はてなキーワード: 休刊とは
http://www.littlemore.co.jp/news/books-magazines/20110428239.html
まあ、なんだ、
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.littlemore.co.jp/news/books-magazines/20110428239.html
とか見ると、「タナソウ愛されてるんだな」とは思うけどね。
廃刊の弁で「同業他誌」に後ろ足で砂をかけるような真似をするのが「かっこつける終わり方」だとは思えないんだけどさ。
目当ての一つは東2ホールO39aの「西理件」。私の愛読している「唐沢俊一検証blog」のサークルである。
スペースの近くまで行くと、男性が三人立っており、真ん中の人が大声で呼び込みをしていた。
「本物はあちら!」「連載は終了、雑誌は休刊、(以下よく思い出せず)」「書店で買うと送料がかかります!」一字一句覚えているわけではないがこんな内容のことを叫んでいた。
私はこういう呼び込みは大嫌いだし(以前これで嫌な思いをしたことがある)、その内容もちょっとまずいんじゃないかと思った。隣の島とはいえ唐沢本人のスペースも近くにあるのである。
本を手にとってちょっと中を見てみる。内容はブログとほぼ同じである。紙媒体でいつでも見られるのは捨てがたい……でも四冊全部買うと四千円で、ちょっと財布が厳しいなぁ……そんなことを考えつつ本をめくっていると、と書きたいところだが、耳元で呼び込みの人が叫び続けているので気が散る。「ちょっと静かにしてもらえますか」と言いたくなったがぐっとこらえ、vol.2とvol.0を買ってスペースを後にした。
24日、検証ブログに待ちに待った夏コミレポートがアップされた。
それによると、例の呼び込みをしていたのは「猫遊軒猫八」という人で、kensyouhan氏もその行為に驚きつつも止めなかったようである。
これは責められないことだと思う。今回の夏コミで氏は「高森圭」という人物から「トラップを仕掛けました」という脅迫メールを送られており、自分の身のみならず周囲に気を配らねばならない状況だったのだ。まして売り子もいない一人参加なら手伝ってくれる人がいるのはありがたい。
さて、その猫八氏の行為について、コメントで触れた方がいた。
>まりお 2010/08/25 15:43
>いつも楽しく読ませていただいております。
>
>大声で呼びこみをするタイプのサークルさんは迷惑と感じます。
>ちゃんと注意して止めるべきではなかったのでしょうか?
>お疲れ様でした。
>お役に立てたようでなによりです。
>
>>まりおさん
>10:30~14:00まで私が売っておりました。
>コミケットのスタッフさんや近在のサークルさんに何度も確かめたのですがなんとも言われませんでしたが……。
>何分、私が独断でやっていた事なのでご容赦ください。
>
>あと、面倒でなければ私のほうのブログにもコメントしておいて下さい。
>売っていたの私なので。
>http://d.hatena.ne.jp/london2008/
コメント歓迎のようだったので、猫八氏のブログに「るりるり」の名でコメントした。
>るりるり 2010/08/25 19:55
>
>コミケで検証ブログの呼び込みをなさっていたのが主様とのこと。
>申し訳ありませんが、正直「うるさいなぁ・・・」と思っていました。
>周囲のサークルさんも「やめてもらえます?」とは言いづらいと思います。
>(私はサークルでの参加経験があります。ただしこれは私個人の意見であり
>ジャンルによって呼び込みが普通であるところもあると聞きます)
ただ「うるさかったよ」と書くのはちょっとキツいかと思ったので、「個人の意見ですが」「それが普通なジャンルもあるらしい」と添えておいた。
「うるさい思いをさせてゴメンね」みたいなコメントが返されるのだろうと予想していたら……
>>るりるりさん
ハァ?
「 で は 普 通 で す 」?
「耳元で叫ばれてうるさかった」と言われて謝罪も無し?
こいつ(もうこいつ呼ばわりする)、私が「呼び込みは非常識です」と書いたら何て答えてたんだろう?
なんだか「斜め上を行く」とはこういうことか、とか、どこから突っ込んでいいのかわからない。
反論しようかと思ったが、脱力しすぎたのでやめておいた。
書いている途中で思い出したが、本を買うとき、「2000円です」と言われお金を猫八に渡したら「お金はそっちです」とkensyouhan氏のほうを指された(本をどちらから渡されたのかは記憶にない)。
猫八は「売っていたのは私」と言っていたが、金の受け渡しをしていなくても売っていたことになるのだろうか?
