はてなキーワード: ギザギザハートの子守唄とは
じゃあ「うっせいわ」と、「ギザギザハートの子守唄」とか「卒業」の比較論って、30代前半以下には、そもそもまったく意味が分からないんだ。
「うせっせいわ」って、「ギザギザハートの子守唄」とか「卒業」レベルに、世代を超えて残っていくとは思えないんだよな。
うっせえわではなくギザギザハートの子守唄世代の意見やな
思春期手前の我が子が我が意を得たりとした顔で「うっせぇわ」を歌っている姿を見て思う。
実に微笑ましい。
ギザギザハートの子守唄のオマージュになっていることで、少なくとも自分は「自分にもそういう時期があった」という気持ちを思い出した。
それがおそらく作者の狙いなんだろうと思う。
この曲を聞いて頭ごなしに叱ろうとすると、若かりし頃の自分にブーメランが刺さる。
そんな構造をしている。
ナイフみたいに尖ってた若者が、社会に出た途端にしきたりや同調圧力によって丸く収まっていく。
この歌を微笑ましく感じる理由は一つ。
まだ何者でもない我が子が、今後迫りくるであろう高く分厚い壁に対して自らの万能感だけで勝利を確信しその気持を歌に込めているところだ。
そうだ。そのまま育て。そして全力で壁にぶつかって無力を知れ。
この曲は、若者に対する応援歌であるとともに、世の中の避けて通れない不条理を認知させてくれる歌でもある。
そんなメッセージを強烈な繰り返される「うっせぇわ」の単語にのせているような気がしてならなかった。
だとすれば、この歌唯一の危険性は、抗うことそのものが目的になってしまうことだ。
「くせえ口塞げや限界です」だなんて、口にするだけでも爽快な気分になれる呪詛を手に入れてしまったら最後、使わずにいられなくなるのも人間。
知ってしまった以上、ことの拍子に口をついて出てしまったなんてことがあれば、その爽快感とは比べ物にならないほどの何かを失うことだろう。
その時、受け取る側が「ああ、あの歌の歌詞だね」って笑って受け流せるくらいに大人なら良いが、この歌自体を真に受けて「子どもに聞かせたくない」だなんて真顔をで文句をいうくらいには暇なくせに余裕のない大人ばかりな世の中にそんなことを期待するのは無理だ。
どんな正しいことでも伝え方を間違えれば、伝わるどころか自分が間違えているとさえ言われてしまう。
「うっせぇわ」の存在自らがそんな示唆を持っているような、よくできた面白い歌だと思った。
それ以外については、この歌自体が「真に受けるバカはどこの世界にも一定数存在して、世代関係なくこの歌を真に受けているようじゃバカって言われても仕方ないよね。ここまで丁寧に説明してもバカにはわからないだろうけど。」というバカには一生理解のできない構造になっているわけで、真面目に批判すればするほどバカになっていく底なし沼みたいな怖い歌を世代間に分けて論じようとしている時点でバカの露呈でしかないよってことは知っておくべきことだと思います。
墾田永年私財法(コンデンエイネン シザイホウ)
スリジャヤワルダナプラコッテ(スリジャヤワルダナ プラコッテ)((正しい読み方はスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ))
メトロポリタンミュージアム(メトロポリタン ミュージアム)
サイン・コサイン・タンジェント(サインコサイン タンジェント)
タラちゃんちょっとそれ取って(タラチャンチョット ソレトッテ)
母さんこの味どうかしら(カアサンコノアジ ドウカシラ)
「どんぐりころころ」
お池にはまってさあ大変(オイケニハマッテ サアタイヘン)
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「丸竹夷二押御池」
「平家物語」
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「二条河原落書」