な構成要素を精緻に擦り合わせるトヨタのものづくりは、内燃系と電装系が複雑に絡み合うCV時代には良いやり方だったが、EVでそのやり方を延長しても性能×コストバランスの最適解には辿り着けない。見た目と機能は似ていても、CVEVは全く設計思想が違うからだ。テスラは多数の部品を高度にインテグレートするという路線ではなく、「大胆な手法で複雑な構造を単純な仕様に変えてしまうような」技術思想全面的に投入している。たとえば導入当初は「大量生産車向けの技術じゃない」と批判されたが、今や新興自動車メーカーが次々導入を始めているメガキャスティングギガプレス)。たとえばバッテリと空調の熱制御統合して、今までの自動車とは別次元効率的なサーマルマネジメントを実現するオクトバルブ。どちらも圧倒的な部品点数の削減とコストダウンを実現する。そして上の記事は、トヨタはそうしたテスラ路線に(プライドを捨てて)追従する、と言っている。

e-TNGAは、EVテスラがもたらした設計思想上のパラダイム移行は全く意識せず、ただ単に「CVEV可能な限り互換化し、安直に投入車種を増やせる手法」として設計された、いわば「過渡的なプラットフォーム」だった。その過渡的なプラットフォームで8〜10年ぐらいは持たせる計画だったのに、2021年の発表から1年足らずで、もはやその思想EVをめぐる現実に追い越されている。未だに「トヨタEV時代制覇」という夢を見ている人たちにも、少しずつこの現実認識してほしい。

https://anond.hatelabo.jp/20220620225630

で書いたことは、以下。

トヨタのBEV戦略2030年に車種の1/3を、販売台数の1/3をBEVにする)は、今の地域別売上からするとかなり奇妙な方針で、額面通りに受け取るなら間違った戦略だと思う。あのトヨタの発表が出たときは、ネットでは「EVでもトヨタが勝つる!」「30車種すげえ」「EU勢ざまあw」みたいな反応が多かったけど、個人的には「えっ、そんだけ?」としか思えなかった。系列企業への配慮などで、あえて低めの発表をしてる可能性があるとすら思ってる。

なにが奇妙かといえば、トヨタというグローバル企業の売上構成から考えると、2030年に1/3をBEV化する程度じゃ全然売るタマが足りないはずなんだよね。トヨタ自動車販売台数は、2021年実績で、日本国内が140万台、海外が810万台。海外地域別に見ると、北米が270万台、欧州100万台、中国が200万台。よく「欧米以外の地域には、今後もICEHVニーズが根強くあるから…」と言う人がいるけど、トヨタの国別販売台数は、この北米欧州中国の3地域で輸出市場の70%、全生産量の60%を占めている。つまり発展途上国日本を足した「2030年頃にICEHVを売り続けられる地域」の市場規模は、今の販売先の40%しかない。

「4割の残余市場に向けて、全車種の2/3でICEHVを維持する」というのは、ポートフォリオ戦略としておかしいでしょ?

ちなみにホンダは「2030年に2/3をEV化」、GMは「2030年までに北米生産50%EV化」、フォードは「2030年までに40%をEV化」という構想。つまりトヨタは、ICE規制までまだだいぶ間があるアメリカGMフォードに比べてもEV化に対して慎重な(鈍重な?)動きになっている。

規制が始まるまではICEHVを売ればいい」という人もいるけど、一旦ICE規制禁止法制アナウンスされれば、その実施時期に5〜10年先行してICEHVの売れ行きは落ち始める。消費者は、一定期間乗った車を手放す時点(規制後)で、ICE中古車価格がガタ落ちしていることを予期するから。今の先進国での自動車買い換えサイクルは、日本で平均8.5年、米国も7.3年、欧州もっと長い。最近日本でも「これが最後に買う内燃車かな、次はEVだろうな」なんつって自動車を買う人が増えてるでしょ。海外もそう。

最近欧州ディーラーでは一種のdisclaimerも兼ねて「EVのほうが下取り価格は有利です」と言われることが増えたけど、今後は先進国のどこでもこの傾向が加速し、おそらく2026年あたりからEVか死か」の秒読みが始まる。そんな状況で、「2030年には、なんと全車種の1/3をBEVしまぁす!」みたいな悠長なことを言ってて、まともに戦えるのかな、何らかの思惑含みのフェイクであってほしいな、というのが今の自分トヨタに思ってることです。

2022-08-16

トロク聞いてたら

宇多丸が「終戦の日敗戦の日」ってわざわざ「敗戦の日」を付け加えて何回も繰り返してたんだけど

なんか意味あんのかね

日本人にとって終戦敗戦なんだからそこをわざわざ付け加えて強調する必要あるんだろうか

2021-08-15

『「過ちを繰り返さない」と誓う日』だから、「終戦記念日」なのでは?