26日、検証ブログにコミケで隣のスペースだった「綾波書店」の代表者からコメントが書き込まれた。
内容は「呼び込みは迷惑だった」「確認はされていない」「コミケスタッフにも苦情を入れた」というもの。
それに対してkensyouhan氏はコメントと記事で謝罪した。
謝罪内容はまっとうなもので、氏はこれによってサークル代表者としての責任は果たしたと思う。
が、その後事態は混迷する。
「綾波書店」氏の過去の発言から、以前から検証サイドの人々を批判しており、唐沢俊一ファンであることが判明したのである。
で、唐沢スレにはこんな書き込みが……
>510 :無名草子さん:2010/08/27(金) 11:20:46
>コメ欄で猫八を嗜めていた「るりるり」とか「まりお」も綾波の配下のモノだろ
>532 :無名草子さん:2010/08/27(金) 11:45:00
>今となってはあやしいものだしね
>先に「まりお」や「るりるり」にコメさせ
>553 :無名草子さん:2010/08/27(金) 12:06:08
>ブログのコメ欄で苦情を言っているのは「まりお」と「るりるり」だけだしね
>こいつらも綾波の配下かもしれないし
私が誰かの配下だなど、馬鹿にするにもほどがある。こういうのを表現するために「下種の勘繰り」という日本語があるのだ。
だいたい、私のコメントに猫八がああいうコメントをするなんて誰が予想できたというのか?
「大変申し訳ございませんでした」とコメントしたらどうなっていたのだろう?
検証サイドに関係のある人に少しでも批判的なことを言うと「擁護派」とレッテルを貼る人がいる状況、何なんだ。
(綾波書店氏の正体が判明する以前だが、「穏やかに窘めていた」と言って下さった方もいた。ありがとうございます)
なんだかダラダラ書いてしまったが、私のことはどうでもいい。
猫八はmixiではなく自分のブログか検証ブログのコメントで謝罪なり釈明なりをすべきである。
※8/31追記
猫八は一旦ブログを閉鎖し、その後再開して「お詫び」を掲載した(閉鎖と再開の正確な日時はわからないが、お詫びの日付は8/27)。
>私はコミケについては経験が浅く、当日販売のお手伝いのつもりでやっていた呼び込み
>は、私の職業上の経験からすればそれほど五月蠅くはないという認識でした。
・周囲がやっていない呼び込み
・ある人物を揶揄するような内容
・客の耳元で叫び続ける
これらが「では普通です」な職業というのが何なのかわからないが(殺伐とした商店街の魚屋とか?)、世の中は広いから多分そういう職業も存在しているのだろう。
>>るりるりさん
>申し訳ありません。
(今更だが、「悪しからず」というのは「相手の意に添えず申し訳なく思う」という意味である)
>謝るのは大事だけど、
>自分の発言を削除して無かった事にするのは
>よろしくないのではないでしょうか。
それに対する猫八の回答は、
>>areさん
>以後、注意します。
わかるのは、削除した理由は、考えが変わったからでも、反省したからでもないということくらいである。
唐沢スレによると、一時閉鎖の前にコメントが承認制になり、ブログだかツイッターだかに「自らに厳しい罰を課す」という一文があったらしいが、私は見ていないので何とも言えない。
<追記ここまで>
<以下は私の思い出話的なもの>
綾波書店氏の発言内容には疑問もないわけではないし、「何で今頃言うのか」というのももっともだ。
コメントでもちょっと書いたことだが、隣のサークルへの苦情というのは言いづらいものである。
私は昔、とある小さいジャンルでサークル参加をしていた。ジャンル内は知り合いでなくとも名前を言えば「ああ、あの人」とわかるくらい狭い世界だった。
あるコミケでのスペース配置で、ジャンル内でやや大手と言えるサークルの隣になった。サークル代表者とは個人的にメール交換したり、コミケ後に飲みに行ったりして親しかったので、隣になれて嬉しかった。
が、そこの売り子がちょっとアレだった。そこのサークルのメンバーではなく、私も名前だけは知っているとある人なのだが、この人が私のスペースにはみ出して本を置く、この人を訪ねてきた人が私のスペースの前に居座って延々話し続ける、私のスペースの椅子(参加経験のある方はご存知だと思うが、コミケでは1スペースにつき2つ椅子が提供される。私は一人参加だったので椅子が一つ余っている状態だった)にものを置く、等色々やらかしてくれた。
私はそれに対して注意できなかった。それどころか「あ、いいですよ~」と愛想笑いした。狭い世界で揉め事を起こしたくなかったし、友人とはいえこちらは超弱小、あちらはやや大手である。
その友人も、自分が頼んで手伝ってもらった人に注意しにくかったと思う。
だから今回のことも「まあ、言えないよね」「もし『うるさいですか?』と聞かれたとしても、『いえいえ、大丈夫ですよ』と答えちゃうだろうなぁ」と思うのである。
加速する休刊ラッシュ 男性向けファッション誌は絶滅寸前の珍獣?
