はてなキーワード: 残雪とは
昭和の古い雑誌の巻末のほうには、しばしばペンフレンドコーナーというのがあった。
ひょうんなきっかけで、クラッシャージョウを特集していた80年代前半のアニメージュをふと手に取ったことがある。あれはたしか震災前の石巻市内の旅館だ。
ペンフレンドコーナーでアニメ愛を語り、連絡くださいと住所連絡先を書いていたあの頃の若者も、今はおじいさんおばあさんなんだろうな。
とにかくお手紙を書く時代だった。日ペンの美子ちゃんの黄金時代だ。
話はかわって学生の頃の話。
「あの、どこの山に登ってきたんですか」
1泊2日、残雪の単独登山の帰りだった。ほどなくして列車は富良野へと向かった。
「へえ、富良野って登山できるんですね。私、今富良野に住んでるんだけど、ほとんど町から出たことがなくて。今日、初めて列車で富良野から出てみたの」
聞いてみると出身は博多だという。看護学校に通うために、春に、富良野までやってきて寮にいるけれど、まだ友達がいないんだと寂しそうにいった。
「繁華街?、ああ中州ね」と彼女は笑った。鼻に寄ったしわの可愛さにすっかりやられてしまった。
富良野までの30分、音楽の話や地元の話、いろいろなことをお互いに話した。
やがて富良野が近づくとき、彼女は急いでメモ帳の切れ端に住所を書いてくれた。
今まさに一組のカップルが誕生しようとしている瞬間、周囲の乗客のくすくす笑いを今でも忘れられない。
俺の下宿の電話は(呼)だった。大家の部屋で親機で電話をとって、子機の部屋を呼び出す、という意味。
「え、なんで。すごく優しいおじいさんだよ」
「わたし、間違えて、呼び出しだって思わないで、もしもし、昭和くん?ってかけちゃったの。
そしたら大家さんがね、”ここは昭和さんのお宅ではありません。昭和さんが住んでいるアパートです!”っていってガチャって切られちゃったの。何も切ることないじゃない」
「ああ、それはきっと最近、大家さんとこに、そういう電話が多かったからイライラしていたんだと思うよ」
「もしもし、札幌商事の・・という者ですが、技術部の昭和さん、いらっしゃいますか。お見積りの件でお電話差し上げております」
昭和さん、札幌商事様からお電話です~、と取りついてもらったところ、
「はい、昭和ですが。いつもお世話になっており、、あ・・・小声で(おい会社にかけるなってあれほどいっただろ!)」
「はい、見積の件ですね、承知しております。20(時)部に変更ですね、例の物件(お店)ですよね。引き続きよろしくお願いいたします。」
などといって、彼女と待ち合わせをしたりした。
「昭和さん、お疲れ様、うふふ」といって電話を取り次いだ子が背中をポンと叩いて通り過ぎた。
待ち合わせをするだけのことで、このもどかしさ、このスリル。
ポケベルが登場するのはそれから平成に入ってしばらくのことだった。
こと、通信事情においては、昭和のエモさは半端ないものがある。
なのでおっさんたちが懐かしむのはよくわかる。
交通事情で書いたタバコの匂いはとてもひどい時代だったけれど、こんなふうに人と人がつながっていけた社会はもう二度と来ないだろう。
GW中は遭難のニュースが多かった。未だに見つかっていないものもあったり。五頭連山の親子はどこにいるのだろうか。
でも、整備されてる登山道を歩いている限り、遭難するようなポイントはあまりないんだよな。なのになんで人は遭難するんだろうか。
ということでヤマケイ文庫の『ドキュメント道迷い遭難』を買って読んでみた。すると、遭難の原因は道迷い時に戻らないことだということが分かった。
だいたいの遭難者は道に迷った時に戻らずそのまま進む。
そうするとドンドン間違った道に迷い込む。もう「あんたバカァ?」とアスカに言われてもおかしくないくらい戻らず進む。
しかも遭難の多くは下山時に起こる。下山時に道迷いを起こして戻るってことは、今来た道を登り返すということになる。下山時なので体力的にも登り返したくないという心理もあり、さらに間違った道を進むから遭難する。
先日登った瑞牆山も、下山時の登り返しが1番疲れたとみんな言ってた。やっぱり下山時はみんな登りたくない。
「迷ったら時は絶対沢を降ってはいけない」ってよく聞くけど、そもそも迷ったら進んではいけない。沢を降ったとしてもいずれ滝になって降りれなくなる。
水ってのは下に降りやすいところから流れていくので、どうしても崖目指して進むよね。
「迷ったら登れ」ってのはたぶん正解。正しくは「迷ったら戻れ」なんだろうけど、登れば見晴らしの良いところに出るので位置がわかりやすくなるし捜索しているヘリコプターも見つけやすくなる。