8月15日は、「終戦記念日」ではなく「敗戦の日」だと思っている。「過ちを繰り返さない」と誓う日でありたい』

って言われていたのを見たけれど、

『「過ちを繰り返さない」と誓う日』ならそれこそ、「終戦記念日」の方がいいのでは…?

敗戦の日」って言ったら寧ろ『「次こそは勝ってやる」と誓う日』に見えちゃうんだけど。

昔っから左派人達終戦記念日という言い方を否定して敗戦記念日と言いたがる理由が全く分からない。

その逆で右派敗戦記念日と言いたがるならまだ分かるんだけど。

2019-03-18

anond:20190318101940

日本勝てば官軍と言って、負けたほうにも正義があるとかわけのわからないことを言うからつじつまが合わなくなる

だったら平時の訓練は負けるためにやってるのかという話だわ

勝つために訓練してるのに負けても賊軍ではないとか意味不明

終戦記念日敗戦の日として教会をたてて嘘は方便は嘘で正直者が正しいというべき

2018-10-31

BTSのジミンへ

私はあなたペンだよ。

から書くことは、もしかしたら「あんなヤツはペンじゃない」って他の人にいわれるようなことかもしれないけれど、それでも書くよ。

私はあなた反日でも構わないと思ってる。韓国人反日の人って私たち日本人の思っている以上にきっといると思う。

韓国アイドルが好きで、辛い食べものが好きで、コスメが大好き。旅行にもたくさん行った。そのときに「チョッパリ」って言われたこともある。

嫌な思いもした。どうして過去の人したことで今の私がこんな目に遭わなきゃいけないのって思ったこともある。

でも仕方ないよなって思ってた。これは国の政治が絡む話で、お互いに難しい問題を抱えている。

私が辛い思いをすることなんて本当に小さなことだし、じっとじっと我慢してたらきっと未来は少しずつよくなっていくんだって信じてたんだよ。

思想自由から、それは否定しない。でも、あなたプロだよね?成人してるよね?自分の影響力、分かってるよね?

分かっていてやったのかな。あのTシャツ。だとしたら悲しい。

例の件、「もうずっと前のことをなんで今更」っていう人もいるよ。

でも少なくとも私はそんな風には思えなかった。

私のおじいちゃんね、自分のお母さんが目の前で死んだんだって広島で。被爆して体が溶けて、少しずつお母さんの姿じゃなくなっていったんだって

前の日はおじいちゃんの妹の誕生日で、食べ物もないのにあちこちに頭を下げてお裾分けを貰って、白いご飯と、それから砂糖をなめてごちそうして、来年もっと美味しいものを食べようねって約束した次の日が、あの8月6日だったんだよ。お父さんは戦争に行って帰ってこなかったって。戦争へ行く日、お母さんと妹を頼むぞって言われたのに、お母さんを守れなかったって言ってたよ。おじちゃんは幼かったから、「お国ため」がどういうことかは全然からなかったけど、でもお母さんが死んじゃって、お父さんも帰ってこなくて、妹だけは守ろうって、必死で生きたって言ってた。妹の結婚の手配をしなきゃいけなかったか自分結婚が遅くなって、私に会うのも遅れたっていってたの、覚えてる。

日本敗戦はもちろん、あなたの国にとってはすばらしい出来事だったのかもしれないね。だから8月15日私たちにとっては敗戦の日であなたの国にとっては開放の日になって、それが韓国で祝い事になることは別に否定しないよ。慰安婦問題も双方の主張があるだろうから、私はその件に関してのあなたの国の意見否定するつもりはない。

でも、原爆を祝うの?どうして?

なくなったのは、軍人でもない、ただのお母さんだよ。おじいちゃんやおばあちゃんや、子どもたちだよ。たくさんの無害な人たちが苦しみながら死んでいったことを祝うのはどうして?

あなたは例えば、今シリアで起きてる悲惨事実によってたくさんのお母さんや子どもたちが犠牲になっていることを祝える?アメリカトランプ大統領不法移民政策によって引き離された親子を見て、「これは不法移民をした罰だから、この親子が引き離されるのはすばらしいことだ」って祝福できるの?

戦争はそういうもんだから仕方が無い」「不法移民をしているから仕方がない」という意見ならまだ許容するよ。でもそれを通り越して、祝うってどういう神経をしてるのかな。

あなたがやっているのはそういうことだよ。

そんなあなた愛について語るの?