ttp://blog.livedoor.jp/tabbata/archives/50671047.html
新撰組を見てからというのも、ずっと、この「これは、もう刀の時代じゃないな」と内発的に確信する瞬間というのが、当時の武士たち一人ひとりの間で、いつ、どのように訪れたのか?問題がボンヤリと頭の片隅に居座り続けている。
例えば、坂本竜馬は北辰一刀流で免許皆伝まで修行したのに、さっさと刀に見切りをつけ、拳銃を携行していたようだ。この割り切りのよさは何故だろう?それに引き換え、近藤勇は?という問題だ。
言い換えれば、さっさと剣術に見切りをつけた武士と、見切りをつけられなかった武士との間を分かつものは、何だったのだろうか。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20091026-OYT1T00696.htm
「ポケットモンスターSPECIAL」(通称ポケスペ)どうなるんだろう。
小学三年生ぐらいからストーリーを始める体制を変更しないと。
あさりちゃんは・・・まぁ一話完結だし
あさりちゃんの設定は小学4年生だから問題ないか。(姉タタミが小学6年生)
週刊誌編。2008年7-9月から2009年4-6月で1号あたりの平均印刷部数。(単位:千部以下切捨)
http://www.j-magazine.or.jp/magdata/index.php?module=list&action=list&cat1cd=1&cat3cd=2&period_cd=2
http://www.j-magazine.or.jp/magdata/index.php?module=list&action=list&cat1cd=1&cat3cd=2&period_cd=5
181→172
282→265
449→408
334→296
493→446
692→664
227→207
203→183
342→333
761→742
126→124
100→休刊
102→93
・・・1年も経たずに1割程減。こっちが問題だな。
「社会の木鐸」宣言
ラジオ関東は開局以来『洋楽のラジ関』の通称で親しまれ、横浜らしさの漂う洒脱な雰囲気、また港町ならではの輸入レコード盤[4]による洋楽に関する情報の速さやオンエアー数から、団塊世代の若年層を中心に人気を博していた。
その後も女性アイドル番組など幅広く扱っていたが創業に尽力した河野一郎の意を受けて経営にあたった遠山景久社長(当時)は、巨人戦ホームゲーム独占中継権獲得(1977年)を笠に着て、ワンマン体制を強化していたが、1982年に「社会の木鐸」宣言を行い、若者向け番組を敵視し大幅に削減。反共色の濃い論説や演歌を多く流す、中高齢層対象番組中心に編成を一変させ、職業運転手や一部保守的リスナー層に浸透した一方で、全体的には大幅な聴取率低下を招いたため、多くのスポンサーが撤退し、経営悪化が深刻になる。
(中略)
遠山は、意に沿わぬ局員を徹底的に左遷・解雇し、アナウンサーをキーパンチャーに異動して告訴されたり、管理職研修を自衛隊で行ったり、最盛期には150名以上居た社員を30数名まで減じるなど、恐怖政治的な人事・労務策を敢行したが、長年の遠山独裁に不満を募らせていた遠山以外の同局幹部連が諮って、1993年12月21日に取締役会全会一致で遠山を「公共の電波を預かる放送会社の代表として相応しくない」という理由で電撃解任し、ワンマン体制に終止符が打たれた。本人が遅刻するにも関わらず、取締役会は定時に開催すべしとの遠山からの連絡を受け、その間に緊急発議で実現した解任劇だった。これに先立つ同年3月、同局は巨人戦ホームゲーム独占中継権を失って、遠山は主要提携先の読売新聞社から見放された形になっており、経営破綻は時間の問題だった。後任社長には、外部から解任劇を筋書きした小林與三次と同様に、読売新聞・日本テレビ出身の外山四郎が就いた。外山は遠山の負の遺産の整理を進め、翌年2月には乱脈経営で会社に損害を与えた廉で遠山を告訴し、遠山の家屋敷を差し押さえて一族所有の同局株を日テレに譲渡させ、事実上日テレの傘下に納めたことで、混乱に一応の終息を見た。