単独登山だから遭難しやすいかと言えばそういうことでもなさそう。単独だろうがパーティを組んでいようが、道に迷った時に戻らなきゃどちらも遭難する。
新潟の親子はたぶん凍った残雪に滑って落ちて登り返せなくなったとか動けなくなって遭難したんじゃないかなぁ。
道に迷ったらすぐ戻る。そうすれば遭難は防げるような気がする。
もちろん戻れない状況になったら進むしかないわけだが。
業務終了まで、まだ少しばかり時間が残る午後3時半。眠気の霧が晴れ上がり、また仕事に集中し始める頃合い。
契約職員という立場上、部署で一番下っ端の私には、毎日茶具の後片付けがある。
あわ立ちの悪い洗剤をスポンジにたっぷりと垂らす。カップの底に僅かに残るコーヒーを、蛇口から出るぬるま湯で薄める。
流し台の中で泡塗れになる様々な形のカップと、コドモのような私の手。
家でも職場でも毎日手洗いで食器を洗っているから、油分が失われてかさかさに乾いて、そこだけは大人のように見える。
手馴れたコトは手慣れた身体に任せて、頭で別のことを考えていればいい。
そうすれば、時間は案外早く過ぎ去っていく。
私には好きな人がいる。とても素敵な人のように私の目には映る。
人当たりがよく、部署内での人間関係は良好のようだから、多分他の人からも好かれている人だろうと思う。
妙に緊張をすることもなく(好意を自覚してすぐの頃は流石に心臓がいつもより大きく動いていたけど)、自然に会話を交わせる。
好きかもしれない。何となく、何となく、好きかもしれない。
いや違う。
とても好きなんだ。すごく好きなんだ。
この人とお付き合いが出来れば蕩ける様な幸福に包まれるんじゃないかと錯覚するくらいに。
そんなにまで好きならば、告白すればいいじゃん、と思われると思う。自分でだってそう思う。
だけど、4月に入社しこの部署に配属されて、もうすぐ1年、告白などという甘くも苦くもなる言葉は遥か遠くにある。
自分のありのままの感情を打ち明けるのが怖い。正確には、打ち明けた後に拒絶されるのが酷く恐ろしいのだ。
何を子どものようなことを、とは自分自身でも思うが、しかし今まで誰にも告白したことはないし、告白されたこともない。
生まれてきてから今に至るまで、誰かの恋人であった期間は一瞬たりともない。
世の中の恋する女性の行動力には感服するばかりで、自らの気持ちをオブラートに包むことなくそのまま手渡せる行動力が羨ましい。
毎年如月は14日、甘い陰謀の日の有無を言わさぬ流れに乗って、私も思いを打ち明けてみようかと、少し高めのチョコレートを買ってはみたけど、
結局渡せずに私と家族の胃袋の中に消えた。私の気持ちはどこかに行くことはなく、私の中に再び溶け込んでこの日は終わった。
詰まるところ、私はただの臆病者だ。成人して数年経つのに自分の言いたいことが言えない。もどかしい。
私は私の好きな人のことの、どこまで知っているのか分からない。
側面、あるいは切り取られた一部分だけを見て、好きだ好きだと思っているだけなのかもしれない。
とても滑稽なことのようだけど、実際に一部分しか見えていないのだから、仕方ない。
私の更に滑稽なところは、その一部分を妄想の水で膨らませて楽しんでいるところだ。
いつもご苦労様ねとか、片付けしてもらって悪いな、とか色んな人から詫びるような言葉を時々頂く。
詫びられることなど何もない。スポンジから生まれる泡と、捻った蛇口から止め処なく流れるぬるま湯。
そして沢山のカップと戯れながら、あの人の付き合うことが出来たら、と考える時間はとても楽しい。
あの腕に自分の腕を絡ませ、引っ付きながら歩くことが出来たら素敵だろうな、とか、
一緒にご飯をお腹いっぱい食べれたらそれだけで幸せかもな、とか、そういうくだらない妄想を延々と考える時間はひたすらに楽しいのだ。
そこにいる好きな人は、私の想像上の産物であって本物ではない。だからこそ楽しく感じるのかもしれない。
多分付き合うことのない人が、私に優しくしてくれる妄想。都合がいいにも程がある。こういうことも自慰と言えるのだろうか。
好きな人とも、あとひと月もすればお別れ。この妄想ともそれくらいでお別れが出来ればいい。
穏やかな春の日差しの中で融けて消える残雪のように、このどうしようもない恋心もなくなってしまえばいい。
だけど最後の日に何かないかと期待するこの心はへたっている。少女漫画の読みすぎだ。
奇跡みたいに都合のいい出来事など起きるわけもなく、そして何もなくこの恋は終わる予定だ。
それでいいのだ、たぶんね。