私はBTSが好きだよ。でももう二度と、広島には来ないで。

2016-12-04

いとうせいこうトーキングセッション2014夏

2年前の敗戦の日ころにNHKラジオで流していた五木寛之さんといとうせいこうさんの対談の冒頭部分の書き起こし。

誰かフルで持っていませんかね。

作家五木寛之さんをお迎えしております

まぁ、僕はもちろん戦争体験年代ではないのですけど、五木さんは?

はいっても、戦場体験は、もう3つくらい上になるとあるんですけど

少年飛行兵とか

僕らの世代は、ちょっと前で、終戦ときは、中学1年生でしたか

平壌の一中に通ってました。

で、引き上げていらっしゃって

戦争体験にもいろいろありましてね。

大本営とか通信部とか

丸々太って引き揚げてきて、村の人が

出ていってときと別人のようでなんて人もいた。

インパール作戦とか

いろんな悲惨体験した人もいるし、

僕は国に対して、万斛の恨みがあるんですけど

荒廃した国土に何百万って人が帰ってきたら迷惑なんですよ

から当時の内閣閣議決定でね

海外にいる残留日本人たちは、

そのままにしておきたい

シベリア復員兵もひっくるめて

方針があったみたいですね

僕なんかは、引き上げというよりも脱北ですね

38度線を徒歩で越えた口ですから

脱北者として、逃亡してきた

から70年になりますから、引き上げ者といってもピンとこない

あっ、帰国子女ですかと言われたりするんで、

棄民のようなかたち?

完全な棄民ですね。

捨てられてしまたかたち

内地のほうで、迎える日本の側でも

ほんとにあの時期に勝手外地に行って

戦争の真っ最中日本では麦のカスを食べていたとき

平壌では、チョコレートがあったそうじゃないかみたいなかたちでね

上海では、ジャズバンドもあって、ダンスホールもやってましたか

そういう裏返しも、恨みみたいなものがあるから、余計なものが帰ってきてということで、

引揚者って言葉は、当時は差別語でした。

そのことみたいなものだんだんだんだん、伝えられなくなって

粗雑なお話になって、

あるいは美しい物語になってね

アカシア大連なんてね。うらやましいなと思って

かつての植民地いたことを懐かしいと思える先輩たちのね

五木さんはそうではなかった

僕なんかまだいいほうでね

北朝鮮の北のほうの豆満国境ソ連

近くに入植した人たちが、軍に見捨てられて

デマが流れて、ピョンヤンに来ると列車があるらしいということで、

見るも無残な行列

避難民か引揚者かと同情しながら見てたんですけど

その人たちは、ありとあらゆる戦争の愚行というもの惨禍を受けてね

ボロボロになって、やってきてるんですから

引き揚げにしても戦争体験にしても千差万別ですよ

ひとことには絶対いえないですよ

それがもう伝わらなくなってきている

帰国子女だという人がいるということ

五木さんに今このお話を伺うことは、とても大きなことなのではないか

今、話すのは無駄だと思っているんですよ。

虚無感というかむなしさの中で

沖縄戦のいろんなことを語り部として、修学旅行の生徒に語って聞かせるようなガイドの人たちは、もうだめだ。やめようと。

早くやめろとかね。その間みんなスマホを見ている、ぜんぜん聞こうとしない

昭和史のかんどうさんも歴史を人は学ばない

僕は伝わらないと思う

言っても言ってもね、実感というのは伝わらない

僕はもう半ば諦めている

その人が

そうなるまでは、

体験というものは美化して伝わる

物語化して伝わったり

そういうクッションを経て伝わるんだ

と、悪いんですけど、嘆いているんですよ

しかし、まぁ、それが実感なのだろうと

マンツーマンで向かってお話をしていればね

なんとなく、口ごもる

話の中にもその人が語りたくない

っていう感じが伝わってくるでしょ

本当のことは語りたくないわけでしょ

引き揚げ体験にしても戦争体験にしても

本当の自分に対してやましさを持っている人たちは

語りたくないんですよ

から、僕も本当のことは語らない

ずっと今日までね、引き上げをテーマにした小説は書かなかった。

そんなもの書いてね、おーなかなかい作品だねなんて

言われたら、とてもじゃないけど、申し訳ない

確かにそうですね。

以上の内容から読み取れることは、戦争体験千差万別であること。

修学旅行原爆資料館に行ったら、呉の軍港も見て、岩国基地も見て、バランスをとっておくべき。

沖縄にいったら、ひめゆりの塔に行ったら、米軍基地も見ておきたい。

空爆でやられたところとそうでないところ。日本都市部がなぜか軍需工場扱いされていた事実

やられなかったところは、当時の日常の延長なんだよ。

赤紙がきて、動員された人。上を目指して、半島大陸に渡った人もいた。

そういう事実の積み重ねの上、生き残った人が今を作っている。ただ、それだけ。

http://anond.hatelabo.jp/20161204184643

 
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