ネット上において「メディアは左よりだ」と言う意見が散見されるけど一時期のRFラジオ日本や最近のチャンネル桜の末路、そして保守系論壇誌の休刊ラッシュを見るとメディアが右寄りすぎるのも経営という観点でみれば問題ではあるよなあ。
ジャンプがつまらないという声をよく耳にする。
実際に、自分の周りもそういう印象を受ける。SQの方が面白いという声がある。
SQは休刊になった月間ジャンプの売れてるのを集めている影響もあるから仕方ないとは思うけど、それを抜いてもジャンプはつまらないし。ワンピースしか見ていないというのは自分の周りではステータス化してきているのは事実。
そこでだ、とりあえずブリーチを切ってみてはどうだろうか。
ワンピースは面白いし看板漫画にふさわしい。NARUTOは設定とか色々とひどいけど描き込まれてるからいいと思う。
問題はブリーチと。コマの大きさは尋常じゃないし、一人の腕が切れるのに1話使うってのはどうかと思う。話に魅力なんて感じないし、面白いところなんてない。
女狙いなのか、濃いタッチの絵で描いてある漫画なんて全然出てこないし、ヤンジャンのがよっぽどジャンプしてる。
漫画が売れないのではなく、つまらないから買わない。これに尽きる。実際に自分は先月からヤンジャンとアフタヌーンに切り替えました。ジャンプに期待している人がいるわけだからつまらない話ばっかり並べないでしっかりとして欲しい。
先日、「朝日ジャーナル」が創刊50年を記念して1号だけ復刊した。
これが売れてて、3刷まで出てるらしい。(ソースは今朝の新聞広告)
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=10334
出てるのは浅田彰、柄谷行人、鶴見俊輔などに加えて、東浩紀 に湯浅誠、雨宮処凛、ホリエモンなど。
ちょっと読んでみるか。
「朝日ジャーナル」が記念復刊 創刊50年で
1960-70年代に若者に人気があった雑誌「朝日ジャーナル」が、4月14日発売の「週刊朝日」臨時増刊号として復活することが27日分かった。
発行元の朝日新聞出版によると、同誌は部数低迷で1992年に休刊したが、今年が創刊50年に当たるのを記念し、単発で復刊することにした。破綻する日本型社会システムについて文芸評論家柄谷行人、作家高村薫ら各氏が寄稿するほか、故筑紫哲也元編集長によるインタビュー「新人類の旗手たち」の一部を再録する。
これは村上春樹の尻馬に乗った「正論原理主義批判」でもなければ「正論原理主義批判批判」でもない。
そもそも村上春樹の言葉に意見を左右されるようなナイーブな俗物では私はない。
もっとプリミティブかつ重要な思考と言葉の根幹に関わってくる問題だ。
結論から言うと、何がしかの意見に対し「これは正論」といったような
表明をした人間の今後一切の発言権が失効したことをここで報告する。
もちろん「表現の自由」も「報道の自由」も「知る権利」も同時に失う。
今じゃネット上では雑誌が休刊する入れ替わりに「正論」という言葉が溢れている。
「正論だろ」「正論じゃないか」といった発言が簡単に見つかる。これは人類の危機だ。
何故なら彼らは考えることを放棄しているからだ。
正論とは「至極真っ当な意見」「正しい意見」といった意味のはずだが
彼らの口から何がどう真っ当でどこが正しいのか語られることはない。ただ正論と言い張る。
それは自分が同意見であるというだけのことを「正論」という言葉でコーティングすることで
根拠レスで空虚な物言いをあたかも何がしかの裏づけがあるかのように装う。
「自分と同じ意見」=「正しい意見」という恐ろしい短絡が生じており、
そこには他人を説得するような力も心を動かすような力もなく、
まるで口々に念仏のように「正論」と唱え、数で圧倒すればそれが自動的に何の思考も経ずとも
「正しい意見」になるかのようなカルト宗教染みた理念がそこからは透けて見える。
彼らは何も考えていないし、意見をぶつけ合うつもりもない。
最初から自分の意見が正しいと信じきっており、動員ゲームをしているだけで、
彼らから脳みそと口を取り除いても何ら支障は生じないだろう。
あなた達がより良い未来を阻害する害悪であることは明白であり、
そのような退化しきった「人間モドキ」には文明社会から一刻も早く退場を願いたい!
それが私の偽らざる心境だ。さぁ、今すぐホームセンターに行って荒縄を買ってくるんだ。
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090311
西原理恵子氏の「食育なんて女をばかにしてる言葉」発言について思う。
http://blog.livedoor.jp/str_it/archives/50811836.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/str_it/archives/50811836.html
http://anond.hatelabo.jp/20080219121753 0
http://anond.hatelabo.jp/20080219133702 1
http://anond.hatelabo.jp/20080219150703 2
http://anond.hatelabo.jp/20080219164145 3
http://anond.hatelabo.jp/20080219182449 4 の続きです。
タウン誌が売れなくなってきたのです。
ターゲット人口の減少、インターネットなどの情報メディアの普及、景気の停滞による消費行動の減速。地方の出版社は、タウン誌の販売部数がゆるやかな右肩下がりのカーブを描くことについて、あらゆる理由をつけて「仕方がないこと」として、有効な対策を打てずにいました。それでも、情報ニーズが高まる年末や年度末、夏に発行される号に関しては前年の販売部数を上回ることもあり、広告売上の減少も底を打ったこともあって、「まだ大丈夫、いつか巻き返せる」と、根拠もなく楽観的な観測を持っていたのです。
しかし、根拠のない楽観は、やはりそれだけのものでしかありませんでした。本来であれば上積みが期待できるはずの時期に、販売部数がことごとく前年を大きく割り込み始めたのです。右肩下がりのゆるやかなカーブは角度を増してゆき、返本の数が「売れなくなった」ことを雄弁に物語りはじめます。タウン誌のスタッフたちは、目を背けていた事実に、向き合わざるを得なくなりました。若者の雑誌と言いながら、既に高校生や大学生にはリーチできていない媒体であること。読者の多くが今や30代を迎えていること。自分たちが思っている以上に街(タウン)での影響力が落ちていること。そして、得意にしてきたはずの街ネタは、今や一般の人たちが速報性の高いネットのブログや掲示板で発信していて、月1回発行のスパンが精一杯のタウン誌では、どうやっても後追いになってしまうことを。
「自分たちは、誰に向けて、何を発信していけばいいのだろう」タウン誌のスタッフたちは総毛立ちました。街に密着し、街の”今"を発信していたはずのタウン誌は、どっちつかずの中途半端な媒体になってしまっていました。
タウン誌全体の地盤沈下が始まりました。老舗タウン誌の休刊・廃刊が相次ぎ、一方で雨後のタケノコのようにホットペッパーの手法を真似たクーポン誌が各地で創刊されました。その多くは、出版経験のない山師的な経営者が後先考えずに発行し、数号で消えて行くものでしたが、それらは決まって消え去り際に単価を限界まで引き下げて広告営業を行い、市場をめちゃくちゃに荒らしていきました。
ほんの数年前まで、地方の小さなマーケットでさしたるライバルもなく(あったとしてもなんとなく住み分けをしながら)、牧歌的に発行されていた各地のタウン誌は、あっという間に窮地に追い込まれました。本が売れないということは、タウン誌の情報で行動する人が減ることを意味します。それはつまり、広告効果も落ちるということに繋がります。広告効果が落ちれば、もちろん広告は入らなくなります。
底を打った、誰もがそう思っていた広告収入が、また減少を始めました。
つづく